透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

塩尻の重文民家巡り

2014-09-30 | A あれこれ



 塩尻市内には重要文化財の民家が5軒ある。28日(日曜日)、その内の3軒を見学する機会を得た。

まず、塩尻宿の旅籠「いてうや」、小野家住宅。修復工事を終えて見事に甦った主屋と文庫そして隠居屋。主屋の2階の客室はそれぞれ趣向が違っていた。はやり「桜の間」はすばらしかった。床の間を正面に見て右は障子戸、左は板壁一面に満開の桜。天井は竿縁を十文字に架けた板張り。その板も満開の桜。床柱は枝付きのイチョウ。壁紙は本金砂摺りの桜吹雪。まさに桜の間。建物内の写真を撮らせていただいたが、掲載は控える。



隠居屋座敷。室内にも案内していただいた。落ち着く空間だった。こんな部屋で静かに本を読む隠居生活ができたら・・・。




次は堀内家住宅。冠木門から入ると正面に実に堂々とした構えの本棟造りの主屋。柱と貫、出格子窓による壁面構成。棟端の烏おどし(過去ログ)。洗練された美しさのあるファサード。



大戸の引き手の意匠。身分によって掛ける引き手が決まっていたと聞いたことがあったような気がするが、これはしゃれた趣向と解すべきだろう。




3軒目は嶋崎家住宅。堀内家と比べると簡素というか地味に見えるが正面の洗練された構成は美しい。



深い軒の座敷。昼間っからビールでここで昼寝をしたら気持ちいいだろうな、と畳に座っていて思った。

いろりのある「おえ」と「だいどころ」(今風に言えばLDK)は吹き抜けの一体空間。そのダイナミックな小屋組みは見応えがあった。


 重文民家の修復事業に関わったいとこのY君の案内で3軒見て回った。彼に感謝。


506 塩尻市片丘の火の見櫓

2014-09-29 | A 火の見櫓っておもしろい


506   塩尻市片丘北熊井の火の見櫓 

 片丘地区は塩尻市の東側に連なるたおやかな山稜の裾野、西下がりのなだらかな斜面に位置している。そこに立つこの高さの火の見櫓は遠くからよく目立つ。

櫓のてっぺんのサイズ(太さ)からして、屋根と見張り台が少し小さく、バランスを欠いているという印象。



4角形の櫓に8角形の屋根と見張り台(共に平面形)。平鋼の蕨手が1か所欠落している。屋根下に表面がつるりんちょな半鐘とモーターサイレンがある。手すりは実にシンプル。なぜか見張り台直下のブレースだけが山形鋼。



踊り場直上の横架材に無造作に吊るされた半鐘。反対側に消火ホースを掛けるフック。


505 塩尻市長畝の火の見櫓

2014-09-28 | A 火の見櫓っておもしろい


505

 塩尻市内の生活道路沿いに立つ火の見櫓。3角形の櫓に6角形の屋根と見張り台。





反りのない6角錘の屋根。丸鋼の蕨手はフックのような形状。



脚の付け根にアーチ状の部材があるのは正面のみ。梯子は櫓の外に設置されているから、脚の下をくぐって櫓の中に入るわけではないから、アーチ状部材を使用する機能的な意味があるのかどうか。

設置されている銘板によって昭和29年11月1日に竣工したことが分かる。今年還暦か・・・。製作は南信では馴染みの坂本鉄工所。


 


週末のミニミニ講座@カフェ バロ

2014-09-28 | D キミの名は?

