透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「在日米軍基地」を読む

2024-01-31 | A 読書日記

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『在日米軍基地 米軍と国連軍、「2つの顔」の80年史』川名晋史(中公新書2024年)を読んだ。

日本に米軍基地はいくつある? 

嘉手納、普天間、佐世保、横田、座間、横須賀、横田、あと三沢か・・・。直ちに浮かぶ基地名はこんなところ。呉、岩国、厚木、朝霞もそうかなと、もう少し浮かぶ。

本書の「はじめに」には**防衛省のデータによると、2021年時点で日本には130の基地がある。**(ⅱ頁)とある。

なに? 130?

米軍基地について無関心な私でも国連軍の存在は知っていた。だが、カバー折り返しの**世界で最も多くの米軍基地を抱え、米兵が駐留する日本。米軍のみならず、終戦後一貫して友軍の「国連軍」も駐留する。**という本書紹介文を読んで驚いた。そうなのか・・・。在日米軍や米軍基地のことはメディアで報じられることがあるが、在日国連軍のことはどうだろう、新聞でも目にしたことがない。

折り返しの紹介文の後半は**本書は新発見の史料をふまえ、占領期から朝鮮戦争、安保改定、沖縄返還、冷戦終結、現代の普天間移設問題まで、基地と日米関係の軌跡を追う(後略)**と続いている。そして**「日本は基地を提供し、米国は防衛する」という通説を覆し、特異な実態を解明。戦後史を描き直す。**と結ばれている。これはもう読むしかない。

先日書店の新刊本のコーナーでこの新書を手にして、上の紹介文を読んで、買い求めた。米軍基地の歴史的経緯について何も知らないというのはまずいだろうと。

本書の章立ては次の通り。これで内容の凡その見当がつくかもしれない。

第1章 占領と基地 ― 忘れられた英連邦軍
第2章 朝鮮戦争 ― 日米安保と国連軍地位協定
第3章 安保改定と国連軍
第4章 基地問題の転回と「日本防衛」
第5章 在日国連軍の解体危機 
第6章 普天間と辺野古 ― 二つの仮説
第7章 凖多国間同盟の胎動
終 章 二つの顔

第6章 普天間と辺野古 は基地問題の「今」。本書に現行の辺野古基地建設計画を示す図が掲載されている(199頁)。また既に1965年以降、米海軍で現行計画とよく似た計画が立案されていた、とのことで、マスタープラン1966 全体図も掲載されている(203頁)。

なぜ「最低でも県外」は実現できなかったのか。**本書の分析と仮説にしたがうならば、鳩山政権下で生じた普天間移設、とりわけ国外移設政策が頓挫した原因は、根本的には普天間が国連軍基地の地位にあることである。そして、普天間の移設先は1965年以降の経緯からしても、米国にとっては辺野古以外にありえない。普天間の移設を実現するための必須の条件は、国連軍基地としての普天間の機能を維持することにある。**(231,2頁)

知らないことばかり・・・。もう少し基地の問題に、いや、基地のことだけでなく、国際情勢にも関心を持たなければ。

巻末に掲載されている参考文献(英語文献を含む)は細かな活字で8頁、注記は20頁にも及ぶ。本文は実に緻密な記述だ。


※ 引用文中、下線引きは私がしました。


「白光」を読む

2024-01-28 | A 読書日記

■ 正月に朝井まかてさんの『グッドバイ』(朝日文庫)を読んだ。主人公の大浦 慶は実在した女性(1828年~1884年)で、あの時代(そう、江戸から明治にかけて)にこれほど積極的にビジネスを展開した女性がいたのかと、驚いた。

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図書館本で読んだ『白光』(文藝春秋 2021年 *1)も朝井まかてさんの作品。主人公の山下りん(1857年~1939年)はこの国初の聖像画師(イコン画家)。山下りんの生涯を表現力に優れた朝井さんが描き切る。

大浦 慶も山下りんも全く知らない女性(まあ、日本史の教科書に出てくるような人物ですら満足に知らないのだから当然ではあるが)だった。文芸評論家の斎藤美奈子さんは朝井まかてさんの作品について**歴史のド真ん中から少し脇にそれたところにいる人物に光を当てる。それが朝井まかて流評伝小説の共通点かもしれません。**と『グッドバイ』の解説(425頁)で指摘している。

