今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

温泉はなぜ気持ちいいのか1:湯の物理効果

2014年06月22日 | 温泉

温泉はなぜ気持ちいいのか。
いや、結論ありきの議論ほどつまらないものはない。
そもそも温泉は気持ちいいのか。
ここから問いはじめよう。

まず、表現を厳密にするために、裸で浴室に入ることを「入浴」、入浴中に浴槽に浸かることを「入湯」と使い分ける。
そこで先ず問うのは、入湯は快感かということ。

入湯とは、40℃前後の熱い湯に首から下を浸し、水圧にほぼ全身をさらす状態、すなわち物理的ストレッサーに身を委ねる状態である。
ちなみに水圧は下からもかかるので、浮力も発生する。
この中で一番影響が強いのは熱の効果だろう。

熱の効果として、体温が上昇し、汗が出てくる。
水温を気温に置き換えればわかるが、当然ながら熱中症に近い身体状態になる。
入湯を続けると、全身が紅潮し、頭がふらふらしてくる。
実際、42℃の場合、私は5分ともたない。

湯から出る時、それはもう湯には入っていられない状態であり、入っていることの苦痛から脱することですらある。
ということは、実は入湯自体はむしろ苦痛なのだ(同じことはサウナにもいえる)。
なにしろ物理的ストレッサーに身を委ねて身体はストレス状態になるから。

ところが温泉旅では、1回の入浴中ですら、二三回は入湯する。
そしてその入浴を日に数度(私は4度)繰りかえし、その温泉旅を私は月に数日繰りかえしている。
いったいなぜなのか。

そもそも、家の風呂は日に1回しか入らない。
しかも名古屋宅では湯舟はほとんど使わず、専らシャワーですます(→その後、自宅でも入湯するようになった)
すなわち毎日の生活では、入浴の目的は、体を洗うことであって、湯に浸かることではない。
ところが温泉に泊まるときは、4回/日の入浴のうち体を洗うのは1回だけで、あとの3回は純粋に入湯だけが目的になっている。

ということは、私が求めているのは、湯に浸かる”時間”ではなく、”頻度”の方らしい。
時間より頻度(回数)によって、より効果的に得られるのは何か。
時間では増えず、頻度で増えるのは、「湯に入ること」と「出ること」。
つまり、入湯の瞬間と湯上がりの体験。

入湯の瞬間は、体に一気に熱と水圧が覆いかぶさる、劇的変化体験。
湯に身を委ねた瞬間、「うーん」といううなり声が出る。
これは水圧で肺から空気が押し出されたための生理反応だが、同時に気分がいいのも確かだ。
それどころかこれぞ至福の瞬間。

この至福感は、体温以上のなればこそで、プールや海のでは決して味わえない
(なのでたとえ効能抜群であっても、加温していない冷鉱泉では味わえない)

さて、その水圧効果だが、体を垂直にしていると下部ほど強い水圧がかかる
(逆に水面に体を浮かせると浮力の方が強くなる)。
たいていは垂直に浸っているので、下半身に強い水圧がかかっている。
熱は血管を膨張させるが、水圧は逆に収縮させる。
下半身は重力に水圧が加わるため、血液循環のジレンマ状態になっている
(水圧の少ない足湯が効果的なのはこの理由)。
それに対して頭部は、体温の上昇によって血流が確実に増加する。

こう考えると、入湯中よりも水圧のない湯上がり後の方が血液循環をスムースになることがわかる(だから入浴後は横になるのが最適)。
湯上がり直後は、皮膚温と深部体温の上昇によって体幹から末梢の毛細顕官まで血液循環がよくなり、”暑い”と感じる。
そして浴室から出ることで、浴槽・浴室の高温空間から、通常の気温空間に移ることでの相対的環境温低下効果と、表皮についた水分の蒸発が始まることでの気化熱効果で”涼感”も発生する。
かくして、入浴後の”暑涼しい”、すなわち夏にも冬にも有効なさっぱりとした快感を得る(この後、冷えたビールが続けば至福の時間は延長される)。

ということは、入湯の快感は、入湯中のストレス下にあるのではなく、入湯の瞬間と、入浴後のリラックスにあるといえそうだ。

ただし、以上の体験は、家の風呂や町の銭湯でも可能であり、なにも温泉である必要はない。

以上の理由だけでは、あえて高い宿泊料を払って遠方の温泉宿に泊まる理由は見出せない。

さらに考察を続けよう。☞温泉はなぜ気持ちいいのか2:心理効果


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