透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「かけ算には順序があるのか」

2011-07-31 | A 読書日記



『かけ算には順序があるのか』 高橋誠/岩波科学ライブラリー

 本書のタイトルを見て、順序なんてないって思ったのですが、どうもそうではなさそうで・・・。

小学校の算数で「6人に4個ずつミカンを配ると、何個必要ですか」という問題に、6×4=24という式を書くとバツにされるそうです。なぜでしょう。本書によると、教科書のかけ算の章の最初に、1つ分の数×いくつ分=ぜんぶの数という式が出てくるそうです。教科書によって表現は少しずつ違っているようですが。この問題では4×6=24という式が正解ということなんですね。

1個100円のパンを5個買うといくらですかという問題だと、100×5=500 つまり単価×数量=金額という順序の式でないとダメ、ということになります。



でも、でも・・・。手元にある請求書をみると、記載欄は数量、単価、金額の順序で並んでいます。これが一般的な並び順のようです。これは一体どういうことなんでしょう。

先の問題については大阪府の小学校で親と学校との間で論争になったことがあったそうで**式は思考の過程を表わすもので、答えさえあえばどちらでもいいというわけにはいかない。こどもの発達段階からみて、この場合、4×6と指導するのが最善の方法だ。**という学校のコメントが紹介されています。(13頁)

ネコが6ひきいれば、足は全部でいくつですか、というような問題であれば、私はまずネコの全身が浮かび、それから足にズームインします。ですから、状況把握のプロセス(というほどのものでもありませんが)を式にするなら6×4となります。きっと小学生にも同じ捉え方をする子がいると思います。でも小学校ではこの式ではバツなんですね。

このような問題は「1つ分の数×いくつ分=ぜんぶの数」でも「いくつ分×1つ分の数=ぜんぶの数」でもどっちでもいいと思います。

同じ答えを「同じ考え方」で求めるように指導する方が楽、指導しやすいでしょう。どうも教える側の都合が優先されているような気がします。子どもたち一人ひとりを相手にする必要がありませんから。でもいろんな考え方があって当然で、そのことを認めた上で子どもたち一人ひとりと向き合って指導して欲しいのもだと思います。


「ダンゴムシに心はあるのか」

2011-07-30 | A 読書日記



 『ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学』 森山徹/PHPサイエンス・ワールド新書

■ ユニークで簡単ないくつかの実験によって、ダンゴムシに「心」があることを実証しようとする興味深い試み。実験の前提となる心の定義だが、本書の記述によると「未知の状況において、予想外の活動を自発的に発現させる隠れた活動部位」ということになる。  

「部位」という言葉の意味というか定義がよく分からない。部位というと、例えばヒトでいうなら脳のある特定の領域をさすのだろうか・・・? 「隠れた」って、まだ見つかっていない部位(領域)という意味なのだろうか? それとも部位にものとしての実体が無いので見ることができないという意味なのだろうか? 仮にそうならそもそも部位という言葉は相応しくないように、私は思う。 

自然科学では、いや何も自然科学に限ったことではないが、用語の定義がきちんとなされていないと、言い換えれば概念規定が明確にされていないと記述内容の理解が難しい。この本の第一章「心とは何か」はよく理解できなかった。これは私の理解力不足によるのだろう・・・。生物学者の福岡伸一さんは朝日新聞紙上の書評欄で本書を取り上げて「心とは何かずばりと定義する」、「斬新な定義に胸騒ぎを覚えた」と書いていることだし。

第二章「ダンゴムシの実験」では比較的簡単な実験装置を使ったいくつかの実験が紹介されている。この章はなかなか興味深い内容だ。

多重T字迷路装置(って何? 書店で手にとってイラストを見て下さい)によって未知の状況をつくり出す実験の結果について、著者は**観察者である私に「おかしいな」と思わせる、「意味不明な」出現の仕方をする変則転向、それはまさしく、心によって発現させられた「予想外の行動」なのではないだろうか、ということでした。すなわち、この変則転向は、ダンゴムシの心が未知の状況を察知し、自発的に発現させたのではないだろうか、と思ったのです。地味な結果ではあるけれど、きっとダンゴムシの心の現れの一端をつかんだに違いない、そう思いました。(88頁)**と記述している。やはり研究者にはこのような優れた洞察力が必要なんだな、と思う。

