一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

個人情報保護法という罠

2021-03-31 09:16:07 | 日記
この法律を掲げることにより、嘗て「この印籠が目に入らぬか」と示していた言葉が思い浮かぶ。個人情報保護法を前面に押し出せば殆どの事をストップさせることができる天下の宝刀になった。恐ろしい法律だ。世の中、多くの犯罪が行われているが、その内容を知ろうとすると必ずこの法律が出てくる。勿論、いい意味で出てくるのであればいいのだが、殆どが悪い意味で出てきてしまう。犯罪者をかばうために多く使われてしまうのだ。明らかにされなければならない犯罪が、いつの間にか消されてしまう。犯罪者にとってはとてもありがたい法律だ。その反面、被害者にとっては極めて問題のある法律なのだ。

犯罪被害者は、個人情報保護法により加害者の素顔を見る事ができにくくなっている。加害者の人権は保護されるのに被害者の人権は殆ど無視されるのだ。本来であれば、法律はすべての人に平等でなければならないはずなのに、どこかの誰かが法律を捻じ曲げてしまう。それもp強引に捻じ曲げてしまうために、完全に一方的になってしまうのだ。個人情報を盗み取られた人間が元に戻すには大変な苦労をしなければならない。犯罪者が盗み取った個人情報は金で売買されるだけでなく、被害者の人権を完全に失わせてしまうのだ。個人情報保護法という法律は今の段階では悪法に近いのではないだろうか。

法律を制定するときに、法制審議会という組織が審議をするわけだが、ここに出席する役人、専門家、知識人と言われている人たちは一体何を根拠に審議をするのだろうか。個人が持っている学識と経験ということだろう。一般社会人を雨あ完全に異なると考えられる。その道の専門家は確かに通であるかもしれないが、一般人とは完全に異なるだろう。人間の考えることなどタカが知れたものだ。それがたとえ専門家でも同じではないか。個人情報保護法を作ったときには一体どのようなことを基準に考えたのだろうか。恐らく。その当時の社会情勢だけを考えて作ったに違いない。

今のような情報化社会を考えたとは到底思えない。この法律は、もう一度検討すべきではないだろうか。今の社会に準じたものに作り直す必要があるのではないか。要は時代遅れになってきているように見えるのだ。AIが出てくる世の中である。世の中の主流が何処にあるか、ということだ。ネットワーク社会の中で個人情報がどのように取り扱われているのか、考える必要がある。
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中国共産党の搾取と資本主義の搾取とどこが違うのか

2021-03-29 08:55:38 | 日記
今や、中国共産党は堂々と搾取をしている。それも半端な金額ではない。資本家の搾取どころの金額ではないのだ。恐らく、世界で最も不法の搾取をしているのは中国共産党ではないだろうか。共産主義の基本は資本家の搾取をなくすことではなかったか。そこで登場したのが共産党の搾取である。資本家の搾取は間違っていて、共産党の搾取は正しい、という論理は何処から出いてくるのだろうか。理屈は幾らでも付けられるが、共産党が膨大なお金を搾取していることにな間違いないのだ。そういう事実をどのように隠すことができるのか。事実を隠ぺいしたっからと言って正しくなるわけではない。

中国共産党の論理は矛盾そのものである。資本家が金儲けをしてはいけない、と言いながら、共産党幹部が金儲けをすることに何にも疑問を持たない。それどころか、資本家顔負けの金儲けをして、そのお金を公然と懐に言えれちる。いってみればヤクザかマフィアのようなものだ。あらゆる公共機関を駆使して人民から金を巻き上げ、その挙句に人民を奴隷の如く使っている。それこそ、500年前のバイキングと同じようなことをやっている。共産主義というのは資本主義という言葉を変えただけの組織なのである。中身は資本主義と同じ、というよりももっとひどい組織なのである。

人間は生まれながらにして誰かが誰かを支配する、という歴史を作ってきた。形は殆ど同じだが、名前を様々に変えているだけだ。それが資本主義、共産主義、社会主義、という名前を変えているが、中身はほとんど変わらない。自由があるか、民主的か、などということは関係ない。要は奴隷にしているかしていないか、という違いだけである。共産主義から見たら資本主義は奴隷なのだろうが、資本主義から見たら共産主義はまさに奴隷そのものである。今の中国共産党を見ていると、人民に対する扱いは資本主義の奴隷よりももっとひどい扱いである。まあ、資本主義を飽くまでも奴隷とみる共産主義は奴隷という言葉をどのように解釈しているか、である。

