Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

廣八幡神社(2018年2月11日参拝)

2018年02月28日 | 神社
日高郡からみかんが有名な有田に移動。

有田にも廣八幡神社という重要文化財の伽藍を擁する
立派な神社があります。

特に楼門が見所なので楽しみ。


所在地:和歌山県有田郡広川町大字上中野206
御祭神:誉田別命、気長足姫命、足仲津彦命
配祀神:大鷦鷯命、武内宿弥、菅原道真
創建:不明


【由緒】
当社はこの地の産土の神として、
古来より長きにわたり人々から崇敬されてきました。

神功皇后が三韓を征しての帰途、
この有田広村にも行幸されたというご縁があり、欽明天皇の御代に、
河内国誉田こんだ八幡宮より勧請されたと言い伝えられています。
 

天正年間には豊臣氏の紀州征伐により一部焼失しましたが、
江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受け、次第に興隆していきます。

江戸時代に刊行された紀伊名所図会の絵図には、
多宝塔や鐘楼、西門、観音堂などが描かれており、
神仏習合の様子がよくわかります。

明治の神仏分離により多宝塔は広島市の三滝寺へ、
鐘楼は広川町上中野の法蔵寺へ、西門は安楽寺へ移築されています。


【神明鳥居】


少し離れた場所に無料駐車場がありましたが、
この鳥居前の境内に停めることも可能でした。


【楼門】




室町時代に建立された重要文化財。

いや~これはまた見事な楼門ですね。

失礼ながら片田舎の神社でこれほどの楼門があるとは驚きです。

素晴らしい。


【舞殿】


重要文化財。


【拝殿】




重要文化財。


【境内社】





【天神社】


拝殿。




重要文化財。


【御輿庫】




文化3年(1806)に現在の長崎県新上五島町より奉納されたもの。


【法華経全部一字一石塔・石祠】


向かって左が法華経全部一字一石塔です。


【五島石・福石】





【彌廣八幡神社】



【仮殿】


社殿の改修等の際にご神体を一時的に安置するのが仮殿。


【多宝塔跡】


移築された広島市の三滝寺には広島に行った時に参拝する予定です。


【御神木】



【神楽殿跡】



【絵馬みくじ納所】



【社殿】



【本殿】


応永20年頃建立された重要文化財。


【若宮社・高良社】


重要文化財。


【明王院護摩堂】




神社の隣りに護摩堂があります。

明王院は廃寺となり現在は護摩堂だけが残っています。


御朱印は社務所が閉まっていたのでいただけず。

これほどの神社でも普段は無人で、
御朱印が欲しい人は宮司宅に電話してください。

興国寺(2018年2月11日参拝)

2018年02月27日 | 紀伊之国十三仏霊場
和歌山県日高郡には立派な伽藍を擁する巨刹があります。

それが本日のメインである興国寺です。

以前から参拝したかったので楽しみ。


所在地:和歌山県日高郡由良町門前801
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:安貞元年(1227)
開基:願性(葛山景倫)
札所:紀伊之国十三仏霊場


【縁起】
高野山金剛三昧院の願生(俗名・葛山景倫)が、
主君源実朝の菩提を弔う為に創建したもので、
創建時は真言宗寺院で西方寺と称していた。

葛山景倫は承久元年(1219)実朝の暗殺を機に出家。
実朝の生母・北条政子は願生の忠誠心に報い、
願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命した。

願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)が宋から帰国すると、
正嘉2年(1258)に西方寺の住職に迎えて開山とした。

その後、後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜ったという。

覚心は普化尺八を奏する居士4名を宋から連れ帰り興国寺に住まわせたので、
以後当寺は普化尺八の本山的な役割を持つようになった。

その弟子の一人、虚竹禅師が尺八の元祖といわれている。

宋で習得した金山寺味噌の製法が弟子から人々に伝わり、
やがて醤油が誕生するきっかけとなった。

天正13年(1585)羽柴秀吉の紀州征伐によって伽藍の大部分を焼失したが、
慶長6年(1601)に紀州藩主・浅野幸長によって再興された。

昭和31年(1956)臨済宗妙心寺派から独立し臨済宗法燈派大本山になったが、
昭和61年(1986)に妙心寺派に復帰した。


【山門】




鐘楼堂を思わせるような山門で、
仁王さんはいませんでした。

車は山門横に大きな広場があるので無料で停めれました。


【参道】




少し登っていくことになりますが、
清々しい雰囲気でした。


【龍王社】





【廣度橋】



【参道】


ここがとても素晴らしい雰囲気です。


【石垣】



【山門】


こちらは禅宗らしい簡素な山門です。


【法堂】




これが見たかったのよね。

見事な法堂です。


【内陣】


こちらも禅宗らしい内陣で、
天井には龍図が描かれていました。




御本尊と四天王、坐像等が祀られていました。


【地蔵堂】



【子安地蔵尊】



【法堂】


美しいフォルム。

本当に良い法堂です。


【天狗堂】


興国寺には天狗堂なるお堂があります。






入った瞬間、うおっ!ってビックリした。(^^;