心ってなんだろう・・・、ヒトの心ってどこにどのようにあるのだろう・・・。

ヒト以外の動物にも心はあるのだろうか。このことを確かめるには一体どうすればいいのだろうか・・・。こんな難問に取り組んでいる著者には敬服する。

本書に示されたいくつかの実験によってダンゴムシにも学習能力(経験で得た情報をフィードバックする能力)があること、そして環境の変化に応じた対応というか、「突飛な行動」ができることはよく分かった。でもそれが「心」のはたらきによるものだと理解することにはどうも抵抗があるなぁ~。 


丑鼻

2011-07-29 | A あれこれ



林丈二「鏝絵は鏝絵だけど、あの名前を何て言うんだろう。無ければ決めたいんですよね。ああいうところについているあれの名前を」
藤森照信「あれ、名前が無いんですよ」
赤瀬川原平「ないの?鏝絵と言ったらもっと一般的な」
藤森照信「うん。一般的には鏝絵。あそこの丸いところの名前を今つけたら、それが日本の建築の中で公用語になっていくね」

昨年、2010年の4月3日に茅野市民館で行われた座談会ではこのように語られているが(「藤森建築展のカタログ」に収録されている)、あれには名前があった・・・。

川島宙次さんは『民家のデザイン』相模書房であれを「妻飾り」としていたので、私もそう書いてきたが、長野県では「丑鼻(うしはな)」という名前があることを最近知った(*1)。 

長野県地方の左官用語 土蔵の地梁(牛梁 写真③)は壁面から少し外に出ている。この梁端をいう(写真②)。左官は壁土で塗り込め、ここに家紋や屋号のほか、火除けのまじないとして水、龍などの鏝絵をつける。「丑鼻」についてはこのように彰国社の建築大辞典にもちゃんと出ている。

日本建築の部位にはきちんと名前がついているから、あれには名前が無いという藤森さんの発言には ?だったが、これですっきりした。

②梁端

③丑(牛)梁 桁行方向に掛っている梁


*1 第5回松本安曇野住宅建築展


「日本アパッチ族」小松左京

2011-07-29 | A 読書日記



 作家・小松左京氏が亡くなった。氏の代表作である『日本沈没』は壮大な思考実験だ。

**ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。そこで、「国」を失ったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう、そして、日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくり考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書き始めたのである。** 氏は2006年、33年の時を経て刊行された『日本沈没 第二部』のあとがきにこのように書いている。

氏の死亡を伝える新聞記事に初期の代表作として『日本アパッチ族』が載っている。手元にあるのは角川文庫(写真)。奥付をみると昭和46年再販発行となっている。

鉄を食い、体も鉄化している「アパッチ族」が日本の軍隊(このSFでは日本は再軍備している)と対決して・・・。細部は忘れた。40年ぶりに再読してみるか・・・。


173 174 穂高の火の見櫓

2011-07-27 | A 火の見櫓っておもしろい


173



1 櫓のプロポーション ★★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★★

3 美脚度  ★★★★★

 少なくとも高校までの試験問題では正解はひとつ、でした。でも世の中、そんなに単純ではないですよね。正解が複数あることや、正解があるのかどうかわからないことの方が多いような気がします。

火の見櫓のデザインもその一例です。「みんな違う でもみんな正解」 という気持ちで観察しています。

さて、今回は安曇野市穂高で見かけた火の見櫓です。櫓のプロポーションはなかなか良いと思います。もう少し細身がいいかな、とも思いますが屋根・見張り台のカチっと固い印象の男性的なデザインにはこの位の太さがちょうどいいでしょう。で、プロポーションについては減点無しとしました。

屋根・見張り台はバランスが良く、形も整っています。でも私の好みからすれば、下の写真(池田町の火の見櫓174)の屋根・見張り台のような柔らかなデザインがいいです。形は個性的で尚且つ良くまとまっていると思います。


174 北安曇郡池田町の火の見櫓



脚部のアーチは大きさが適度で好ましいと思いますが、シンプルで、ちょっと物足りないです。でも減点するほどではないでしょう。


 


坂道もおもしろそう(改稿)

