枚方市総合文化芸術センター大ホールで開催されました玉ちゃん
の「お話と素踊り」に行ってまいりました。わが地元でございます。最寄り駅は京阪電車の枚方市駅です。こちら、ほぼ毎日通っていますが、通勤とかお出かけの通過駅で、この駅を目指して出かける時はスーパーでの買い物ぐらいです。今日は玉ちゃん
の公演なので、まさかスーパーへ行くような恰好では行けず、ちゃんとワンピースを着て、ネックレスをじゃらじゃらつけて、パンプスを履きました。何だか不思議な感覚でした。
こちらのホールはコロナ禍真っ只中の2021年9月にオープンしました。大変な状況の中それなりにいろいろと公演がありましたが、いまいち食指が動かず、今日の玉ちゃん
の公演がワタシのデビューとなりました。
幕が上がると舞台中央に玉ちゃん
がいらっしゃいました。本日のいで立ちは薄いグレーのスーツ、シャツは白、ネクタイは濃いチャコールグレーのシャドウチェック柄でした。足元は見えませんでした。舞台には小さなテーブルが置かれ、金色の糸で刺繍が施された青色のテーブルクロスがかかり(ちょっと和柄?龍村の帯の柄っぽかった)、真ん中にピンク系のお花の盛花が飾られていました。
この「お話と素踊り」は今回で19回目だそうです。コロナ禍に墨田区のホールで始められました。素踊りは六世藤間勘十郎さんがなさっていたそうで、生涯素踊りで通されたそうです。勘十郎さんは六代目菊五郎さんの影響を受けて歌舞伎舞踊の振り付けを担当されるようになりました。玉ちゃん
はこの勘十郎さんと養母の藤間勘紫恵さんから日本舞踊を習われました。勘十郎さんは紋付と袴だけで「おろち」とか「海士」とか「卒塔婆小町」とか踊られたいたそうで、それはそれは素晴らしいと玉ちゃん
はずっと思われていたそうです。ただ、自分が2年前に始めた時は、お化粧せず、衣装も着けずに踊るってちょっと恥ずかしかったとはにかんだ感じでおっしゃって、“かわゆし
”でした。
地唄舞「雪」は上方の芸妓ソセキさんが作詩し、それに曲がつけられました。これを一躍有名にしたのは武原はんさんで、はんさんご自身は南地大和屋の芸妓さんで、50歳を超えてから日本舞踊家に転身、お座敷舞だった上方舞を舞台の舞にされました。歌舞伎座で年に一度「武原はんの会」が開催されていたそうですが、全てSold outで、玉ちゃん
も伝手を頼りに切符を取ってもらってご覧になりました。
はんさんは麻布に「はん居」という能舞台がある料亭を開店し、そこで玉ちゃん
はちゃんとお化粧と衣装をつけて踊られたことがあるそうです。舞台の出の前、はんさんがそっと背中に手を添えて送ってくださったそうで、とても有難かったとおっしゃって、今は自分が手を添える立場になったと。
枚方には初めて来られたそうです。本当にこれと言って何もないところですが、案外歌舞伎の舞台で登場するんです。「双蝶々曲輪日記」の通しを見た時に枚方の地名がいっぱい出てきた記憶があるのですが。それには触れてほしかったなぁとちょっと思いました。
大阪には10歳の時に守田勘弥さんについて新歌舞伎座で一ヶ月お芝居に出られたのが最初だったそうです。玉ちゃん
ご自身は大塚の料亭でお生まれになって、江戸弁、べらんめえ調(玉ちゃん
もそういうしゃべり方できるそうです)の世界から大阪弁の世界にやってきて、カルチャーショックが大きすぎて体調を崩され、気晴らしに大阪城に行ったら、中身は鉄筋コンクリート造りでがっかりした思い出があるそうです。成人して、ようやく慣れてきたと。ただ、24歳の時に勘弥さんが亡くなられ、歌舞伎公演で大阪に来ることもなくなったけれど、1990年以降、キョードー大阪から「フェスティバルホールで舞踊会をされませんか?」とお誘いを受けて、大阪に通われるようになりました。
松竹座の建て替えのことにも触れられ、ここからしばらくは松竹座のお正月公演の宣伝タイムとなりました。お年玉公演、小朝さんとの公演、コンサートと盛りだくさんなので。お年玉公演はまだ発売になっていませんが、小朝さんのはよく売れているそうです。コンサートはちょっとまだ空席があるようで「ぜひ!」とおっしゃっていました。
