裁判官が求刑通りの判決を下した例は殆ど見ることは出来ない。このようなことが起きている背景には一体何があるのだろう。裁判は独立体である。憲法でも裁判官は身分が保証されている。それなのに何故か、これはその通りの判決だ、というケースが殆ど見られない。裁判官が権威を見せつけるために敢えて検察官が求刑した刑期を変えてしまう、という勘繰りも起きてしまう。
裁判が公正に行われていることは確かだが、刑の求刑に関しては納得できないものが多くある。少なくとも、強盗殺人、強姦殺人、自動車などを用いた殺人などは殆どが死刑を求刑しているが実際の裁判では殆どが無期懲役が有期刑になってしまう。殺人罪には刑法199条にしっかりと死刑を定めているのだが、死刑に当たらない何かを探し求めて死刑を回避している。果たして強盗殺人や強姦殺人に同情する余地が何処にあるのか。
例え被害者が一人であろうとも、罪の重さは被害者の数ではないだろうと考える。今の裁判官は余程のことがない限り被害者が一人だと死刑の判決を受けることはない。死刑を求刑しても死刑を逃れるケースが殆どなのだ。大体、強盗殺人や強姦殺人の何処に同情の余地があるのだろうか。人間性を無視して行った犯罪だ。極刑を課すのが当然だと小生は思うのだが、裁判官には一つの理由がある。
それが過去の判例である。判例を紐解くと確かに被害者が一人の場合には殆ど死刑判決を下していない。このような不合理な判例をどうして引き継がなければならないのか。前例主義に囚われている今の裁判官、自分で新しい世界を切り開こうという意欲が殆ど見られない。裁判官が一般の公務員と殆ど変わらないというのが現状だ。これでは一人殺した犯罪者を死刑にするのは難しいかもしれない。
とはいえ、そんな不合理とも思える過去の判例ばかりを参考視している今の裁判官たちは、一体何を勉強してきたのだろうか。判例を覆すのはそんなに厳しい事なのか。裁判官としての信念を持っていないのだろうか。裁判官が独立体だ、という強い信念を持っていたら過去の誤った判例など関係ないはずだ。人を殺したという事実にどのような言い訳を付けるのか。それも強盗殺人や強姦殺人などは人間としての言い訳など付けられるはずはないのだ。このような犯罪者を人と思うからいけないのである。
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