 
モズ(若鳥) 撮影日140923  


 昨晩(27日)、カフェ バロで行われた週末のミニミニ講座、今回の講師は信州野鳥の会 前会長の丸山 隆さんでした。先日リビングの窓から撮った上の鳥はモズ(若鳥)だと教えていただきました。


ハクセキレイ 撮影日140311  


ツグミ  撮影日140222

メモした鳥の名前をざっと数えると20種類。野鳥のことはほとんど何も知らない私には新鮮な驚きがいっぱいの講座でした。

ツバメは子育てを終えると羽が生え変わるそうですね。そうしてから南へ渡って行くのだそうです。羽が抜けていたりするとエネルギーをロスします。なるほど・・・、知りませんでした。

豊科で越冬するツバメが観察された年があったそうです。理由説明の私の理解では、北から南に向かっている途中でエネルギーの残量を考慮して南下をあきらめて豊科で冬を越した、ということです。気温が問題ではなくて、餌が確保できるかどうかが問題なんだとか。雪の中を餌を求めて飛ぶツバメ・・・、見てみたいです。

豊富な餌を求めて渡りをするか、渡りのリスク回避のために餌が少なくても留まるか・・・。鳥の種類によって判断が分かれる、なるほど!中にはどちらも選択する鳥の種類もあるそうです。種を守るための戦略ですね。

カラスが賢いということは知っていました。クルミを車道に置いて車に轢かせて割る様子をテレビで見たことがあります。でも送電線にぶら下がって遊ぶとか、避雷針を嘴でくわえて凧のようなってに遊ぶことなど知りませんでした。滑り台を滑って遊ぶカラスが岡山県だったかな、いたとか・・・。

東京にカラスが大繁殖したことがありました。早朝、繁華街で餌をあさるカラスの群れ。でも同時期大阪では大繁殖はしませんでした。なぜ?人間社会に棲息する鳥故の理由を知りました。東京都の職員がゴミを回収するのは朝の遅い時間、業者に委託していた大阪の回収は早朝。これにもなるほど!でした。

カラスは10くらいまで計算ができることを示したアメリカの調査、その方法もなるほど!でした。

2時間ほどの講座の後、居残り組に見せていただいた森の動物たちの写真、キツネから逃れるために木を登るテンなどは次回の予告でしょうか・・。楽しみです。


 


「日本アパッチ族」

2014-09-27 | A 読書日記




30年以上前からダイアリーに入場券などを貼っている。

 小松左京の『日本アパッチ族』の再読を始めた。世田谷文学館で日本SF展を見たことが再読のきっかっけになった。

このSFを知ったのは高校生のとき。新任のA先生が生物の授業中に紹介した。もう40年以上も前のことだが、その時のことはかすかな記憶として残っている。本の奥付に昭和四十六年十二月二十日再版発行とあるから、記憶と符合する。水色のテープは10代、20代に読んだ本に貼ってある。

戦後の日本が舞台。廃墟で金属を常食するアパッチと呼ばれる鉄喰い人間たちの物語。アパッチたちが次第に勢力を増し、共闘して軍隊というか国家と戦う。

小松左京の代表作で、ベストセラーになった『日本沈没』は日本という国を失った時、日本人はどう生き延びるかをテーマにした壮大な思考実験だった。

『日本アパッチ族』は鉄を常食にする人間が主人公、などという奇想天外な発想のSFだが、日本の社会の在りようの問い直し、検証、とでも括ればよいか・・・。

昔の文庫は文字が細かいので読むのが大変。


 


筑北村坂北の狛犬と道祖神

2014-09-26 | C 狛犬



 筑北村坂北(旧坂北村)は長野道麻績(おみ)インターから車で10分ほどのところにある農村。ここを通る善光寺西街道の辻(筑北村役場坂北支所のすぐ北)に道祖神と狛犬が並び立っている。

文字書道祖神の建立年は確認できなかったが、古いものではないかと思う。隣は阿形の狛犬。相方の吽形の狛犬は見当たらない。道路の先に偶々幟旗が立っていた。となると、近くに神社があって、そこの秋祭りか?と思い、辺りを見まわしたが神社は見えなかった。

後で調べると、この場所から直線距離で200メートルくらいのところに御前神社があることが分かった。この狛犬はその神社のものなのか? ということはこの道は神社の参道? この集落がそういう構造になっているのかな? 参道の起点に幟旗をたて、参道脇、本堂の近くに守り神の狛犬を設置するのが一般的だが。

近くの住民の方に尋ねれば何か分かるかもしれない。







この狛犬がいつ頃のものなのか、何型なのか、全く分からない。知識がないのだから仕方がない・・・。


 


