一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

中国の全国人民代表会議は誰のための会議?

2024-03-15 09:58:18 | 日記
人民代表会議となっているが、ここに出席している委員たちは国民から選挙で選ばれたわけではない。少なくとも、現在の中国では共産党員になるために選挙など行っていない。従って、共産党員が勝手に選んだ人間がその中から自分たちの都合がいい人間だけを中央の会議に送り込んで代表会議と称しているだけである。全国人民代表大会と称しているが、共産党員の中から適当に選ばれただけのことである。全国人民代表会議という表題は正確に言えば全国共産党員代表会議ということになる。どちらにしても、共産党員たちの会議なのである。


この会議、中国で言えば国会に当たるというのだが、それも正確ではないかもしれない。世界共通の言葉の国会の役割は国の方針を決め、予算を決め、法律を決め、執行することである。しかし、中国の国会はそうは見えない。全国人民代表会議が国会だとしたら、様々なことを審議している姿は見たことがない。それとも所謂国会というものが別にあるのだろうか。恐らくだが、国会というものは存在しないし、国会に相当するのが共産党中央委員会という所ではないだろうか。この中央委員会で国会に相当する審議を行い、そこですべてのことが決定される。


何しろ、中国は共産党一党独裁国家なので、凡てのことが共産党という所で決定されるのである。いや、共産党ではなく共産党の総書記である習近平の鶴の一声ですべてが決定されるのではないか。一人の人間が14億人を動かす、ということになる。一党独裁ではなく、一人の独裁者が全てを決定する、ということだ。中国ではこれが当たり前のことなのだ。民主主義国家では絶対にあり得ないことが中国ではごく普通に行われている。恐ろしい社会である。しかし、14億人のロボットたちは、何故一人の独裁者の言うことを素直に聞いているのだろうか。


そこが不思議でならない。まあ、社会全体をそのように造ってしまったということなのだろう。監視カメラが至る所に張り巡らされ、治安警察が至る所に見張りを行い、夫婦、親子、兄弟、親族、働いている所の同僚、上司、友人などすべてにお互いに監視をさせることをしている。このような雁字搦めの社会の中で、普通の神経でいられるのだろうか、と我々は考えてしまう。このような社会は、前のブログでも書いたように嘗て東ドイツで行われていたものだ。それらのシステムをそのまま中国でも取り入れたというのだから、恐ろしいことだ。


まあ、人間関係は普通に保つことは難しいだろう。精神状態も普通に保つことは難しいだろう。学校教育も普通に進めることは困難かも知れない。彼ら中国人にとっては国内で行っている全てのことが普通のことかもしれないが、我々にとっては全てが異常なのである。全国人民代表会議の話からずれてしまったが、こういう似非の会議も国民に見せることで何らかの効き目があるのだろうか。普通に生活をしているように見えるが、内容は普通ではないように思うのだが。日本人の中にも中国のような共産主義社会を望んでいる人がいるのではないか。そういう人たちは一度、中国に言って生活してみるといい。

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