ゴミステーションの自主的な清掃や排雪を止めたのには、心の無い次の会話があったからなのだ。「・・・どうせ、○△さんか◇○さんがやってくれる」と。
お向かいの老婦人と一緒に、分別収集日を間違って?(と、思いたい)出されたため、収集車に収集されずに放置されたままとなったゴミを、自宅に持ち帰って、次の収集日まで保管したり、きちっと口を縛らないためにこぼれて散乱したゴミを拾ったり、歩道にこぼれた汁などを水洗いするなどしていたのだった。
この他にも、収集外の大型ゴミが数日間放置されていると、持ち帰って保管し、清掃事務所に連絡するなどもしていた。
町内の美化に・・・などと、そんな健気な志は無い。ただ「ゴミは、土に帰るまでは、出した者の責任」として、育てられたからなのだ。
当番制を発議したのは、「どうせ誰かがやってくれる」とする、安易な甘えにカチンと来ただけだった
今では、流石に昼下がりのゴミ出しは殆ど無くなったが、見慣れぬ輩のコソコソとした、大量ゴミ出しは、未だある。
利用しているゴミステーションは、ミニ児童公園の一角にある。ここ数年在宅作業をしているので、自宅の作業場の窓から丸見えなのであり、否応無しに見えてしまうのが、ストレスの溜まる原因ではあるが、ニューヨークのガラス窓の法則のように、何とかなる方策は無いものか?
カチッと排雪しても、元の木阿弥だし、、、、利用者の半数強の自覚不足なのだが、、、、
ゴミの有料化が間もなく始まるのだが、個別収集とはならない。反対する理由の各論は、取るに足りない。減量や省資源、そして住み良い環境が目的ならば、その目的に最も適う方法を採れば良い。それだけなのだ。
「路地裏の住民はどうする?」・・「自分で考えて、表通りの人と仲良くしろよ!」
今週の当番は、倒れて入院している独居の老婦人なのだが、昨日・今日と降雪が無い。信心の賜物であろう。よしんば降っても、この老婦人に限ってだが、ご近所の見守り隊?もいるのだ。私にとっては、超ミニ菜園のお師匠でもある、素敵なご婦人なのだ。
お向かいの老婦人と一緒に、分別収集日を間違って?(と、思いたい)出されたため、収集車に収集されずに放置されたままとなったゴミを、自宅に持ち帰って、次の収集日まで保管したり、きちっと口を縛らないためにこぼれて散乱したゴミを拾ったり、歩道にこぼれた汁などを水洗いするなどしていたのだった。
この他にも、収集外の大型ゴミが数日間放置されていると、持ち帰って保管し、清掃事務所に連絡するなどもしていた。
町内の美化に・・・などと、そんな健気な志は無い。ただ「ゴミは、土に帰るまでは、出した者の責任」として、育てられたからなのだ。
当番制を発議したのは、「どうせ誰かがやってくれる」とする、安易な甘えにカチンと来ただけだった
今では、流石に昼下がりのゴミ出しは殆ど無くなったが、見慣れぬ輩のコソコソとした、大量ゴミ出しは、未だある。
利用しているゴミステーションは、ミニ児童公園の一角にある。ここ数年在宅作業をしているので、自宅の作業場の窓から丸見えなのであり、否応無しに見えてしまうのが、ストレスの溜まる原因ではあるが、ニューヨークのガラス窓の法則のように、何とかなる方策は無いものか?
カチッと排雪しても、元の木阿弥だし、、、、利用者の半数強の自覚不足なのだが、、、、
ゴミの有料化が間もなく始まるのだが、個別収集とはならない。反対する理由の各論は、取るに足りない。減量や省資源、そして住み良い環境が目的ならば、その目的に最も適う方法を採れば良い。それだけなのだ。
「路地裏の住民はどうする?」・・「自分で考えて、表通りの人と仲良くしろよ!」
今週の当番は、倒れて入院している独居の老婦人なのだが、昨日・今日と降雪が無い。信心の賜物であろう。よしんば降っても、この老婦人に限ってだが、ご近所の見守り隊?もいるのだ。私にとっては、超ミニ菜園のお師匠でもある、素敵なご婦人なのだ。