【天狗命根石】




よくあるウミガメの甲羅かと思ったが、
石だったのね。

ツルツルした手触りで気持ち良かったです。


【稲荷社】






寂しい雰囲気は鉄則ですね。(^^;


【開山堂】


法燈国師坐像が祀られているそうです。


【禅堂】





【方丈庭園】



【勅使門】



【鐘楼堂】



【浴室】



【石祠】



【庫裏】


庫裏で御朱印をお願いすると雲水さんが、
売店まで行って対応していただいたのですが、
とても寒いにも関わらず裸足なんですよね。

つまり普段からずっと裸足。

私はとても真似出来ないし、
浄土真宗の僧侶もやらないでしょう。

雲水さんの修行の厳しさの一端を垣間見た気がする。


【御朱印】


とても落ち着いて凛とした気持ちにさせてくれるお寺でした。

上阿田木神社(2018年2月11日参拝)

2018年02月26日 | 神社
寒川神社の次は同じ日高郡に鎮座する上阿田木神社へ。

こちらも普段は無人の神社で、
御朱印がお目当ての方は絶対に行かない神社です。(笑)



所在地:和歌山県日高郡日高川町大字初湯川212
御祭神:伊弉冉命
配祀神:伊弉諾命、火結命、事代主命他10柱
創建:延長6年(928)


【由緒】



【社叢】



【一ノ鳥居】


車は鳥居前にある社務所の横に停めれました。


【長床】




拝殿かと思ったが違う変わった建物ですね。


【二ノ鳥居】



【鈴門】





【狛犬】



【本殿】



【東御殿】



【西御殿】



【社殿】



【境内社】





【下阿田木神社遥拝所】





【神武天皇参拝所】





【猿田彦命参拝所】





【御神木】



【ポスター】


毎年4月29日に華やかな花まつりがあるようですね。


これにて参拝終了。

参拝し終わった時に良い神社だったなぁと思えた神社でした。

御朱印はありません。

寒川神社(2018年2月11日参拝)

2018年02月25日 | 神社
三連休、何処かへ神社仏閣巡りをしたい。

しかし寒い。

寒いだけならまだしも、
ノーマルタイヤの私にとって雪は大敵。

その時点で北陸、滋賀、奈良南部、
その他の関西圏の山間部は無理。

四国ですら雪が降ってるとか。

そこで雪の心配の無い和歌山に目星を付け、
前から行きたかった有田市や海南市、日高郡を巡ることにした。

まずは日高郡の長閑な場所に鎮座する寒川神社です。

この神社は立派な伽藍があるでもなく、
天皇や有名な武将が建立したわけでもなく、
御朱印がある訳でも無い。

何故そんな無名な神社に行くのか?

最近都会に疲れてたので田舎に行きたかったからです。(笑)

御朱印目当ての人は絶対参拝しない神社ですね。


【椿山ダム】




ここまで自宅から高速をブッ飛ばして約2時間ちょい。

もうちょっとで寒川神社に到着だけど遠い。(^^;


【レイクブリッジ】


何本かこのような橋を渡りながら寒川神社に到着。

約2時間半かかりました。



所在地:和歌山県日高郡日高川町寒川284
御祭神:国常立命、弉諾命、伊弉冊命
配祀神:八重事代主命、瀬織津姫命等19柱
創建:元久元年(1204)
社格:村社


【由緒】


延喜22年(922)寒川大原峯に愛徳山六所権現が勧請され、
延長6年(929)阿田木原(現上阿田木神社)に遷宮され、
更に下阿田木神社へと発展する。

大原の宮が上阿田木に遷宮した年、
寒川宮の平に河内神社が寒川地区の氏神として創建された。

元久元年(1204)寒川家六代朝玄、
鎌倉幕府より寒川荘14ヶ村の地頭を任じられ、
守護神として国常立命、伊弉諾命、伊弉冊命を祀り、
阿田木原に遷宮した愛徳山権現の分霊も勧請合祀し、
大宮権現を創建。

明治6年(1873)に村社に列し寒川神社と号する。

明治41年、村内各社を寒川神社に合祀し現在に至る。


【寒川】


寒川地区に流れる寒川です。

ちなみに神社の宮司さんの名前も寒川さんです。


【鳥居】


駐車場はありませんので、
少し離れた橋の路肩に車を停めました。


【境内】


まさに地元の氏神様といった風情の境内です。


【神輿庫】


写真には撮れませんでしたが、
神輿が一基安置されていました。


【鳥居】



【拝殿】




現在の本殿及び拝殿は昭和23年に新築されたもの。


【本殿】



【妙見社】


寒いけど心が落ち着く。

たまにはのんびりとした田舎に行くのは良いことだ。(^^

このような神社だから普段は無人で、
当然のことながら御朱印はございません。

石切劔箭神社 豆撒神事(2018年2月3日参戦)