2011-07-27 | A 読書日記



 何でも趣味の対象になるんですね、もちろん坂道も。タモリは大の坂道ファンだそうで、日本坂道学会副会長だとか。

先日『タモリのTOKYO坂道美学入門』講談社 という本をカフェマトカでパラパラと見たのですが、なかなかおもしろい内容でしたので購入しました。本に載っているカラー写真は全てタモリが撮ったそうですが、どの写真にも人も車も写っていません。ネコもイヌも。タモリのこだわりというか美学なんでしょう。中目黒のなべころ坂の紹介文に**カメラを構えると、すかさず宅配便の車が止まるんで困っちゃいました**と書いています。タモリの写真は坂道を的確に捉え、しかも美しい。タモリって何でも器用にこなす人ですね。

タモリは「よい坂」の条件を4つ挙げています。
1 勾配が急である 
2 湾曲している  
3 まわりに江戸の風情があること 
4 名前に由来、由緒がある

3の条件はよく分かります。東京って意外なことに昔の風情を醸し出しているスポットが結構残っているんですよね。タモリは取り上げた坂道の実力判断ということで、この4つの項目についての数で評価しています(これに倣って火の見櫓の評価を始めたのです)。

私が今関心があるのは「菊坂」。この坂道の路地には樋口一葉が19歳の時から4年間住んでいたそうですね。タモリがこの本で取り上げている37の坂には菊坂は入っていませんが、どんなところなのかいつか訪ねてみたいと思います。

それから、この本の写真を見て行ってみたいと思ったのは日無坂(東坂)。タモリはこの坂を**坂道とY字路の幸せな融合。Y字路も大好きなんで絶対に見逃せない坂道です。**と紹介しています。なかなかおもしろい空間構成になっています。

ありがたいことにどの坂にもウォーキングマップやお立ち寄りスポットが載っています。今度東京するときは、この本を忘れないようにしないと・・・。


しばらく前に読んだ『江戸の坂 東京の坂(全)』やこの本で、坂道のおもしろさ、奥深さに気付かされました。


自己紹介

2011-07-26 | A あれこれ


松本安曇野住宅建築展@松本市美術館のインスタレーションに使われていた合板

 情報がたくさん示されていて私的解釈をする余地がありません・・・って困るな~。C-Dってどんなことを示しているんでしょう。




172 池田町の火の見櫓

2011-07-25 | A 火の見櫓っておもしろい


172 北安曇郡池田町の火の見櫓 110725





1 櫓のプロポーション ★★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★
3 美脚度 ★★★

フィギュアスケート、体操、スキーのジャンプ、シンクロナイズド・スイミング等、スポーツには採点種目がいくつもありますね。これらの種目の採点にはそれ程バラツキがない、という印象です。採点のチェックポイントや基準がきちんと決められているからでしょう。

火の見櫓の評価については、客観性など全くありません。

今回は池田町の火の見櫓を取り上げました。少し離れたところで火の見櫓のプロポーションを観察しましたが、なかなか良いと思います。屋根・見張り台に関してはちょっと間延びしているという印象です。屋根が錆びていることや、見張り台の手すりのデザインがそっけないこと、スピーカーが付いていることなどは減点の対象です。ということで★★★としました。

また、脚についてはちょっと長すぎて櫓とのバランスが良くありません。つま先立ちしているかのような印象を受けるのは、トラスが途中で終わって下部が単材でつくられているからでしょう。このことも減点の対象です。


 


「土門拳の昭和」

2011-07-24 | A 読書日記


美術館の入口に張られたポスター

 松本市美術館で開催中の「土門拳の昭和」を観てきました。展示作品数300点、これだけ充実した展覧会が地方の美術館で開催されていることは驚きです。

土門拳は26歳で報道写真家として活動を始めたそうですが、それから様々な対象にカメラを向けてひたすら昭和という時代を撮り続けました。昭和34年に撮った「筑豊のこどもたち」の中で、「るみえちゃん」という少女の写真(下)は私が特に強く印象づけられている作品です。これほど子どもの「悲しみや不安」を表現した作品を私は他に知りません。