ここでトークはいったん終了し、映像を3本見せてくださいました。一つ目は「道成寺のお化粧、鬘、着付け~それを取るところ~鷺娘の鬘、着付け」を3分間で見せる超早回しで。玉朗さんも写っていました。二つ目はダイビングのビデオ、2007年のロタ島でのスキューバダイビングの映像です。50歳を過ぎてから、「関節を緩めるための運動」として、ダイビングをお始めになったそうです。最後はお歌の映像、「セントインザ?(ちゃんと聞き取れず)」「人生は歌だけ」「冷たい部屋の世界地図」の三曲が流れました。歌ってるところだけでなく、パリの景色やダイビングの映像も入り、本格的なミュージックビデオでした。
お話の最後に再び枚方のことを触れられ、ホールの近くに淀川が流れているので「多摩川みたい」っておっしゃっていましたが、ちょっと無理くり感ありました。リップサービスで何か言わなければと思われたんでしょうけど、ほんと、何の変哲もない地方都市なので、難しいでしょうね。おそらく昨日の八尾もお大変だったのではないかと思います。
続いて質問コーナーです。毎日放送の山川さんが登場されました。関西地区の「お話と素踊りの会」の専属司会者のようです。
Q:大阪の好きなところは?
A:人間が熱い。人と人との間が近い。そうそう、大阪ではお好み焼きもたこ焼きもはり重もいらっしゃるそうです。
Q:一日の中で一番充実している、アイディアが浮かぶ時間はいつですか?
A:お風呂に入ってシャワーを浴びている時かなぁ。そういう時によくいろいろなことが閃くそうです。海に潜っている時、水が身体を滑る時に、自分は動物だなぁと思うっておっしゃっていました。そういえば、ワタシもお風呂に入っている時に「あ、あれ」って思い出すことが多いです。
Q:「大劇場にはもう出ない」っておっしゃいましたが?
A:引退宣言をしたわけではありません(←ここはキッパリ)。なぜか誤解されて、こういうお仕事(トークとか歌とか?)が増えて、玉ちゃん
ご自身はちょっと「ラッキー」って思われている節あり。年齢的、体力的に「道成寺」や「桜姫」はもう無理です、と。ここで、山川さんが「先月は名古屋で『四谷怪談』をされてではないですか」と振ると、「できるものは演る、大きな役は出来ない、演れない」とちょっと強い口調で山川さんにおっしゃると、山川さんがちょっと委縮してしまい、玉ちゃん
が「もう、冗談よう~」っていたずらっぽくおっしゃる場面あり。
Q:芸能人って良い香りがしますが、どういう香りをおつけになってますか?
A:香水は歌舞伎にはそぐわないのでつけない。お若い時は着けてらしたこともあったようです。初代水谷八重子さんは、ジャン・パトゥのジョイを愛用されていたそうですが、舞台に出る時は、鏡台の前のガラスに一滴垂らして、それをガーゼでふき取り、指先にちょこっとつけられていたそうです。指を目の前まで持ってこられたら香りがかすかに感じられる、そういうつけ方をされていたそうです。
Q:美容についてどんな心掛けをされていますか?
↑こういう質問はNGと思っていたら、質問者が37歳男性で、最近美容?身だしなみ?に目覚めてお聞きになったようで、それで取り上げられたのかなぁと勝手に思ってました。
A:何もしてません。「お化粧をして、コールドクリームでふき取って、石鹸で洗って、乳液をつける」という毎日の繰り返しがパックをしているようでいいかもと言われたことがあるそうです。目の下の涙袋の脂肪は以前取ったことがあるそうです。←これって美容整形の類ですよね?そんなこと言っていいんですか?ってちょっと思ってしまいました。
あと、食事、睡眠、規則正しい生活は大切です、と。体重は60キロ~61キロをずっと維持されているそうです。1キロ2キロなら、すぐに調整できるけど、3キロは無理。パリのクレージーホースではサイズが変わると契約破棄されるそうで、自分たちは体重、体型を維持することも仕事ですから。←耳が痛い…。
Q:NHK大河「麒麟が来る」にご出演になって、男性のお役で苦労されたところは?
