Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

東寺 夜桜ライトアップ(2019年4月6日拝観)

2019年04月30日 | 神仏霊場巡拝の道
昨年初めて東寺の夜桜ライトアップに行って、
とても感動したことを覚えている。

それでも去年は見頃を過ぎていたので、
今年は何としても最盛期の見頃の夜桜を見たい。

そんな想いを胸に秘め東寺へ。

今年もお寺の外周に拝観者の大行列。

そんな人達を横目に車はすんなりと、
東寺の有料駐車場に停めれました。

駐車場代は拝観時間終了まで500円です。


<2018年4月1日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/3e1a7138bb1dce02cccdd043ce79dae1




所在地:京都府京都市南区九条町1
宗派:東寺真言宗
御本尊:薬師如来
創建:延暦15年(796)
開基:桓武天皇


【不二桜・五重塔】


素晴らしい。

今年も感動です。




弘法大師の不二の教えから不二桜と命名。

樹齢120年の八重紅枝垂れ桜。

見事です。


【瓢箪池】






水面に映る五重塔と桜が美し過ぎる。


【桜・五重塔】





【夜桜】









【桜・五重塔】












最早、下手な言葉は要らない。


【金堂】


外からの拝観となりますが、
堂内を見る事が出来ました。

ただ、何体かは東博に出張中でした。


【講堂・五重塔】



【夜桜】







【不二桜】




最後に見納め。

去年より素晴らしい桜と伽藍を堪能出来て感動。


御朱印は売店に書置きが一体置いてありました。

玉桂寺 其の二(2019年3月24日参拝)

2019年04月29日 | ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
地下通路で繋がっていた本堂と阿弥陀堂の参拝を終え、
続いて不動堂へ。


【修行大師・不動堂】


修行大師の後ろに不動堂があります。


【不動堂】




不動明王とぼけ封じ観音が祀られていました。

この組み合わせは珍しい。


【宝篋印塔】



【観音菩薩】




またまた大量の観音菩薩が安置されていた。

こちらも当然ながら奉納されたもの。

一体あたり幾らかかるか知りませんが、
これほどの数の観音さんが奉納されてるとは。

関西でもそれほど知られていないお寺なのに、
かなり人気あるのね。

或いは教祖と信者のような主従関係に因るものなのかな。




こ、この名前は!

エイシンキャメロンとは懐かしい名前ですね。

競馬をやっていた人なら知っていると思いますが、
G1のNHKマイルCを勝った競走馬です。


【観音菩薩】



【門】



【五輪塔】





【阿弥陀如来】



【不動明王】




俗名と書かれている。

まさかお墓では無いよね。(^^;


【弘法大師】



【玉桂寺准四国八十八ヶ所霊場札所めぐり】







【毘沙門堂】


一願成就不動明王の方へ。






毘沙門天並び過ぎ~。(^^


【鐘楼堂】



【庫裏】



【稲荷社】





【狛狐】



【境内社】



【御朱印】


御朱印は二体ありました。


【風景】


お寺がある場所はこんなに長閑。

癒されますな~。(^^


【信楽焼】





こちらで気に入った飯茶碗を購入した帰宅。

本日もお疲れ様でした、自分。

玉桂寺 其の一(2019年3月24日参拝)

2019年04月28日 | ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
本日最後の参拝は狸の信楽焼で有名な信楽へ移動し、
信楽高原鐵道玉桂寺前駅から近い玉桂寺というお寺です。

その前に信楽焼を買いに行こう。


【狸】


信楽焼といえばコレ。(^^








このお店では今回は特に買うモノも無かったので、
玉桂寺へと車を走らせる。




細い道を通りお寺に到着。

玉桂寺には無料の大型駐車場があって、
100台は停めれるらしい。



所在地:滋賀県甲賀市信楽町勅旨891
宗派:高野山真言宗
御本尊:弘法大師
創建:奈良時代
開基:淳仁天皇
札所:ぼけ封じ近畿十楽観音霊場、びわ湖百八霊場、日本一ヶ所神経痛除薬師霊場


