透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「徳川家康の江戸プロジェクト」

2021-04-30 | A 読書日記



 今日(30日)の朝カフェ読書。しばらく前に読んだ『都市計画家 徳川家康』谷口 榮(MdN新書2021年)の類書『徳川家康の江戸プロジェクト』門井慶喜(祥伝社新書2018年)を再読する。門井氏はNHKでドラマ化された『家康、江戸を建てる』の作者。

作家だけあって、文章は読みやすい(いや、作家の文章だからといって読みやすいとは限らないか)。例えば、第五章「首都は生き続ける」の第一節「江戸は人工的な町」の次の件(くだり)。**利根川という大河川を曲げたうえに、湿地帯を埋め立てて土地を造成し、町をつくりました。飲み水は遠方から江戸まで堀を建設し、上水を引いて調達しました。食糧は日本海側の諸国や西日本、上方から船で運び込みました。そうすることで、一〇〇万人もの人が住めるようになったのです。**(134頁)江戸が人工的な町であることを簡潔にまとめている。

また、掲載されている図も分かりやすい。例えば家康が江戸に入った1590年ころの海岸線を示す図には国土地理院の空中写真が合成されていて、日比谷入江の最奥部が東京駅と皇居の間にまで入り込んでいることが分かるし、利根川東遷のプロセスを示す図も分かりやすい。

著者の門井さんは**家康が描いた江戸城の縄張りのなかでも、自然の河川を利用して内濠・外濠をつくったことは大ファインプレーでした。**(138頁)と指摘し次のように続ける。

**自然の河川を利用して堀にしたことに代表される自由さが、江戸の町が外に広がることを妨げず、江戸は非常に可塑性の高い町になったのです。それが結果的に、江戸を巨大都市へと発展させる端緒になりました。**(139頁)

本稿で引用した箇所がこの本のポイント、と私は捉えた。

巻末にこの本が著者の講演を元に構成されたことが記されている。読みやすく、分かりやすいのはこのことにも因るのだろう。


 


ブックレビュー 2021.04

2021-04-29 | A ブックレビュー

560

 4月の読了本は9冊。

松本清張の代表作『砂の器』と私の好きな『ゼロの焦点』はともに人に知られたくない不幸な過去を知る人物との偶然の再会が招いた悲劇を描いている。『影の地帯』は信州の湖が事件の重要な場所になっている。ちなみに『ゼロの焦点』で主人公の女性が失踪してしまうことになる夫と新婚旅行に出かけたのも信州だった。

『ゼロの焦点』には次のような一節がある。**敗戦によって日本の女性が受けた被害が、十三年たった今日、少しもその傷痕が消えず、ふと、ある衝撃をうけて、ふたたび、その古い疵から、いまわしい血が新しく噴きだしたとはいえないだろうか。** 新潮文庫1990年136刷462頁 

清張作品で再読したいのは『球形の荒野』かな。

『神々の消えた土地』 北 杜夫が大学2年生のときに前半を書いていたものを40年ぶりに完成させたという作品。久しぶりの再読。戦争が招いた悲劇的な結末に涙。

『北杜夫の文学世界』奥野健男 **北杜夫文学の本質は幼年期の神話的な記憶と、少年期の傷つきやすい、鋭敏な魂の上に形成されている。自己の中にある幼少年期を純粋培養し、それを現代に、大人の世界に投影させ、人々に忘れていた素朴な詩心―全人間的なかなしさとよろこびとを蘇らせる、そこに北杜夫文学の本質的な魅力があるのだ。**(91頁)

『幽霊』『木精』『楡家の人びと』 北 杜夫の代表作はこの流れにある。『神々の消えた土地』然り。

『ルポ 保育格差』小林美希 こんな保育園が本当にあるのか・・・、保育現場のレポートを読んで驚いた。小さな子ども達が家庭を離れて初めて過ごす社会がこんな実態だとすると実に悲しい。保育格差は思っている以上に大きいのかもしれない。

『デジタル化する新興国』伊藤亜聖 デジタル技術の進歩が著しい新興国、先進国を凌駕する技術の可能性とリスクは世界に何をもたらすのか。

『現代建築の冒険「形」で考える――日本1930~2000』越後島研一 ざっくり括れば現代建築の形の変遷記、かな。


 


