☆☆趣味の韓国語サークルで取り上げた韓国語の小説です。営利目的はありません☆☆
著者 : キム・エラン
「エバン」
チャンソンはその犬をそう呼んだ。
「どうしたの、エバン。どこか痛いの?」
人間の年で見積もれば既に70歳を超える老犬にチャンソンは兄の役を務めた。チャンソンはどういうわけかエバンが自分より長く生きている弟、生きて既に沢山のことを経験した弟のように感じた。チャンソンが初めて「エバン」と呼んだ時、エバンは別の所を見た。当然だった。それは自分の名前ではなかったから。チャンソンは何となく寂しくエバンを撫でた。エバンに自分が知らない生活と歴史があるということを認めようと努めた。それでも、ある時エバンの過去がとても気になった。前はどんな名前で呼ばれていたのだろうか? 主人は良い人だったのだろうか? 今まで生きていてどこまで行ってみたのだろうか? 僕よりは遠くに行ったのだろうか? 素晴らしい映画やドラマに出てくるように主人と海辺も懸命に走ったのだろうか? その時のことを覚えているのだろうか? その時のことをわかるということは良いことだろうか? そうだとしたら今はどこへ行きたいのだろうか?
祖母はエバンを見るや否や嫌がった。犬1匹育てるのは、人一人育てることと同じく手間がかかると首を激しく振った。
「そういうことは、人を育てたからこそわかるのよ。」
祖母が軽く嫌悪の目でエバンを眺めた。
「そのうえ、とても年を取っているじゃないかい?」
「この子が年を取っている?」
「そうだよ、あの歯を見なさい。人でも生き物でも毛が抜けて歯が抜ければ終わったのよ。お前はそんなことも知らないで犬を育てようというのかい?」
チャンソンが「そうかな?」という表情でエバンの背を撫でた。短くごわごわして本当に毛に艶が一つもなかった。
「言うまでもないけれど、明日道路に置いてきて。」
チャンソンの顔に失望の色がよぎった。
「そうしなければ駄目?」
祖母はチャンソンと目も合わせず、床に積もった犬の毛をセロテープではがした。
「家に犬がいれば泥棒が入らないよ、お祖母ちゃん。」
「うるさい。孫のご飯も充分に用意できないのに。この年で犬の世話を・・・・ああ、うんこやおしっこはどうするの。」
柔らかい頬ときれいなよだれを持ったチャンソンと違って、祖母は年を取ることがどういうことか知っていた。年を取るということは、肉体が徐々に液体化するということを意味した。弾力を失いぐにゃぐにゃした体の外に汗や膿、よだれと涙、血がしきりに漏れ出すことを意味した。祖母は家に年老いた犬を入れてその過程を日々実感したくなかった。
「ご飯はそのまま僕たちの食べ残しをやればいいじゃない、ね?」
祖母が床にセロテープを乱暴にくっつけながら「このくそったれの毛、きりがないね!」小言を言った。祖母が意志を曲げず、追い詰められたチャンソンは結局ある言葉を吐き出したのだが、その言葉を言って本人もぎょっと驚いた。だからエバンを・・・・自分が「責任」をもつと言ったのだ。生れて初めて言った言葉だった。
その頃、チャンソンはしょっちゅう悪夢に苦しめられていた。祖母がチャンソンに「今は大きくなったから、一人で大丈夫だ」と父が使っていた部屋に出してくれてからだった。チャンソンは度々同じ夢を見た。小型冷蔵トラックが自分に飛びかかる夢だった。トラックの中には食料の毛をむしった鶏の生肉がいっぱい積まれていた。トラックは真っ暗な道路を疾走して中央線の上でチャンソンを発見してカーブした。そしてすぐに、中心を失って路肩の下の崖に転倒した。絶壁の下から爆発音とともに巨大な火の手が上がった。チャンソンは路肩の周辺を苛立ってうろついた。あそこ、まだ人がいるので。僕が知っている人のようで。周囲に集まってきた見物人は「どこかでしきりに美味しい匂いがする」と言った。チャンソンが大人達に向かって「助けてくれ」と叫んだ。そうするとどこからか祖母が現れて唇に手を当てて「しっ」と声を出した。優しい声で「泣かないで、泣かないで、坊や」とチャンソンを慰めた。
「お前が泣けば」
「・・・・」
「お客様が目を覚ますじゃない。」
エバンを家に入れた日、チャンソンは久しぶりに何の夢も見ず深く眠った。チャンソンはエバンが眠りを守ってくれたと考えた。いつかエバンに何かあれば、自分もエバンを必ず保護してやらなければならないと誓った。その後、チャンソンとエバンはいつも一緒に眠った。チャンソンは誰かをしっかり抱きかかえて寝る気分がどんなものか初めて知った。エバンの温かく小さい胴体が、呼吸するにつれて穏やかに上がったり下がったりするのを見るだけでも、平和な気分になった。チャンソンはエバンのふわふわした足の裏をしきりにいじりながら、しょっちゅう独り言を言った。
「ねえ。エバン。これを見ろ。たくさん集めただろう? 3万ウォン以上。どこで使おうかな? ううん、後で大きくなっていつかここを離れる時に、その時僕も休憩所に立ち寄って珈琲でも一杯飲むよ。」
エバンは自分の足に顎を当てて横たわり、瞼をゆっくり開けたり閉めたりして先に寝ついた。それでもチャンソンのおしゃべりは夜中ずっと続いた。
「お前、骨肉腫が何か知っている? 何かサボテンの名前と同じだろう? そんなのがあるそうだ。お父ちゃんがその病気にかからなかったら僕も知らなかったのさ。」
