Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

雪蹊寺(2019年5月4日参拝)

2019年12月02日 | 四国八十八ヶ所霊場
34番札所種間寺から約8キロ離れた33番札所雪蹊寺へ。

雪蹊寺から5キロ離れた場所には、
高知で一、二を争う観光地の桂浜があります。

私は戦国時代が専門で幕末は全く興味が無いので、
坂本龍馬像を見に行こうとは思わないけど、
時間があったら景色が抜群の龍王宮には参拝したかったな。

おっと、話が脱線した。

この雪蹊寺には重要文化財の薬師如来をはじめ、
運慶の長男湛慶の真作とされる毘沙門天を所蔵しているお寺です。

高知はもとより四国のお寺で湛慶の仏様が祀られているのは珍しい。




無料駐車場に車を停めていざ参拝。


所在地:高知県高知市長浜857番地3
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁6年(815)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】

寺伝によれば弘法大師の開基で、創建当初は真言宗に属し、
少林山高福寺と称したという。

土佐国編年紀事略には嘉禄元年(1225)、
右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。

天正16年(1588)の長浜地検帳には慶雲寺とあり、
この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天及び両脇侍像は毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、
高福寺創建の嘉禄元年(1225)頃の作と推定されている。
ただし湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。

鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して慶運寺と改めたという伝承もある。

その後、寺運が衰え廃寺となっていたが、
天正年間(1573-1593)の後期に月峰和尚が住職となり、
土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。

慶長4年(1599)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、
元親の法名雪蹊恕三大禅定門から雪蹊寺と称した。

江戸時代初期には南学発祥の道場といわれ天室僧正が,
朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。

明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870)廃寺となり、
翌年、後方に隣接して当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立。
その後、大玄和尚により復興し現在に至る。


【鐘楼堂】



【本堂】



【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【御堂】



【長宗我部信親乃墓】









【霊宝殿】


事前予約で拝観可能ですが、
すっかり忘れていた。

まぁ、少し前にBSの番組で見たからよしとしよう。


【稲荷社】



【安産子安地蔵堂】





【馬頭観音堂】



【修行大師】



【鎮守社】



【石仏】



【太玄塔・玄峰塔】





【御朱印】


奥の院中谷堂の御朱印もいただけるようです。

種間寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月28日 | 四国八十八ヶ所霊場
36番札所青龍寺から15キロ程離れた34番札所種間寺へ。



こちらには大型の無料駐車場がありました。
いざ参拝開始。


所在地:高知県高知市春野町秋山72
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁年間(810-824)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】

敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、
仏師や造寺工を贈る旨の勅書が届いた。

彼らが渡来したのは用明天皇の時代、大阪・四天王寺の造営にあたり落慶。
その帰途の航海中の土佐沖で強烈な暴風雨に襲われ、
種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。

彼らは海上の安全を祈って薬師如来坐像を彫造し本尾山の山頂に祀った。
これが寺の起源とされている。

その後、200年以上が経過して唐から帰朝した弘法大師が、
この地を訪ねたのは弘仁年間である。

大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。
その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆、
または稗の五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。

天暦年間(947〜957)、時の村上天皇が種間の勅額を下賜された。
また土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、
堂舎の修築も行われている。

神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880)に再興され現在に至る。


【修行大師】



【石仏】



【本堂】





【御本尊】


平安時代後期に造立された薬師如来。
重要文化財。

画像はネットで拾ったもの。

【石鎚神社】





【弘法大師尊像】



【宝篋印塔】



【鐘楼堂】



【子安観音】



【大師堂】


ありがたや ありがたや


【御朱印】


番外霊場の本尾山奥の院の御朱印もいただけるようです。


種間寺の売店で売っていたメロンが安くて旨かった。(^^

青龍寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月26日 | 四国八十八ヶ所霊場
35番札所清瀧寺から36番札所の青龍寺へ。


所在地:高知県土佐市宇佐町竜163
宗派:真言宗豊山派
御本尊:波切不動明王
創建:(伝)弘仁年間(810-824)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
寺伝によれば弘仁年間に弘法大師によって開基されたとされる。

入唐求法の遣唐使として恵果和尚より、
真言密教の奥義を伝授された弘法大師が帰国の折、
有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。

弘法大師はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し嵯峨天皇に奏上。
弘仁6年(815)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。

本尊の波切不動は弘法大師が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、
不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、
空海がその姿を刻んだものであると伝える。

江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって、
正保年間(1644-1648)に再興された。

しかし、宝永4年(1707)には地震と津波で大きな被害を受けたが、
江戸末期に再建され現在に至る。


【案内板】



【石仏】



【石段】


無料駐車場に車を停めると石段がお出迎え。


【恵果堂】



【石段】


奥に見えるのが仁王門です。


【修行大師】



【仁王門】




渋い、実に渋い仁王門です。

仁王門の前に杖が置いてあるのが気になる。

悪い予感しかしない。(笑)