木曽郡大桑村のマンホールカード

2021-04-29 | B 地面の蓋っておもしろい

 

 今月(4月)25日から安曇野市でマンホールカードの配布が始まったが、この日に木曽郡大桑村でも配布が始まった。所用で同村に出かけたKさんにお願いしてカードを入手した。

デザインの由来に記されているが、蓋に描かれているシャクナゲは村立100周年を記念して村の花に定められたとのこと。マンホール蓋には複数のモチーフが描かれることが多いが、この蓋はシャクナゲのみで、写実的に描かれている。村章も入れていない。(過去ログ


 


「新幹線100系物語」

2021-04-27 | A 読書日記

320

 『新幹線100系物語』福原俊一(ちくま新書2021年)を読み始めた。しばらく前に鉄道ジャーナリスト・梅原 淳氏の『新幹線を運行する技術』(SBビジュアル新書)という本を読んだが、書名が示す通り、新幹線の運行に関するソフトとハードを総合的に紹介し、論じたものだった。

それに対して読み始めた本は、1964年の東海道新幹線開業時の0系車両の後継である100系車両の技術開発の舞台裏を開発に関わった20名を超える技術者への聞き取りに基づき、紹介している。国鉄の技術者たちの組織がいかに優れていたかを知ることができるし、技術開発のあり様についても学ぶべきことが少なくない。

**100系は従来の0系ひかり編成と定員を一致させることが条件だった。**(43頁) え、何故?

**「万一100系が故障した場合は0系を代用することになりますが、指定券は既に販売しています。定員が減ったら席がなくなってしまい、お客様に迷惑をおかけすることになります。そうならないように定員を合わせることが一番のポイントと、われわれ設計サイドは考えました」**(43頁) なるほど! 

シートひとつをみても間隔やリクライニング、3人掛けシートの回転など改良すべき課題がいくつもある。もちろんコストの低減化、車体軽量化、外観デザイン、内装デザイン、ブレーキシステム・・・。

本の帯に100系車両の写真が載っている。先頭形状はこのくらいのデザインが好いと私は思う。

興味深い内容だ。明日(29日)予定されていた行事は延期されたから、この本を読もう。



100系 営業運転期間 1985年~2012年(27年間)


甲州市塩山の火の見梯子

2021-04-25 | A 火の見櫓っておもしろい


(―)山梨県甲州市塩山 2脚(梯子)無4型 

 安曇野市役所までマンホールカードを貰いに出かけた。その帰りに豊科のカフェ・BWCLに立ち寄った。火の見梯子の写真を受け取った。私に渡して(ってオヤジギャグじゃない)欲しいとお客さんからオーナーが託されていたとのこと。

プリントした写真の裏に甲州市塩山竹森2780-4と撮影地が記してある。帰宅してこの住所を調べるとJR塩山駅から北に何キロか入ったところだ。この辺りには櫓造りと呼ばれる民家があり、学生時代に見て歩いたことがある。(過去ログ) ストリートビューで移動してみるとまだ櫓造りや突き上げ屋根の民家がある。

さて、いただいた写真の火の見梯子。

梯子を登り切ったところには見張り台というか、簡易な足場が設置され、さらに手すりも設置されている。半鐘を叩くということにちゃんと配慮した親切なつくりだ。梯子タイプでブレースを設置してあるのは珍しいし、火の見梯子に梯子が別設置されているのも珍しい。下の写真のようなタイプが多い。



947 茅野市玉川菊沢下 2脚(梯子)無無型 撮影日180107


 


安曇野市のマンホールカード

2021-04-25 | B 地面の蓋っておもしろい

   

 安曇野市のマンホールカード配布初日の今日(25日)、配布場所の安曇野市役所まで出かけて1枚入手した。熱心なカードコレクターではないが、近くなので。蓋をリンゴで縁取るというアイデアは素晴らしい。中に田植え前の田んぼに張った水面に写る常念岳と道祖神を描いている。昨年(2020年)、公募で選ばれたデザイン。過去ログ


 