2018年02月24日 | 神社
【皆既月食】


1月31日に約3年振りに皆既月食がありました。






スマホでは全く上手く撮影することは出来ず、
デジカメでズームアップし何とか撮影出来ました。(^^




寒いので赤銅色になるまで撮影はしませんでしたが、
3年前の皆既月食の写真をアップしておきます。(^^


さて、神社仏閣とは関係無い皆既月食はこのぐらいにして、
本題に入ります。


http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/5cfdb435f2cf77eb21698be708b53fd1

5年前に奈良の大神神社に節分に行ったら、
桑田や岩下志麻が登場で高まったが、
いざ節分が始まると争奪戦でドえらい目にあった。

その記憶が未だに強烈に残っている。

もう節分の時は寺社に行く事も無いと思っていたが、
今年の2月3日は仕事が休みの土曜日。

大神神社で懲りたハズなのに、
どこかの寺社に豆まきに参加したくなった。

悪い癖です。(^^;

で、大阪の寝屋川市にある成田山大阪別院に行こうと思ったが、
あそこの大渋滞はシャレにならないので回避。

そんなに混まない所で思い浮かんだのが石切神社です。

石切神社の節分は小学生の時に参加した事があり、
超絶久しぶりの参加となります。

あの頃の節分は参加者も少なくのんびりしたもんでした。(遠い目)

ただ、今年は土曜日なので参加者は多いと思われるが果たして。


所在地:東大阪市東石切町1-1-1
御祭神:可美真手命
創建:(伝)神武天皇二年
社格:式内社、村社


【厄除招福ぜんざい】


午前11時より先着4000名にぜんざいのふるまいがあるというので、
行ってみると長蛇の列。

前に並んでいるおばさんの情報によると、
やはり土曜日なので平日より列が長いとのこと。

寒い中、30分程並んでようやくゲット。

美味かったけど餅が入って無かったんですよね。

まぁ、無料だから仕方ないけど、
アラレじゃなく餅だったら最高だったな。(^^;


【お焚き上げ場】


ここでお焚き上げのとんど祭が行われます。


【楼門】


石切神社の豆撒きは楼門で行われます。

開始10分前に行くと既に多くの人だかり。

しまった!

豆撒きで豆をゲットするのは前に行くのがセオリーなのに。

ぜんざい食ってる場合じゃなかった。(^^;


【神職】


ぎゅうぎゅう詰めの参加者の間を割って、
神職や東大阪市長等が楼門に向かって歩いて行く。

この楼門は一般人は上がることが出来ませんし、
特別公開することもありません。

つまり楼門に上がることはとてもレアなことなのです。

私は小学生の頃に何かの体験で、
二階に上がって掃除したことがあります。

小学生の頃だから何で掃除しなアカンねんと、
文句を言っていたもんですが、
今では掃除しますから二階に上がらせて下さいと懇願してる。

私も性長、いやもとい、成長したもんです。(^^




1回目の11時半になったので豆撒神事開始。

ダメだ。

豆が入った袋は軽いし、
投げる人も年寄りが多いので飛距離が無い。

遠い所に投げれる数少ない餅も私がいる所には飛んでこない。

はぁ、結局人混みに入っただけで、
豆は全くゲット出来ないと思った矢先、
後ろから強烈に押される。

めちゃくちゃキツい圧縮で、
ライブハウスでもこれほどの圧縮は無いと思うほど。

大神神社の悪夢が蘇る。

あの時も酷かったけど、今回もそれに輪をかけて酷い。

これほど押されるとは。

圧縮のど真ん中に居たら外に逃げることも出来ない。

子供や老人はマジで危ないです。

そんな酷い状況の中、みんな危ない危ないと連呼しながらも、
豆を必至に獲ろうとする。

いつの間にか私の周りに居た人達を含め楼門の真下まで来てた。(汗)

いかに圧縮が凄かったか如実に分かりますよね。

楼門の下まで行くと豆もかなり私の近くに撒いてくれる。

しかし手に豆の袋が当たるのだが、
状況が状況なので上手くキャッチ出来ない。

こういう時は大き目の紙袋を上に掲げると良いと思う。


【豆】


福引券が入った福餅は獲れませんでしたが、
それでも豆は素手で5袋ゲットしました。(^^

豆撒神事が終わって足元を見ると、
誰かの脱げた靴の他に豆が入った袋が沢山落ちていた。

素手で獲るより多くの豆袋を拾う事が出来ました。(笑)