【三重塔】




案内板に乗っていないところをみると、
どうやらまだ若い塔のようですね。

美しいです。


【地蔵菩薩】



【聖天堂】



【石段】


うん、杖はあった方がいいね。


【不動明王】



【弁財天】



【石段】


最後のひと踏ん張り。


【本堂】




龍の彫り物が見事でした。


【大師堂】


大師堂はかなり綺麗な状態で、
近年に建てられたもののようです。


【不動明王】


逆光失礼。




弘法大師作と伝わる御本尊波切不動明王の模造だそうです。

どうりでよく見る不動明王とは風貌が違う訳だ。


【薬師堂】



【白山大権現】





【狛犬】



【石段】


なかなかの急こう配でしょ。


【三重塔】





【鐘楼門】


駐車場横に庫裏があります。


【客殿】



【多宝塔】




こちらも新しい塔ですね。


【多宝塔・三重塔】


大師堂も綺麗だったし、
このお寺は結構資金力があるようですね。


【鐘楼堂】



【御朱印】


奥の院は駐車場から700メートル離れた場所にありますが、
時間と体力を考え泣く泣く回避。

横浪黒潮ラインを走ると奥の院まで200メートルの場所まで行けるようです。

清瀧寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月21日 | 四国八十八ヶ所霊場
大満足の佐田沈下橋からお遍路札所の清瀧寺へ移動。

しかし土佐市の清瀧寺まで約100キロもあって、
時間も約2時間かかってしまった。

昨日のうちに佐田沈下橋に行っておけば、
大幅な時間ロスは無かったけど仕方ない。

それはさておき、もうすぐお寺に到着するという場所で、
お寺までの山道が工事中ということで、
地元民しか通らない迂回路を案内される。

これが超絶細い道で曲がりクネっていて酷すぎる。

普段の山道も狭いと言われて画像を見たが、
あんなんめっちゃ広いやんと言いたくなるような極狭な迂回路です。

まさに強烈!と表現が相応しい。(泣)

それがお寺まで数百メートル続いて離合出来る場所も無いので、
対向車が来たら泣くぞと思いながら到着。

境内に居た警備員さんに聞くと、
帰りは違うルートで一方通行とのこと。

安心したわ。(^^

車は境内に10台以上は停めれました。


所在地:高知県土佐市高岡町丁568-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)養老7年(723)
開基:(伝)行基菩薩
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、
この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。

これを本尊として堂舎を建て影山密院・釋本寺と名づけて、
開山したのが初めと伝えられている。

弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)の頃。
本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、
五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。

満願の日に金剛杖で壇を突くと、
岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。
そこで山号や院号、寺名を現在のように改め霊場とした。

平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が、
弘法大師の夢のお告げで出家し真如と名乗った。

真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、
逆修の五輪塔を建立し後に入唐している。

また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、
七堂伽藍を備え末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。

明治4年(1871)廃寺となり、同13年(1880)再興された。


【厄除け薬師如来】




台座の中に入ると戒壇巡りが出来たらしいが、
完全に見逃し。(泣)

山門も無いなぁと思っていたら、
下の方に山門があるらしい。

こちらも完全に見逃し。(号泣)


【修行大師】



【大師堂】





【本堂】






本堂と似たような造りの大師堂は本堂と繋がった構造です。


【護摩堂】


本堂と護摩堂の間にあるお堂う。


【瀧】



【仏像収蔵庫】


御本尊薬師如来と日光菩薩立、月光菩薩、
十二神将が安置されているそうです。


【地蔵堂】



【観音堂】



【僧形座像】



【子安地蔵尊】



【本坊門】



【本坊庭園】



【鐘楼堂】



【風景】



【御朱印】

岩本寺(2019年5月3日参拝)

2019年11月11日 | 四国八十八ヶ所霊場


一條神社からお遍路札所の岩本寺へ向かい、
ひたすら56号線を45キロ走る。

約1時間かかって岩本寺に到着。

ちなみに岩本寺がある四万十町は高岡郡に属し、
一條神社があった四万十市は別の地域になります。

てっきり四万十市四万十町と思っていたが、
違っていたのね。

ややこしい。(^^;



所在地:高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王 聖観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
創建:(伝)天平年間(729-749)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
五尊の本尊を祀る岩本寺の歴史は天平の世まで遡る。
寺伝によれば聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、
七難即滅、七福即生を祈念して、仁井田明神の傍に建立したと伝えられる、
末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。

仁井田明神の別当寺であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。

弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。
大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、
それぞれの社に不動明王、観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、
地蔵菩薩像を本地仏として安置した。

大師はさらに末寺五ヶ寺を建立された。
このことから福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、
また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。

天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。

再建の際にこの地域の全ての神社を管掌下においていた当時の岩本坊に、
寺の法灯並びに別当職は遷され継承される。

戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、
神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。

明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、
五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、
それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い寺領地の大半を失ってしまう。

再建には苦難の道が続いたのであるが、
少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。


【山門】


山門前に20台分ほどの駐車場がありましたが、
満車で車を停めるのに少々苦労しました。


【仁王】





【修行大師】



【鐘楼堂】



【本堂】




まずは本堂にお参り。




御本尊は秘仏で拝めません。
60年に一度の御開帳で次回は2060年とか。

生きてるかなぁ。(^^;