安曇野市明科の火の見櫓

2021-04-25 | A 火の見櫓っておもしろい


(再 267)安曇野市明科 4脚4〇型 撮影日2021.04.25

 安曇野市明科(旧明科町)の国道19号沿いの消防団詰所の裏側に立つ火の見櫓。ここを車で通るたびに姿形の美しい火の見櫓だなぁ、と思って見ている。



国道から離れて西側から見るとこんな感じ。消防団詰所の後ろではなく、横に建てることができたら良かったのに・・・。





屋根と見張り台の大きさのバランスが良くて美しいし、末広がりの櫓の姿形も美しい。加えて脚も美しい、ちょっと短いけれど。加えて踊り場まで外付けされた梯子がアクセントになっている。残念なのは見張り台から突き出ている消火ホース引上げ様のウインチを収めたボックス、これさえなければ・・・。ただしこれがあるから省力できていたことは確か。


昭和30年9月建設
 


「北杜夫の文学世界」

2021-04-24 | A 読書日記

360

 『北杜夫の文学世界』奥野健男*1(中央公論社1978)を再読した。

書き出しが有名な小説、私は川端康成の『雪国』と島崎藤村の『夜明け前』がまず浮かぶ。北 杜夫のファンならば**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。**という『幽霊』の書き出しが浮かぶだろう。

この書き出しは**その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**と続く。

この魅力的な書き出しに、この小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める「心の旅」がテーマの作品だ。『幽霊』は北 杜夫の最初の長篇小説で、幼年期から旧制高校時代までを扱っている。23歳のときに書き始め、26歳のときに書き上げて同人誌に発表した後、自費出版した作品。

北 杜夫の作品を論じた本書で奥野健男氏もこの『幽霊』の書き出しをまず取り上げ、**北 杜夫文学のライト・モチーフが、象徴的に語られているように思われる。**(7、8頁)と書いている。

小説も建築も最初の作品に作家のすべてが詰まっているという自説と上掲した奥野氏の指摘は一致している。

北 杜夫が子どものころ、昆虫採集に夢中になっていたことはよく知られているが、奥野氏は『楡家の人びと』(*2)を次のように分析している。**ぼくは大長篇「楡家の人びと」は、昆虫の観察、分類の手法を、明治、大正、昭和三代の楡病院の人々や日本全体に用いることによって、誰もなし得なかった日本の近代史を冷静にしかもいきいきと描くことができたのではないかと考える。**(29頁) なるほど、このような捉え方があったか・・・。

**北 杜夫文学の本質は幼年期の神話的な記憶と、少年期の傷つきやすい、鋭敏な魂の上に形成されている。自己の中にある幼少年期を純粋培養し、それを現代に、大人の世界に投影させ、人々に忘れていた素朴な詩心――全人間的なかなしさとよろこびを蘇らせる、そこに北 杜夫文学の本質的な魅力があるのだ。**(91頁)

奥野氏はずばりこのように指摘している。そう、北 杜夫作品の本流は追憶にあるのだ。

昨年の春に文庫本の大半を古書店に引き取ってもらったが、北 杜夫の作品は残した。これからも再読する機会があるだろう。


*1 奥野氏と北 杜夫は麻布中学(旧制)時代からの友人
*2 **戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性(オーソドクシー)を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる。(中略)これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!**三島由紀夫はこのように「楡家の人びと」を激賞している。

 


常念岳

2021-04-22 | A あれこれ


常念通りから残雪の常念岳を望む 撮影日2021.04.22

 松本は周りを山に囲まれた城下町。城下の道路計画には、山当て、すなわち道路のヴィスタに特徴的な山を当てる(山を真正面に据える)手法が採られていたという。現在も周囲の山の景観も道路もほとんど変わっていないから、今でもこのことは確認することができる。美ヶ原や乗鞍岳、袴越山などを当てている道路があることを何年か前に知った。

このことについては松本は山に囲まれているのだから、道の真正面に山が座っているのは当然であって、意図的なものではない、という指摘もあるようだが、山のピークが外れていないことからやはり偶然ではないと思う。

江戸の街でも富士山と江戸湾をヴィスタに据えた道路計画がなされたことが知られている。私が昔住んでいた東京の国立市には富士見通りと名づけられた通りがあるが、アイストップとして通りの正面に富士山があった。計画的につくられた国立にもこの手法が使われたのだろう。