なるほど、『眩(くらら)』の主人公は葛飾北斎の娘の葛飾応為が主人公だし(過去ログ)、直木賞受賞作の『恋歌(れんか)』の主人公は樋口一葉の和歌の師、中島歌子だ(過去ログ)。

さて、『白光』。

数か所の引用でこの長編小説の案内をするなどということは出来っこないことは承知しているが・・・。

**オリガ姉も聖母子像を見つめ、細い息を吐く。
「ロシアの聖像画が世俗的な芸術に翻弄されてしまう前の、崇高なる画です。(後略)」
混乱した。
「世俗的な芸術に翻弄された。ロシアの聖像画が?」
「さようです。聖書の物語を題材にしていても、それが聖なる画だとは限りません。ルネサンスの伊太利画を無闇に追うと信仰から遠ざかります。ルネサンスは人間性を謳歌する芸術至上主義。大変に魅力的です。でもわたくしは信仰者として懐疑します。聖像画は芸術であってはなりません」**(344,5頁)

来日していたロシアの伯爵令嬢・オリガの言葉は信仰のための宗教画ではなく芸術としての絵を描きたいと願っていた山下りんの葛藤、苦悩の理由(わけ)を示している。

時は明治。ロシア正教宣教師ニコライの洗礼を受けた山下りんは帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクに留学する。だが、**「三人きょうだい、皆、器用。そして頑固で強情っぱり」**(355頁)と弟が言うような性格のこともあり、また上掲のような理由から、りんは留学先でまわりの人たちと和すことができない。

失意の帰国・・・。

**「わたくしもロシアにいる時、躰に変調を来したゆえわかるのです。簡単にわかるなどと申せばおこがましいでしょうが、僭越を承知で申し上げます。わたくしは修道院で指導の修道女らと反目しました。仲間にも見放されました。ですから主教様とはまるで違うのです。わたくしの場合、わたくしが我儘、愚かでありました。(後略)」**(406頁)

その後、りんは次第に宗教画を描くことの意味、意義を理解し、イコンを次々描いていく・・・。

幼いとき父親を亡くし、貧しい生活をしていたりんは絵師になりたいと家出。晩年、白内障を患って筆を置き、生まれ故郷の笠間に戻る。りんはその地で他人とはほとんど交わることなく静かに暮らした。

終章最後の2ページの文章は崇高に感じた。

*****

巻末には主要参考文献、参考論文が4頁半にも亘って約70編も掲載されている。『白光』は小説という形式を採った山下りんに関する論文だ。


*1 この小説は3月に文春文庫になるようだが、それまで待てなかった。紹介していただいたブログ友だちに感謝したい。


「生き物の「居場所」はどう決まるか」を読む

2024-01-26 | A 読書日記

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『生き物の「居場所」はどう決まるか』大崎直太(中公新書2024年)

 中公新書の1月の新刊『生き物の「居場所」はどう決まるか』『在日米軍基地』『カーストとは何か』『日本の経済政策』の4冊の内、前の2冊を買い求めた。先に『生き物の「居場所」はどう決まるか』を読んだ。

『生き物の「居場所」はどう決まるか』のサブタイトル「攻める、逃げる、生き残るためのすごい知恵」の攻めるのも逃げるのも生き残るための行動だ。植物VS植物、動物VS動物、それから植物VS動物。観察、研究によって明かされる生き残るための攻防。本書には生き物たちの巧妙な生き方に関する古今の様々な研究が紹介されているが、単なる研究史ではない。

本書には次のようなことを示す図表がいくつも掲載されていて、それらは記述内容の理解に有効だ。大陸からの距離と島の面積と鳥の種数の関係、ワラビを食べる植食性昆虫の食べる部位と食べ方の関係、熱帯雨林における中規模攪乱仮説、4つの異なる段階で起こると考えられる繁殖干渉、ギフチョウとヒメギフチョウの分布境界、等々。

本書の内容を自分のことばで紹介できれば良いのだが、多岐にわたる内容を簡潔に要約してまとめるほど理解が深まってはいないので(と言い訳をして)、カバー折り返しに記されている本書紹介文から引用したい。**生き物の居場所=ニッチは、なぜそこに決まっているのか。これまでに餌や配偶者の存在などの理由が考えられてきたが、実は天敵の不在こそが何よりも重要なのだ。生き物たちの巧妙な生き方から、天敵不在と繁殖干渉という、生態学の核心的概念を紹介する。** 天敵不在も繁殖干渉もなんとなく意味内容が浮かびはする。それぞれ一章を割いて、具体的な事例を挙げて説いている。