御本尊が拝めないとあって、
本堂の見どころは何と言っても天井画です。




昭和53年(1978)本堂を改築する際に、
約400人もの芸術家や檀家が参加し、
575枚の天井画が飾られています。

天井画といえば花や鳥が定番ですが、
まさかマリリンモンローが見れるとは思いませんでした。

これはこれでアリですね。(笑)


【石仏】



【水天宮】



【聖天堂】


大聖歓喜自在天が祀られています。


【大師堂】


奥の院でもあるそうです。


【開山堂】



【清流殿】



【屏風】




本坊で秘仏の矢負地蔵菩薩が公開されるとあって行ってみると、
なんとあの北斗の拳の屏風があった。

うーむ、この作風は武論尊では無く、
完全にニセモノテーストが強くてカッコよくないですね。(溜息)

しかも悪役のジャギも入ってるのも気に入らない。

100冊限定の御朱印帳は売り切れだったけど、
あっても買ってないです。


【御朱印】


奥の印の御朱印もいただけるようでしたが、
知らなかったのでいただいておりません。


【ひろめ市場】


本当は岩本寺から沈下橋を見に行こうと思ったが、
着いた頃には暗くなっているので断念。

めっちゃ行きたかったんだけど諦めて、
岩本寺から約60キロ離れた高知市中心街にある、
ひろめ市場に移動。

こちらでは何と言ってもカツオのたたきが有名。

人口密度が低い高知県といえど、
高知市内でゴールデンウイークともなると市場の中は大盛況。

座って食う場所がありません。(泣)


【明神丸】


とりあえず有名店で食うことにした。








おー、これはド迫力。(^^


【カツオのたたき】


並んでタレ・塩セットを注文。

うーん、そんなに言うほど美味いか?って感じ。(^^;

個人的にやっぱマヨネーズが無いとダメですね。
血生臭くって。


【ひろめ市場】






たたきだけでは腹が膨れないので、
若鳥のから揚げや串焼きを注文。

めっちゃ美味い。

明神丸でご飯を注文して一緒に食いたかったよ。


【にぎり寿司】


ホテルで食う為に購入。

6貫で1000円は安いですよ。


【とさでん】



【アールビジネスホテル】




本日のお宿。


【にぎり寿司】


美味かったわ~。
これで1000円とはCP高し。


【デザート】


ホテルのサービスです。(^^

今日一日だけで400キロぐらい走ったから、
風呂入って早めに寝るとしよう。

金剛福寺(2019年5月3日参拝)

2019年11月03日 | 四国八十八ヶ所霊場


室戸岬の不動岩から次なる参拝地がある足摺岬を目指す。

目指すといってもそんな簡単に行ける距離ではありません。
その距離は何と約220キロもあるのです。

通常なら安芸市や高知市の寺社巡りをしてから行くもんですが、
何故そんな遠距離をわざわざ一気に走るかというと、
まずは自宅から一番遠い場所に行って、
それ以降は家に戻って行くというルートにしているからです。

足摺岬から家まで一日で戻るのは遠すぎてキツイからね。

それと室戸岬から足摺岬まで一気に走るのも男のロマンですから。(笑)


【米豚バーベキュー】


四万十市の道の駅で休憩。

スゲー良い匂いに釣られていくと、
ゴーグルをした店員達が。(笑)

写真撮った時はたまたま煙が少なかったけど、
もうもうとした煙が立ちこめていました。




めっちゃ旨くて帰りも食っちゃいましたよ。




太平洋を見ながら55号線から高知自動車道、
56号線をひたすら走ること約4時間。

ようやく到着。

足摺岬に着いた頃は既にお昼の12時でしたよ。(^^;

無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


所在地:高知県土佐清水市足摺岬214-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:三面千手観音菩薩
創建:(伝)弘仁13年(822)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
寺伝によれば弘仁13年(822)に、嵯峨天皇から補陀洛東門の勅額を受けた空海が、
三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。

空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は、
足摺岬に飛来したといわれている。

寺名は五鈷杵は金剛杵ともいわれそれから金剛を、
観音経の福聚海無量から福を由来したとされている。

金峰上人が住持の時、修行を邪魔する魔界のもの達を呪伏すると、
そのもの達が蹉跎したことから、山号を月輪山から蹉跎山に改めたといわれる。

歴代天皇の祈願所とされた他、源氏の信仰が篤く源満仲は多宝塔を寄進、
その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、
後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。

鎌倉時代後期には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、
また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。

南仏を南仏房と記す史料もあり、南仏は慶全の別名であったとみられる。

室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。
戦国期に一時荒廃したが、江戸時代に入って土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。


【寺号石標】



【仁王門】


堂々たる立派な仁王門う。


【蓮】



【仁王】




うーむ、渋い仁王門に相応しくない仁王です。

色も安っぽいし珍寺にありそうな感じ。(^^;