はぁ、それにしても酷い圧縮であった。

またしても物欲まみれの人間どもが醜態を晒して申し訳ない。(^^;


【鳥居】


お百度参りをしてグルグル回っている人が多いので、
その人達が写らないように撮影した。


【狛犬・拝殿】


拝殿で物欲を落とす。(^^

いつかは拝殿に昇殿したいと思っていたので、
5千円を支払い崇敬会員に入ったった。(^^

会員になるといつでも昇殿出来るみたいだから楽しみ。


【御神木】



【御朱印】


節分の印でもあるかと思ったけど、
普段と全く変わりませんね。


さて、これから東大阪市役所へ移動。

市役所の展望室は無料で入れるのです。


【眺望】


東大阪市役所から見た東大阪ジャンクション。

向こうが大阪市内方面で縦の高速が阪神高速東大阪線、
横に走っているのが近畿自動車道になります。

阿倍野ハルカスより低いですが、
ここの方が展望が楽しめると思います。(^^

無料だからお勧めです。

庚申会龍神総宮社(2018年1月20日参拝)

2018年02月23日 | 神社
本日最後の参拝となるのが萬福寺に近い龍神総宮社。

以前、こちらに参拝しようと思って行ったが、
最後の最後で鉄柵で道が塞がれ、
まさかの通行止めになっていた。(^^;

その後、他のルートを探したが、
住宅街で細々とした道なので結局断念したのよね。(泣)

今回はそのリベンジです。

未だに何故あの道が封鎖されているのか不明。

あんなトラップは止めてほしいわマジで。

よって車で行く時は近くまで行ったらナビを無視し、
川沿いにある案内板を目印に進むと何とか到着しました。


龍神総宮社は新興宗教の神社ではあるが、
なかなか面白そうなんですよね。


所在地:京都府宇治市五ヶ庄広岡谷2番地
御祭神:天主天帝、天主天帝女王
創建:昭和38年(1963)


【縁起】



【鳥居】


キンピカの鳥居が新興宗教臭プンプンするんですけど。(^^;

車は無料で境内に停めれましたが、
神社側からすれば下にあるリジョイス薬局洛南店近くの、
参拝者用を出来るだけ使用してほしいとのこと。


【お焚き上げ場】



【看板】


5メートルぐらいの大きさの看板が。

思いっきり怪しい。(^^;

ここは無視して社殿へ。

この看板の怪しさを吹っ飛ばす社殿が素晴らしい。(^^


【拝殿】


見事な拝殿です。

玉砂利も綺麗に整備されていますね。


拝殿の中では御祈祷されていたが、
聴こえてくる声は祝詞では無く、
真言宗や修験道の経のような迫力あるものでした。

まるで護摩祈祷しているが如く。


ここは形態は神社ではあるが、
神仏習合なのかな。


【境内図】



【社殿】




伊勢神宮を思わせるような美しい社殿です。

これは本当に美しいです。

御祭神庚申塚龍王神祖神が祀られています。

左手に少し見えるのが庚申舎で、
真ん中奥にある天主宝殿はちょっとしか見えませんでした。


【境内社】




拝殿向かって左側に境内社がいっぱい鎮座しています。

















【社殿】




拝殿向かって右側に鎮座しているのは御祭神白姫龍王神大神。

こちらも美しい社殿です。




右側に見えるのが天主宝殿です。


【境内社】


拝殿右側にも境内社があります。






こちらは何故かキンピカな鳥居です。

重要な御祭神なのだろうか。


【護摩堂】


神社なのに護摩堂がある。

やっぱり神仏習合形式なのかな。


【鳥居】


3つ目のキンピカ鳥居です。


【境内社】


境内には摂社が16社鎮座しておりました。


【チラシ】


チョロこと中野英雄や河内屋菊水丸や、
貴乃花部屋の力士達が来るとか。

しかし、節分の日のニュースを見ていると、
貴乃花親方が豆まきをしている映像が流れた。

まさか渦中の親方本人が出るとは。

行けば良かったわ。(^^;





【御朱印】


対応していただいた巫女さん達はきちんと教育されていて、
とても良い感じがしました。(^^


龍神総宮社は新興宗教の神社ですが、
普通に参拝するぶんには何も問題ありません。

安心して参拝してください。

許波多神社(2018年1月20日参拝)

2018年02月22日 | 神社
伏見区桃山町の大善寺から許波多神社へ。

隣の宇治市から車で10分もかからず到着。

許波多神社は他に隣接する五ヶ庄という地区にもありますが、
今回は木幡の方を参拝することにしました。

名神大社ということであるが果たして。


所在地:京都府宇治市木幡東中1
御祭神:天忍穂耳尊、天照大御神、天津日子根命
創建:(伝)大化元年(645)
社格:式内社(名神大社)、郷社


【由緒】
社伝では大化元年(645年)皇極天皇が夢で、
「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、
中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたと伝えられる。

