今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

都内文化財巡見記:都心編

2014年11月02日 | 東京周辺

東京都は「文化財ウィーク」と称して、11/3の文化の日前後に都内のあちこちの文化財を公開する催しを主催している。
それを受けて、今年から新たに公開に踏み切った所もある。
これらは日ごろは公開していないので、この機会を逃したくない。

愛用しているカメラにゴミが入ったのを昨日急いで直したのも、今日のため。

今日は、都心部に絞って出かけよう。

まずは目黒の大円寺。
ここに行くなら、同じ目黒のわが菩提寺・五百羅漢寺での墓参をしないわけにはいかない。
五百羅漢寺自体、都重宝の仏像がずらりとあるので(日ごろから公開しているが)、いつもより参詣者が多かった。
墓参(正確には霊廟参り)を済ませ、行人坂を上って大円寺に着く。

ここも石の五百羅漢が並んでいるが、これはいつでも観れる。
今日は、日ごろは拝めない重要文化財の釈迦如来立像(鎌倉期)。
全身は拝めないが、清涼寺式の衣文は確認できた。
他に、本堂の十一面観音、阿弥陀堂阿弥陀三尊など、仏像も豊富。

もっとも一番存在感があるのは、五百羅漢の石仏群で(写真)、
ここが出火元となった江戸の大火事の犠牲者の菩提を弔うもの。
その火事は、「八百屋お七」の悲話を生んだものでもあり、そのお七が恋焦がれた相手(吉三:キチザ)が、お七の菩提を弔うため出家し、のちに西運上人と崇められて、この地で活躍した。その上人の碑もある。

火あぶりに処せられたお七の想いは、その相手にしっかり受けとめられ、一生をかけてお七の菩提を弔い、晩年にお七が夢まくらに現れて、成仏できたことを確認したという。
お七もお七なら、吉三もまた一生をお七に捧げたのだった。
なんとピュアな二人。
ついでながら、この世では結ばれ得なかったお七と吉三の二人が、あの世では幸せに結ばれますようにと願って、お七に縁がある駒込吉祥寺に、私が中学の時に、有志によって比翼塚が建てられた。
おっと、お七のこととなると、私も熱くなってしまう。☞「私の八百屋お七」記事

さて、次は芝の増上寺に行く。

目黒からだと都バスが御成門を通る。

東京随一の威厳を誇る増上寺境内にある、「経蔵」(都有形文化財)が特別公開。

経蔵には三種(南宋、元、高麗)の大蔵経を収めてある(それだけで貴重)。
蔵内の中央には、回転する八面の経巻棚があり、ラマ教(仏教の一派)のマニと同じく、それを一回転すると大蔵経を全部読んだと同じ功徳があるという。
そして「お回しください」と書いてある。
室内には他にも見学者がいたが、誰もふれようとしない。
コストのかからない利益話には目がない私は、俄然張切って、棚の横木を押しにかかる。ところが巨大な棚なので、びくともしない。
たった一人で押しても、かすかに動く程度なので、一周(一回転)するのはとうてい無理とあきらめかけたが、私一人の行為に同調する人が現れ始め、3,4人が加わった。
そうなると一挙に軽くなり、一周を通り過ぎて二周してしまった。

これで大蔵経を2回も読破したことになった!

でも、たとえば「山岡荘八の墓参りすると、『徳川家康』全26巻読んだことになる」、と言われてもうれしくないよなぁ。

つぎは、増上寺の別院である妙定院熊野堂。
経蔵の受付で地図をもらうと、ちょっと遠い。
でも二天門からプリンスホテルへの抜け道を通る近道で楽に達す。

この堂(国有形文化財)は今回が初めての公開だという。
土蔵の堂内には、熊野権現の御神体が公開されていた!
ちょっと遠いので単眼鏡を取り出してアップで拝見。
これも貴重な体験だ。

たった三箇所だが、日ごろ見れないものばかりだったということで、今日もまた”眼福”といえる。

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