今後、中国共産党が世界を支配したとしたら、地球上が奴隷で溢れかえることになるだろう。そして、奴隷という言葉もその時点で消滅するに違いない。人類が平和な世界を望むのは難しいかもしれない。そんな夢みたいなことを考えることは諦める方がいい。今の生活をそのまま継続することが大切のようだ。10年後の地球がどのように変わっているのか楽しみだ。
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日本で地震があるたびに韓国で喜びの声

2021-03-25 09:13:36 | 日記
異常な国、狂った国、韓国という国は正常な国ではない。ということは韓国という国は狂人国家なのである。最近、ネットを見ていると将に狂った国家の狂った国民が叫び声をあげている姿は異常な様相を見せている。こんな国が狭い海峡を隔てて隣にある事が恐ろしい気がする。大統領の異常な目つき、ほくそ笑んでいる顔を見ていると、このような気が狂った人間を大統領に据えている国家は地球上にない。まあ、国民の多くが狂っているのだから、狂っている人間が大統領にえらばれても仕方がないかもしれない。正常な人間が少ないので、今後選ばれる大統領も同じような狂った人間が選ばれる事は確かだ。

しかし、正常な人間がいないのだろうか、ということを考えてみると、少なくとも1970年以降漢字が廃止されてしまったので、過去の歴史書を読んで理解できる人間がいなくなったことも影響しているかもしれない。漢字が廃止されてから既に50年を経過しているので、正常なことを理解することも難しくなってきたのだろうか。それにしても日本で地震が起きるたびに、韓国で喜びの歓声を挙げているのは恐ろしい。それをネットで広めてより多くの人たちがより強い歓声を上げている。こういう異常な考えを持った人たちは人口のどのくらいを占めているのだろうか。少なくとも人口の70%はいるのではないだろうか。

反日、不買などを国家ぐるみで行い、それを多くの国民が賛成をしている。このような姿を見て正常な人間が声を殆ど上げていないことも事実である。テレビ、新聞を始め、政府高官、大統領の取り巻き、そして国民の多くが日本に災害が起きると喜びの歓声を上げている。これが今の韓国の姿である。こういうような異常な精神の持ち主である朝鮮・韓国人と友好関係が結べるだろうか。日本人の多くの人、あるいは殆どの人は韓国・朝鮮人を避けるようにしている。友好関係を結ぶということはどういうことなのか。彼らは公然と1000年日本を敵対視することを言っている。我々もそれに答えて1000年間、韓国・朝鮮と付き合わないことにすることだ。

他人の不幸を喜んでいるような人種とは永遠に付き合うことはない。いや、付き合う必要もないし、付き合いたくない。たとえ狭い海峡を挟んだ隣国であろうが、無理に付き合う必要はない。小生は韓国・朝鮮人を普通の人間と見ていない。他人の不幸を歓声を上げて喜ぶような人間と付き合うのは勘弁してほしい。普通の人間とは思えないのだ。人間性の欠片も持っていない人種とは永遠におさらばだ。、例えどんな笑顔を向けても無視する。その笑顔の裏側には卑しい顔があるからだ。若しかして普通の人もいるかもしれないが、そういう人の顔は全く見えない。
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再びコロナが蔓延したら内閣総辞職だって?野党は狂っているよ

2021-03-23 08:55:42 | 日記
コロナが蔓延することを願っているのは今の野党勢力である。何故なら、立憲民主党の国会議員が「コロナが再び蔓延したら内閣総辞職だ」と発言していた。要は、せかいを見回してみると、多くの国でコロナが再び蔓延しそうな状況なのだ。或は、蔓延している国も見かける。そのような状況で、コロナが蔓延した国が大統領を辞めたり、内閣が総辞職をしたりした国があっただろうか。日本の野党国会議員は本当にバカがそろっている。そのようなバカなことを言っている限り、政権は絶対に取れないだろう。今国が進もうとしているのは、コロナを如何にストップさせようか、ということだ。コロナを政争にしようという野党にはあきれてしまう。