壬申の乱を前に大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際、
社頭に柳の枝を挿して「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と、
戦勝を祈願した。

大海人皇子が即位すると柳の枝が芽を出したことから、
天皇は霊験を賛えて柳大明神の名を贈り、社領を寄進したという。

応保年間(1161-1163)に柳山から現在地に分祀されたと伝えられる。

明治41年(1908)に旧河原村の田中神社を合祀した為、
同社の祭神であった天照大御神、天津日子根命も祭神としている。

境内には狐塚と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、
藤原基経の墓と伝えられている。


【一の鳥居】


普通の住宅街に神社があるようです。

先に進むと神社専用の駐車場がありません。

近くに有料駐車場も無いので、
参道一番奥に何とか停めました。


【宇治陵第36号墳墓】




宮内庁が管理しているようですね。

日本初の摂政関白太政大臣藤原基経の墳墓とか。

墳墓だけあってこの回りは少し暗い雰囲気ですが、
近所の子供達は気にすることもなく無邪気に遊んでいました。


【二の鳥居】



【拝殿】



【中門・透塀】



【狛犬】



【本殿】



【境内社】




神社全体的に少し殺風景な雰囲気の神社ですね。


【くすのき】


樹齢150年。
宇治市名木百選に指定されている。


宮司さんがいらっしゃったのですが、
本殿で何かされていましたので、
御朱印の有無は確認していません。

ネットで調べる限り御朱印は無いようです。

五ヶ庄に鎮座するもう一つの許波多神社には御朱印はあります。

御朱印目当ての人だったらここでは無く、
あっちに行ってますね。(苦笑)

大善寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月21日 | 京都十三仏霊場
京の冬の旅のお寺は先ほどの大黒寺で打ち止め。

まだ時間が余っていたので、
まだ知らぬ伏見と宇治の寺社を参拝することにした。

次は京都十三仏霊場の札所である大善寺へ。



所在地:京都府京都市伏見区桃山町西町24
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶雲2年(705)
開山:定恵上人
札所:京都十三仏霊場、京都六地蔵


【境内】


車は境内に停める事が出来ました。

しかし、山門は境内の反対側にありましたので、
境内を横切り山門から入り直すという、
非常にめんどくさいことをしました。(^^;


【山門】


かなり良い雰囲気です。


【鎮守社】



【六角堂】


こちらが札所の地蔵堂です。







【千手観音堂】




千手観音菩薩は厨子に安置されていました。


【本堂】




普段は閉まっていますが、
8月の地蔵盆の日には開いているそうです。


【内陣】




ガラス越しとはいえ御本尊を直接拝めて良かった。


【鐘楼堂】


鐘楼は東福門院が安産祈願成就の礼として寄進したそうです。

東福門院は徳川秀忠と正室・お江(崇源院)の間に生まれ、
後水尾天皇の中宮となった方です。


【御朱印】

大黒寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月20日 | 京都六大黒天霊場


別称薩摩寺と呼ばれている伏見の大黒寺へ移動。

しかし正式名は圓通寺だそうで。
ややこしい。(^^;


お寺の場所は以前参拝した金札宮の目の前にありますが、
駐車場はありませんでしたので、
近くの有料駐車場に車を停めました。


所在地:京都府京都市伏見区鷹匠町4
宗派:真言宗東寺派
御本尊:大黒天
創建:元和元年(1615)
開基:弘法大師
札所:京都六大黒天霊場、伏見五福めぐり、伏見七福神


【縁起】


円通山と号し弘法大師の開基と伝える真言宗東寺派で、
もとは長福寺といった。

豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのをはじめ、武家の信仰が深かったが、
元和元年(1615)伏見奉行山口駿河守は薩摩藩主島津家久の命を受けて、
この寺を武運長久の祈願所に定め、寺名を大黒寺と改めたという。  

御本尊聖観音立像と出世大黒天立像は、
弘法大師が当寺を創立したとき安置したものと伝えている。

幕末に西郷隆盛などの志士が国事を論じたという一室がある他、
明治維新志士の遺墨等を所蔵する。


【山門】





【案内板】



【本堂】



【大黒天】


内陣の御本尊は秘仏で御前立がいらっしゃいましたので、
外に居る大黒天は御前立の御前立です。(笑)


