Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

大元神社(2018年3月11日参拝)

2018年04月30日 | 神社
長く充実した尾道しまなみ海道の巡礼の旅も、
名残り惜しくも終わりに近づいてきました。

最後に訪れるのは尾道の対岸の向島に鎮座する大元神社です。

オフィシャルHPを見ると「第二の高千穂」と、
期待値が高まる文言が書いてあったので、
とても楽しみである。

しまかみ海道の向島で下り神社を目指すも、
ナビは鎮座する岩屋山山頂を案内しない。

岩屋山の下の道路沿いに神社の案内板があったが、
その辺りに車を停める駐車場も無い。

うーむ、これは困った。

諦めようにも諦められないので、
地元民が通るような細い道を進んで行くと、
岩屋山へ続くルートを発見。




赤い矢印のように山道を進むと、
①の突き当りに到着。

車を転回するのに苦労する場所ですが、
ここから神社に行けます。

ちなみに近くに巨石群を擁する岩屋荒神社は、
②の場所に停めるのが一番近いですが、
私は②の場所に行ったにも関わらず、
そこから先は行っては行けないような道だったので断念。

しかし、後日調べてみると②から岩屋荒神社に行けたとか。

完全に事前リサーチ不足。

簡単に行けるだろうと思っていた自分が甘かったです。(泣)

次回、尾道に訪れる時は真っ先に訪れたいと思います。



所在地:広島県尾道市向東町80-1
御祭神:大元大御神(天常立尊・国常立尊・伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神)
創建:昭和44年(1969)
開祖:普明光



【由緒】
山の開祖であり道祖と仰ぐ普明光が奇病に侵され、
四国八十八ヶ所霊場に死地を求め巡礼中、
五十八番仙遊寺にて病魔退散の奇跡が起き一命を救われました。

報恩と衆生救済の為、全身全霊を捧げ尽くす厳しい修行に入り、
時を経て仏から神へ、神から仏へ相互の繋がりが生じ、
その都度大いなる仏力・神通力を授かるとともに、
神仏両部信仰こそ人々が最も速く救われる道と覚ることとなりました。

それから8年、当山で断食修行をしていた昭和39年5月3日の朝、
轟音とともに山が揺れ動き、山内の岩場で拝むその目の前に、
巨大な火柱が立つや宙に五色の光体が出現、

「大元大御神今ここに降臨。ここに宮を建てよ」との、
御神命が下されました。

5年の歳月のうちに社殿の建立が成し遂げられました。

天照大御神の孫神が高千穂に御降臨になったことに次ぎ、
一大聖地「第二の高千穂」として世直しの拠点なる、
大元神社信仰の立宗開山が実現し、今日に受け継がれています。



【しまなみ海道】


①の突き当りから見たしまなみ海道です。


【鳥居】


これが結構見た目以上にしんどい坂道で疲れる。


【注連縄柱】


もうちょっと頑張りましょう。


【拝殿】


ハァハァいいながら到着。

拝殿の横には大師堂があるらしい。


【狛犬】



【末社】





【石塔】



【地蔵尊】


神社なのに地蔵尊が。

神仏両部信仰の神社のようです。


【石仏】



【本殿】



【最上稲森大明神】



【末社】






これにて参拝終了。

第二の高千穂というイメージで行くとガッカリします。(^^;

御朱印はありますが、
車の中に御朱印帳を忘れていたので、
いただいておりません。

さすがに車に戻って坂道を登り下りする元気が無かったので。(^^;


【新尾道駅】


去らば尾道。

また必ず訪れます。
やっぱり旅はいいね~。

明日会社に行きたくなくなるけど。(^^;


【福山城】




乗り継ぎの福山駅で撮影。

しかし、ここで事件が発生。

新大阪から東京まで新幹線ストップし、
それが福山駅まで影響が出て大幅な遅延。(泣)

乗る予定の新幹線が1時間以上遅れで、
更に遅れる見込み。

これは待っていても仕方ないと思い、
別の新幹線の自由席が空いていたので、
自由席に乗ったは良いが各所で信号待ち。

全然新大阪に着かねー。

いつもより1時間以上もかかって新大阪駅に近づくも、
手前で信号待ちで15分以上も待たされる。

ほんとだったら家に着いてるのに。(泣)

旅はいいね~と思ったけど、
こういう事があると旅はいやになるよ。

結局、一時間半遅れで新大阪駅に到着。

ふぅ疲れた。

新大阪駅には乗れない難民多数でカオス状態であった。(^^;

向上寺(2018年3月11日参拝)

2018年04月29日 | 中国観音霊場
法然寺から見えた向上寺の三重塔。

やはりどうしても近くで観たい。

意を決して最初に諦めた細い道を車で進むことに。

すると何とか向上寺の本堂横に到着。(^^

いや~良かったわ~。

何事も諦めたらアカン。

車は4台分は停めれました。

ちなみに法然寺の横から歩いて、
向上寺に行く事が出来るようです。


所在地:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田57
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:応永10年(1403)
開山:愚中周及大和尚
開基:生口守平
札所:中国三十三観音霊場


【縁起】
向上寺は応永7年(1400)地頭・生口守平公が、
瀬戸田潮音山の観音の霊場に一寺を建立し、
臨済宗佛通寺派開山勅特賜仏徳大通禅師愚中周及大和尚を迎えて開く。