ただし上掲写真の常念岳を正面に見る通りには常念通りという名前が付けられてはいるものの、上記のような山当てによって計画されたわけではないようだ。


**夕ぐれに日が沈むあまりに荘厳な北アルプスの峰々。すぐ正面の常念岳は三角形をなして親しみやすかったし、その左方の島々谷の彼方にのぞく雪の精とも見まがう乗鞍の姿。ずっと右方の白馬連峰は夕映えにいつもうす桃色に染まるのであった。**(「神々の消えた土地」北 杜夫 新潮社 161頁)


「神々の消えた土地」

2021-04-21 | A 読書日記

360

 『神々の消えた土地』(新潮社1992年)を再読した。時は終戦直前、昭和20年の1月から9月。舞台は東京と信州松本。

昭和20年の1月の下旬に松高を受験して合格した私は、初夏になって信州松本に列車で向かう。**塩尻の駅を過ぎると、西の窓に忘れることのできぬ北アルプス連峰が遥かに連なっているのを、係恋の情を抱いて私は望見した。黒い谿間の彼方に聳える全身真白な乗鞍岳は、あたかもあえかな女神が裸体を露わにしているかのようであった。**(84頁)そして思誠寮(*1)で生活し始める。

松高を受験する直前、麻布中(旧制)の生徒だった私は東洋英和女学校の生徒、知子と知り合う。戦争が激しくなって知子は甲府に疎開。知子から松本高校思誠寮気付として私に手紙が届く。その後ふたりは松本で再会し、知子の希望通り美ヶ原に登る。そしてそこでふたりは結ばれる、「ダフニスとクロエ―」のように・・・。

知子は7月8日に同じ汽車でまた松本に来ると約束して甲府に帰っていった。その日、松本駅でいくら待っても知子の姿は現れなかった。ようやく手に入れた切符で1週間後に甲府に出かけた私が見たのは、7月6日から7日にかけての空襲で焦土と化した街だった・・・。

今朝(21日)、朝カフェで読み終えた時、悲しくて涙が出た。

北 杜夫のファンでよかったな、と思う。


*1「どくとるマンボウ青春記」の舞台となった学生寮


「都市計画家 徳川家康」

2021-04-19 | A 読書日記


『都市計画家 徳川家康』谷口 榮(MdN新書2021年)

 書店で平積みされていたこの新書が目を引いた。MdN新書は昨年(2020年)4月に創刊され、本書には021という番号が付けられているから21冊目の刊行ということだろう。エムディエヌコーポレーションという全く知らない出版社の新書だが、書名や帯の**天下人の地形利用術**というコピーに惹かれ、買い求めた。

著者は**家康の江戸入部以前の中世の江戸に注目するが、具体的には、江戸低地や江戸前島、日比谷入江の形成過程を概観し、江戸やその周辺がどのような地形・地質なのかを押さえた上で、江戸やその周辺で営まれた開発の様子を読み取っていきたい。**(4頁)と本書の「はじめに」で書いている。

中世江戸の地形は現在とはかなり違っていて、現在の有楽町と霞が関の間は日比谷入江と呼ばれる入江だったこと、また、この日比谷入江の東側に当たる東京駅から新橋駅辺りまでは江戸前島と呼ばれる岬だったことが知られている。私も日比谷入江と江戸前島という名称だけは以前本で読んだことがあり、知っていた。著者はこのような江戸の地形が川の流路を変えたり埋め立てたりするなど、人為的変えられてきたことを他説を検討しながら論じている。なかなか興味深い内容だった。川の付け替えには物流や治水の他に堀と同様、防御的な意味もあったことを本書で確認した(43頁)。

江戸は凹凸地形や川を上手く活かした都市計画を実践することで造られてきたことを本書で改めて確認した。類書を読んで理解を補いたい。


 


ブログ記念日 情報発信するということ

2021-04-18 | A あれこれ

 4月16日はブログ記念日でした。2006年4月16日、この日に私はブログを始めました(過去ログ)。

外界からの刺激に反応するということが生きていることの証です。低次の刺激への反応は例えば日射しがまぶしくて手をかざす、騒音に耳をふさぐというようなことが例示できます。瞳孔は光に反応して大きさを変化させますが、これは最も低次な刺激にたいする生体反応ですよね。