【内陣】


撮影不可でしたので、案内板を撮影したもの。

参拝後、隣の庫裏へ移動。


【会談部屋】


江戸時代にはお寺の近くに島津家藩邸があったようで、
島津家の守り本尊が祀られていたことにより、
西郷隆盛や大久保利通がこの部屋で度々会談していたとか。

さすがに京都は小さなお寺であっても、
こんなビッグネームが出てくるとは凄いですね。

部屋の机の上には西郷さんが実際に使ったという硯と筆、
タバコ道具が置いてあり触る事が出来ました。

真偽はともかく、西郷さんが使用していたモノを、
触れたのは嬉しかったです。

画像はネットで拾ったものです。


【地蔵尊】



【金運清水】






普通に飲めました。


【不動明王】



【鎮守社】



【御朱印】


期間限定の御朱印もあったようですが、
今回はノーマルの御朱印をいただきました。

妙心寺塔頭 東海庵(2018年1月20日参拝)

2018年02月19日 | 仏閣


次なるお寺は妙心寺塔頭の東海庵です。

京の冬の旅の非公開寺院特別公開しているお寺の一つです。

妙心寺の塔頭は多い。

そういや東海庵は過去に参拝しているのか、
記憶に無いのでとりあえず行ってみた。(^^;


【妙心寺南総門】


妙心寺の無料駐車場に車を停めて、
まずは妙心寺の仏殿へ。


【三門】




こちらも特別公開していましたが、
一度登っているので華麗にスルー。

南禅寺や知恩院等の錚々たる寺院の山門に登ってきたが、
一番素晴らしいと思ったのは東福寺の三門ですね。

ここはもう一度登ってみたい。


【仏殿】



【仏殿・法堂】


さすが大本山の威容を誇る伽藍ですね。


【玉鳳院】






塔頭寺院の一つで妙心寺に来たら、
必ず玉鳳院の向唐門を見に行きます。

こちらは滅多に拝観しない非公開寺院ですが、
2年前に拝観した時は見所いっぱいで良かったです。

またいつの日か拝観したいね。




さて、いよいよ玉鳳院の隣にある東海庵へ。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町61
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:16年(1484)
開山:悟渓宗頓禅師


【縁起】
開祖は妙心寺十一世悟渓宗頓(大興心宗禅師、仏徳広通国師)。

文明16年(1484)雪江宗深より天授院の北、玉鳳院の西の地を付与され、
一庵を建立したのをはじまりとする。

悟渓遷化の後、玉浦宗珉が利貞尼の援助を得て整備に努めた。

更に慶長4年(1599)に石川掃部一宗南化玄興を請じて、
兄一光の十七回忌を営み、庵の中興をなした。

現在の建築は江戸時代のものといわれ、特に書院は江戸初期に遡るとされる。
狩野元信筆「瀟湘八景図」(重文)、「孝明天皇宸翰徽号勅書」(重文)、
元時代の十六羅漢図(重文)、陳子和筆「花鳥図」(重文)を有する。


【山門】



【方丈】



【鐘楼堂】





【瓦】


菊の御紋がありました。


【手水鉢】



【庫裏】


こちらが拝観入口です。


【白露地の庭】




撮影不可の御本尊にお参りした後は、
方丈前に広がる白露地の庭を拝見。

あるのは端っこにある大棗形手水鉢だけで、
無駄なものは一切排除したとても落ち着く庭園です。

この庭園の前で座禅を組むといいでしょうね。


【渡り廊下】




梁も立派なものです。


【井戸】





【七坪の書院南庭】




これぞ京都のTHE庭園といった感じで素晴らしい。


【東海一連の庭】












白露地の庭とは対照的に色々な石や灯篭を配置した小さな庭園です。

これだけ配置しているとゴチャゴチャしがちですが、
それを感じさせないのは流石ですね。

こういうお庭を我が家にも欲しい。(笑)


【一文字形手水鉢】



【書院】








珍しく書院は撮影OKでした。

やっぱこうでなくっちゃ。(^^


【御朱印】


予想通りの書置きでした。


【釜揚げ天麩羅定食】


花園会館の食事処で昼食。

寒い時は釜揚げうどんに限る。(^^


【抹茶菓子】


スタンプが三つ揃いましたので有難くいただきました。

妙覚寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月18日 | 日蓮宗京都十六本山巡り


続いて京の冬の旅初公開の妙覚寺へ移動。

こちらも約5年振りの参拝となりますが、
えらく殺風景な境内だったことを覚えている。

今回は本堂と祖師堂の内陣で参拝出来るので、
非常に楽しみです。

ちなみに普段でも予約すれば拝観可能ですけどね。


<2013年3月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/7a3dd7f379ad53fbf2362d7884af592e


【實成院】


本堂裏手にある無料駐車場に車を停めると、
特徴のある屋根が見えた。

妙覚寺の塔頭である實成院ですが、
入り難い雰囲気でしたので華麗にスルーして、
反対側の山門へ。


所在地:京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建年:永和4年(1378)
開山:日実上人
開基:小野妙覚
札所:日蓮宗京都十六本山巡り