聖観世音菩薩を御本尊とし、
古来、災害鎮圧と興隆繁栄の祈願寺として崇敬されてきました。

文安元年(1444)向上寺は仏通寺と共に、
将軍足利義政により将軍祈願所となる。

一時衰退したが慶長14年(1609)関的が入寺して再興、
その際に曹洞宗に改められた。

寺請制度の江戸時代はその制度下にあった家が少なく、
末寺の支援と近在の商人による寄進で成り立っていた。

境内にある三重塔は永亨4年(1432)に、
生口島の領主・小早川信元・信昌により建立され、
国宝に指定されている。



【三重塔】


車を降りて上を見ると憧れの三重塔が見えた。(^^

すぐ近くで観たいという欲求を抑え、
まずは本堂参拝、いや、山門からだ、ということで、
少し下にある山門へ。


【山門】


本堂横からわざわざ下に下りて、
山門から境内に入り直す。


これはなかなか味のある山門です。

回りの景色も相まって良い雰囲気です。


【鳥居】


この鳥居が何故ここにあるのか不明です。

お寺の奥様に聞くのを忘れてた。


【参道】



【本堂】


比較的新しい本堂のようです。

嬉しいことに扉が開いていたので、
内陣に入らせていただいた。


【内陣】


柱を見るとやはり新しく建てられたものを分かりますね。

明治6年(1873)に火災で焼失し、
その後、長らく仮本堂はあったが倒壊、
平成21年(2009)に浄財を募りようやく再建されたもの。




御本尊は三十三年に一度の秘仏だそうです。


【鐘楼堂】


鐘楼は音色も良く由緒ある鐘として大戦中の供出も免除されたとか。


【地蔵尊】



【地蔵堂】





【三重塔】


三重塔は石段を登って行く必要があります。

楽に近くで見せてくれません。

拝観料100円を賽銭箱に入れて登る。

これがなかなか運動不足にはきつい石段です。

ハァハァするのは必至です。(^^;






ここまで来るのに無駄に苦労したわ~。

でも、法然寺に参拝出来たから善しとしよう。




近くで見ると個人的には国宝というより重文のように感じたけど、
やはり素晴らしい建築美である事は間違いない。


【風景】



【石段】


国宝の三重塔を見れて大満足。

この石段を転げ落ちても大丈夫ぐらい満足です。(^^


【御朱印】

法然寺(2018年3月11日参拝)

2018年04月28日 | 仏閣
尾道には国宝の三重塔があるのをご存知だろうか。

私は今回の巡礼の旅に訪れるまで知りませんでした。

尾道に国宝や重文の建築物があるとは意外でしたね。

その向上寺へナビはちょっとヤバそうな道を案内するが、
最後の最後でビビッて、そのルートは回避。

他にルートはあるだろうと思い車は走るも、
お寺を遠回りするだけで到着する気配が無い。

三重塔は遠くからでも見えているのに。

このまま諦める訳にはいかないので、
車を走らせているとお寺を発見。

山門から少し離れた場所に車を停めてお寺へダッシュ。

しかし、お寺に着いてみると向上寺では無く、
法然寺という別のお寺であった。

うわぁ~マジか~?

もうここで心が折れかけて向上寺の参拝は諦めそうになる。

しかし法然寺の案内板を見ると法然上人御遺蹟と書かれている。

ほー、ここは単なる檀家寺では無さそうなので、
これもご縁なので参拝することにした。



所在地:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田44
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長12年(1607)
開基:一道上人


【縁起】



【山門】



【本堂】


御本尊の阿弥陀如来は法然上人念持仏だそうです。


本堂内陣や中庭の様子はgipsypapa様のブログをご覧ください。

https://gipsypapa.exblog.jp/28120007/


【大師堂】


大師堂といえば弘法大師をイメージしますが、
こちらの大師堂には法然上人像が安置されています。

しかもあの熊谷直実作と伝えられ、
江戸時代に増上寺36世祐天上人によって再開眼されたそうです。


【御堂】


詳細不明です。


【地蔵尊】



【三重塔】


墓地の中から見た三重塔です。

ここへ行きたいんや~。(切実)

これにて法然寺の参拝終了。

御朱印は恐らく無いと思われます。

俵崎神社(2018年3月11日参拝)

2018年04月27日 | 神社


耕三寺の有料駐車場の横に丘陵がある。

ここは茶臼山城の出城としての俵崎城があったそうで、
茶臼山城城主生口景守と同族のものが城主だったとか。

その俵崎城跡に俵崎神社の看板を発見。

これは小さい神社だし華麗にスルーしても良かったけど、
その足は神社に向かっていたのであった。


所在地:広島県尾道市瀬戸田町鹿田原499
御祭神:植山比賣神、神武天皇、若宮神、河野家諸霊他
創建:昭和20年(1945)


【由緒】





【レモン】



【境内】


少し上に登って行きます。

観光客は誰もこの神社には訪れていません。


【拝殿】


予想通り小さな神社です。


【イノシシ】


こ、これは?(笑)

何故にイノシシ?(^^;


【境内社】


以上です。

こちらはよほどの神社専の方以外は、
無理して参拝することは無いと思います。

耕三寺博物館 金剛館(2018年3月11日拝観)

2018年04月26日 | 仏閣
耕三寺にはまだ見所があります。

それが耕三寺所蔵の重要文化財、
重要美術品等を展示している金剛館です。

ここにお目当ての阿弥陀如来がいらっしゃいます。

去年の京都で開催された快慶展で見て、
その秀麗な顔立ちに感動したものです。

この耕三寺にて再び拝仏出来るとは、
この上ない喜びです。


【潮聲閣】


道路沿いから見た洋館です。


【金剛館入口】


ここでは拝観チケットは不要です。


【鳳凰門】


正直、この門は不要でございます。(^^;


