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海禅院   和歌浦

2014-11-03 | 街角の話し

写真は海禅院の多宝塔

和歌山に生まれながら、こんないいところがあるとは知りませんでした。

国分太一のおさんぽジャパン 2014年10月21日(火)11:25~11:30 フジテレビで出てきて
気になってました。
そして先日東京に行って。「六義園」に行きました。ここも多分テレビでやってたのではないかと思います。
六義園はまさに和歌山・和歌浦 オンパレードでした。
ここでも海禅院と同じところにある観海閣がパンフレットで紹介されてました。
これは行くしかないということですね。ブログはここ 六義園(りくぎえん)  東京都文京区駒込


海禅院(かいぜんいん)は、和歌山県和歌山市和歌浦中にある日蓮宗の寺院である。
1649年(慶安2年)、徳川家康の三十三回忌の際、養珠院(お万の方)が、妹背山に法華経を書写した経石を納めた石室を造り、その上に小堂を建てたのが創始である。養珠院に賛同した後水尾上皇や庶民など、身分を問わず全国から経石を集めて総数は20万個になったという。

養珠院の没後、1653年(承応2年)に紀州藩主徳川頼宣は、小堂を二層の多宝塔に改築し拝殿と唐門を建立した。その後、養珠寺の末寺になり、紀州徳川家の庇護を受けていたが明治維新で江戸幕府が滅亡すると禄を失い荒廃していき、檀家のない海禅院は多宝塔を残すのみとなった。

2008年(平成20年)6月24日に三断橋と共に妹背山が、和歌山県指定文化財名勝・史跡和歌の浦として指定された。


和歌川河口に浮かぶ妹背山は、周囲250m程の小島である

妹背山の西側には、砂岩製高蘭付きの三断橋が架けられている。県内最古の石橋で、妹背山を整備した慶安期に建造したものである。


三断橋の欄干、板石、橋桁、橋脚などが、中国の西湖を模したものといわれている。三断橋は、何度か補修されているが、橋の原型そのものは4世紀にわたって崩される事なく、今日まで継承されている。





三断橋と向こうが妹背山だ



振り返るとこんな感じ

塩釜神社と玉津島神社がある ホームページはここ

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る 山部赤人 の歌碑がある




三断橋を横から見ると三段になっている(笑)



「経王堂」

ここを曲がると



観海閣 がある。今はコンクリート製。

後方の階段を上がると多宝塔がある

多宝塔からさらに上に行くと




妹脊山 山頂になる



山頂途中の多宝塔



山頂からの景色

向こうに見える右の島は 多分淡路島




六十余州名所図会紀伊 和哥之浦

歌川広重の描いた和歌浦だ

(若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る)山部赤人

を絵にするとこうなる?

手前に見える島が 多分(笑) 妹背山だろう
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