【吊り橋】


玉桂寺前駅と繋がる吊り橋らしい。

今回はパスしたが次回は渡りたいね。


【山門】





【境内】




とても広い境内には何百体以上の水子地蔵があった。


【一願不動明王】







【辨財天】





【石段】


この上に本堂があるようです。


【弘法大師御手植高野槙】



【本堂】


早速本堂でお参り。




嬉しいことに本堂の中に入れました。(^^




御本尊は秘仏で50年に一度の御開帳。


【涅槃仏】




御本尊が祀られている裏側に安置されていました。


【諸仏】





【大黒天】



【観音菩薩】



【階段】


本堂に下に下りるのは戒壇巡りが多いが、
こちらは違うようだ。




薄暗い廊下に何かが並んでいる。






地下通路に並んでいたのは、
優しい女性の顔立ちをした観音菩薩でした。

全て奉納されたもの。

いかにこのお寺が崇敬をうけているのが分かりますね。


【佛足石】



【薬師如来】


足腰神経痛除けのお薬師さんです。


【阿弥陀三尊像】




地下通路の出口の階段を登ると違うお堂の内陣に到着。

こちらのお堂は阿弥陀堂です。

まさか本堂と阿弥陀堂が地下通路で繋がっているとは。

なかなか楽しませてくれますね。






こんなに近くで拝仏出来るのは嬉しい限り。


【阿弥陀如来】


平安時代作。


【五劫思惟阿弥陀如来】




まさかこちらでアフロの阿弥陀如来に出会えるとは。(^^


【釈迦如来】



【地蔵菩薩・宝塔】





【阿弥陀堂】




お堂の外観より先に内陣を見た珍しいパターンでしたね。


とりあえず長くなりましたので、
続きはまた明日。

廣徳寺(2019年3月24日参拝)

2019年04月27日 | 仏閣
続いて飯道寺から庚申山の山頂にある廣徳寺というお寺へ。

銅と亜鉛の合金である真鍮を初めて精練することに成功した籐左衛門が、
文禄2年(1593)正月に断食し家運の隆盛を祈願し、
廣徳寺に籠ったのがこの廣徳寺です。

また、廣徳寺からは絶景が楽しめ、
夜景スポットとしても知られています。



所在地:滋賀県甲賀市水口町山上989
宗派:天台宗
御本尊:青面金剛不動明王
創建:延暦2年(783)
開基:伝教大師最澄


【縁起】



【マップ】



【林道】




一台しか通れ無いような細い道で、
なかなかハードな林道。

対向車が来たら泣くわ~というような道が続き、
無事に到着した時はホッとした。(^^;

初めての時は不安が大きかったです。

5,6台程停めれる無料の頂上駐車場がありました。


【庫裏】



【鎮守社】



【休憩所】



【大黒天】




休憩所の端っこに現代的なオジさん風の大黒天が祀られていました。

閉まっている厨子の方は不明です。


【交通事故者供養所】


扉が開くので見たら供養碑が祀られていました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


【鳥居】



【石段】



【本堂】


真鋳精錬で財を成した藤左ェ門が、元和二年(1616年)謝恩の為、
堂宇を再建した本堂は平成25年(2013)漏電により焼失。

現在の本堂は6年後の平成29年(2017)に再建されたもの。

予算が7250万円ということで、
やはり普通に家を建てるより社寺建築は費用がかかりますね。


【厄除けお守り】



【宝篋印塔】



【丈余の岩】




伝教大師最上が丈余の岩の上、稲妻の発する中に霊姿を感得せされ、
妙法の告示を受けられたとの伝説があります。


【境内】


本堂横から庫裏に向かって撮影。




こちらに進むと展望台があります。


【真鋳開祖籐左衛門翁之像】







【鐘楼堂】


ファイト一発!