【大門】


この大門は元々聚楽第の裏門で、
天正18年(1590)に建立されたもの。


大門前の桜の木は春になるとピンクの桜が咲くようですが、
この時期は寂しいものです。

しかし、そういう時は脳内で満開の桜を想像してみよう。


【案内板】



【祖師堂】




どう見ても本堂にしか見えない。(^^;

境内は相変わらず殺風景です。
全然変わっていません。(^^;


【庫裏・大玄関】








ここだけは良い雰囲気なんですよねぇ。

こういう雰囲気を境内全体に感じさせて欲しいのだが。


庫裏で拝観受付し、まずは庫裏の横にある本堂へ。


【箱庭】



【大黒天】



【庭園】




見えている建物が本堂です。

早速お参り。

日蓮宗らしい本堂でしたが、
残念ながら撮影不可でした。


【法姿園】








本堂前の庭園です。

去年の秋に初めてライトアップされてましたね。

紅葉が楽しめるので今年は行ってみようかな。(^^


【華芳塔堂】


日蓮上人自筆の経を納めているとされる石造宝塔と、
それを納める為の木造の宝塔が安置されていました。

それが華芳塔と呼ばれるもので、
前回参拝した時にいただいた御朱印には華芳と書かれていました。


【本堂】



【蔵】



【渡り廊下】


近年に造られた廊下で祖師堂と繋がっていました。

祖師堂の内陣に初めて入りましたが、
とても立派なもので感動しました。

やはりお寺はお堂の中に入ってこそだけど、
日蓮宗は特にそう思います。

こちらも残念ながら撮影不可でした。


【殉教碑】



【御首題】


書置きだと思っていたが、
まさかの直筆を見開きでいただきました。

相国寺塔頭 大光明寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月17日 | 京都十三仏霊場
豊光寺の斜め前にあるのが同じく塔頭の大光明寺。

こちらは塔頭では珍しく京都十三仏霊場の札所で、
とても落ち着く庭園があります。

約5年前に参拝したのですが、
その時はとても落ち着いた庭園だったことを覚えている。

京都には綺麗な庭園が多いですが、
落ち着くという観点からすると個人的に一番だと思います。



<2013年2月9日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/958531a120f4c363c18532f0e0fa6288



所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:普賢菩薩
創建:暦応2年(1339)
開基:広義門院西園寺寧子
開山:夢窓疎石
札所:京都十三仏霊場


【縁起】
大光明寺は相国寺が建立される以前、暦応2年(1339)に、
後伏見天皇の皇后広義門院西園寺寧子が天皇の菩提を弔う為、
伏見離宮の傍らに一寺を建立したのが始まりであり、
皇后の法号大光明院を寺号としました。

皇后の孫にあたる伏見宮祖栄仁親王が薨じ、寺内に葬り安置されて以来、
伏見宮家歴代の御位牌をまつる菩提寺となっていました。

その後一時疲弊し、慶長年間に火災にあうも、
元和元年(1615)に徳川家康により相国寺塔頭として再興されました。
 
明治36年(1903)塔頭の心華院と当時天明の大火で焼失していた大光明寺、
及び既に廃絶していた常徳院の3ヶ寺が合併され、
心華院の寺域伽藍を改めて、寺号も大光明寺として再興されます。

足利9代将軍義尚(常徳院殿贈大相国一品悦山道治大居士)の塔所でもあります。


【山門】


相変わらず拝観謝絶感をバリバリに感じますが、
横の小さい通用門から入れます。

知らないと入るのは勇気が要りますね。


【前庭】




臨済宗らしい凛とした雰囲気です。

とても良い。(^^




振り返るとこんな感じ。


【玄関】



【本堂】



【扁額】



【普賢菩薩】




御本尊にお参り。

襖絵も5年前と変わっていません。(^^


【峨眉山の庭】








絶賛貸切り。(^^

ここのお庭は本当に落ち着く。

観光客が多過ぎて全く落ち着かない龍安寺の石庭に行くぐらいなら、
断然こちらの峨眉山の庭に訪れることをお勧めします。(^^


【庫裏】



【御朱印】

相国寺塔頭 豊光寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月16日 | 仏閣
林光院から次は相国寺の方丈の裏手にある豊光寺を参拝します。

豊光寺も相国寺の塔頭で、
こちらの拝観も滅多に無いので貴重ですね。


【法堂】


妙心寺の法堂も見事なものですが、
個人的には相国寺の法堂の方が好みですね。






この参道の雰囲気がとても好きでね。

いつも凛とした気持ちにさせてくれる。




御本尊にお参りを済ませ豊光寺へ。





所在地:京都府京都市上京区今出川通鳥丸東入相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長3年(1598)
開山:西笑承兌和尚