【金剛館】


こちらで拝観チケットを出して入館します。

1400円の拝観料に含まれておりますので、
耕三寺拝観した時に油断して無くさないようにね。


館内はフラッシュを焚かない限り撮影OKでした。

これは嬉しかったな。(^^

1階は仏像がメインとなっています。


【浄土曼荼羅刻出龕】




重要文化財。


【宝冠阿弥陀如来】






御尊顔を拝し恐悦至極に存じあげ、
大変嬉しゅうございます。(^^

さすが快慶作だけあって秀麗な御尊顔です。








素晴らしい。

重要文化財。


【阿弥陀如来】




重要美術品。

重要文化財と重要美術品との違いは、
下記を見ていただければ分かり易いと思います。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/293498.html






重要文化財。


【阿弥陀三尊像】


鎌倉末期~南北朝時代作。

他に狛犬、持国天等が展示されていました。


2階部分は版画等が展示されていましたが、
ここはサラッと見て退館。

やっぱり快慶の阿弥陀如来は素晴らしかったですね。(^^


これにて耕三寺は全て拝観終了。

伽藍は宗派関係無く有名寺院を模倣したものばかりでしたが、
どれも素晴らしい建築技術を堪能出来ました。

また観光地としての未来心の丘も凄かったし、
仏像の素晴らしさも堪能出来た。

拝観料1400円は法隆寺並みの高額ですが、
1400円の価値は充分ありました。

観音霊場や古刹のような雰囲気は皆無ですが、
観光として訪れるには申し分無いですね。

耕三寺 潮聲閣(2018年3月11日拝観)

2018年04月25日 | 仏閣
【耕三寺潮聲閣】


耕三寺には潮聲閣という和館と洋館の建物があります。

これは莫大な資金を投入して母親の為に建てた家です。

人の子なら誰しも親孝行はしたいと思っているものですが、
これだけのモノを建てるとは、どんだけ母親が好きやねんと、
言いたくなりますが。(^^;


【拝観入口】


耕三寺境内左側にあります。


ここは別途200円の拝観料が必要です。

しかし、結果的に見て損は絶対無いと思いました。


【浴室】


まずは浴室から。

係り員のおじさんにマンツーマンで案内していただく。

しかし、この浴室は冬だと相当寒そうですね。


【丸窓】


浴室にあるステンドグラスの丸窓です。

写真撮影は全てOKでした。(^^


【休憩室】


ここで風呂上りに休憩ですね。(^^


【ステンドグラス】




二階部分には行けませんでした。


【応接室】




贅沢の限りを尽くしたといえる調度品の数々。


【老人室】







【格天井】


天井画は花鳥図で見事なものです。


【中庭】



【御母堂像】


御母堂様の為に莫大な資金を使って、
耕三寺と潮聲閣を建立するなんて、
よっぽどマザコ〇、いやもとい、オカンが好きだったのね。(^^


【肖像画】


禅宗のいうところの頂相です。

こちらが耕三和上となります。


【庭園】



【玄関】


普段使い用の玄関とのこと。


【大玄関】


奥に見えるのが開かずの月光門です。

きっと御母堂様専用の門なんでしょうね。


【格天井】


大玄関の軒下に立派な格天井。

外だと湿気に痛みそうなのに格天井とは。

お金持ちはやることが規格外です。(^^;


【掛け軸】


控えの間にはカッコいい龍虎の掛け軸が。

これの複製品が売っていたら買ってしまうほど。


【花頭窓】


花頭窓の奥にはガラス戸があるという、
珍しいデザインです。

色々取り入れつつアレンジしていますね。

これは日本人特有の良さです。


【板絵】




ガラス戸と花頭窓の間に木の板に描かれた絵がありました。

こんな見えにくい場所にも絵を飾るとは。

お金持ちの事はよく分かりません。(^^;


【手水鉢】



【仏間】




まばゆい黄金の宮殿には中央に阿弥陀如来、
左右には親鸞聖人、蓮如上人が祀られていました。


【御母堂像】


母ヤツの実家が生口島瀬戸田町なんですね。


【天井画】



【日本庭園】









【井戸・十三重石塔】



【手水鉢】


これにて潮聲閣の拝観終了。

御母堂様の為にこれほどのものを建てるとは。

凄過ぎますね。

近代建築好きな方は必見だと思います。

私でも充分満足しましたから。


案内してくれた人と話しをしましたが、
耕三寺和上はちゃんと得度をして僧侶になった。

いくら親の為とはいえ僧侶になるなんて普通はしない。

ここが凄く偉いところです。

お金持ちの単なる道楽ではお寺を建立した訳では無い。

さらに母が住む為に潮聲閣を建て、
亡くなってから耕三寺を建立した。

お金があったとしてもここまで使う事が出来る人間が、
現代に何人いるだろうか?


母は潮聲閣には7年しか住めなかったそうだが、
きっと幸せだっただろうね。

耕三寺 其の二(2018年3月11日参拝)

2018年04月24日 | 仏閣
耕三寺は広くて見所が沢山あります。

まだまだ続きますよ~。


【孝養門】






日光東照宮陽明門を模倣したものですが、
文部省に1組だけあった図面を苦心の末に入手し、
10年の歳月をかけて忠実に再現したそうです。




近くでみるとその細かい浮彫、組物表面に施した宝相華と、
繧繝彩色は見事としか言いようがないです。

第二次大戦後の建築である為、登録有形文化財の登録対象外。

戦後だと対象外になるとは知りませんでしたね。

それにしても、
これほどの建築物を個人で造るとは。

一体幾らかかったんでしょうね。(^^;