ここなら遠慮泣く鳴らせます。


【開山堂】



【展望台】








予想以上の大パノラマでとても良かったです。(^^


【地蔵尊】



【三角点】


庚申山406.9メートルの山頂です。


【参道】




駐車場方面へ一旦戻り、
本堂とは反対側へ進む。


【竜王堂】



これにて廣徳寺の参拝終了。

御朱印はネットで調べる限り無さそうです。

日吉神社(2019年3月24日参拝)

2019年04月25日 | 神社
飯道寺からすぐ近くに鎮座するのが日吉神社。

戦国時代は武将の寄進があったりと、
昔は凄かった系だったようだ。



所在地:滋賀県甲賀市水口町三大寺1382
御祭神:大山咋神
配祀神:大山祗神
創建:白鳳年間
社格:神饌幣帛料供進社、郷社


【由緒】



【鳥居】


意外と広い境内です。


【境内】



【神輿庫】



【拝殿】



【神門】




拝殿と本殿の間に川が流れるとは珍しい配置ですね。


【狛犬】



【本殿】






本殿は二つと認識してもいいのかな。

よく分からん。


【境内社】







【稲荷社】



社務所はありますが、
当然普段は無人です。

御朱印は期待する方が野暮ってもんです。(笑)

飯道寺(2019年3月24日参拝)

2019年04月24日 | 仏閣
今年の登拝の最大目標は四国の石鎚山。

当然ながらぶっつけ本番という愚行はやらず、
練習と体力強化の為に低い山を登る計画をしている。

そのトレーニングの一つとして、
飯道神社が鎮座する飯道山に登る予定だが、
今日は登山道入口の確認をしに来ました。

そのルートの途中にあるのが飯道寺というお寺。

お寺の前を通ってしまったからには無視する訳にはいくまい。

分かり難かったけど、
5,6台分の無料駐車場がありました。


所在地:滋賀県甲賀市水口町三大寺1019
宗派:天台宗
御本尊:不動明王
創建:不明
開基:伝・役行者


【縁起】



【山門】



【本堂】




めちゃくちゃ長閑な場所にあるだけあって、
こじんまりとした質素なお寺です。

本堂は残念ながらというか、
当然ながら閉まっていました。


【賽銭箱】


これはありそうで無い木で出来た賽銭箱です。


【不動堂】





【御堂】


本堂と不動堂と真ん中で繋がっている御堂。

鎮守社でも祀られているのかな。


【行者会館】



【収蔵庫】


こんな長閑な小さなお寺に重要文化財の仏像が安置されています。

それも三体も。

滋賀県のお寺恐るべし。




総代さんの予定があれば当日でも予約可能のような感じ。

だけど、今日は遅いし迷惑を掛けるかもしれないので、
電話は止めておいた。

次回参拝した時に拝観をお願いしよう。


三体の画像は「JAPAN-GEOGRAPHIC.TV」様のブログで、
アップされています。

https://japan-geographic.tv/shiga/koka-handoji.html



【役行者】





【御朱印】




今日は書置き対応でした。

矢川神社(2019年3月24日参拝)

2019年04月23日 | 神社
予定外の神社二社を参拝し、
本来の目的地である矢川神社に到着。

ここは何と言ってもあーた、
私の大好物があるんですよ。

こちらにようやく参拝することが出来て嬉しい。(^^


所在地:滋賀県甲賀市甲南町森尻70
御祭神:大己貴命
配祀神:矢川枝姫命
創建:天平宝字6年(762)
社格:式内社、郷社



【由緒】
天平宝字6年(762)杣川中流の矢川津の地に鎮座すると伝え、
延喜式神名帳所載、甲賀八座の神社として知られる。

もと杣川流域は二十二ヶ村開拓の祖神と仰がれ杣一ノ宮と称された。

また当社は古来請雨の霊験をもって内外に知られ、
室町時代中期の文明4年(1472)大和国布留郷五十ヶ村より、
請雨の返礼として楼門一棟の寄進を受けた。

現存の楼門がこれである。

天正年間、水口岡山城築城に際し、
当社別当矢川寺の坊舎が壊される等社頭が一時荒廃、
江戸時代に入ると水口藩主の崇敬社となり再興されています。

往時は神仏習合し別当寺院として矢川寺が、
祭祀を司り矢川大明神等と呼ばれていましたが、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃された。