へ~ そうなのか・・・、知らない世界のことを少しだけでも知ることは実に楽しい。そのための読書はこれからも続けていきたい。


 


切り絵の地図展

2024-01-25 | C 名刺 今日の1枚

 自然のものであれ人工のものであれ、人の趣味の対象になっていないものはない。鉄道大好きという人は多く、その数は100万人とも200万人とも言われている。地図が好きという人も多い。私も地図が好きで国土地理院発行の5万分の1地形図を何枚も持っている(過去ログ)。

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三宅島の5万分の1地形図 購入日:1979.05.16

繊細な線のアート

aikautau(あいか うたう)さんは地図を切り絵にする作家。松本市美術館で開催中の「切り絵の地図展」に今日(25日)行ってきた(1月28日までの会期)。線が好きだというaikautauさんは道路や線路、川などの線を地図から抽出してそれをデザインカッターを使って切り絵にしている。松本駅周辺や松本空港周辺など、馴染みの場所の作品も展示されていた。その繊細な線のアートに魅せられた。

 



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会場でaikautauさんと名刺交換をした。渡した名刺は234枚目だった。

火の見櫓も線状部材で構成されている線のアートだ。


※ 展示作品の撮影、SNSへの投稿は許可されています。


龍頭と撞座の位置関係

2024-01-24 | A 火の見櫓っておもしろい



で示した半鐘の撞座は反対側にもある。二つの撞座を結ぶ軸線と龍頭の長軸線の向きが一致している(黄色の線の向き)。こんなことは今まで気にもしなかったが、梵鐘について調べていて、ウキペディアでこのことを知った。

梵鐘は古代中国にルーツがあって、日本には6世紀後半に入って来たとのこと。で、その頃は前述の2本の線が直交していたそうだ。写真で言えば撞座が右側の縦帯のところにあったということ。それが平安後期以降に、写真のような位置関係になったそうだ。

なぜ、位置関係を変えたんだろう。位置関係が違うと何が変わるんだろう・・・。

上の写真のように二つの軸線が一致していると鐘を叩いた時に直交している時より揺れやすい、ということが直感的に分かる。揺れやすいということは龍頭(つり手)がスムーズに動くということだ。負荷(無理な力)がかかりにくいとも換言できる。軸線直交の場合と軸線一致の場合とでどの位の差があるのかは分からない。それ程違わないのかもしれないが、龍頭にかかる負荷を少しでも低減させようという意図で、位置関係を変えたのかな・・・。

それから揺れ方が違うと叩き易さ(撞き易さ)が違うのかもしれない。もし揺れが大きい方が叩き易い(撞き易い)のであれば、位置を変えた理由になるかもしれないがどうだろう。

このような推論しか、私にはできないが全く別の理由があるのかもしれない。どこか鐘を鋳造している工場に出向いて取材してみようかな。そうすれば何かわかるかもしれない。


注:上の写真とは別の半鐘の龍頭


 


ミャクミャク

2024-01-24 | A あれこれ


■ 来年大阪で開催される予定の万博の名称は? 関心が無いので名称は知らなかった。調べてみて分かった(下掲)。



キャラクターの名前も知らなかった。やはり調べて、ミャクミャクという名前だと知った。



今回はこのミャクミャクについて。

未知との遭遇による戸惑い、恐怖の反応

脳はもたらされた視覚的な情報を脳内にストックしている情報、既存の情報に照らし合わせて理解しようとする。既知のものに帰着させようとするというような表現もできる。脳内に情報が何もなくて理解できない場合には、不安に感じたり、不快に感じたり、状況によっては恐怖を感じたりもする。

恐怖映画の多くはこの「理屈」に依り、まず正体不明のものを部分的にチラッと登場させる。それを見た観客は恐怖感を抱く。その後徐々に正体が明らかになるというプロセスを経て、冷静に対処できるようになる。このような映画で直ちに浮かぶのは「エイリアン」だ。コロナウイルスへの対応もこのようなプロセスを辿った。

さて、ミャクミャクだが、上掲した姿を見ると、2本の脚で立っていて、腕も2本ある。この特徴から人の子どもとして脳が認知しようとするも、顔に目が5つもあるので、こんなの見たことないと脳が反応して、不快と感じたり、怖いと感じたりする。脳が受け入れがたい、理解できないと、拒絶反応を示すのだ。