【龍図】



【如意輪観世音菩薩】



【千手観世音菩薩】



【十一面観世音菩薩】



【聖観音菩薩】



【本堂】


宇治平等院鳳凰堂が原型。






只今、色の塗り直し中のようです。




肝心の内陣は入れないようです。

残念。


【東翼廊】


左右の翼廊はそれぞれ中に入れるようです。

先ずは向かって左側へ。


【阿弥陀如来】


こんな所に重文の阿弥陀如来がいらっしゃるとは。

しかも、興福寺から買い取ったものとか。

いや~びっくりしました。


【至心殿】





【西翼楼】




これはデカイ。




下からみるとようやく見えました。

不空羂索観音のようですね。


【天井画】



【境内】



【石仏】



【千仏洞地獄峡】




ここが入口らしい。

行くしかないでしょ。






洞窟っぽくてワクワクする。(^^




地蔵菩薩というより年老いた人の良さそうな老僧のようです。








ここは地獄を表現しているようです。








地獄観・極楽観が表現されていました。






この辺りからやたらと石仏が多くなる。




餓鬼のような子供を抱いた石仏です。

こういう石仏は初めて見ました。






圧巻です。

見る人によっては怖さを感じるかも知れない。




六角堂です。

ここが最後となり、
外に出ると高さ15メートルの救世観音がお出迎え。

あー、ここが出口だったのね。


【五重塔】




室生寺五重塔を模したもの。


【孝養門】


ここから見る孝養門もいいですね。


【法宝蔵】





【僧宝蔵】






中はこのような展示室になっています。












なかなか素晴らしい焼き物が展示されており、
焼き物好きとして見れて良かったです。


【礼拝堂】


礼拝堂まで戻ってきました。


【紅梅】




これにて全ての主要伽藍の拝観終了。

以前はあった御朱印は確認したところ無くなったとのこと。


最後は御母堂様の為に建設した潮聲閣を拝観しますが、
続きはまた明日。

耕三寺 其の一(2018年3月11日参拝)

2018年04月23日 | 仏閣
垂水天満宮から少し走って本日のメインの一つである耕三寺へ。

ここは伽藍が凄いので以前から訪れたかったお寺。

また快慶作の阿弥陀如来も拝仏するので楽しみです。(^^


お寺に近づく程、観光地らしく賑やかになり、
意外と人気があることを認識する。

てっきり但馬大仏のように過疎っていると思っていたので。(^^;

とりあえず山門を過ぎてすぐに駐車場があったので停めた。


所在地:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:昭和11年(1936)
開基:金本耕三


【縁起】
当寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、
山号を潮聲山、寺号を耕三寺といいます。

大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の、
耕三寺耕三が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、
自ら僧籍に入り菩提寺として昭和10年より生涯を掛けて建立したお寺です。

日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、
西の日光とも呼ばれる。

平成に入ってからは建築物の特殊性が評価され、
15棟が登録有形文化財として登録された。


【迎賓館】


駐車場の横にあるお城のような建物です。


耕三寺には無料駐車場があるのですが、
一番近い駐車場は民間が経営していて500円と有料です。

ここがタチが悪いのは駐車場入口には有料という文字がどこにも無く、
見えにくい売店の所に500円と書いてあること。

しかも後払いでもOKなので気付かずにお寺へ行ってしまって、
帰ってきたら気付いた次第。

なんだかやられた気分。(苦笑)