【敷石】






BSでチャリお遍路という番組を見てましたが、
意外と小島よしおが真面目で、
狩野英考が予想通り糞野郎だということが分かりましたよ。


【参道】



【宝篋印塔】



【本堂】




本堂も立派なものです。

御本尊は正月三が日御開帳されるとのこと。


【庭園】






大きな池を擁するこれまた立派な庭園です。

お遍路札所では最大なんじゃないかな。


【錦鯉】





【愛染堂】



【十三重石塔】






土佐らしいね。


【石仏】



【百八仏】



【行者堂】



【権現堂】



【鐘楼堂】







【地蔵菩薩】



【宝篋印塔】



【大師堂】





【鎮守社】



【修行大師】



【宝篋印塔】





【弁財天】



【石仏】



【三鈷杵】



【護摩堂】



【不動明王】



【多宝塔】





【九輪宝塔】



【五輪塔】



【百八仏】













【御朱印】

金剛頂寺奥の院・不動岩<新村不動堂>(2019年5月3日参拝)

2019年10月24日 | 四国八十八ヶ所霊場
金剛頂寺の宿坊で朝食とお勤めを終え、
朝の6時半にチェックアウト。

高知は広いので必然に早朝から出発しなくてはならない。

本日一発目の参拝は金剛頂寺奥の院の不動岩です。

こちらは単なる番外札所では無く、
弘法大師が修行し寝泊まりしたとされる洞窟があるのです。

ここは是が非でも参拝したいと思っていましたので、
楽しみです。



所在地:高知県室戸市元甲2746
宗派:真言宗
御本尊:波切不動明王
創建:不明
札所:四国八十八ヵ所霊場番外札所


【案内板】





【全景】


車は空いてる所に適当に停めれます。


【弘法大師足跡】





【新村不動堂】





【大師堂】





【石祠】



【石仏】



【案内板】


いよいよ本番の不動岩の洞窟へ。


【遊歩道】



【太平洋】



【石仏】



【西の窟】


この岩窟の中に入って行くんです。

ワクワクしますね。




そんなに広くはありませんが、
雰囲気抜群です。(^^


【祠】


小さな祠が祀られています。


【石仏】



【弘法大師】



【御厨】


振り返ると思わずハッとした。




木の樹勢は違えど、弘法大師も見たと思われる風景。

感動です。


【修行大師】



【東の窟】





【海岸】





【不動岩】



【遊歩道】



【修行御座石】







【海岸】




これにて不動岩の参拝終了。

参拝した時は知らなかったけど、
御朱印は金剛頂寺で頂けるようです。

金剛頂寺(2019年5月2日参拝)

2019年10月21日 | 四国八十八ヶ所霊場
【道路標識】


トイレとかー。
こんなん初めて見たわ。(笑)

確かにコンビニも何にも無いもんなぁ。

そんな道を走って本日最後の参拝となるお寺が、
通称西寺と呼ばれるお遍路札所の金剛頂寺です。

お遍路の中では格式が高く大きな規模を誇る寺院です。

そういう訳で今夜のお宿は金剛頂寺の宿坊に決めました。
正直なところ初めての宿坊体験は不安と楽しみが半々ですね。

ちなみに普通車は駐車料金200円が必要ですが、
宿坊宿泊者は無料でした。(^^



所在地:高知県室戸市元乙523
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)大同2年(807)
開基:弘法大師
勅願:(伝)嵯峨天皇
札所:四国八十八ヵ所霊場


【縁起】
寺伝によれば弘法大師にとって最初の勅願寺の創建として、
大同2年(807)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで金剛定寺と号し、
女人禁制で婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。

次の嵯峨天皇が金剛頂寺の勅額を下賜し、その寺名に改められた。

江戸時代の土佐の地誌である南路志所収の寺記によれば、
大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。
同寺記によれば次の淳和天皇も勅願所とした。

鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ、
西寺乞食と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。

文明11年(1479)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進している他、
土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。

その後、明治32年(1899)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、
本堂ほか現存する堂宇は再建されたもの。


【寺号石標】


今日だけでかなりの石段を登ってのに、
最後のトドメの石段は激しく疲れた。(^^;

42段の男坂と61段の厄除坂があります。


【仁王門】



【仁王像】





【参道】



【本堂】




昭和57年(1982)再建されたもので立派です。


【内陣】


見えているのは御前立の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩で、
御本尊は秘仏です。

御開帳は大晦日より1月8日までとのこと。


【霊宝殿】



【鐘楼堂】





【稚児大師尊像】



【智光上人御廟】








弘法大師の弟子で行力第一の聖人と呼ばれた金剛定寺二世住職。


【大師堂】



【一粒万倍の釜】





【修行大師】



【がん封じの椿御霊木】



【石仏】



【宿坊】


本堂と宿坊は少し離れていて、
尚且つ宿坊の案内板が無くて場所が分かり難かったです。




部屋はこんな感じ。

宿坊ですから問題無し。










結構広い宿坊です。




風呂は普通に気持ち良かったです。


【護摩堂】


醍醐寺の開祖である理源大師聖宝が祀られています。

朝のお勤めもこちらで行われますが、
他の宿泊者も全員参加されていました。

決して強制では無いけどね。


【夕食】




宿坊の都合で他の宿泊者と同じ食卓で食べることに。

コミュ障や嫌な人が居たらつらいだろうね。




土佐と言えばカツオのたたき。

最初は美味かったが、だんだん芳香剤のような匂いと味がして、
結局3つ食べただけで止めた。

やっぱり宿坊で食事を期待したらダメですね。

まぁ、夕食と朝食の食事付きで、
あの値段だったら文句は言えないが。


【御朱印】

神峯神社(2019年5月2日参拝)