公募案から選ばれたこのキャラクターが公開された時、小さい子どもが泣きだしてしまった、という話を耳にした。それも一度や二度ではなかった。怖いと感じた子どもの当然の反応だ。大人はさすがに怖いとは感じなかったのかもしれないが、何これ、気持ちわる~いと感じた人は多かったのではないか。初見で、わ~ かわいい!と思った子どもや大人がいたのかどうか。いたとしても少数だろう。

以上のことを踏まえても、このキャラクターを選んで良かったという答えを導き出すことは可能だろう。敢えて私の答えは示さずにおく。


開催期間:2025年4月13日~10月13日
開催場所:大阪 夢洲(ゆめしま)

※ 前売チケットの販売は2023年11月30日から始まっています。


「源氏物語と日本人」を読む

2024-01-23 | A 読書日記

360 
 NHKの大河ドラマ「光る君へ」が始まり、書店には紫式部、「源氏物語」に関連する書籍が並んでいてその数はかなり多い。

先日、松本の丸善で『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫)と『源氏物語と日本人 紫マンダラ』河合隼雄(岩波現代文庫 2016年6月16日第1刷発行、2021年5月25日第2刷発行)を買い求めた。先に「空海」を読み、次にこの本を読んだ。

著者の河合さんは第1章 人が「物語る」心理 の冒頭に**『源氏物語』は光源氏の物語ではない。これは紫式部という女性の物語である。**(2頁)と書き、さらに少し先に**物語に登場する女性群像が光源氏という主人公の姿を際立たせるためではなく、紫式部という女性の分身として見えてきたのである。紫式部という一人の女性が、彼女の「世界」をこのようにして描ききったのだ、と思った。**(2頁)と書いている。なるほど。これが心理療法の研究者としての河合さんの見方、見解なのだ。

『源氏物語』は多くの女性を光源氏の相手役に据えて、様々な恋愛模様を描いた物語で、紫式部が宮中などで知った女性たちをモデルにしていると一般には解釈されよう。河合さんは次のように指摘している。**「内向の人」である紫式部は、自分の体験を外在する人たちとの関係として見るよりも、むしろ、自分自身の内界の多様性として受けとめたと思われる。**(93頁)

河合さんは源氏物語に登場する女性たちを光源氏との関係(関係性という言葉の方がよく使われるように思うが、両者の違いがよく分からない)によって「妻」「母」「娼」「娘」の領域のいずれかに捉え、この順番に扇形に四分割した円(マンダラ)に位置付けている(202頁の図)。

「娼」の円弧上には六人の女性が夕顔、朧月夜、六条御息所、空蝉、未摘花、藤壺の順にプロットされている。夕顔と朧月夜は光源氏との関係、振る舞いが似ているという印象だったがマンダラでもそのことが示されている。

また「娼」の隣の「娘」にプロットされているのは秋好中宮、明石の娘、玉鬘、朝顔。この四人の中で朝顔は「娼」の夕顔に最も近い位置にプロットされている。なるほど、確かにふたりは似ているが夕顔は「娼」で、朝顔は「娘」という位置付けは納得できる。マンダラという図によってビジュアルに示されると分かりやすい。本書に示されているマンダラについてこのように書いても理解できないどころかイメージすら浮かばないだろうから、興味のある方は書店で確認していただきたい(講談社+α文庫にも収録されている)。

河合さんは紫の上を「娘」から「娼」までマンダラの四つの領域をすべて経験してきた女性として捉え、その内容を解説している。一つの領域に留まっていなかったということだ。なるほど、確かに紫の上は光源氏との関係が密であり長期間続く存在感のある女性だ。このことはマンダラ四領域通過ということからも理解できるということだろう。

本書の章立ては次の通り

第一章 人が「物語る」心理
第二章 「女性の物語」の深層
第三章 内なる分身
第四章 光の衰茫
第五章 「個」として生きる

第三章から俄然面白くなる。

言葉の定義がよく分からず、充分理解できないところもあったが、物語に登場する女性たちを紫式部の分身と捉えるという本書の論考はなかなか興味深い内容だった。


この機会に「源氏物語」の関連本を他にも読みたい。


「信濃路文学の旅」

2024-01-22 | A 読書日記

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 ブログに取り上げるのが遅くなってしまったけれど、上掲した「信濃路文学の旅」の①から④の4冊を昨年末に松本在住のKBさんから送っていただいていた。