それでも昼頃には満車になっていた。

耕三寺は結構人気のある観光地のようである。


【月光門】


ここは開かずの門です。


【山門】


いきなりド派手な山門が登場。

京都御所紫宸殿の御門を模したそうだが、
余りにも派手過ぎるな。

しかし嫌な感じは全くしない。

奥に見えるのが中門で法隆寺西院伽藍の楼門を模したもの。




扉表面の龍と波と狛犬の浮彫り。


【中門】





【馬頭観音菩薩】


一瞬、降三世明王と思ったけど、
頭上に馬がいました。


【不空羂索観音菩薩】


持っているモノから推測するに、
恐らく不空羂索観音菩薩と思われます。

それにしても定番の仁王さんでは無かったです。


【境内】


おー、広い境内にお目当ての伽藍が見えます。

期待は高まる。

ここで拝観料1400円を支払う。

なかなか強気な金額設定ですが、
結構な観光客がいました。


【羅漢堂】








左右には法隆寺西院伽藍の回廊を元にされた羅漢堂があり、
その中には色鮮やかな五百羅漢が安置されています。

あれを一つ造るだけでも凄いお金がかかっていることでしょう。


【礼拝堂】




観世音菩薩が祀られていました。

そのまま真っ直ぐ行きたいところだが、
境内の左手を進む。


【鐘楼堂】


鐘楼は新薬師寺を模したもの。


【紅梅】





【迎賓館】


お城のようですね。

老朽化により今は倉庫として利用しているそうです。


【銀龍閣】




境内の大外回りを左から登って行くと銀龍閣という建物があり、
茶室として利用されているそうです。


【茶祖堂】




銀龍閣から上を見るとカッコいいお堂が見えます。

行ってみよう。


【八角円堂】


聖徳太子十四歳御考養の画像を安置されていて、
法隆寺夢殿を模したもの。


【救世観音大尊像】


高さ15メートルで細身ですね。


【石像】




鬚をはやした仙人のような人物ですね。




こちらは羅漢さんのように見えます。


【茶祖堂】




普通のお寺には絶対無い色使いですね。






千利休と剣仲紹智像が安置されていました。


【八角円堂】



【石像】


先に未来心の丘へ行きます。


【紅梅】





【未来心の丘】


エレベーターも完備されていてお年寄りや車イスの方にも優しい。


【テレビ取材】




関西ではお馴染みの「おはよう朝日です」という番組で、
入矢麻衣ちゃんと湯舟元選手がロケしていました。

彼女はオスカー所属のタレントさんです。






28日に放送されていました。


ロケの合間に入矢麻衣ちゃんに握手してもらった。

3分ぐらいお話しをさせてもらったけど、
気さくでとても可愛いコでしたね。

付き合いたいと思いました。(^^

湯舟元選手とも握手しましたけど、
こちらも気さくで優しい人でした。


【未来心の丘】








イタリア産大理石をふんだんに使われています。

大理石といっても只の大理石ではありません。
最高級のカッラーラ産なので、
ここだけで何十億円かかっているか分かりません。

凄過ぎますね。

ここはカップルがやたらと多い。

おっさん一人の私は肩身が狭いので早々と退散。(^^;

次は伽藍を見に行きます。


【多宝塔】




石山寺多宝塔を模倣したもの。

それにしても有名寺院の名建築を模してばっかりだなぁ。


【境内】



【親鸞聖人】



【十三重石塔】



【石像】



【孝養門】


ついに中心伽藍にやって参りました。


【回廊】







【信楽殿】




とりあえず長くなりましたので続きは明日。

垂水天満宮(2018年3月11日参拝)

2018年04月22日 | 神社


大三島から隣りの生口島へ移動。

しまなみ海道を走り生口島南で降りて、
本日のメインの一つである耕三寺を目指す。


【多々羅大橋】


向こうに見える島が大三島です。


【風景】


普段、海を見ないのでたまに見ると最高ですね。




本州方面。




よーく見ると造船所があるようだ。

暫く海岸線を走っていると垂水天満宮に到着。

ここは当初、華麗にスルーする予定であったが、
時間に余裕があるので寄ってみた。



所在地:広島県尾道市瀬戸田町垂水
御祭神:菅原道真公
創建:不明


【由緒】
平安時代の寛平8年(896)国内が大飢饉に見舞われていた時、
菅原道真が大三島の大山祇神社に雨乞いの祈祷をしに向かう途中、
嵐で生口島の浦江に流され、上陸出来ずに困っていました。

そこへ里人が引いて歩いていた牛に助けを求めたところ、
嵐の海に入ってその牛が道真公を救い出し、
近くの亀甲山に運び上げたと伝えられています。

その為、この天満宮は別の名を牛天神といわれています。

道真公は世話になった人達へ清水のありかを教え、
村人がその場所を掘ったところ実際に水が湧き出た。

道真公がこの清水が溢れ出る様子を唄にした中に、
垂と水という言葉が含まれていたということが、
神社名の由来である。


【鳥居】


車は徒歩2分程のサンセットビーチの無料駐車場に停めれます。


【石段】




これが参拝したのを後悔する程、
なかなかハードな石段であった。

運動不足な身にはしんどかった。(^^;


【鳥居】



【狛犬】





【拝殿】


ようやく到着。

ふぅ、結構疲れた。


【神牛】



【本殿】



【五柱神社】



【境内】


本殿裏手には境内までアスファルトの道があった。

どうやらここまで車で来れるようだけど、
多分、狭い道で泣きたくなる道だろう。

これにて参拝終了。

御朱印は無いと思います。

大山祇神社 奥の院<生樹の御門>(2018年3月11日参拝)

2018年04月21日 | 一宮


大山祇神社から奥の院へ歩いて行く。

長閑な農村の細い道ですので、
車で行くことは出来ません。

奥の院は「好きな人がいること」というドラマで、
桐谷美玲ちゃんが訪れていたシーンが放送されたロケ地です。

はい、聖地巡礼でございます。(笑)

