福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

人すなわち天なり

2009年03月25日 |  〇文化・歴史

「ヲタク」が韓国語を学びながらかじった朝鮮の思想の中で、
最も深い感銘を受けた思想が、東学の「인내천(人乃天)」思想だ。

この「人乃天」を日本語風に読み下せば、「人乃(すなわ)ち天なり」
くらいになるだろう。

実際の東学には迷信めいた非合理な教えも多々あり、多くの
歴史的な限界を抱えていたようだが、この「人すなわち天なり」の
教えに限っては、東洋的な人間尊重、人間平等の精神が漢字
三文字に結晶した思想のように感じられ、「ヲタク」は好きだ。

また、人間であることがますます「窮屈」になりつつある現代日本
社会においても、もっと脚光を浴びていい隣国の思想だと「ヲタク」は
考えている。

いずれにしろ、その東学の流れを汲む天道教が、この4月で教団創設
150周年を迎えるのだそうだ。

関連報道を翻訳練習してみた。

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■“人乃天, 갈등시대 대안 사상으로…”
「人乃(すなわ)ち天なり」、葛藤の時代を乗り越える思想に...
(文化日報 3月24日)

대표적 민족종교인 천도교가 4월5일 창도(創道)
150주년을 맞는다.
韓国の代表的民族宗教である天道教が、4月5日、「創道」
(教団創設)150周年を迎える。

‘사람이 곧 한울’이라는 ‘인내천(人乃天)’ 사상을
내세운 천도교는 제1세 교조인 수운 최제우(1824~1864)가
1860년 4월5일 ‘한울님으로부터 무극대도(無極大道)를
받은 날’을 창도일로 정하고 ‘천일(天日)’이라고 해서
최대의 경축일로 삼아왔다. 천도교 중앙본부는 올해
150주년을 맞아 ‘천일’을 전후해 다양한 기념행사를
진행한다.
「人乃(すなわ)ち天なり」の思想を掲げた天道教(東学)は、
教組である崔済愚(号:水雲、1824~1864)が、「天主から
無極大道を授かった日」(1860年4月5日)を教団創設の日と
決め、それを「天日」と呼び、教団最大の祝祭日としてきた。
天道教中央本部は、今年、教団創設150周年を迎え、「天日」を
挟んで様々な記念行事を開催する。

4일 오후 2시에는 천도교 2세 교조인 최시형(1827~
1898) 동상이 있는 경북 경주 황성공원에 5000여명의
교인이 모여 참배식을 열고 경주시내를 돌며 ‘동학군
(軍) 마임놀이’ 등 퍼포먼스 행진을 벌이고, 경주
노동고분공원에서 경축 전야제와 불꽃놀이 등의
행사를 연다. 이어 5일 오전 11시에는 수운이 득도한
경주 구미산 용담정(龍潭亭) 성지에서 천일기념식을
봉행한 다음 그림 그리기 대회, 동학군 무예무 등 축하
행사를 벌인다.
信者らは、4月4日午後2時から天道教第2代教主である崔時亨
(1827~1898)の銅像がある慶州の隍城公園で、5000人
規模の参拝式を持ち、その後、慶州市内でのパレードや「東学軍
マイム舞踊」などの路上パフォーマンス、古墳公園での祝賀前夜祭、
花火大会などの行事を予定している。翌5日午前11時からは
崔済愚が東学の思想を開いた慶州亀尾山の聖地「龍潭亭」で、
「天日」記念式典を行った後、スケッチ大会、東学軍武芸舞踊など
祝賀行事が開かれる。

