桑名城 ① 水陸の要衝に築かれた大城郭

2013-07-28 23:38:23 | まち歩き
桑名城  くわなじょう (三重県桑名市)


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桑名城は、揖斐川の河口に築かれた近世城郭です。

桑名の地は、伊勢と尾張を海路で結び、さらに木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)の水運で美濃につながる交通の要衝で、中世から港町として発展していました。

中世の桑名には、周辺に3ヵ所の城郭が構えられていたようですが、これらは小規模な砦だと考えられます。
そのうちの一つ「東城」が、織田信長の伊勢平定後、天正4年(1576)に改修され、ここに桑名城の歴史が始まります。
この時、伊勢神戸城より天守も移築されました。

慶長6年(1601)1月、徳川家康は本多忠勝を上総大多喜より桑名へ移封します。
そして忠勝は、桑名城の大改修と、城下の町割りの再編成に着手します。
天守は新たに四層六階のものが新築され、もとの天守は本丸を護る櫓の一つとなり、「神戸櫓」と呼ばれます。
城普請は、その後城主となった久松氏の時代にも継続され、寛永12年(1635)に完成しました。


B2

天守は元禄14年(1701)の桑名大火で焼失し、その後は再建されませんでした。
それでも櫓51(三重櫓3、二重櫓24、平櫓24)、多聞12、門46、水門3、井戸14、武具蔵9という規模を誇る名城でした。






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東海道のランドマークだった桑名城


B1

歌川広重の「東海道五拾三次」(保永堂版)に描かれた桑名城です。
桑名城は知らないけど、この絵には見覚えがあるという方は、案外と多いかも知れません。

東海道の宮宿(名古屋市熱田区)と桑名宿の間は、「七里の渡し」と呼ばれる海路でした。
広重の絵は、「七里の渡し」の桑名側の船着場から見た景観を描いています。





B4

この写真は、明治時代の中頃の桑名城です。
広重の絵と同じく、「七里の渡し」の船着場から撮影されています。
平櫓(平屋建ての櫓)に取り付けられた、切妻屋根の出窓が象徴的です。
こうして見ると、広重が描く桑名城は、こうした特徴がよく表現されているのが分かります。

広重の「東海道五拾三次」には、他にも小田原城・浜松城・吉田城・岡崎城など城郭が描かれた例はあります。
しかし、単に城下町のイメージとして、実態をあまり意識しないで描いている場合が多いようです。
それに対し、桑名城の平櫓が細かい特徴までよく表現されているのは、なぜでしょうか。
それは、この櫓が「七里の渡し」の船着場に接し、東海道を旅する人々が必ず目にするランドマークのような存在だったためでしょう。