美玲ちゃんが可愛過ぎてつらい。(^^



所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦
御本尊:阿弥陀如来三尊
創建:不明
社格:奥の院


【縁起】
神宮寺は当初、神供寺というの名前で、
四国霊場八十八ヶ寺の第55番札所ともされていたお寺です。

大山祇神社の本地仏であった大通智勝如来を祀っていた、
神宮寺の奥の院であったが、
廃仏稀釈により神宮寺が廃寺になり、
今は奥の院と神宮寺塔頭東円坊が残る。


【奥の院】


あの大木がある所が奥の院です。

案内板もあるので迷う事も無く本社から数分で到着。

近くて何よりです。(^^


【生樹の御門】




凄い、と思わず声に出してしまった程、
強烈なインパクトがある御神木。

まさに畏怖の念を感じるとはこのことですね。






畏怖の念と共に漲る命の力強さを感じます。

私は安易で軽薄なパワースポットというのは嫌いです。

今まで幾つもパワースポットと呼ばれる所に行きましたが、
本当にエネルギーを感じるのは少ない。

しかし、この奥の院、いや御神木は本物のパワースポットでしょう。

自殺しようとしてる人がこの大木を見て触れると、
自殺を思い止まるんじゃないかと思うよ。




阿弥陀堂に行くにはここを通るらしい。

これほどの御神木の空洞をくぐるなんて、
これは非常に珍しい。

熊野那智大社の大楠以来二回目の貴重な体験です。




大人でも屈んでいけば通れました。

通る時はワクワクして楽しかったです。(^^




振り返るとこんな感じ。


【阿弥陀堂】


神社なのに奥の院というのは違和感があるし、
御堂もお寺っぽいなぁと思っていたら、
この阿弥陀堂の中には今もなお阿弥陀三尊像が祀られているとか。

廃仏稀釈の時は大概お寺の仏像は無残に捨てられるか、
他のお寺に遷されるものですが、
こちらは大切にここで安置されている。

四十八夜・お念仏の行事中は御堂が開けられているそうです。


【遠景】


向こうに見えるのが大山祇神社です。

奥の院はこれにて参拝終了。

予想以上に凄い御神木であった。


これから宝物館に行きます。


【河野通有兜掛の楠】





【神橋】



【宝篋印塔】




重要文化財。


【宝物館】


拝観料が千円と入口で知って、
考えること5分。




国宝、重要文化財の刀剣、甲冑等を展示してるとあって、
これは入館しておかないと後悔すると思って千円支払いました。

国宝8点、重要文化財469点も所有しているそうです。


【紫陽殿】


まずは左手にある紫陽殿へ。

ここは刀剣や甲冑好きにはたまらないものばかり。

写真撮影禁止でしたので撮影してませんが、
源頼朝が奉納した紫綾威鎧、源義経が奉納した赤絲威鎧や薙刀、
護良親王が奉納した牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵、巴御前の薙刀を筆頭に、
国宝、重文のオンパレードの数々。

他に平重盛奉納の螺鈿飾太刀、弁慶の薙刀等も見れて嬉し過ぎる。(^^


甲冑の多さもこの紫陽殿の特徴です。

それもそのはず、国内に現存する国宝と重文の甲冑の4割が、
大山祇神社に保存されているんだから。

何回スゲーと言ったか分からん程、
凄い展示物の数々でした。

やっぱり千円支払って拝観して良かったわ。


【国宝館】


紫陽殿から隣りの建物へ移動。




ここは古い甲冑が非常に多かったですね。

国宝館は少し薄暗く、展示室も古い感じがする。

というか国宝館という割りに国宝が無く、
先ほどの紫陽殿の展示品に比べると、
貴重な甲冑は少ないです。

いや、ここも充分貴重な甲冑なんだろうけど、
紫陽殿の甲冑が凄過ぎた。


【海事博物館】


こちらは1階と2階が展示室になっていますが、
ほとんど興味が無いものばかりなので、
2階を見ることも無く外に出た。(^^;


【プロペラ】


拝観終了。


【鶴姫の像】


どなたでしょうか、
この天草四朗チックなお方は。

この像は鶴姫という女性らしい。

大山祇神社の大祝職・大祝安用の娘で、
戦死した恋人の後を追って自害したという鶴姫伝説として知られているが、
実在したかどうかは怪しい人物らしい。


【楼門】


さて、これにて大山祇神社の参拝終了。

一宮に相応しい神社であった。


【鯛めし】


神社の隣にある せとうち茶屋大三島さんで昼食。

まぁ、普通に美味しかったです。

大山祇神社(2018年3月11日参拝)

2018年04月20日 | 一宮
おっぱい観音から高速を使って、しまなみ海道を走ること約60キロ先、
大三島に鎮座する伊予国一宮である大山祇神社へ。

こちらは神社仏閣巡りを趣味としている人間として、
一度は参拝しておきたい神社です。

神社の無料駐車場は20台分程ありますが、
規模の大きさ、参拝客の多さに比べれば少ない。

駐車場が満車の場合は隣接する道の駅か、
せとうち茶屋の駐車場を利用すると良いでしょう。

その際はそれらの店で買い物をしてお金を落とすのをお忘れなく。



所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
御祭神:大山積神・岩長姫命・木花咲耶姫命
創建:(伝)推古天皇2年(594)
社格:式内社、伊予国一宮、国幣大社、別表神社


【由緒】
はじめ島の東側にあたる瀬戸に祀られたが、
のち現在地に大宝元年から霊亀二年まで首尾十六年をかけて大造営をなし、
養老三年四月二十日正遷座が行われたと記されている。

天孫瓊々杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父にあたる大山積神は、
皇室第一の外戚として日本の建国に大功をあらわし、
全国津々浦々にその分社が祀られている。

大正4年(1915)四国唯一の国幣大社に昇格。

古来日本総鎮守として尊称せられ、三蹟の一人藤原佐理が、
日本総鎮守大山積大明神と揮毫奉納した神額は、
国の重要文化財に指定されている。


【二の鳥居】


もうここから清浄な雰囲気を感じます。


【狛犬】



【斎田】





【御棧敷殿】





【総門】






元亨2年(1322)に焼失してから688年ぶりに復元されたそうですが、
本当に見事な門です。

実に素晴らしい。


【狛犬】



【神馬舎】



【馬神社】



【斎館】



【境内】


広々とした気持ちのよい境内です。


【能因法師雨乞いの樟】






これはさすがに枯死していました。


【宇迦神社】



【十七神社】


屋根の色が渋すぎ。

私の大好物でございます。

社殿は永和4年(1378。)の再建。

内陣には重要文化財指定の神像群が鎮座しているそうです。


【乎千命御手植の楠】







【葛城神社・祓殿神社・伊予国総社】





【神門】


ここから見る神門が神々しい。




とても気品のある神門です。

平成28年(2016)再建されたもの。


【菊の御紋】



【拝殿】


お~、これはまた渋くてカッコいい拝殿です。

やっぱり檜皮葺はええな~。




応永34年(1427)再建された重要文化財。


【神門】


美しい。


【神輿庫】


平成9年(1997)建立されたもので、
9基もの神輿が安置されているそうです。


【本殿】


応永34年(1427)再建された重要文化財。


【御鉾神社】



【境内社】


奥から院内荒神社、地神社、稲荷神社、石神社です。




八重垣神社、酒殿。

本殿裏手にも境内社はあるが見逃し。


【御朱印】


この後は奥の院と国宝館は次回へ。

磐台寺<阿伏兎観音・おっぱい観音>(2018年3月11日参拝)

