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安珍・清姫の鐘

2005-05-16 | 「へぇ~」という話し
5月15日に京都.妙満寺で鐘供養が行われたというニュ-スがあって、昨年訪れた道成寺を思い出した。
安珍・清姫の鐘と言えば、和歌山の道成寺が舞台だが、道成寺には鐘が残っていなくて、その鐘は、京都.妙満寺にある。2004.10.3~2004.11.27の間のみ、道成寺に里帰りしていた(写真はその時に撮ったもの)
鐘にまつわる話しは長いけれど...。
初代の鐘は、928年8月、奥州白河の「安珍」という修験者が熊野へ参詣する途中、紀州の真砂の庄司清次の館に泊まった。そのとき、庄司の娘「清姫」が安珍に思いをよせて言い寄った。安珍は「熊野参詣を済ませたら、もう一度立ち寄る」と約束したが、その約束を破り立寄らずに帰途に就いてしまう。
 そのことを知った清姫は激怒して安珍の後を追いかけ、日高川にかかると清姫は蛇身となり、もの凄い形相で川を渡り、ついに道成寺の釣鐘に隠れた安珍を見つける。清姫は、鐘を取り巻くと、炎を吐き、鐘を真赤に焼き、安珍が黒焦となって死ぬのを見て、自らも日高川に身を投じてしまう。(違ったバ-ジョンの話もある)
2代目の鐘は、1359年焼け残った鐘を再鋳し完成した祝儀の席で、一人の白拍子が来て、舞いながら鐘に近づくと蛇に身を変え、鐘を引きずり降ろし、その中に姿を消した。僧達は「これぞ清姫の怨霊なり」と一心に祈念して、ようやく鐘は上がったのですが、せっかくの鐘も怨念のために音がおかしく、近隣に悪病災厄などが相次いで起こったため、山林に捨てた。この話が後年脚色され、舞曲の「娘道成寺」となる。

その後、200年余りを経た1585年、秀吉の根来攻めの時、家来がこの鐘を拾って陣鐘として使い、そのまま京都に持ち帰った。そして、安珍清姫の怨念解脱のため妙満寺に鐘を納めた。

捨てられていたのを拾って持ち帰ったということになっているが....。道成寺での有名な名物「絵解き説法」では、秀吉が持ち帰ったということになっている。微妙に違う(笑)
長年の交渉の結果、一時的に里帰りが実現したということ。

いつか妙満寺に行こうと思いつつ、もう1年経ってしまったか...。
妙満寺へ行ってきました 2007.5.27)

2004.10.16
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