高村光太郎は土門拳の作品を**土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する。この無機性の眼と有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感ずる・・・・**(「日本名建築写真集1 室生寺」新潮社の解説文からの引用)と評したそうですが、この作品だけでこの指摘が正鵠を射ていることを示すに充分だと思います。

戦後間もない東京、子どもたちが無邪気に遊ぶ姿を写した動きのある写真や室生寺で撮った仏像の静かな写真など各作品の力強さに圧倒されました。


サッカー観戦記

2011-07-24 | A あれこれ





 昨晩(23日)はアルウィン(←過去ログ)でサッカー観戦をした。松本山雅FC対ホンダFC(静岡)。前半30分頃、正面からミドルシュートをきれいに決められて先制を許すも、後半の残り2、3分のところで木島のシュートが決まって辛くも同点に追いついた。

勤務先の同僚たちと合流するはずが、ケータイ(多機能になってもう携帯電話とは言わないですね)を忘れて連絡がとれず、ひとりで観戦することに・・・。帰宅して確認すると誘ってくれたKさん(そうか、彼女もKさんだ)から2回着信があった。

私の前の席で爽やかカップルが観戦していたが、同点になったとき、女性が後ろを向いて私とハイタッチをしてくれた。中年おじさんは、こういうのがとてもうれしいのです、ハイ。それからは勝ち越しゴールを期待して総立ちで応援したが、結局1対1で引き分けた。

冷静にみて攻撃も守備も相手チームが上だ、と思った(などと書くと、Kさんに文句を言われそうだが)。守備から攻撃に転じた時、もっと効率的なパスを出して速攻して欲しい。どうも攻めが遅い。ゴール前でだんご状態からのシュートは美しくない、なんちゃって ^^;  

 


― 火の見櫓「鑑賞」のツボ

2011-07-23 | A 火の見櫓っておもしろい

 
1 櫓のプロポーション

 
2 屋根と見張り台の美しさ

 
3 脚の美しさ

 鑑賞と観賞。鑑賞と書けば芸術作品が対象、観賞ならば一般的なものが対象になるんですね。ですから火の見櫓には観賞という漢字を充てるのが一般的でしょう。でも私は敢えて、火の見櫓鑑賞と表記します。火の見櫓は鉄の造形、鉄のアートだと思っていますから。

タモリが坂道のファンで、よい坂道の条件として4項目を挙げ、東京の坂道を評価しているということを先日書きました。ここで復習しておきます。

1 勾配が急である
2 湾曲している
3 まわりに江戸の風情がある
4 名前にいわれがある

各項目に私はなるほどと納得して火の見櫓で同様の試みをしてみようと思い、数日間考えました。で、次の項目を挙げてみました。

1 櫓のプロポーション
2 屋根と見張り台の美しさ
3 脚の美しさ

オリジナリティーと立地条件を加えてもいいかな、とも思いますが、とりあえずこの3項目でやってみます。

今回は長野県朝日村西洗馬の火の見櫓です。評価はかなり高いです。

1 櫓のプロポーション     ★★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ  ★★★★
3 美脚度           ★★★★★

が5つで最高評価とします。

1 櫓のプロポーションについては、上方へ曲線状に絞り込まれていること、横架材・ブレースによる櫓の分割が適度であること
がポイントです。逓減率がどのくらいのときに美しいと感じるのか、これは今後の研究課題です。 ^^;
2 屋根と見張り台の美しさ、この説明は難しいです。両者の形、大きさのバランス、飾りものなどから総合的に評価します。
3 美脚度については、脚がトラスで構成されていて、櫓との長さのバランスがよいこと。脚の付け根の部分が適度な大きさのアーチになっていること。そして櫓の荷重が素直に、スムースに地面に伝わっているように見えるかどうかがポイントです。

この火の見櫓の場合、屋根の勾配が急で反りがきつ過ぎること、それに飾りものが派手で目立ちすぎること、見張り台にはもう少し優しい表情が欲しいことなどが減点の理由です。もちろんこれは私の主観によるものです。


 


宇宙船 地球号 の定員は?