高次の刺激(情報)、例えば音楽や絵画、映画、メディアが伝えるニュースなどから私たちは様々な刺激を受け、音楽のリズムに合わせて体を動かしたり、映画を観て涙したり、ニュースに悲しんだり、笑ったり、驚いたり、怒ったりと、様々な反応をします。そしてこの反応を「ねえ、聞いて、聞いて」「これ見て」というように、家族や友人に伝えたいという欲求は程度の差こそあれ、誰にもあるでしょう。ブログによる情報発信もこのような欲求によるものですよね。書き手が受けた様々な刺激に対する反応・応答を伝える、発信する行為と捉えることができるでしょう。この場合、相手は特定できない多数ということになります。

ブログを始めたのはこんなことを考えていたからではなく、ただパソコンアレルギーを解消したいとう想いからでした。日常的にパソコンを使うようにすればアレルギーも治まるだろうと思ったのです。

ブログ開始から時は流れ、早15年経過! 書いた記事は6,600件を超えています。ブログはすっかり日常生活の一部となりました。

上記の通り、ブログを閲覧していただく多数の方々の存在が、情報発信することを意義付けています。

皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


16日の記事を書き改めました。


「影の地帯」読了

2021-04-16 | A 読書日記

 昨晩(15日)松本清張の『影の地帯』(新潮文庫1972年発行、1998年55刷)を読み終えた。事件を追うことになるカメラマン・田代利介が飛行機内で出会い、惹かれた女性。名前も分からないこの女性が事件に関わっていることが次第に明らかになる。

最後、この女性はどうなったのだろう・・・。このことが気になって、読み急いだ。ラストのサスペンスフルな場面の後に女性の名前も明らかになり、田代が望む結果に一応なる。ただし女性は凶悪な犯罪に関わっていたのだから、起訴猶予とはならないんじゃないかな。

**この平和の奥に、まだまだ見えない黒い影が傲慢に存在し、それが目に見えないところから、現代を動かしているのだ。**(604頁) 松本清張はこのことを伝えたくて600頁もの長編小説を書いたのだろう。タイトルの『影の地帯』にもこの意味が込められていると思う。

ネタバレになるから詳しくは書かないが、パラフィン包埋(ほうまい)と呼ばれる方法によって臓器の標本をつくり、それを薄く刻んで顕微鏡で検査するという方法を清張が知り、このことから死体処理の方法を思いつき、これは使える! と思ったに違いない。

わざわざこんなことをしなくてもとか、こんな行動するかな・・・。読みながらこのように思うところもあった。わざわざ木箱を東京から信州まで送らなくてもいいじゃないか、その木箱を何も湖に投ずることはないじゃないか。だが、このような行動は合理的ではないという指摘、つっこみは小説としての面白みを半減させる。そう、このような不合理な行動が小説を魅力的にしているともいえるのだから。

このことで思い出すのはしばらく前に再読した『砂の器』。この小説には若い女性が中央線の列車の窓から細かな白い紙片を撒くシーンが出てくる。映画でも省かれることなく出てくるこのシーン、ぼくはずっと印象に残っている(*1)。紙片は実は血痕のついたシャツを細かく刻んだものだが、それをわざわざ列車の窓から撒くなどという目立つことをするかなぁ、などと思ってはいけないのだ。この場面が目撃されたことが事件の解決につながっていくのだが・・・。

偶然の再会も小説ではありなのだ(松本清張の小説には偶然の再会が多いと思うがどうだろう)。

他の清張作品も読みたくなってきた。


*1 原作では夜汽車の窓から撒いているが、映画では昼間の列車の窓から。若い女性は島田陽子が演じていた。

 


君の名は?

2021-04-15 | D 切手



 今年(2021年)の2月19日に発行された春のグリーティング切手、このデザインは「椿に小鳥」。淡い色彩が魅力的。で、君の名は? メジロ、だよね。「椿にメジロ」としなかったのはなぜだろう・・・。