矢川の矢と云う文字は天とノから成り立っていることから、
天ノ川と縁があるということで、
7月7日には七夕まつりが行われています。

火伏せの神様でもあることから、甲賀流手筒花火が奉納されます。


【大鳥居】


大きな広場の無料駐車場が参道横にありました。


【参道】


お目当ての楼門が見えてきました。(^^


【太鼓橋】


この石造りの反り橋は渡ることは出来そうだけど、
滑って怪我しそうだから止めておいた。(^^;


【楼門】




これ、これ、これが私の大好物。(^^

渋いですね~。

文明4年(1472)に寄進されたもので、
当初は二層の楼門であったが、文禄年間(1592-1595)に台風により、
上層部が倒壊し、その後、一層の茅葺屋根に改修したもの。

ただ、ちょっと痛みが目立ってきてますね。


【境内】



【拝殿】





【本堂】








本殿は神門や透塀等で囲われていませんでした。

宝暦6年(1756)建立されたもの。


【狛犬】



【神輿舎】







【祭具庫】





【甲賀郡中惣遺跡群石碑】


戦国時代に甲賀の土豪・地侍という小領主による水平的連合によって、
甲賀郡一帯に形成された自治組織に関する遺跡群とのこと。


【楼門】


最後に見納め。(^^


【矢川神社七夕祭り手筒花火】



矢川神社の御朱印はありますが、
残念ながら社務所が閉まっていましたので、
いただけませんでした。

野蔵神社(2019年3月24日参拝)

2019年04月22日 | 神社
寄り道した生和神社から目的の神社に向かって走っていると、
またまた見知らぬ予定外の神社発見。

鳥居の奥に見える参道がとても雰囲気が良さそうで、
思わずUターンして戻ったほど。

これは参拝せねばと寄り道を決定した次第。(^^

神社の無料駐車場は見た限りありませんでしたので、
鳥居前のデッドスペースの停めて参拝開始。


所在地:滋賀県野洲市南桜1
御祭神:木之花佐久夜比賣命
配祀神:奇神御氣長足姫命、大山祇神、宇迦御霊神、豊受大神、他十柱
創建:延暦3年(784)


【由緒】


社伝によれば桓武天皇延暦3年(784)社殿建立祭神奉斎と伝え、
文徳天王仁寿元年に正六位上、元禄17年に正一位の神階を受ける。

歴代領主、崇敬者の信仰は篤く、南北朝時代には宋版大般若経六百巻、
絹本釈迦十六善神画像等の施人、田地の寄進を受けている。

江戸初頭、領主稲垣摂津守から神領五反、八幡山三町歩余が寄進された。
ついで廣幡内大臣家がこの地を治め、明治に至るまで、
折々奉幣使を派遣され、守護神も勧請されている。


【一之鳥居】


どうよ、この雰囲気。

神社好きなら華麗にスルー出来ないわな。(^^


【参道】


思った通り良い雰囲気の参道です。

ただ、右隣りがゴルフセンターなんで、
雰囲気ブチ壊しです。


【二之鳥居】


この辺りまで来るとゴルフセンターの雰囲気も感じられなくなります。


【拝殿】


舞殿のような拝殿が見えてきました。




やはりここも滋賀県の神社特有の拝殿ですね。


【三之鳥居】


奥の本殿が見えてきました。

三之鳥居まであるということで、
細長い境内を持つ神社です。


【狛犬】



【狛猿】




お、猿や。(^^

ということは、
こちらの神社は日吉神社系なのかな。


【神門】



【本殿】



【摂社】




本殿の左右には八幡神社と宇佐神社が鎮座していました。


【拝殿】


思った通り普段は無人の神社で、
御朱印は無いと思われます。

ただ、参拝して損は全くありません。

生和神社(2019年3月24日参拝)

