一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

学級とは

2011-03-05 06:08:07 | 日記
学校へ入学すると必ず学級が出来ることになっている。クラスと云うことだ。小生は特異な例かもしれないが、小学校、中学校、高等学校、すべてクラス替えがなかった。したがって、学級は全部で3つである。今問題になっている陰湿な虐めなどはなかった。クラス会もよく行われる。特に小学校と高校は、男女とても仲が良かった。
小学校のクラスの中でも、特に7人はとても仲がよく、今でも泊まりの旅行に出かける。年月が経てばクラス会に出席する人数も段々少なくなってくる。自然現象は仕方がないが、寂しくもある。高校も同じようにクラス会をよく開いたが、担任の先生が亡くなられてから名余り開かれていない。高校は、1年B組から3年B組になるまで全員クラスが一所だった。
担任の先生は、旧海軍将校で、クラス全員がいつも緊張していた。しかし、授業以外では、とてもやさしく、生徒には他のクラスも羨むほどであった。今でも覚えているのは席順である。毎月、席が移動して、前後左右にいる人が替る。基本的には、男女一緒の五十音順、である。縦横に複雑に移動する。
このような方法で席替えすると、前後左右で話をする人がとても多くなり、疎外感など起こらない。勿論、仲のよい人たちの集まりもある。今のような学級が荒れるなどと云うことは考えられなかった。何かを遣ろうとすれば、必ず男女が一緒になって考え、行動した。タンニンの方針だったのかもしれない。
学級とは何だろう。今小学校、中学校、高等学校で問われている問題である。生徒をどのように考えて学級を成立させているのか。40人前後の生徒たちは、クラスと云う一つの塊をどのように捉えているのか。グループ化するのは、どこの社会でも出来るもの。学級の中でグループがどのように形成されていくのか、担任の先生は観察しているのだろうか。人間工学、人間心理学(教育心理学だけでなく)、などを勉強することが必要ではないか。学級をどのように纏めていくのがいいのか。
どんな有名大学をどんな素晴らしい成績で卒業しようと、生徒の心をつかめない先生は別の意味での勉強が必要な気がする。それは学問ではなく、人の心を読むことである。学問も必要かもしれないが、生徒の心が読めないようでは、学級を維持できない。
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