A:舞台の人間はオーバーアクティングになるので、出来るだけ「何もしない」ことを心がけたけれど、やっぱり過剰に演技していた。撮り直したかったとおっしゃっていました。
映画「ナスターシャ」で永島敏行さんと共演した時に、撮影中は何を言ってるかわからないくらいだったのに、出来上がった映像を見ると素晴らしくて、「映像の人には叶わない」と思われたことがあるそうです。
Q:人生で一番うれしかったこと、苦しかったことは?
A:人生、バラ色の時もあるし、鉛色の時もある。一番っていうのは言えない。ただ、自分は70年代後半から80年代にかけて、素晴らしい演劇を見られたのは幸せだと思う。
Q:お能をなさってる方から、どうしたら玉さまのようにしなやかに動けますか?
A:肺が固くなって、肋骨が固くなって、息をジッと止めているのではないですか。呼吸が大事。肺でいっぱい息を吸って肺を十分に広げる。酸素が十分に行き渡ると細胞が活性化する。深呼吸は美容にも良い。歌を歌う基本もそこで、それを習った。
Q:商業ライターですが、自分でも表現したいと思うようになった。自分を表現するためにどういうことをされていますか?
A:日本は、脚本家、演出家を蔑ろにしてきた国。経済的にやっていけない。それではダメ。ぜひ、脚本を書いて、賞に応募してください。
Q:仁左衛門さんとの裏話、エピソードは?
A:玉ちゃん
が16歳、孝夫さん
が22歳の時からコンビを組んできて、裏話みたいなのはない。若い頃はよくケンカしたけど、仲直りも早かった。それでずっと来たから打ち合わせなしですぐにお芝居に入れる。国立劇場で玉ちゃん
が28歳、孝夫さん
が34歳の時に「盟三五大切」をやった時は、一から作ったので、いろいろあーでもないこーでもないとあったようですが、この後の「桜姫」は全くそういのがなく、スッとできたそうです。
ここで山川さん、「御園座の『神田祭』もですか?」ってお聞きになって、玉ちゃん
は何もしてないとお答えになってました。「あの、何とも言えない雰囲気なのに…?」とボソッとおっしゃると、御園座の千穐楽は「ほんなら」と握手しただけ、「次はいつかなぁ?」と二人で言い合って別れられたそうです。←次、いつなんでしょうか?玉ちゃん
は来年は歌舞伎座は秋ごろっておっしゃっていたので、その時までないのでしょうか。ここ、非常に重要なのでハッキリさせていいただきたい!です。
Q:いつも穏やですが大笑いされることはありますか?
A:いつも冗談ばかり言ってるおかしな人間ですよ。お家ではモノマネをされているそうです。ただし、杉村先生とか水谷先生とかだそうです。お手伝いさんに「アレ、やって」とリクエストされることもあるとか。お手伝いさん、ウラヤマシすぎです。
質問コーナーは以上でした。玉ちゃん
最後に「直接お目にかかるこういうイベントは続けていきたい」とおっしゃっていました。「お話と素踊りの会」、結構先まで予定が出ていますものね。
休憩ではないのですが、舞台転換に10分ほど待ちました。その間に、八千代座の写真集のPRがありました。
素踊りは「雪」です。今回は演奏はテープでした。富山清翁さんだそうです。最初のお話の時に「雪」の歌詞には「いっそ、せき上げて」というところがあって、こっそり自分の名前の「ソセキ」が入ってるとお聞きしたので、とりあえず「そこは聞かねば」と必死で聞いていたら、何とか聞こえて、ホッとしたら途端に意識を失っておりました
。
カーテンコールは1回、舞台中央に正座して中央、左右、上方と何度も頭を下げられていました。
ホールの外観です。雲一つない青空、玉ちゃん
日和でした。
ホール内ロビー
大ホール
3階まであります。今回は「わたくし、コンサートもやります」とはおっしゃいませんでした。昨年の東大阪の時はおっしゃっていたので。