2019年04月21日 | 神社
近江八幡の顔的存在である有名神社の目の前を通りながら、
今回は華麗にスルーして別の市に移動。

目的の神社を目指している途中で、
なかなか良さげな神社を発見。

それが野洲市に鎮座する生和神社です。

参拝せずに後悔するぐらいなら、
参拝するしかないでしょ。(^^

生和と書いて「いくわ」と読みます。



所在地:滋賀県野洲市冨波乙631-1
御祭神:生和兵庫介藤原忠重公
配祀神:天照大神、武雷神、経津主神、野槌神
創建:平安時代
社格:村社


【由緒】
御祭神忠重公は藤原鎌足公の末孫で、寛弘6年(1009)、
藤原氏の荘園であったこの冨波之荘の領主として大和の国より赴任。

この地を開拓、住民困苦のもとであった一の澤に棲む大蛇を退治し、
村民の永年の憂苦を払拭された。

その後、住民はこの徳を慕い、生和大明神と崇め村の鎮守として奉斎。

朝廷の崇高厚く延徳3年(1492)後土御門天皇は、
正一位の神階と勅額を下賜された。

大永6年(1525)当時、神主以下12名の社人が勤めていた大社であったが、
天正4年(1576)織田氏により田地の大部分を没収、漸次衰微して行った。

明治10年(1877)村社に加列。

昭和25年(1950)本殿及び春日神社が、
宝暦・嘉永の棟札と共に重要文化財に指定された。

昭和48年(1973)生和神社遷座七百年大祭が行われた。


【鳥居】



【拝殿】


滋賀県の神社によくあるパターンの拝殿です。


【神輿舎】



【社殿】






本殿の前に中門に透塀があるのも滋賀県のパターンです。


【本殿】




本殿の屋根がこれまた渋い。

滋賀県の神社は本当に渋い本殿や拝殿が多く、
個人的に滋賀県の神社が一番好きですね。


【狛犬】



【春日神社】




重要文化財。


【日吉神社】





【祓戸之神】



これにて生和神社の参拝終了。

良い神社でした。

御朱印は確認出来ておりませんが、
ネットでリサーチした限りでは無さそうです。

これも滋賀県の神社ではよくあるパターン。(笑)

西願寺(2019年3月24日参拝)

2019年04月20日 | 仏閣


青根神社のすぐ近くに私の大好物の屋根を持つ、
お寺を発見した。

これは恐らく本堂だろう。

このお寺は全くのノーマークのお寺であったが、
屋根をじっくり見たくて参拝することにした。

最初は屋根以外は期待薄ではあったが、
とても当たりのお寺でした。


本堂裏手に10台分程の無料駐車場があります。


所在地:滋賀県近江八幡市船木町1246
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正12年(1584)
開基:豊臣秀次公