長野県が舞台の小説などの文芸作品を地域別に収録(小説などは部分収録)し、それぞれの作品の解説文を載せている。三人の編著者は同じ高校の教諭だった方々。その中のお一人藤岡改造先生は私が在校していた時にもおられた。そんなこともあり、『幽霊の出ない話』を40年以上も前に読んでいる。


『幽霊の出ない話』藤岡改造(審美社1979年)
**俳諧の宗匠藤岡筑邨が、本名の藤岡改造を名のって、こんなに鋭く、おもしろく、ユニークな作品集の作者であることを知って、オドロキ、モモノキ、サンショノキである。**帯の文章の前にこの文章が書かれている(臼井吉見の書評)。

長野県が舞台の作品としてまず浮かぶのは北 杜夫の『どくとるマンボウ青春記』。4冊の中の②〈松本・安曇〉にその一部が収録されている。また①〈北アルプス〉には『幽霊』の一部が収録されている。掲載されているのはあの場面だろうな、と思って確認すると当たっていた。

目次を見ると川端康成、志賀直哉、島崎藤村、辻 邦夫、井上 靖、芥川龍之介、松本清張、森村誠一、檀 一雄、野上弥生子、永井路子、福永武彦、野口雨情、立原道造・・・、よく知られた作家や詩人が何人も。収録されている作品の大半は未読、隙間時間に読むのにちょうど良い。

本を送って、いや贈っていただいたKBさんに感謝しなくては。ありがとうございました。


 


半鐘の龍頭

2024-01-22 | A 火の見櫓っておもしろい

 なぜ梵鐘(火の見櫓の半鐘も同様)のつり手の飾りに龍が使われているのか。今まで特に疑問にも思わなかったが、FBに半鐘とその頭部の龍頭(竜頭)の写真(①  ②)を載せたところ、ある方からこのことを問うコメントをいただいた。それで調べてみた。




龍頭 二頭の龍頭が相反する造形、宝珠を載せている。この先は仏教の世界。龍は何を銜えているのだろう・・・。

火の見櫓の専用品としてこのような半鐘が鋳造されていたのであれば、龍は水を司る神であるから、火除けの願いを込めたのだという説明も出来るだろう。だが、そうではなくて寺の梵鐘でサイズが小さいものを火の見櫓の半鐘として用いたのだから、この説明は合理性を欠く。

今はネット時代、検索すると何らかの答えが見つかる。蒲牢(ほろう)という中国の神話に出てくる想像上の動物に行き着いた。咆えることを好み、また鯨を襲った時に鯨の咆えるのを聞くことも好むという。それで鐘の音が大きく響くように願って蒲牢をつり手部分の飾りにした、ということだ。蒲牢は龍の子だから姿が龍とよく似ている。それで、龍頭と呼称するようになったのだろう。


尚、この半鐘は松本市寿の火の見櫓(写真③)に吊り下げられていたが、火の見櫓は既に撤去され、半鐘は保管されている。このことについて既に書いた(過去ログ)。


「眠れないほど面白い空海の生涯」読了

2024-01-19 | A 読書日記

 『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫)は約460頁もあるが、空海の生涯が読みやすく書かれている。この本のミソは空海の人生を決したとも言える謎の一沙門を女性と想定したこと。善道尼(ぜんどうに)と名づけて、その女性との交流を主軸に置き、空海の生涯を物語に仕立てていること。なお、空海の生涯はウキペディアに詳しいので関心のある方は参照願います。

仏教に関する難しい言葉や知っている言葉であっても意味をよく知らない言葉には例示したように分かりやすい説明があり、本文の理解を助けている。**煩悩(肉体や心の欲望、他者への怒り、執着など人間の身心を悩ませ迷わせるもの)**(122頁)**最澄が入唐求法(にっとうぐほう 唐に行き仏の教えを学ぶこと)を朝廷に願い出た(後略)**(168頁)

遣唐使船が出航後に暴風雨に遭って日本に引き返し、一年近く(たぶん)の後に再度唐を目指すことになった時、欠員が出たために遣唐使船に乗ることができたという強運の持ち主。唐に流れ着き、空海が代筆した嘆願書の格調の高い名文、見事な筆跡に役人が驚き、入国が認められる。やはりこのエピソードに僕は一番感動する。