2018年04月19日 | 備後西国三十三観音霊場
鞆の浦から約4.8キロ程離れた沼隈半島の南端にあるお寺が、
阿伏兎観音で親しまれている磐台寺です。

別名おっぱい観音とも呼ばれいて、
おっぱい星人が憧れるお寺です。(笑)

ま、男目線で見れば不謹慎になっちゃうけど、
安産を祈願したり授乳に悩む女性達が縋る真面目なお寺です。(^^



所在地:広島県福山市沼隈町能登原阿伏兎1427-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:正暦3年(992)
開基:花山法皇
札所:瀬戸内三十三観音霊場、備後西国三十三観音霊場



【縁起】
花山法皇により石造十一面観音像を本尊に祀り、
付近の航海の安全を祈願する為に創建。

元暦2年・寿永4年(185)源平合戦(治承・寿永の乱)により荒廃。

建武5年・延元3年(1338)磐台寺をかねてから厚く信仰していた
鞆の漁師の夢枕にお告げがあり、その翌朝お告げ通り、
石造十一面観音像が阿伏兎岬の沖合で網にかかり再安置される。

永禄13年・元亀元年(1570)毛利輝元が堂を再建し整備。

歴代の備後福山藩主の手厚い保護を受け、福山藩四代藩主水野勝種により、
石垣や鐘楼、回廊を増築し現在に近い姿となる。

重要文化財の観音堂はその美しさから歌川広重の浮世絵六十余州名所図会、
川瀬巴水の風景版画などの絵画の題材に多く取り上げられている。


【あぶと本館】


場所はこの旅館を目指せば分かりやすいでしょう。

旅館から目と鼻の先に磐台寺専用の無料駐車場があります。
4台程は停めれると思います。


【参道】


通行止めの標識があるように、
ここから先は車では行けません。

行けるのはお寺関係者のみです。


【木の根】



【田島】


海の向こうに見えるのが田島という島です。


【宝篋印塔】



【石段】


駐車場から徒歩3分ほどで到着。

山門は無いようですね。

リーズナブルな拝観料100円を支払い境内へ。

拝観料が100円なんて今時の都会では有り得ない金額ですね。

正直なところ拝観料300円は取っても良いと思う。


【客殿】




客殿は残念ながら中に入れませんでした。

もし客殿も拝観出来るのなら500円支払ってもいいです。


【石仏】




これはどこかで見た気がするなぁ。


【鎮守社】



【石仏】



【金魚】



【回廊】


この回廊を登って行くとお目当ての観音堂があります。




おっぱいが見たくて、いやもとい、参拝したくて、
走るように階段を登ったよ。(笑)


【鐘楼】


回廊の途中に鐘楼が吊るされていました。


【観音堂】


到着。

ここで靴を脱ぎます。


【回廊】


振り返るとこんな感じ。


【外回廊】




高い所が苦手な人は恐怖を感じるかも知れないけど、
私はとても爽快な気分で高まりました。

一周回れます。(^^


【観音堂内陣】



【おっぱい絵馬】




奉納された沢山の手作りのおっぱい絵馬。

これだけあると壮観ですね。(^^

現代の女性達は意外にも食生活やストレス等で、
思うように母乳が出ない人が多いそうですね。




こちらも手作りのおっぱい絵馬ですが、
ピンク色の美乳です。

ええわ~これ。(笑)




こんな絵馬も売ってますが、
私がこれを自宅で持っていたら変態ですね。(苦笑)



おっぱい観音といえば愛知県小牧市の間々観音を思いだしますね。

あちらも楽しく参拝出来た記憶が強く残っています。

https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/4ed5f6cc8502ad60707c7994abea26f5

あそこのおっぱい絵馬は1500円と商売っ気が旺盛でしたが。(^^;


【海食崖】




外回廊から真下を見ると結構怖い。(^^;

高い崖の上に建っていることが分かりますね。


【備後灘】


素晴らしい絶景です。(^^

独り占めです。


【石塔】


下を見ると石塔があり、そこまで行けるようです。


【六体地蔵】



【観音堂】




凄い高さです。




こんな崖の上に建ってるとは。


【石塔】







【観音堂】


ここから見る観音堂が格別ですね~。

素晴らしい。




改めて拝観料100円は安過ぎ。

場所が場所だけあって参拝し難いですが、
わざわざ訪れる甲斐があります。

どうしても男はおっぱい絵馬に反応しちゃうけど、
ここは切実な願いを叶えたい女性達の聖地と言っても過言ではない。

陸奥稲荷神社(2018年3月11日参拝)

2018年04月18日 | 神社


円福寺から陸奥稲荷神社という神社があるので行ってみた。

桑田泰商店荷受場という魚を取扱う所の先に鎮座してました。


所在地:広島県福山市鞆町鞆
御祭神:稲荷大神
創建:不明


【鳥居】



【狛狐】



【穴葉稲荷神社】



【鳥居】


何故か鳥居から先には行けないようになっていました。


【覆屋】




この中に本殿があるそうです。

海の潮風、雨から守る為でしょうね。

天井には寄進をした人々の家紋が描かれているとか。


【境内社】




御祭神不明。


【海岸】


奥に見えるのが仙酔島です。

鞆の浦のシンボル的な島らしいが、
参拝したい寺社が無いので華麗にスルー。

これにて参拝終了。

御朱印は無いですね。


【鞆湾】



【鳶】



【漁港】



【鞆の浦】


今回の旅はここがメインでは無いので、
鞆の浦はこれにて離れます。

次回はゆっくり鞆の浦の寺社巡りを楽しみたい。

釈迦院 円福寺(2018年3月11日参拝)