【山門】



【境内】


なかなか良い雰囲気です。

この雰囲気は本堂の葦葺屋根が醸し出しているのだろう。


【長寿観音】



【勢至丸】



【六体地蔵】




こんなおもろい顔をした六体地蔵は初めて見ましたよ。


【本堂】


入れるか分からなかったが、
扉が開いていて内陣に入れました。(^^


【御本尊】




調査によって像内全面に梵字がびっしりと墨書されていることが発見され、
文治4年(1188)に制作されたことが判明したそうです。


【左脇壇】



【法然上人】



【毘沙門天・御位牌】


この毘沙門天は豊臣秀次公の念持仏と伝わっています。

下の御位牌には開基が豊臣秀次公と刻まれている。

まさかこのお寺が豊臣秀次公所縁の寺院だとは全く知らなかった。

よくこのお寺を参拝する気になったものだ。

自分で自分を褒めてあがたい。(^^

【地蔵菩薩】



【利剣名号】


赤文字の南無阿弥陀仏の周りには、
黒い地蔵菩薩が見えるという。

なるほど、見えなくもない。


【薫譽上人】



【右脇壇】





【善導大師】



【如来立像】



【二腎如意輪観世音菩薩】



【千手観世音菩薩】



【地蔵菩薩】



【薬師如来】



【骨佛】



【掛軸】







【御朱印】


御朱印もいただけました。(^^

いや~、まさかここまで内陣が充実しているとは。

個人的に完全に当たりのお寺でした。

もし、本堂が閉まっていたら当たりじゃ無かったけど。(笑)

観光寺院では無いので、本堂内陣参拝、御朱印をいただきたい方は、
事前に連絡すればよろしいかと。

青根天満宮(2019年3月24日参拝)

2019年04月18日 | 神社



所在地:滋賀県近江八幡市船木町1570
御祭神:菅原道真公
創建:寛弘2年(1005)
社格:村社


【由緒】
青根天満宮紀という元和元年香梅寺住職の記したものによると、
寛弘2年(1005)青根長者佐弥が建立し勧請者と記されている。

当社は青根天神又は船木天神宮と称したと云い、
社僧香梅寺がこの社の奉仕をしていたと伝える。

康永4年(1345)社頭再造営が実施、社頭三造立がなされ、
別当天台沙門財林法印之預、後陽成院の震斡に天神宝号を賜っている。

慶長2年(1597)公儀より御除地、社領を被した。


【鳥居】


無料駐車場は鳥居を少し進んだ左手にありました。


【参道】




良い雰囲気です。(^^


【境内】


どーんと聳える御神木の大杉が、
境内の雰囲気を神々しいものとしている。


【御神木】





【神輿舎】



【拝殿】





【本殿】







【御神牛】



【狛犬】



【秋葉神社】



【大杉稲荷社】



【八幡神社】



これにて青根天満宮の参拝終了。

無名な神社ではあるが、
予想以上に良い雰囲気でしたね。

神社好きは行ってみるといいよ。(^^

御朱印は恐らく無さそうですが、
確認は出来ておりません。

願成就寺(2019年3月24日参拝)

2019年04月17日 | びわ湖百八霊場
続いて本願寺八幡別院から願成就寺というお寺へ。

願成就寺というお寺は聖徳太子が勅願し、
推古天皇27年(617)に創建されたという古刹です。

こちらのお寺には石段の他に、
小高い境内に車を停める為の車道があります。

この車道が激細&急勾配の坂道で、
最初見た時は怖さを感じた程です。

しかし、他に停める場所も無いし、
意を決して車を登らせた。

距離が短かったから助かった。(^^;

初めて車で行く人は御注意を。(苦笑)


所在地:滋賀県近江八幡市小船木町73-1
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:推古天皇27年(617)
勅願:聖徳太子
札所:びわ湖百八霊場


【縁起】
聖徳太子が勅願により建立した48伽藍の最後の寺院として開創。

寺号は聖徳太子の誓願が成就した事から願成就寺となったとされ、
御本尊の十一面観音立像は太子自ら彫り込んだ像と伝えられています。

その後、衰退しましたが、平安時代初期に比叡山延暦寺末寺として再興され、
寺運も隆盛し康安2年(1362)には後光厳天皇が新年の行幸を行っています。

元亀2年(1571)の織田信長の兵火により大きな被害を受けたものの、
信徒が事前に仏像や経典などを持ち出した為、
現在も数多くの寺宝を所有しています。

当初は日牟礼山(八幡山)西南にありましたが、
天承3年(1585)に豊臣秀次が八幡山城を築く際、鷹飼に移され、
その後、大正4年(1915)に現在地に移されました。