2011-07-22 | A あれこれ

 前々稿に書いた『食糧危機が日本を襲う!』柴田明夫/角川SSC新書 を読んでいます。

地球が養える人口は一体どの位なのか・・・、気になるところです。

**問題は世界の穀物収穫面積が、1980年代から減少傾向にあるということだ。このまま人類が増え続ければ、食糧が絶対的に不足する瞬間が間違いなく訪れる。**と著者は書き、**フィリピンの国際稲研究所(IRRI)は、地球が養える人口を83億人と推計している。国連の人口推計(2010年版)によれば、(中略) 2025年に80億人に達し、その後ややペースは鈍るものの、2083年には100億人に達する。そこに至るまでのどこかの時点で、「絶対的供給不足の時代」が訪れるのである。**と続けています(120、121頁)。なお、全世界の耕作可能な地域の面積は約30億ヘクタールだそうです(119頁)。ピンとこない数字ですが。

宇宙船地球号の定員については諸説あるでしょうが、本書にはこのように紹介されています。

ところで、最近ソフトバンクの孫正義氏が休耕地や耕作放棄地に太陽光発電パネルを設置し、発電するというプロジェクトを提案していますね。原子力発電から太陽光発電へのシフトは当然のように思います。 でも、休耕地や耕作放棄地ってすべて農地として再び活用するようにしなくていいのでしょうか。前述したように食糧不足は必至なのですから。

電力不足と食糧不足・・・。宇宙船地球号の操縦はこれからかなり難しくなりそうです。



 『Operating Manual for Spaceship EARTH  宇宙船「地球」号 フラー人類の行方を語る』 
建築家であり思想家・哲学者でもあったバックミンスター・フラーの著書 昭和47(1972)年3月初版発行 

本稿のタイトルはこの本のことを思い出してつけましたが、内容はすっかり忘れてしまっています。


 


蔵造りの店舗に棲むネコたち

2011-07-21 | F 建築に棲む生き物たち


棲息地:松本中町の店舗 観察日:110721

 蔵造りの店舗2階の窓の外側にネコが棲んでいるのを見つけました。左のは耳が長いけれど、ウサギ程ではなく、やはりネコだと思います。このところ生き物さがしをしていませんでしたが、まだまだ松本市内の建築には生き物が棲んでいそうです。


「食糧危機が日本を襲う!」

2011-07-21 | A 読書日記



 『だれが中国を養うのか? 迫りくる食糧危機の時代』レスター・R・ブラウン/ダイヤモンド社  この本は1995年12月、今から15年前に初版が発行されました。当時この本を読んで、その内容に驚いたことを覚えています。

本書に中国の穀物の需給予測(2030年)について、ふたつのケースが示されています。ケースⅠは、一人当たりの年間穀物消費量を現状の三〇〇キロを前提とし、人口のみが増加するというもの。ケースⅡは、畜産物やアルコール飲料などの消費が増加し、一人当たり年間四〇〇キロの穀物が消費されるというもので、ケースⅠでは自給率が56.8%、ケースⅡでは42.4%になるというデータです(186頁)。

ケースⅠでは2億700万トン、ケースⅡでは3億6900万トンの穀物が不足するというのです。ケースⅠの場合でも1994年の全世界を合わせた穀物輸出量にほぼ等しいといいますから、いかにこの量が多いかが分かります。 ケースⅡの方が現実的でしょう。いや消費量はもっと多いのかもしれません。でも、このように食糧危機が迫っていることを日本が直視しようとしないという厳しい現実があります。中国を日本に置き換えて、「誰が日本を養うのか?」を考える必要があります。

ひたすら工業化により(一次産業を犠牲にしてと敢えて追記しますが)経済大国へと進んできたこの国は少しでも一次産業、特に農業へとシフトし、食料自給率をアップすべきだということを、先日私はKちゃんとの会話の中で述べました。その兆しが出てきていると実は思っていたのですが、先の大震災と福島第1原発の事故で農業や水産業も甚大な被害を受けましたから、この先どうなるのか心配です。

『食糧危機が日本を襲う!』柴田明夫/角川SSC新書 を読み始めました。この国の現状を知らなくてはならい、という想いからです。帯に示された目次を載せておきます。



日本の食料を守るのは日本です。他に世界中のどこにもありません。


メモ)
食糧:穀物を指す。
食料:穀物だけではなく、その他の農作物・畜産物・水産物を含む食品全般を指す。