
写真は西行堂。
NHK大河ドラマの平清盛に今、熱中している。
先日、西行(佐藤義清)-藤木直人が出家するシーンになった。
武士として清盛とともに「北面の武士」で活躍。歌に通じ、武芸も闊達、妻子をもち順風満帆な人生であったが、ふとしたことで鳥羽上皇の妃・璋子(後の待賢門院)-壇れい と関係を持ってしまう。それがきっかけとなり出家。エリート武士の将来を捨て、漂泊の人生を歩む。生涯を通じて清盛の親友となる。
史実は出家した原因には、いろいろあるとされているが、ドラマでは、一番面白そうな、一つの説を採用し、そういうことになっている。
西行終焉の地として有名な寺が弘川寺である。
平成16年の10月に参拝した。
参拝記はこちら
その時は、西行堂は毎年4月の第一日曜日のみ開帳。と本に書いてあった。それをふと思い出した。
行ってみようと・・・・・

西行(佐藤義清)-藤木直人
西行は出家後は心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、しばしば諸国をめぐり漂泊の旅に出て、多くの和歌を残した。河内国の弘川寺(大阪府河南町)に庵居し、建久元年(1190年)にこの地で入寂した。享年73。かつて「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ願いに違わなかったとして、その生きざまが藤原定家や僧慈円の感動と共感を呼び、当時名声を博した。
西行堂は開いていなかった。お寺の人に確認すると。
西行の像は、西行記念館に移され、今はレプリカがあるだけ。レプリカ見ますかという問いかけに、勿論。
施錠されていないので、横から開けて下さいということでした。ホームページは訂正しておきます。

これが、西行像です。
本物は、西行記念館にありました。撮影禁止です。
まもなく桜の季節。
願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ
五木寛之さんの百寺巡礼を追っかけていますが。 ホームページここ
第6巻は関西。
10の寺が紹介されてます、その中で大阪はわずか4寺です。
観心寺(河内長野市)、弘川寺(南河内郡河南町)、大念佛寺(大阪市平野区)、四天王寺(大阪市天王寺区)
弘川寺は、すごいお寺なんです。
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