古くから神仏習合し興隆寺と共に日牟礼八幡宮の別当寺院として、
祭祀を司ってきました。

しかし、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、
分離し現在に至る。


【石仏】


今日は何かあるらしく、
境内には車が結構停まっていた。

駐車場というより単なる小さな空地に車を停めて、
いざ参拝開始。


【地蔵堂】



【芭蕉句碑】





【祇園神社】


牛頭天王が祀られているようです。


【椿稲荷神社】



【鐘楼堂】



【大師堂】



【本堂】


修験者の方々が沢山おられた。

どうやら採燈大護摩供の法要が行われるようだ。

本堂に早速お参りすると、
嬉しいことに内陣に入ることが出来た。

薄暗い堂内に厨子に安置された秘仏の御本尊等が祀られていました。

残念ながら堂内は撮影不可です。


【不動堂】





【不動明王】



【御朱印】


今日はさすがに書置き対応でした。

本願寺八幡別院(2019年3月24日参拝)

2019年04月15日 | 仏閣
妙法寺からすぐ近くにある本願寺八幡別院へ。

各地に点在する浄土真宗の別院は結構大きなお寺が多く、
参拝するのが結構楽しみなんですよね。

本願寺派なんで御朱印はありませんけどね。


所在地:滋賀県近江八幡市北元町39-1
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:永禄元年(1558)
開山:顕如上人


【縁起】
近江八幡で御坊さんと親しまれている本願寺八幡別院は、
永禄元年(1558)本願寺第11代顕如上人が、
江州蒲生野に創建された金台寺を前身としています。

天正8年(1580)織田信長の寺地寄進により安土城下へ、
文禄元年(1592)に豊臣秀次の寺地寄進により、
八幡城下の現在の地へ移転。

その後、明治9年(1876)八幡別院と改称。

別院周囲には堀が廻らされ、城郭のような風情を残しています。

近年は滋賀教区・本願寺八幡別院修復総合計画に基づき、
教区会館を新設し、続いて裏門・庫裏・表門・鐘楼・本堂と、
順次修復工事を行い、平成16年(2004)5月に落慶法要を営み、
今日に至っています。


【表門】


他の別院と同じく立派なものです。

明和4年(1767)に建立されたもの。

表門は閉まったままで横の通用門から入れました。

車は通用門から境内の端っこに停めれます。


【本堂】


現在の本堂は享保元年(1716)に建立されたもの。




さすがに立派なものです。

しかし、本堂は閉まったままだし、
境内は殺風景な雰囲気。

観光客なんて来なくていいといった感じがプンプンとして、
全く愛想の無いお寺です。


【鐘楼堂】


別院特有のデカイ鐘楼堂です。

文政8年(1825)に建立されたもの。


【桜】









【親鸞聖人】





【蓮如上人】





【書院門】



これにて八幡別院の参拝終了。

うーむ、ちょっと残念なお寺でした。

妙法寺(2019年3月24日参拝)

2019年04月14日 | 仏閣
滋賀県はかなり素晴らしい神社仏閣が多く、
冬の時期も訪れたいもの。

しかし冬の滋賀県は雪が降るので参拝は回避している。

でも3月も末に近づいている今、
彦根より南の地域は雪の心配はもう無い。

雪解けを待ちわびた花や動植物の如く、
私も滋賀県の神社仏閣の参拝始動です。

まずは近江八幡の顔である日牟禮八幡宮の近くにある、
妙法寺というお寺へ向かう。

こちらは仏像マニアの方はご存知だと思いますが、
一般的には無名なお寺です。

そんなお寺に何があるのか?

