新年あけまして、おめでとうございます。
今年も、皆様にとってよい一年でありますよう、お祈りいたします。
さて、正月といえば初詣。
私の元旦は、まず起きて、新湯で湯垢離をし(この時ばかりは入浴剤を入れない)、絹の下帯をしめて、羽織袴に着替え、まずは地元の鎮守社に初詣に行く。
途中、老婦人から、和服姿を讃められた。
さて、神社の参拝だが、「二拝二拍手一拝」というのは、今では拝殿の前に掲示してある(これを掲示していない仏教寺院ではやらないように)。
その作法を少し細かく論じたい。
まず拝であるが、「揖」という直立よりは少し畏まった姿勢から(両手は腿)、できるだけ深くお辞儀をする(両手もそれに従って下る。まちがっても両手を重ねて腹の位置で固定しないように。これは、「拱手」といって少なくとも日本の拝礼ではない)。
神様への拝礼であるから、少なくとも人に対するお辞儀よりは深くしてほしい。
理想は90°の直角礼(最敬礼)で、神官は見事に直角礼をする(股関節を軸に曲げればいいので、実は誰でも、腰痛持ちの人さえもできる)。
ただし、現実には直角礼をすると賽銭箱に頭をぶつけるギャグを演じてしまうので、そこはほどほどに。
その際、できるだけ、お辞儀は息を吸いながらして、下げきったところで吐いて、また吸いながら頭を上げる。
すなわち、下げきったところで息を吐いている間動作を止めるのがミソ(その間こそが礼の実質的時間なのだ。すなわち多くの人の礼は実質時間0秒)。
ついで二拍手、すなわち柏手。
この時、左手をやや前にして左右をずらすという”作法”があるようだが、それは陽尊陰卑化された陰陽の序列化の受け売りであって、本来の陰陽の対等な和合を理想とするなら、相撲の力士が土俵上でやるように、両手をきちんと合せて打つのが正しく美しい。
実際には、ほとんどの参拝者はこの形で打っているから、形では問題ない。
ただ、音がパンとはならず、ペシッとなってちっとも響かないのを残念に思っていないだろうか。
そこでいい音が出るコツを紹介する。
いい音を出す力士の形と比べるとよくわかるが、音が出ない人は、肘を鋭角に曲げすぎているのだ。
力士のように、両腕をやや伸ばしぎみにして、手を合せる場所を、自分の胸の前よりも前方(神様側)の中空にもっていって打つのだ。
これで遠心力がついて打つ力が強くなる。
ただし回転半径をとりすぎる(遠心力が強すぎる)と、両手が合わなくなるので、力士のように両脇から腕を回すのはやめた方がよい(肘の角度は90°程度)。
その時、両手は指を伸ばしきって真っ平らにするのではなく、自然な湾曲を残したままにして、当たった瞬間に延びるようにする(両手の中に空気を入れるため)。
こうすれば、十中八九いい音の柏手が打てる。
この形であれば打った後、そのまま合掌になって祈りの形になる(自然で美しい)。
祈りの形で静止したら、今一度さきほどと同じ形の拝礼をして、横に向いて去る(神様にお尻を向けない)。
ほかに参道の歩き方、手水の使い方などいろいろあるが(最低限、手水の水は飲まないで)、まずは一番大事な参拝の仕方を完成させよう。
ところで、上の作法をお寺でやる人がいるが、これは恥ずかしい→お寺での参拝の仕方