一日また一日が過ぎた。人間の時計で2年、犬の時間で10年が流れた。チャンソンとエバンはいつのまにか互いに一番頼りにする存在になった。例え、動きが鈍く耳が遠くても、エバンは普通の犬のようにボール遊びと散歩が好きだった。チャンソンが毛羽立ったテニスボールを遠くに投げれば、エバンはチャンソンの目の前から消えて必ずボールと一緒に再び現れた。何か自分の場所に元どおりに持ってくるのはエバンが得意なことの一つだった。チャンソンはエバンが自分にくわえてくるものが、別にボールではない違うもののように感じた。そしてボールと同時にボールではない、その何かが自分を変えたようだった。
ところがエバンが最近少し異常だった。
祖母は夜10時過ぎに帰宅した。片腕に黒いビニール袋を持っていた。
「電子レンジで温めて食べなさい。」
チャンソンが袋を覗いた。アルミフォイルの間に砂糖をかけたじゃがいもが見えた。チャンソンが仕事を終えた祖母の後ろをちょろちょろ追いかけた。
「お祖母ちゃん、エバンがちょっとおかしい。」
「今食べないなら冷蔵庫に入れておくとかして。」
祖母がいつも携帯電話を入れて行く手提げ鞄を大きい部屋に投げるように下した。
「お祖母ちゃん、エバンがご飯を食べない。」
「年取ったからだよ。年取ったから。」
「そうだよ。僕がボールを投げても動かない。歩いてしょっちゅう座り込む。」
「年取ったからだ。」
祖母は全てのことが煩わしいように腕を振り回した。そうしてううんと言って床に布団を広げた。
「あそこを見て、あんなに自分の足をしょっちゅうなめる。一日中あんな状態で。さっきは僕が足を触ったら急に噛もうとした。」
祖母が敷布団の上に横たわろうとしたが、上体をおこしてチャンソンを見た。
「ううん、本当に噛んだのではなく、噛むしぐさだけ。」
祖母は目を瞑って額に腕を載せた。
「お祖母ちゃん、エバンを連れて病院に行かなければならないじゃない?」
「無駄口は止めて寝なさい。あちこち灯を点けておかないで。」
祖母の半袖にかすかにキムチ汁がくっついていた。チャンソンが祖母の横に座りも立ちもせずにためらった。
「お祖母ちゃん、エバンを病院に連れて行かなければと思うの。」
祖母がかっと怒鳴った。
「なんで犬を病院に連れて行くの。人も行けないのに。だから私が犬っころを道に置いておけと言ったね、言わなかった? お祖母ちゃんの火病が出る前にすぐに行って寝なさい。犬買いにシロを売ってしまう前に。急いで!」
「シロじゃないよ。」
チャンソンが以前にない大きな声を出した。
「何?」
そうしてすぐ言葉尻を濁しておどおど答えた。
「エバンだよ。」
祖母がため息をついてチャンソンにさっさと出ていけと手を振った。チャンソンもこれ以上言えずに自分の部屋へ戻った。チャンソンは暗い部屋で横たわり天井を眺めた。そうして、しばらくしてプラスチックのパトカーの中に隠しておいた3万ウォンを取り出し財布に入れた。
「どこか具合が悪くて来たのかい?」
動物病院の医者が訊ねた。
「エバンが悪いようなのです。」
「こいつの名前がエバンかい?」
「はい、〈トニンメカド〉に出てくるメカニモルの名前です。
「そう?」
医者が職業的な微笑を浮かべた。地方新都市アパート商圏では何よりも評判と噂が重要だった。
「はい! 僕が一番好きなキャラクターです。エバンは元々トニンカーで、メカドに向かってシュートしてメカニモルで変わります。」
医者はチャンソンの言葉がほとんどわからなかったけれど、問診票を見て老練に話題を転じた。
「それで君は・・ノ・チャンソン?」
「はい? はい。」
チャンソンが消え入りそうな声で答えた。姓と名前が一緒に呼ばれる時、良いことが起きた場合はほとんどなかった。職員室でも、父親が入院した総合病院でもそうだった。
「それで結局、賛成(チャンソン)するの、反対するの?」
チャンソンはそんな話はしょっちゅう聞いているうえに、今は本当に食傷して答えるのが面倒だというように肩を上下に揺らした。
「先生の冗談がつまらないという意見は賛成です。」
医者が再び作り笑いを浮かべた。
「うう、ところで、犬の持ち主がノ・チャンソンとなっているね?
君一人で来たの? ご両親は?」
エバンは緊張した様子がはっきり見えた。病院特有の消毒薬の臭いとひやっとした感じがエバンの具合を悪くしているようだった。医者はエバンの足を見るやちょっと驚いて「ああ、とても痛かっただろう?」と言った。これほどなら他の場所に腫瘍が広がった確率が高いと。
「腫瘍ですか?」
「そう。癌。」
「癌ですか? 犬も癌にかかりますか?」
「そうだよ。」
チャンソンは癌が何か知っていた。癌と関連する臭いか悲鳴、そして吹き出物で欠けた顔を。
「詳しいことは検査結果を見てわかるはずだけど、状況が良くないのは事実だよ。」
「検査ですか?」
「うん。血も取って写真も撮って。」
「それが・・・全部するといくらなんですか?」
「そう、検査次第なので。きちんとすればお金がたくさんかかるよ。明日ご両親と一緒にもう一度来るかい?」
チャンソンがズボンのポケットの中の財布を出さずいじりまわした。
「それなら、先生の思うとおりにどんな検査をして、どんなことはしなくても大丈夫ですか?」
「まあ、言ってみれば。」
「じゃ、あの・・・・3万ウォン、じゃなくて2万5千ウォン分だけ検査してください。」