政治家は国をどのように守っていくか、ということを真剣に考えればいいこと。国会議員は国家国民の為に選ばれたのである。野党の国会議員の中には国会議員失格のものが相当いる。勿論、与党の中にも野党のどうしようもない国会議員と同じレベルの国会議員がいることも確かだ。いろいろ考えてみると、国会議員の定数が多すぎるのではないだろうか。今、各都道府県にはそれぞれの議員がいるし、市区町村にも議員がいる。都道府県、市区町村にそれぞれ議員がいるのだから、国会議員の定数(特に衆議院)は多すぎるような気がしてならない。国を動かすためには実際のところ一体どの程度の国会議員が必要なのか。

中国は人口14億人と言われている。全人代に選ばれている議員は2000人という。この人数から考えると、人口70万人に1人ということになる。日本の人口当たりの人数に置き換えると170人となる。日本の衆議院の定数は465人である。この定員数、多いと見るか、少ないと見るか、である。物事を決めるのに、適量ということはなかなか難しい。だが、今の衆議院の定数は何となく多すぎるという感じだ。なぜかと言えば、今選出されている国会議員は本当に国民の為の政事を行っているのだろうか、という疑問がある。そのようなイメージを与えているのが、与党にも野党にも不適切な国会議員がいる、ということだ。

汚職、買収、などもダメだが、発言をした内容が如何にもダメな議員がいる。勿論戦況で選ぶのは国民だ。国民が何を以て選んでいるのか。よく言われるのが、選定基準だろう。政党、人物、演説の内容、見た眼、など様々だ。ある特定のことだけを考えて選んだとしたら、恐らく国は破滅してしまうかもしれない。多くの事柄を総合して判断の上選ぶのが最良なのだが、人間の考え方は中々そのようにはいかない。理屈通りにいかないのが世の中の常なのだ。ユートピアを見ていたら人間を捨てる必要がある。人間社会にはユートピアは存在しない。理想社会は存在しない。
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無料通信アプリ、中国や韓国に情報漏れ

2021-03-20 09:27:14 | 日記
昔からよく言われる言葉に「無料ほど高いものはない」という言葉、これこそが真実を物語っている。世の中にはタダでもらえるもの、タダで提供されるもの、が沢山あるが、やっぱりこれには裏がある、ということだ。ラインに残されたデータがすべて中国や韓国に盗み見られていたのだ。彼らは盗み取った「データはすべて返却する」と言っているが、そんなことは信用できるわけがない。世の中、そんな甘くはないのだ。盗んだデータはすべてそのまま返却するかもしれないが、コピーされたデータは隠し持っているのが普通だ。彼らが盗み取ったデータは極めて価値が高い。

これらの盗み取ったデータは何らかの形で様々に編集され、いろいろなことに活用できるはずだ。勿論、名前や年齢は詳しくは分からないかもしれないが、それでも登録した時の基礎データは保存しているはずだから、実際に使用したデータと突き合わせることは可能なはずだ。盗み取ったデータがどのように使われるかは実際のところ分からないだろう。今後、何かの時にデータが使われたことが証明される時が来るはずだ。その時になったら、やはりデータが盗まれたことに気が付くだろう。中国や韓国が盗んだデータを何に、どのように活用するかは今のところ分からない。盗まれた人たちは知らない方がいいかもしれない。

今や情報過多の時代、個人情報保護法ができたとしても今回のような事態が来たことに対して個人が防衛することが如何に難しいか、ということがよく分かったはずだ。ここで冒頭で書いた「タダより高い物はない」ということがいえる。ライン以外にも無料のものがあるかもしれないが、今回のようなことは有料サイトにも言える。総務省が所管の多くの情報提供会社がどのように情報を取り扱っているのか個人には分からない。法律で一定の規制が敷かれているはずだが、法律の網をかいくぐっている企業もあるだろう。情報提供会社には厳しい規制を課すことも必要だが、自由競争を妨げてしまうと発展しなくなる。

やはりもっと個人が注意をする必要があるのではないか。何処まで信用するかは個人が考えることだ。国が一定の法律を作っているのだから、あとは個人が考えればいいこと。中国のような共産主義社会のように規制をしたら自由社会は成り立たない。若しもラインなどの通信アプリで重要な情報のやり取りをしていたら、そこにはある程度の危険があると思わなければならない。それこそスパイ映画ではないが、すべてを信用してはいけない、ということだ。今回の事件で、ラインという無料通信アプリをどこまで信用するか、ということになる。このアプリを公共機関で使用することが如何に危険か、ということだ。小生は勿論このアプリは使っていない。
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