2019年10月19日 | 四国八十八ヶ所霊場


神峯寺の大師堂から400メートル先に、
神峯神社が鎮座しています。

登りの400メートルって甘く無いのよねぇ。(^^;

しんどいのは分かっているが、
頑張って行くしかあるまい。



所在地:高知県安芸郡安田町唐浜
御祭神:大山祇命
配合神:天照大神、春日大神、八幡大神
創建:(伝)神武天皇時代
社格:県社
札所:四国八十八ヵ所霊場27番奥の院


【参道】




この道は車も通れるよな。


【石段】


別ルートでエグイ石段があった。

こんな石段をここまで登ってくる体力と気力はありません。(苦笑)


【参道】




参道は途中で二手に分かれる。

どっちに行ってよいか迷ったが、
大体神社に行くルートは昔から石段と決まっている。

そういう訳で左手の石段を登る。


【石段】




荒れとるの~。(^^;


【参道】




この辺りは平坦で楽。




どうやら本殿に近づいてきたみたい。


【石段】


うー、この石段は萎えるわ~。(^^;

なかなか楽に参拝させてくれません。

頑張っていきまっしょい。


【石碑】



【石段】


最後のひと踏ん張り。


【狛犬】



【本殿】






やっとお参り出来た。(^^


【石段】


本殿から振り返るとこんな感じ。

下に写っている社務所は当然ながら閉まってました。


【砲弾】



【境内社】








この他に燈明巌と呼ばれる巨岩や展望台があるが、
時間と体力が無いので回避しました。

さて、駐車場に戻るとしよう。


【鳥居】



【車道】


なにー!駐車場だとー!

神社に停めれるスペースがあるは分かってたけど、
まさか車が通れる道があるとは。






あー、これは車が通れる道だな。


【鳥居】


神峯寺山門横に鳥居があります。




左手を車で進むと神社の無料駐車場があります。

よく考えてみたら神社の駐車場に停めたら・・・

いや、その考えはよそう。

神峯寺のご住職達のお陰でここまで車で来れるんだから、
神社だけ参拝する人も感謝の念を込めて駐車料金を払いましょう。

神峯寺が廃仏毀釈で神社だけだった時代は、
神峯神社が札所ではあったが、現在、神峯神社の御朱印は無いようです。

神峯寺(2019年5月2日参拝)

2019年10月18日 | 四国八十八ヶ所霊場
続いて津照寺から海を見ながらひたすら55号線を走る。

この55号線が本当に走り易い道で良いのだが、
食べ物屋どころかコンビニすら無い。(^^;

当然ながらガソリンスタンドも無い。(汗)

残量が半分以下なら即入れておけ!というレベル。
北海道も確かこんな感じだったな。(苦笑)

そんな55号線を25キロ走って奈半利という場所でコンビニ発見。(笑)
この辺りは少し栄えていて、
北川村モネの庭マルモッタンや岡御殿という観光スポットがあります。

勿論華麗にスルーしてお遍路札所の神峯寺へ走る。

約10キロ程走ると物凄い山道になって、
結構手に汗握るドライブでしたが何とか駐車場に到着。

昔は駐車場までの道が無くて難所だったらしいが、
ご住職や建設業者の尽力によりルートが出来たそうです。

そんな理由もあり駐車場料金は必須です。
確か300円だったような。


所在地:高知県安芸郡安田町唐浜2594
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平2年(730)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:四国八十八ヵ所霊場


【縁起】
寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し、
天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730)に聖武天皇の勅願を受けて、
行基菩薩が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。

その後大同4年(809)に弘法大師が堂宇を建立し観音堂と名付けたとされている。

その後、堂塔が多くあったが、元和年間(1615~1624)火災によりすべて焼失、
その後、本堂と大師堂と鎮守社のみ再建され、
十一面観音菩薩も麓にあって廃寺になっていた別当の神峯寺から納めて復調する。

しかし、険しい山中の札所ゆえ別当になっていた麓の常行禅寺や、
前札所の養心庵で遥拝し納経するものも多かった。

明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り、寺院としての部分は廃寺となり、
本尊と札所は金剛頂寺に預けられ、金剛頂寺で納経をしていたが、
明治20年(1887年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。

大正元年には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移し、
そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。


【野菜うどん】


駐車場横にあるドライブイン27神峯店で軽く昼食。

出汁とうどんは美味かったが、
肝心の野菜が火が通って無く生煮えで堅かった。(泣)