2018年04月17日 | 鞆の浦 古寺めぐり


いろは丸談判の際に紀州藩の宿舎となった円福寺へ。

少し坂を上って行くと到着しました。

福禅寺から徒歩数分の場所にお寺はあります。


所在地:広島県福山市鞆町鞆10
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:大日如来
創建:慶長15年(1610)頃
開山:不明
札所:鞆の浦 古寺めぐり


【縁起】
圓福寺の始まりは室町時代に遡り、当時の圓福寺は釈迦堂といって、
現在の沼名前神社の南、小松寺の東に位置していました。

圓福寺と号したのは、慶長15年(1610)頃、
住職の快音によって大可島城の跡地に移転した後のことです。

美しい瀬戸内の島々や四国の讃岐山脈が眺望できる景観を有し、
江戸時代には朝鮮通信使が来日した際の上官の常宿とされました。

山号扁額は正徳元年(1711)の朝鮮通信使の写字官・花菴が、
大書した圓福寺の山号を木片扁額にしたものです。

幕末のいろは丸沈没事件の談判では紀州藩の宿舎として使用されました。



【境内】


山門は無くいきなり境内に入りました。

無愛想な猫が一匹居るだけの殺風景な境内です。

何というか居心地がとても悪い。

遠くから見ると大きな本堂があって、
なかなか良さげな感じだったんだけどな。


【本堂】


当然のように閉まってました。

寛文年中(1661-1673)に再建されたもの。

後で知ったことだが本堂の裏手にある客殿の夾明楼は、
拝観料200円を支払えば入れるようです。

ということは本堂も拝観出来るはずなので、
惜しいことをしたな。


【御堂】


委細不明。


【芭蕉句俳】




疑な うし保のはなも 浦の春


【石仏】



【宝篋印塔】



【鎮守社】



【石祠】



【石仏】



【大可島城址】



【風景】




ここから見る風景はなかなか良かったです。


【鳥居】


お寺を出てすぐの石段の下に、
何故か鳥居がありました。


御朱印はありますが、
ピンポンを押すことも無く退散しました。


このお寺はとにかく境内が殺風景過ぎ。

もうちょっと何とかしてほしい。

あと本堂と夾明楼は事前予約では無く、
随時拝観出来るようになれば少しは印象も変わると思う。

福禅寺 対潮楼(2018年3月11日参拝)

2018年04月16日 | 鞆の浦 古寺めぐり


細い味のある路地を進むと福禅寺に到着。




柵はあるが山門は無いようですね。

それではいざ参拝開始。


所在地:広島県福山市鞆町鞆2
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:千手観音菩薩
創建:平安時代
開基:空也上人(市聖)
札所:鞆の浦 古寺めぐり、備後西国三十三観音霊場


【境内】



【神馬】


お寺には珍しく神馬がいました。


【本堂】


この建物は左手が本堂、右手が客殿の対潮楼となります。


8時ちょうどとなったので拝観受付を済ませ対潮楼の中へ。


【対潮楼】




おー、これは素晴らしい。




まさに絶景。

日東第一形勝の言葉に偽り無し!

格別の素晴らしさで感動です。

この素晴らしい景色を独り占めですよ。

マジで幸せな気持ちになりました。(^^


【弁天堂】




弁天島と呼ばれる無人島にあるのが弁天堂です。

もし弁天島にあの弁天堂が無ければ、
この素晴らしい景色も普通のものになってしまうでしょう。

それほど弁天堂はアクセントして最高の演出効果となっています。

いつの日か上陸してみたいものである。


【朝鮮通信使】





【幕末維新の志士達】


慶応元年(1865)2月、上野彦馬撮影。








誰が写っているのかと思えば,
錚々たるビッグネームがかなり多くて焦った。

右端が西郷隆盛、隣が大久保利通、二人おいて5番目が伊藤博文。

凄いメンツが揃ってますね~。(^^




西郷さんはこんな顔だったのかー。

銅像の西郷さんの顏を見た奥さんは、
こんな顔じゃないと言ったそうだが、
確かに銅像の顔と写真の顔は違うよね。

やはり写真の顔の方が西郷さんがリアルのように感じます。






腕を組んでるのが桂小五郎ですが、
生意気そうなクソガキですね~。(笑)

こいつを押えるのは大変だっただろう。(^^;




このメンバーも凄いですよ。

向かって手前左が坂本龍馬、その上が高杉晋作です。

戦国が専門なので幕末はあんまり好きではありませんが、
この二人の名前を見ると熱くなります。(^^




左に立っているのが勝海舟です。

この写真の勝海舟は昔のロックンローラーのようですね。(笑)

いや~、それにしても凄い豪華メンバーが揃った写真です。

と思ったのに帰宅してから調べたら、
フルベッキ写真と呼ばれる偽物だったようです。(泣)

くっそー、完全に騙されたわ。

そういや西郷さんは一枚も写真を撮らなかったと言われてもんなぁ。

まだまだ私は性善説を信じる穢れを知らない、
ピュアな心の持ち主のようです。(^^


【弁天島】


隣りにある本堂外陣に入らせていただき参拝。

紐で御本尊様とご縁をいただく事が出来ました。(^^


最後に見納め。

かれこれ30分以上は居たでしょうか。

単なる観光客は朝8時から訪れる事は無く、
私のような必死系がこの絶景を貸切りで独占出来る。


福禅寺は朝一番の参拝がお勧めです。

ちょっとした努力をした者だけが至福の時を過ごせます。


【御朱印】


書置きをいただきました。