
ピリタ海岸から眺めたエストニアの首都タリンの街並み
西側世界との窓口だったエストニア
旧ソ連に組込まれた地理的要因
エストニアは東(旧ソ連側)に陸で接し、西とはバルト海で隔てられたことが、旧ソ連に組込まれた地理的な要因でした。バルト海に臨むピリタ海岸は西側がボイコットしたモスクワ五輪(1980年)のヨット会場となり、選手村(アパート)が今も残っています。
バルトと西欧を繋ぐ街
ヘルシンキ~タリン間は80km、高速艇で1時間40分、プロペラ機で30分の近さです。EU加盟後は出入国手続きが不要となり、タリンにはヘルシンキ経由の観光客が押し寄せています。言わばバルト三国と欧州を繋ぐ窓口であり西欧化の進んだ国です。
新旧 調和のとれた街
国の人口130万人(京都市とほぼ同じ)、うち首都タリンは40万人、言わば中小都市ですが、旧い街並みとオシャレが調和し活気にあふれます。世界遺産の旧市街は半日でまわれる広さで、ホテルもショッピングセンターも旧市街周辺に集中しています。
明けるのも早い白夜の街歩き…
いささか疲れ
街じゅうに菩提樹が茂りライラックが香ります。エストニアに入って降り続いていた小雨もタリンに入ると止み、真っ青な空から心地よい陽ざしが降り注ぎました。夕食のメインはローストビーフ、白夜で明るい街に飛び出す!ところですが、疲れました

早朝の街歩き
白夜は夜明けも早く、午前4時には明るくなります。朝食はどこも7時に開きますが、土日は1時間遅れ。間がもたず街を散歩しました。ちょうど「旧市街祭り」の初日、中心街のラエコヤ広場や聖ニコラス教会の広場で祭りの準備が始まっていました。
露天商の多くはロシア人…やや無愛想でも話せばフレンドリー

バルト三国では最もロシア人の多い国
ロシア人はエストニアの人口の約25%、「スパシーバ」と声をかければすぐうち解けます。ちなみに大相撲の把瑠都関はエストニア人、奥さんはロシア人で、夫婦の会話はロシア語の由。値切りには応じてくれますが、けして甘くはありません(笑)
武器なき闘い「人間の鎖」から 歌う革命「歌の原」へ
「歌の原」はタリン市街から遠く…
5年ごとに夏に開かれるタリンの「歌の原」には、2万人がステージに立ち、世界中から15万人の観光客が訪れます。タリン市街からかなり遠くにあり、また残念ながらその開催年ではありませんでしたが、ぜひその地へ行きたいと思っていました。
“人間の鎖” の終点!に立つ
ツァー日程にはなかったのに、現地人ガイドのメチャ快活なおばさん?の計らいでバスを手配して貰いみんなで行きました。「歌の原」に立ち、ヴィリニュスから始まった“人間の鎖”が三国を横断しタリンで歓喜の爆発(独立)をみたことを実感しました。
「歌の原」全景…多数の観光客の中 一瞬!をつき独り!(と思ったら…左方にもう一人!)

ゆったりと…
念願の「歌の原」からタリン市街に戻り、ぶらぶらと街歩きしながら食事、観光、買物などしました。石畳の旧市街は結構!歩きにくく疲れますけど、半日でまわれる程度の広さですから気持ちはゆったり…。お天気も最高!なのは日頃の精進のお蔭なり。
太っちょマルガレータ…港に程近い旧砲台跡。右奥は城塞のスール・ランナ門

タリン旧市街祭りで見かけたにこやかなお嬢さん、民族衣装がよくお似合いです

トームペアの丘の大統領府(左端)とアレクサンドル・ネフスキー聖堂(右)

バルト最後の夜
バルト三国の旅の最後の夜、ラエコヤ広場の「旧市街祭りコンサート」に出かけました。
エストニア交響楽団※、舞踊団、少年合唱団による多彩なステージが夜を徹して行われますが、白夜も漸く暗くなり始めた午後10時、ホテルに帰りました。
※指揮者のパーヴォ・ヤルヴィさんはタリンの生まれ育ち。エストニア交響楽団にも親しまれたことでしょう。
週末の夜の喧騒
疲れ果ててグッスリ眠る夜…のはずでした。が、ホテル隣の酒場では延々と音楽が、否、轟音騒音どんちゃん騒ぎが明け方までつづき、少~しまどろんだ程度。それでも翌朝はお昼の出発まで街を歩き、タリンをバルトの国々を目に焼きつけました。