長安の高僧・恵果の弟子およそ1,000人の中で最も優秀だった空海。恵果の元で学んだのはわずか半年!その間で恵果は空海へ新しい密教(瑜伽密教)の伝授を終え、しばらくの後、入滅。本来20年と定められていた留学期間だが、空海はたった2年間で学ぶべきことは全て学んだと、帰国する。

帰国後、直ちに入京が認められず(20年と定められた留学期間を守らなかったことや政治的な事情による)、大宰府(ちなみに本書では大宰府にも北九州の地方官庁という注釈をつけている)で足止め3年。唐にいた期間より長い。

京に帰ってからの空海と先に帰国していた最澄との、どういうのか、そう、仏教界の主導権をめぐる駆け引きが物語の大半を占める。その際、嵯峨天皇の存在が大きい。以下省略。

それにしても空海の勤勉さは凄いとしか言いようがない。幼少の頃から最晩年まですばらしく充実した人生。また高野山にも東寺にも行きたいな。


東寺 五重塔 2008年1月


高野山 根本大塔 2014年11月


 


「眠れないほど面白い空海の生涯」

2024-01-17 | A 読書日記

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以上の写真 ブログの過去ログから


 菩提寺の宗派が真言宗ということもあり、空海に関する本を読んできた。ただ単に空海について知りたいという好奇心から。1月10日から2泊3日で松山旅行をして、50番札所 繁多寺と51番札所 石手寺を参拝したこともあって、また空海本を読み始めた。

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『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫 発行年不明)

命がけの入唐

第一船から第四船まで四艘の遣唐使船で唐に向かうも暴風雨に見舞われ、唐に行き着いたのは空海の乗る第一船と最澄の乗る第二船だけだった・・・。その1年近く前になるのか、遣唐使船がやはり暴風雨で日本に引き返しているが、その時、空海の入唐は認められていなかったのだから、実に幸運だった。

眠れないほどではないけれど、確かに面白い。ようやく空海が福州(長安からで2,400キロも離れたところ)に流れ着くも入国を認められなかったというところまで読み進めた。第一船の大使から代筆を頼まれた空海の嘆願書(漢文)により入国が認められたということは既に読んだ本で知っていた。(過去ログ

このことについて本書には次のように書かれている。**嘆願書を読んだ観察使(地方行政の最高責任者=長官)はその文章の格調の高さや力強い筆跡の見事さなどに関心し、大使一行への態度を変えた。すぐさま船の封印を解いて全員を船内に戻し、大使一行の上陸を許可したうえ、急造の宿舎を全員に与えて食料を提供した。**(204頁 太文字化したのは私) 一艘あたり100~120人が乗っていたとのことだ。

このエピソードに今回も感動した。やはり空海は凄い。その後、空海は長安で恵果という高僧の弟子になる。簡単に書いたが長安に着くのは日本を発ってから半年近く経ってから。まだまだその先がある・・・。読み進むのが楽しみ。

引用文にもあるが本書は言葉の説明を直後の( )内にしているので分かりやすい。


 


松山市のマンホール蓋

2024-01-17 | B 地面の蓋っておもしろい




撮影日:2024.01.11
 松山市のマンホール蓋 カラー蓋も見ました。1972年(昭和47年)に選定された松山市の花・ヤブツバキです。円形の中に上手く納めています。その周囲を縁取っているのは伊予かすりの井桁文様。 まつやま おすいという表記、みんなでつくろう住みよい松山というメッセージも。

火の見櫓を背景にして撮るという条件は満たせず。


 


平安時代の住居跡から出土した刀子

2024-01-16 | A あれこれ

 長野県朝日村には縄文時代の遺跡が何か所かある。西洗馬(にしせば)の氏神遺跡もそのひとつで、縄文時代、弥生時代、平安時代の遺物・遺構が出土している。

氏神遺跡から出土した平安時代の刀子(とうす、小刀)が朝日村歴史民俗資料館に展示されていることを知り、見に行ってきた(同館は19日まで冬季休館中だったが、知らずに出かけてしまった。お願いして見学させてもらった)。同館学芸員の方が長野県立歴史館に出向き、考古資料課の職員の指導を受けて劣化していた刀子の保存処理を行った貴重なものだ。

刀子は時代によって用途・目的が異なるとのことだが、平安時代には役人が紙を切ったり木簡を削ったりするときに使う鉄製の「文房具」だったとみられるという。


朝日村歴史民俗資料館 


同館2階展示室 正面奥が氏神遺跡の出土品展示ブース ここに刀子が展示されている。




長さ15cmほどの刀子

1000年も前、ちょうど紫式部が『源氏物語』を書いていたころの役人が仕事で使っていたのか・・・。


「鉄製刀子 保存処理報告書」

刀子の保存処理の過程が写真付きで詳細に記録されている。


 