【縁起】
相国寺第九十二世西笑承兌和尚が慶長3年(1598)、
豊臣秀吉逝去の後、追善の為、豊光寺を創立。

師は天正12年(1584)入寺。
慶長12年(1607)12月27日、西笑和尚示寂。
豊光寺は以後、漸次頽廃に及び、天明8年(1788)の大火で焼失し、
廃絶の運命にありました。

獨園承珠和尚がこれを嘆かれ、明治15年(1882)子院冷香軒を合併し、
その客殿を移し同16年(1883)庫裡、玄関等を新築、
更に19年(1886)信徒井上五郎兵衛氏の隠宅の寄付を受け、
これを書院とし若干の基金を備え一カ寺として再建されました。


【案内板】



【定規筋塀】


壁に最高の格式を表わす5本の定規筋がありました。


【山門】



【前庭】





【蹲居】



【勅使門】



【玄関】



【御本尊】


内陣は撮影不可でしたので、
画像は案内板を撮影したもの。

中央の御本尊をはさみ、右が西笑承兌和尚像、
左が太獄周崇和尚が祀られていました。


【方丈庭園】






庭園は撮影OKでした。(^^


【退耕塔】



【書院庭園】





【御朱印】


書置きでした。

しかし、経験上ですが塔頭寺院の書置き率は高いね。(^^;

相国寺塔頭 林光院(2018年1月20日参拝)

2018年02月15日 | 仏閣


常林寺から相国寺に移動し、
滅多に拝観出来ない塔頭の林光院に到着。

車は相国寺境内の無料駐車場で大丈夫です。

ただし、参拝客がいるので運転はゆっくりと安全運転で。


所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:地蔵菩薩
創建:応永25年(1418)頃
開基:足利義満将軍
開山:夢窓国師



【縁起】
足利三代将軍義満の第二子、四代将軍義持の弟義嗣(林光院殿亜相考山大居士)が、
応永25年(1418)早世され、その菩提を弔う為、
夢窓国師を勧請開山として京都二条西ノ京、紀貫之の屋敷の旧地に開創。

応仁の乱後、等持寺の側に移りその後も移転すること数度、
輪番住職の為にその事跡を明らではない。

元亀年間の頃、雲叔周悦和尚輪番住職の時、
豊臣秀吉の命により明・韓通行使となって功あり。

秀吉はこれに報いる為に林光院を独住地とし、相国寺山内に移築。

これにより雲叔和尚を中興の祖となる。

明治7年(1874)疲弊荒廃し廃院となるも、
大正8年(1919)時の相国寺派管長・橋本獨山により再興。

現在の建物は滋賀県蒲生郡日野町西大路村に江戸時代、
仁正寺藩市橋家があり、その藩邸を買い取り移築されたものです。


【土塀】



【案内板】



【山門】



【大玄関・前庭】


ここから一切の撮影禁止。

仏様はともかく庭ぐらい良いと思うんだけど。

理由が凡人には分かりません。(^^;


【内部】



【御朱印】


書置きが四体ありましたが、
私は二体をいただきました。


書院で見た龍の襖絵が一番良かったかな。

後は余り記憶に残るものなし。

もう二度と参拝することは無いだろう。(^^;

常林寺(2018年1月20日参拝)

2018年02月14日 | 仏閣


京の冬の旅非公開文化財特別公開の時期がやって参りました。

個人的に目玉となるのは相国寺の塔頭豊光寺と同じく林光院、
そして勝海舟が常宿にしたという常林寺ですね。

まずは常林寺に到着するも、
山門前に檀信徒用の停め難い駐車場が2台分あるだけ。

仕方なく近くの有料駐車場に停めました。
結果的に200円で済みましたけど。


所在地:京都府京都市左京区田中下柳町33
宗派:浄土宗
御本尊:来迎阿弥陀三尊
創建:天正元年(1573)
開基:魯道上人


【山門】


いかにも檀家寺といった風情です。

失礼ながら勝海舟や坂本龍馬が逗留したとは、
全く思えないお寺です。(^^;

それもそのはず、創建当時は別の場所にあったが焼失し、
昭和44年(1969)に現在地に移ってきたからです。


【案内板】



【境内】


萩の花が咲く頃、この境内が華やかになるそうです。


【地蔵堂】


世継子育地蔵尊が祀られ、
ボランティアガイドさんの説明もありました。


【前庭】



【本堂】


普段からも本堂は閉まっているようです。

早速拝観料を支払い堂内へ。


【堂内】


写真の左下の部屋が勝海舟が泊まった部屋とか。

机は便宜上あるだけで、当時のモノでは無いそうで、
残念ながら部屋の中には入れませんでした。


【御本尊】


堂内は撮影禁止でしたので、
案内板を撮影したものです。


【庭園】



【御朱印】


書置きを二種類いただきました。

オリジナル御朱印帳を買えば直接書いていただけるようです。