【山門】


立派な山門です。


【参道】


これは予想以上広そうな境内です。




微妙に疲れる登り。


【寺号石標】



【鐘楼堂】





【庭園】





【石段】


本堂と大師堂は上に登らないといけないらしい。(^^;

これはハァハァ確実や。


【境内】


お寺はめっちゃ山奥にあります。




あれが本堂と大師堂かな。


【不動明王】



【みちびき弘法大師】



【聖観音堂】


大師堂かと思ったが、
元大師堂で現在は聖観音堂だそうです。


【本堂】


実に渋い本堂です。

大師堂は更に上に登るとあるらしい。
行ってみましょう。


【大師堂】




かなり立派なもので参拝した時は、
こっちが本堂だと思っていたのは此処だけの話。(^^;


【お迎え大師】



【御朱印】


津照寺(2019年5月2日参拝)

2019年10月15日 | 四国八十八ヶ所霊場




室戸スカイラインを下り、
お遍路札所である津照寺へ向けて走る。

その距離僅か約6キロ、10分程度でお寺周辺に到着。

しかしナビはまだお寺の前に着いていないにも関わらず、
無情にも訳の分からない場所で終了の御挨拶。(泣)

近くにお寺があるようだが、場所がイマイチ分からない。
そんな時に津照寺駐車場の案内看板発見。

それを見て車を進めると室津港の岸壁に到着。(泣)




えーここ?(^^;


【室津港】




岸壁の堤防には釣りをしている親子達がいて、
とてものんびりした雰囲気。

こんな堤防の場所に勝手に停めていいのか分からず、
少し戻って川沿いのデッドスペースに停めてお寺を探す。

幸いにもすぐにお寺は見つかりましたが、
横に津照寺の駐車場を発見。(^^;

ナビも案内しないほど細い道なので、
知らないと分からんよなぁ。

駐車場は200円の志納でした。

ちなみに岸壁の堤防沿いにも停めても良いとのこと。

さて、いざ参拝開始。
津照寺と書いて「しんしょうじ」と読みます。



所在地:高知県室戸市室津2652
宗派:真言宗豊山派
御本尊:延命楫取地蔵菩薩
創建:(伝)大同2年(807)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
室津港を見下ろす小山の上に佇む津照寺は通称津寺と呼ばれています。

弘法大師空海上人が四国御修行の砌、
山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ているところから、
霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。

はじめ長曽我部氏の庇護をうけ津寺村と称して七町余の地高を有しその後、
山内氏が国主として入国してより更に一町五反余の田地を寄附され、
寺院の運営も全て藩営とされ中老格をもって遇され隆盛を極めておりました。

しかし明治の改革に遭い地領は一旦政府に没収、
亦は小作農民に払い下げとなり寺は廃寺とされました。

荒廃にまかすこと約十数年明治16年ようやく寺名復興を許され、
今日に至ったのでありますが、寺域は極度に狭められ昔日の面影はなく、
只本堂が地蔵堂としてのこり御殿と申された庫裏の一角が、
当時小学校として残っておりました。

現在、小学校は移転され、大師堂は昭和38年、
本堂は昭和50年に新築されたものです。


【山門】



【参道】


奥に見える石段を見て絶句。

結構きつい石段なのが遠くからでも分かります。(^^;


【大師堂】






参道横に大師堂と納経所があります。

まずは本堂に参拝してから後で参拝しました。

ありがたや ありがたや。


【石段】


125段あるとか。

これが運動不足の身にはかなり堪える。(^^;


【稲荷大明神】



【鐘楼門】


ハァハァしながら到着。




振り返るとこんな感じ。

足腰が悪い方々には優しく無い石段でした。(^^;


【宝篋印塔・石仏】




かなり風化していてお顔の判別不能。


【石段】


トドメの石段。(^^;


【本堂】



【風景】



【鐘楼】



【御朱印】

最御崎寺(2019年5月2日参拝)

2019年10月12日 | 四国八十八ヶ所霊場
憧れの御厨人窟の次はお遍路札所の最御崎寺へ。

最御崎寺は室戸岬灯台近くにあるだけあって、
意外と山を登って行きます。

歩きお遍路だとしんどいでしょうね。

数十台停めれる無料駐車場はゴールデンウイークだけあって一杯。
1台分空いていた駐車場に停めれてラッキー。

どちらかと言うと、
お寺より灯台を見に来た観光客が多い感じ。

ちなみに最御崎寺と書いて「ほつみさきじ」と読みます。
みさきは読めても最を「ほつ」とは読めませんよね。(^^;



所在地:高知県室戸市室戸岬町4058-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:虚空蔵菩薩
創建:(伝)大同2年(807)
開基:弘法大師
勅願:(伝)嵯峨天皇


【縁起】
延暦11年(792)弘法大師19歳の頃、
空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、
藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励んでいた。

大同2年(802)唐から帰朝した翌年に、
大師は勅命をうけて再び室戸岬を訪ねている。
虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、
本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立。