「女子会」

2014-09-25 | D 新聞を読んで



 信濃毎日新聞9月24日付朝刊の文化面「検索@現代」に女子という言葉が取り上げられた。今、女子という言葉がブームだという。

以前は無かった女子会という言葉を見聞きするようになった。女子児童、女子生徒、女子高生、女子大生。女子は若い世代に対して使う言葉というイメージが少なくとも私にはある。いや、女子という言葉は本来そうだろう。だが、女子会というときの女子という言葉はただ単に若い、それも就職前の女性を意味するのではない。中年女性でも使うことがあることからこのことは明らかだ。

○○さんの奥さん、○○ちゃんのおかあさんというように日常生活において夫や子どもとの関係によって規定されている女性は少なくないだろう。他者(家族)とは無関係な「個」としての位置付けではないのだ。

女子という言葉には「個」としての自分を位置づける、位置づけたいという気持ちが込められている。妻や母親という家族との関係、役割を解いた自分。

女子会は家族との関係を一時的にせよ断ち切って、ひとりの「自由な」個人として参加する会だ。構成メンバーが子どもを通じての知り合いであれば、○○ちゃんのママ、ということになって、それはママ友の集まり。

年齢も職業もまちまち、一体どういう繋がり?と思われるような集まりこそ女子会。フィットネスクラブで、料理教室で、語学学校で知り合った女性の集まり。身近なところでは松本山雅サポーターの女性の集まり。

あくまでも個としての自分に立脚した集まり、女子会。参加できる女子会がひとつやふたつなければ人生寂しいだろう・・・。


 


筑北村の馬頭観世音

2014-09-24 | B 石神・石仏



 長野県東筑摩郡筑北村坂北(旧坂北村)の馬頭観世音

馬頭観音は文字碑が圧倒的に多く、このような像は珍しい。三面八臂(顔が3つ,腕が8本)像、馬に跨っている。

青面金剛の持ち物も、この馬頭観音の持ち物も調べなくてはならない。左上の法輪は分かる。これは青面金剛の持ち物でもある。

知らないことが多い・・・。


 


― 潔く消える

2014-09-24 | A 火の見櫓っておもしろい



 それがしさんのブログに最近紹介されていた堅石(塩尻市)の火の見櫓はまだ見たことがなかった。郷原街道を少し西に入ったところに立っているはず。

今日(23日)出かけてみると・・・。なんということだ、火の見櫓は撤去され、代わりに防災無線柱と消火ホース乾燥柱が立っていた。

役目を終え、撤去された火の見櫓も少なくない。辛うじて消火ホースを乾燥させたり、防災無線のスピーカーを取り付けるという役目を得て撤去されずに立ち続けているものもある。

そのような残留ってどうだろう・・・。火の見櫓は歓迎しているだろうか、と思うことがある。案外、潔くスパッと姿を消してしまいたいと思っているのかもしれない。何とか残って欲しいなどと考えるのは身勝手なことなのかも・・・。

消防団詰所2階の窓がセンターを外れ、右に寄っているのがどうも気になる。


 


週末東京記 その2

2014-09-23 | A あれこれ

 京王線新宿駅のホームで東京の友人と待ち合わせ。芦花公園駅で下車して、世田谷文学館へ。今月28日まで開催中の「日本SF展・SFの国」を観る。




展覧会場内でここだけは撮影OKだった。

**(前略)名誉ある展覧会を(中略)開催していただけることは、第一世代の生き残りの一人としての私の、まるで今やっとSFが文学史に組み込まれたかのようにも感じられる、大きな喜びです。** 筒井康隆の文章が展覧会場入り口に掲げられていた。

SF雑誌のバックナンバー。拡大鏡を使わなければ読めそうにない星新一の細かな文字で書かれた原稿。小松左京の「日本沈没」の構想メモと映画のコンテ。手塚治虫の原画。真鍋博のイラスト。会場内で流されていたテレビアニメ「鉄腕アトム」のオープニング映像は懐かしかった。