それはあの慈覚大師が難破した船の竜骨で製作したと、
伝えられている護船観音が祀られています。

護船観音は船に乗っている珍しい観音様で、
普段は秘仏ですが、現在特別拝観をしているので訪れた次第。



所在地:滋賀県近江八幡市鉄炮町17番地
宗派:黄檗宗
御本尊:護船観世音菩薩
創建:享保18年(1733)
開山:九峰桂禅師



【山門】


狭い道路がある住宅街にお寺があります。

この山門をくぐり境内に数台分停める事が可能ですが、
山門をくぐるドライビングテクニックに自信が無い方は、
近隣の有料駐車場に停めてください。


【本堂】


いかにも檀家寺といった感じのお寺です。

10時になり参拝開始。

拝観料(維持費)300円を支払い堂内へ。

畳敷きで意外と広い堂内です。

まずは御本尊にお参り。


【護船観世音菩薩】


残念ながら撮影不可でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

最初は外陣で拝ませていただいていたのですが、
御住職と二時間もしゃべり倒していたら、
内々陣の至近距離で見せていただき感動しました。

画像のように船を漕いで助けに向かっているかのような、
珍しい観音様です。


【庭園】






禅寺らしい庭園がありました。

御住職と話をしていると、
この庭園はいろいろ手を加えている途中ということですが、
どうも前に見える錆びた屋根が残念。

それは御住職も重々承知しているとかで、
錆びた屋根を見えないように竹を植えるそうだ。

あと、私からも素人ながらアドバイスさせていただきました。


現在の御住職はエンジニアを辞めて、
前住職の跡を継いだとか。

あと興味深い話があって、
般若心経の色即是空、空即是色の一節について、
30分以上お話したでしょうか。


色即是空、空即是色とは、この世にあるすべてのものは、
因と縁によって存在しているだけで、
その本質は空であるということ。

また、その空がそのままこの世に存在する、
全てのものの姿であるということ。

御住職によると空=無という解釈はどうも腑に落ちないと。

それが物理学者の視点による解釈を知って、
すっかり腑に落ちたそうだ。

その物理学者の名前は忘れたが、
多分、この方の事だと思われるので、
動画を紹介しておきます。





【御朱印】


二体ある内のこちらをいただきました。

気付いたら御住職と話すこと二時間。

いろいろと勉強させていただき感謝します。

湯島聖堂(2019年3月17日参拝)

2019年04月11日 | 旅行・その他
早くも東京の教会・モスク参拝も次の湯島聖堂がラスト。

近くに神田明神が鎮座していますが、
今日は神社仏閣には行かない。(笑)

そう、湯島聖堂は神社でも仏閣でもありません。

孔子廟であり史蹟であります。

こちらは約3年9ヶ月振りの参拝となります。


<2015年6月13日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c8298f3284d121bd9ad7e09c64d1984c



所在地:東京都文京区湯島1-4-25
創建:元禄3年(1690)
開基:徳川綱吉



【縁起】
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図る為、
元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して、
上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。

これが現在の湯島聖堂の始まりです。
その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、
世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、
当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、
明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、
学問所となってからは75年の儒学の講筵はここにその歴史を閉じた次第です。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、
翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し全てを焼失。

昭和10年(1935)に再建され現在に至る。


【神田川】


神田川に架かる聖橋は湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋として、
名付けられたものである。


【全景】



【桜】




やっぱり東京は早咲きの桜の開花が早い。


【入徳門】





【手水舎】



【花手水】


たった二輪の花があるだけで華やかになりますね。

京都の寺院の場合はやり過ぎな気もするが。(^^;


【石段】



【杏壇門】



【鬼犾頭・鬼龍子】





【大成殿】


拝観料200円を支払い殿内へ。






真ん中の孔子像の他に、
両脇に前回参拝した時に無かった像が安置されていました。




裏手から見た大成殿。


【明神門】


こちらは閉まっていました。

これにて湯島聖堂の参拝終了。

御朱印はありますが時間が無くて、
今回はいただきませんでした。