嵯峨天皇を始め歴代天皇の尊信が厚く、
足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、
戦国・江戸時代には武将、藩主等の寄進により寺運は隆盛した。

当時は真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。
往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、
明治5年に解禁されている。

室戸岬では東西に対峙している26番札所金剛頂寺が西寺と呼ばれ、
最御崎寺は東寺とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。

修行の道場とされる土佐最初の霊場である。


【石段】


いきなり結構ハードな石段がお出迎え。

ハァハァ・・・と思ったが、こっちは宿坊行きの石段で、
お寺には横のなだらかな坂道を歩いて行きます。


【参道】




これが結構長い。

はぁ、しんど。(^^;


【山門】




立派な山門です。

この山門を見るだけで格の高さと隆盛を誇ってきていたのかが、
はっきりと分かりますね。


【仁王像】





【修行大師】



【鐘石】





【岩見重太郎・薄田隼人の塚】





【石仏】



【境内】


広い境内ですね。


【大僧正島田信保像】


最御崎寺第三十三世住職。

眼鏡をかけてるのが現代人らしいですね。(笑)


【土俵】



【十一面観音菩薩】



【大師堂】





【鐘楼堂】







【修行大師】



【虚空蔵菩薩】



【多宝塔】





【本堂】




ようやく本堂に到着。

早速打ちました。(^^


【十三重石塔】



【鐘楼】



【霊宝殿】



【一畑薬師奉安殿】



【御朱印】


最御崎寺の参拝終了。

山門から徒歩数分の室戸岬灯台を見に行きましょう。


【中岡慎太郎像】





【室戸岬】




まさに雄大。

来て良かった。(^^


【灯台】





【恋人の聖地】


(* ̄- ̄)ふ~ん

オッサンには関係無いね。(泣)

御厨人窟・神明窟<五社神社>(2019年5月2日参拝)

2019年10月10日 | 四国八十八ヶ所霊場
明星来影寺の近くに本日のメインである御厨人窟がある。

御厨人窟神明窟とは弘法大師が修行し、
悟りを開いたとされる洞窟です。

ここは以前からどうしても訪れたい場所で、
今回訪れることが出来て本当に嬉しい。

駐車場は洞窟の前に10台以上は停めれますが、
さすがにゴールデンウイークだと参拝客が多く、
何とか停めれました。



所在地:高知県室戸市室戸岬町
御祭神:大国主命(御厨人窟)、大日孁貴(神明宮)
札所:四国八十八ヵ所霊場番外


【縁起】
向かって右側が明神窟、そして左側が御厨人窟と呼ばれる。
御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師が、
この洞窟に居住したと伝えられている。

この洞窟から見える風景は空と海のみで、
ここから空海の法名を得たとされる。

また、神明窟で難行を積んだと伝えられ、
その最中に明星が口に飛び込み、
この時に悟りが開けたと伝えられている。

海蝕の進行による落石が頻繁化した為に、
参拝者の安全の担保が不可能となったことを理由に、
神明窟は2012年10月より、御厨人窟は2015年11月より、
それぞれ立ち入り禁止となり封鎖された。

現在はヘルメット着用を条件に内部への立ち入りが、
令和元年(2019)4月26日解禁された。


【遠景】



【神明窟】


洞窟は3つあって御厨人窟は人が多かったので、
まずは右手にある神明窟に入る。

入口には落石から守る為に屋根が設置されていました。

一週間前に洞窟内に入れるようになって良かったよ。(^^


【案内板】


御祭神大日孁貴と書かれている。

弘法大師修行の場所なんでお寺関係と思われがちですが、
実はここは神社なんです。


【鳥居】





【神明窟】



【本殿】





【石碑】


昭和41年(1965)建立されたもので、
文字は東寺(ひがしでら)と呼ばれる最御崎寺第三十三世島田信保住職の書。


【御厨人窟】


続いてお目当ての御厨人窟に入ります。

御厨人窟と書いて「みくろど」と読みますが、
全く読めねーYO!




神明窟より奥は深い。


【案内板】


五社神社。


【地蔵尊】



【本殿】




五社神社だけあって社が五つあるような。

御祭神は大国主命だけなのかな。

こちらは凄く厳かな雰囲気です。

さすがに悟ったり開眼することは出来ませんでしたが。(笑)


洞窟から振り返ると空海の名前の元となった空と海が見えるが、
この日はさすがに人と車が多くて写真は撮れなかったよ。


【洞窟】




こちらが第三の洞窟。

何が祀られているか不明。


【御朱印】


売店でいただきました。

ネット情報では最御崎寺でもいただけるそうですが、
未確認です。


御厨人窟はやはり訪れて良かった。

何回も訪れたいと思える御厨人窟であった。

明徳寺<東洋大師>(2019年5月2日参拝)