현재 천도교를 이끌고 있는 김동환 교령은 23일 “동학
천도교는 인내천 사상과 사인여천(事人如天)의 윤리로
병들고 낡은 세상을 새롭고 평화로운 세상으로
개벽하자는 사명감에서 갑오동학혁명, 3·1 독립운동
등을 이끌었다”며 “천도교는 어느 한 종단만의 것이
아니라 민족과 운명을 같이하고 있으며, 앞으로 인류
사회를 구제할 방향을 제시할 것”이라고 말했다. 김
교령은 또 “창도 150돌을 맞아 이념적 갈등을 넘어설
대안적 사상으로 천도교가 다시 떠오를 수 있도록
노력하겠다”고 말했다.
天道教の現教主であるキム・ドンファン教領は23日、「東学の
流れを汲む天道教は、『人乃(すなわ)ち天』の教えと『天の如く
人に事(つか)える』という倫理で、病んだ世の中を変革し新しい
平和な世の中を作ろうとの使命感に立ち、甲午農民戦争や3・1
運動を主導した。天道教の教えはある特定の教団の占有物では
なく、民族と運命を共にするものであり、今後の人類社会を
救済する方向性をも指し示している」と語った。キム教領は、
その上で、「創道150周年を迎え、天道教の教えが現代社会の
理念的な葛藤状況を乗り越える新しいオルタナティブな思想として、
再びかつての勢いを取り戻せるよう努力したい」と抱負を述べた。

양반도 천민도 없으며 모두 한울님을 모시고 있으므로
세상의 모든 사람은 근원적으로 모두 평등하다는
시천주(侍天主)의 가르침은 당시 질곡의 삶을 살며 새
세상을 꿈꾸던 민중들로부터 적극적인 호응을 받았다.
수운의 사상은 동학 민중항쟁과 3·1 만세운동, 독립운동,
어린이운동, 여성운동으로 이어지는 근대사의 여명을
열었고 천도교를 빼고는 한국 근대사를 말하기 어렵다.
人間には、本来、ヤンバン(貴族)も賎民もなく、共に天主に
仕える平等な存在であると説く「侍天主」の教えは、当時、
身分社会の桎梏に苦しみ新しい世の中の到来を待ち望んで
いた民衆から広い支持を集めた。東学の思想は、甲午農民
戦争や3・1運動、独立運動、さらには児童教育、女性運動
にもつながる韓国(朝鮮)近代史の黎明を開いた。天道教を
抜きにして韓国(朝鮮)の近代史を語ることはできない。

천도교는 수운에 이어 해월 최시형, 의암 손병희
(1861~1922)로 이어지며 교세를 크게 떨쳤다. 3·1 만세
운동 때는 2000만 인구 중 천도교인이 300만명으로
국내에서 가장 신도가 많은 종교로 알려져 있었다.
하지만 봉건 왕조와 일본 제국주의에 정면으로 저항
하던 천도교는 초창기부터 무자비한 탄압을 받지
않을 수 없었다.
天道教は、教組の崔済愚に続き、崔時亨、孫秉熙(1861~
1922)が代を引き継ぎ、教団を大きく発展させた。3・1運動の
頃には、全国2000万の人口に天道教信者が300万人を数え、
当時、最も信者の多い宗教へと発展した。しかし、封建王朝や
日本の帝国主義に正面から抵抗した天道教は創成期から
激しい弾圧を受け続けた。

-以下、紙面の都合で韓国語原文の引用を省略-

教組の崔済愚が、布教開始から3年後の1864年、「世の中を
乱す」との理由で大邱で処刑され、崔済愚から代を引き継ぎ、
甲午農民戦争を主導した崔時亨も、1898年、原州で捕まり
ソウルで教祖と同じ運命をたどった。東学を天道教と改称し、
民族代表33人のうちの1人として3・1運動を主導した孫秉熙も、
官憲に捕らえられ西大門刑務所に服役し、出所後、後遺症が
もとでこの世を去った。

天道教の3代目までの教主は、みな、殉教しているのだ。甲午
農民戦争で殺害された信者の数は30万人にも上ると言われ、
3・1運動で命を落とした7000人あまりの犠牲者の中でも、
天道教信者が最も多かった。


(終わり)


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