「日本のSFって所詮は娯楽よね」とは思想性、哲学性に富む海外の長編SFを好む友人の感想談。


■ 品川まで出て昼食。その後、原美術館へ。この美術館のウィキペディア、東京ガス会長、日本航空会長、営団地下鉄総裁などを歴任した事業家・原邦造の邸宅を美術館にした。



モダンアートはよく分からない。理解しようなど考えてはいけないのだろう。でも、理解しようとするのが脳。

夜の街を青白く浮かび上がらせる自動販売機はこの国の社会と文化を物語るアイコン、という意味のリーフレットの説明文。読めばなるほど確かにと思うし、そう知って作品を観るとベネディクト・ハンマーというドイツ出身の作家の批判的な精神が見えてくる。

今村遼佑という作家の映像作品。窓際に置かれた炭酸水入りのコップと時計、窓の外の樹木を固定アングルで写した映像には、注意して見ていないと気がつかない加工がしてある。それに気がついて次の未加工の映像作品を観ても、やはり加工を探してしまうという脳の癖を知る。

床に無造作に置かれた幾つもの白い紙風船。芝の中庭に出る。そこに置かれた錆びた鋼板とその4隅の自然石。アートって何? モダンアートを観る度に湧く素朴な疑問。

*****

中庭で蚊に刺された。デング熱を発症させた代々木公園の何とか蚊がここにもいるという。虫よけが置いてあったけれど使わなかった。潜伏期間を過ぎたら発症するかもね。


夕方6時新宿発のあずさで帰松。今回も充実の週末東京だった。


週末東京記 その1

2014-09-23 | A あれこれ

■ 20日の朝、松本6時51分発の特急あずさで新宿へ向かう。いつもは進行方向右側の席に座るが、今回は左側に座った。左側の窓からも火の見櫓を見ることはもちろんできる。中央線沿線には火の見櫓が何基も立っている。

甲府盆地の塩山から石和にかけては、果樹園が広がり、住宅が点在しているが、その中に今回初めて見る火の見櫓が数基あった。

学生時代、この辺りで櫓造りの民家を見て歩いたことがある(写真①)。今では取り壊されてしまって、もう残っていないのだろう・・・。それでも今回、車窓から2件見ることができた。

 
棟の一部を突き上げた櫓造りの民家(ブログに何回も載せた写真) 塩山市にて撮影1979年10月


■ あずさは定刻、9時27分に新宿に着いた。中央線に乗り換えて東京に向かう。東京駅前の丸善本店内のカフェで友人と待ち合わせ。地下鉄で表参道へ。向かった先は南青山の根津美術館。


根津美術館新創開館5周年を記念する特別展

「名画を切り、名器を継ぐ」とある通り、人から人へと受け継がれていく過程で、切断されて新たに表装された絵巻や破損して補修された茶器など、改変された作品約100点が展示されている。

屏風を襖にしてまた屏風に戻したという日月松鶴図屏風(三井記念美術館所蔵)や茶碗の欠損部分を全く色も違う別の茶碗の破片で補修した瀬戸筒茶碗や赤楽茶碗。

割れた志野茶碗に、別の志野茶碗の陶片を組み入れ、金継ぎされた茶碗。巻物を切って掛物にした絵本墨画、瀟湘八景図 漁村夕景(国宝)等々。

改変で新たな作品へ生まれ変わらせる感性と創造力に魅せられる。

源氏絵、伊勢絵の繊細な筆使い。流麗な筆文字。鳥獣戯画の断簡、その大胆にして的確な筆使い。これらこそ日本人の感性、技。


 



根津美術館から徒歩で10分とかからないサニーヒルズ(微熱山丘)へ。コンクリート東京で木造はインパクトがある。設計は根津美術館も手掛けた隈研吾。パイナップルケーキを扱っている台湾の会社が昨年末オープンさせた店。木造3階建て。なるほど外観がパイナップルに見える。店の2階で大きなテーブルに着くとサービスでお茶とケーキが供された。ここで友人と暫し歓談。時は既に2時半過ぎ。

表参道まで歩いて戻り、遅い昼食。その後は省略。