2019年10月05日 | 四国八十八ヶ所霊場
野根八幡宮からすぐ近くの明徳寺に到着。

通称東洋大師と呼ばれるお遍路の番外札所です。

車は門前に無料で停めれました。


所在地:高知県安芸郡東洋町大字野根丙2246
宗派:真言宗豊山派
御本尊:弘法大師
創建年:伝・平安時代前期
開基:伝・弘法大師
札所:四国八十八箇所霊場番外


【石段】



【山門】



【本堂】




早速本堂でお参り。


【御本尊】


ありがたや ありがたや。


【観音堂】



【修行大師】



【通夜堂】




通夜堂は歩きお遍路さんが無料で泊まれるそうです。


【弘法の瀧】





【御堂】


上まで行けなかったので詳細は不明。

大師堂だろうか。

でも、お寺の御本尊が弘法大師だから、
大師堂は不要だよなぁ。


御朱印はご不在でいただけませんでした。

薬王寺(2019年5月2日参拝)

2019年09月24日 | 四国八十八ヶ所霊場
日和佐八幡神社から僅か1.5キロ離れた場所にあるのが、
お遍路札所であり別格本山の薬王寺です。

遠景がとても印象的で、
一度は参拝したいと思うようなお寺です。


【北河内谷川】


日和佐八幡神社のすぐ近くには綺麗な北河内谷川が流れ、
この辺りは太平洋に流れこむ河口となります。


【日和佐城】


ふと山を見るとお城が見える。




お城はあんまり興味が無いから全く知らないお城。

室町時代に日和佐肥前守が築城したという説があるが、
資料が無いので実際は不明とのこと。

天守は昭和53年(1978)に建立された模擬天守。

さて、お寺に急ごう。



所在地:徳島県海部郡美波町奥河内寺前285番地1
宗派:高野山真言宗
御本尊:厄除薬師如来
創建:(伝)神亀3年(726)
開基:(伝)行基菩薩
札所:四国八十八ヵ所霊場、阿波七福神霊場


【縁起】
醫王山無量寿院薬王寺は神亀3年(726)、
行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡鍚し一寺を建立された。

弘仁6年(815)弘法大師42歳の時、平城上皇の勅命によって、
御本尊厄除薬師如来を刻んで開基した阿波の国薬王寺は、
四国八十八ヶ所第23番の霊場であり、
厄除根本御祈願所として全国にその名を知られている。

寺号を無量寿院醫王山といわれているのは、
無限の生命を伝え医の王である意味。

また、寺名を薬王寺というのは薬の王であることを意味している。

高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇、淳和天皇は厄除の祈誓を願われ、
土御門上皇は喜禄2年皇居として行在せられた。

また後嵯峨天皇は寛元元年当山伽藍の再建をして、
仁助親王が落慶の法莛に入られたと伝えられている。


【遠景】


山の中腹に赤い塔が見えます。

遠くからでも強烈な存在感があり、
お寺好きなら絶対に行きたいと思うはずです。(^^






大型の無料駐車場から見た塔。

めっちゃカッコいい。(^^

どう見てもあそこまで石段が多いだろうけどダッシュ。

オッサン頑張ります。(笑)


【寺号石標】



【仁王門】


天保6年(1835)建立の別格本山に相応しい立派なものです。

仁王門横に納経所がありますが、
8時前だと閉まっていました。


【金剛力士】





【鐘楼堂】



【境内案内図】



【女厄除33段】



【参道】



【男厄除42段】


まぁまぁハァハァしました。(^^;


【本堂】




まずは一発打つ。


【宝塔】


本堂裏手にある宝塔。


【肺大師】


弘法大師が祀られていますが、
変わった名前ですね。


【御加持水】


この水は呼吸器系にとても効くお水らしく、
それで肺大師と呼ばれているそうです。

肺癌に効く微量の鉱物が含まれてるとか。


【鎮守堂】




白山大権現が祀られています。


【大師堂】


文政3年(1820)建立されたもの。


【寿老人】



【賓頭盧尊者】



【大師堂】


弘法大師坐像を中心に、
龍猛・龍智・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果の真言宗八祖、
脇士持国天と毘沙門天が祀られています。


【六観音】


不空羂索観音・聖観音・如意輪観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音菩薩。


【地蔵堂】




地蔵菩薩、聖観音菩薩、弥勒菩薩、不動明王二体が祀られていますが、
全て厨子に安置されていました。


【十王堂】







【随求塔】


塔中に大随求菩薩と銀製宝瓶に仏舎利数粒を入れ安置してるそうです。


【魚藍観音】



【鯉】



【瑜衹塔】



【男女還暦厄坂61段】





【瑜衹塔】




瑜祇塔は真言宗所依の経典、瑜祇経の教理を形に表したもの。

全国でも非常に数少ない塔です。






中に入ってみましょう。


【五智如来】



【戒壇巡り】


まさか戒壇巡りが体験出来るとは。

ただし有料です。






こちらのは暗くもなく距離も短いので、
戒壇好きには物足りないかも。


【階段】


戒壇巡りを終え、上層部は登って行きます。


【風景】


なかなか良い風景で爽快。(^^

登った甲斐があったわ。


【御朱印】


本坊横の納経所でいただきました。

また訪れたいと思う良いお寺でしたね。