旅のエピローグにかえて
「何しに行くの?」と問われたバルト三国の旅、お読みくださった方には幾らかなりご理解、共感いただけたことと期待いたします。
世界では未だ血で血を洗う諍い、紛争が絶えません。バルト三国のこの20年は、世界の諍いの常識とは異なる穏やかな歴史を刻みました。その歴史の一端に触れた嬉しい旅でした。もう一度!訪ね「歌の原」の大合唱を聴きたいのですが、叶いますか…。
お訪ね&お読みくださり心からお礼申し上げます。
タリンからヘルシンキに向かう なかなか可愛い?プロペラ機

<バルト三国旅行記「リトアニア」篇>
http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/46cd6880876611cff9d51bdb6e6e2262
<バルト三国旅行記「ラトビア」篇>
http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/872dfc942f4a33145ddd074059b28d63
【補遺】… 2022.11.5 記
「リトアニア篇」の "補遺" でも触れたように 毎年行く筈だった海外旅行。
しかしバルト三国のエストニアが海外最後の国となりました。
"最後の…" が "最期の…" にならなければ まだ "最後の望み" はありますが…。
いやはや、うっとりと読ませていただきました。
把瑠都が優勝した時、エストニアってなんだかボンヤリ覚えていますね。
今彼は、国会議員なんですか?
>2万人がステージに立ち、世界中から15万人の観光客が訪れます。
凄すぎです!
>“人間の鎖”が三国を横断しタリンで歓喜の爆発(独立)をみたことを実感しました。
そんなことって実際に存在するんですね。
よく疲れとスローガンだけでむなしく終わる“人間の鎖”はテレビニュースで観ますが。
>太っちょマルガレータ・・・港に程近い旧砲台跡。
このような造形は珍しい気がします。
にこやかなお嬢さん、可愛いです。
日本ってどこですか?と尋ねられませんでしたか?(笑)
白夜って調子が狂いません?
地球は大きいんですね。
>それでも翌朝はお昼の出発まで街を歩き、タリンをバルトの国々を目に焼きつけました。
なんだか、テレビで流行りのタイムスリップした世界な気分です。
有難うございました。
お訪ね&コメントをいただきありがとうございます
私が訪ねる数年前のエストニアの人々にとって日本人は「見たこともない」。
日本人だとわかるとモノ珍し気に人が寄ってきた...そうです。
私が行った頃も、日本人の観光客は自分達以外一度も目にしませんでした。
そんな国からはるばるやってきた把瑠都関、
昨年、国会議員になったんですねぇ
2万人がステージに立ち、世界中から15万人の観光客が訪れる「歌の原」。
開催は5年に1度… You tube でご紹介したのは私が訪れた翌年!の祭典です。
その前年、私はこの舞台に一人で立ちました(笑)
“人間の鎖” は東欧民主化を象徴する「歌による革命」。
隣国リトアニアにはKGB博物館があるほど反ロシアの雰囲気がある一方、
エストニアは 国民の1/3がロシア系。
人種、言語、宗教の相異 ... バルト三国それぞれ少しずつ雰囲気が異なります。
ちなみに 把瑠都関は生粋のエストニア人ですが、奥様はロシア人です。
太っちょマルガレータ。
独特の博物館ですが、実は中は見学していません
お祭りの日だったのでアチコチまわることばかり考え
「見ておけば良かった」は まさに "後の祭" でした(笑)
お祭りで愛嬌をふりまいていたお嬢さん、ホント!可愛いかったです。
日本に連れて帰り 娘にしたかったです
白夜は初めての経験でした。
夜10時をまわっても明るいので面くらいます。
でもホテルのお隣で一晩中どんちゃん騒ぎされたのにはほとほとまいりました
窓を開け 「ヤイトすえるぞ」って怒鳴ったものの カエルの顔に
バルト三国はいずれも首都が「新市街」「旧市街」に分かれています。
タリンの旧市街はそう大きな街ではないので
中世の趣を色濃く残す街をすべて歩いてまわれます。
まさに「タイムスリップした世界」を歩く気分です。
なお旅行社の方から「美人が多いのも物価が高いのもタリン」と聞いていました。
物価が高い!は その通り!
が、美人はヴィリニュス(リトアニア)がダントツ!でした。
えっ? なんの話だか…と?
わ、私としたことが し、失礼しました
ではでは…
コメントありがとうございました