「坊っちゃん」を読む

2024-01-15 | A 読書日記

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 松山といえば坊っちゃん。道後温泉駅前の広場にある坊っちゃんカラクリ時計を見ていて、ふと思った。坊っちゃんにとって清(きよ)はどういう存在だったんだろう・・・。

松山旅行から帰ってきて『坊っちゃん』(集英社文庫1991年第1刷、2019年第48刷)を再読した。

坊っちゃんは両親に可愛がられなかった。**おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかりを贔屓にしていた。**(9頁)そんな坊っちゃんにお手伝いさんの清は愛情を注ぐ。両親に可愛がられない分を埋め合わせるかのように。

**母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。**(15頁)とあるから、坊っちゃんが母親を亡くしたのは11,2歳の頃だろう。漱石はどうか。生後まもなく里子に出された漱石、その後のことは巻末の年譜に詳しく載っているが省略する。14歳の時、母親を亡くしたことだけ記しておく。

坊っちゃんは松山の旧制中学校に数学の教師として赴任していく。停車場で坊っちゃんを見送る清。**「もうお別れになるかもしれません。ずいぶんご機嫌よう」と小さな声で言った。目に涙がいっぱいたまっている。**(20頁)

坊っちゃんは松山で大騒動を繰りひろげる。そんな時、坊っちゃんがふと思い出すのは清のこと。**(前略)それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊い。今まではあんなに世話になって別段ありがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。(中略)何だか清に逢いたくなった。**(50頁)

松山での一年足らずの教員生活の後、東京に戻ってきた坊っちゃん。**(前略)革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落とした。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと言った。**(173頁)

これはもう母と息子の涙の再会シーンではないか。読んでいてそう思ったら涙が出た。漱石は坊っちゃんに我が身を重ね、清に母親を求めていたのではないか。そう、坊っちゃんにとって、そして漱石にとって清は母親だったのだ。

で、ラスト。**死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓のなかで坊っちゃんが来るのを楽しみに待っていますと言った。**(174頁) 悲しくて泣いた。

もちろん『坊っちゃん』を痛快な青春小説として読むこともできるだろう。でも僕は今回は母と息子の愛情物語として読んだ。


 


「免疫「超」入門」を読む

2024-01-14 | A 読書日記

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『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)を33会松山旅行の前に読んでいた。

本書の章立ては以下の通り。
第1章 人類の宿命・病原体と免疫の戦い
第2章 ヒトに備わった、5つの感染防御機構
第3章 病原体との攻防
第4章 自己を攻撃する免疫
第5章 炎症とサイトカイン
第6章 免疫とがん
第7章 老化を免疫で止められるか
第8章 脳と免疫の深い関係

**MHCにペプチドが結合している状態を「抗原提示」といい、MHC―抗原ペプチド複合体を発現している細胞を「抗原提示細胞」といいます。マクロファージ、樹状細胞、B細胞が、主な抗原提示細胞です。そしてここが重要なのですが、クラスⅠ MHCはキラーT細胞に、クラスⅡ MHCはキラーT細胞に、それぞれ抗原ペプチドを提示し、TCRによって認識されます。**(53頁)

脳の老化が確実に進んでいる。本を読み始めて数分後には記憶消去システムが自動的に起動して、小説では登場人物が分からなくなってしまう。だからノートにメモしながら読んでいる。

『免疫「超」入門』は免疫の基礎を説いた本だが、上掲文のように、免疫学などの専門用語が頻出する。あれ、MHCって何だっけ、TCRって何だっけとなってしまう。小説を読むときと同じようにノートにメモしながら読んだ。だが、内容の理解は覚束ない。老化現象が脳の全域で進んでいるのだろう。


「本を読んで内容が理解できなきゃ意味ないじゃん」と言わても仕方ない。でも、と敢えて言いたい。たとえ内容が理解できなくても読むことが楽しいのだから、それで良いと思っている。

本書の「はじめに」に免疫学は覚えるべき用語が多すぎて医学部の学生から最も嫌われている科目の一つだということが書かれている。私が理解できないのは当たり前のこと。

だが、ヒトの体ってミクロなレベルでもものすごく良くできているということは分かった。「これでいいのだ」