透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

企画展 「日本の表現力」

2007-01-29 | A あれこれ



マニアが泣いて喜びそうな「ランドウォーカー」、人が塔乗して(左の写真)操縦して動かすロボット。

国立新美術館の企画展「日本の表現力」はメディア芸術のあゆみメディア芸術の未来のふたつのテーマに沿って展示構成がされている。メディア芸術の未来は「かんじる」「つながる」「うごく」「かたちとしかけ」という4つの視点によって作品が展示されているが、このロボットはまさに「うごく」作品。

メディア芸術のあゆみ「日本のメディア芸術1950-2006」というセクションでは懐かしいTV番組やCMの映像を見ることができた。むかしの映像や音楽情報は記憶に残っているものだ。

企画展示には柔軟な発想が欠かせないが、「フィギュア」の源流を「土偶」にまで遡るという発想に基づく展示には驚いた。これからの企画展も期待できそうだ。


繰り返しの美学

2007-01-29 | B 繰り返しの美学


○ 丸の内オアゾ(070127)

以前、表参道ヒルズの外壁に飾られた、ある航空会社の旗の繰り返しを載せました。今回は私が気に入っている丸の内オアゾに飾ってあった旗。ここの丸善は落ち着いて本を探すことができるいい空間です。


○ 国立新美術館(070127)

昨日書いた「国立新美術館」、そこで目にした繰り返しの美学。地下鉄千代田線の乃木坂駅から美術館のアトリウム(向こうに見えているガラスの箱)に直結している通路に設けられたキャノピー、白いフレームの繰り返し。

美術館の側面のこのアプローチはおすすめしません。やはり正面側のガラス曲面のファサードの変化を楽しみながらコーン(円錐)のエントランスへどうぞ。乃木坂駅を出てこの写真に写っているスロープを下っていくと正面側に出ることができます。


国立新美術館

2007-01-28 | A あれこれ


 ①           ②

 ③           ④

 ⑤           ⑥

昨日は、友人と「国立新美術館」の見学に出かけた。朝は松本を6時発の特急あずさ、帰りは最終、新宿を21時発のあずさというハードなスケジュールだった。

先日、六本木にオープンしたばかりのこの美術館の設計は黒川紀章(日本設計との共同)。最大の特徴は巨大なアトリウムを覆う複雑な曲面のファサードだ。写真にはそれほどうねったところを撮っていないが、かなりのうねり。



ガラスの外皮のフラクタルなうねりは、生命の時代の象徴、と黒川紀章は説明している。幾何学的な形状のコーンは機械の時代、近代建築の象徴。両者の「共生」。決して「なんとなく、フラクタル」ではないらしい。

ガラスのコーンは黒川紀章のシンボルだが、この美術館の場合、風除室になっている。その内部の見上げが②。外皮を貫通しているコーン④。


(この写真は以前書いた日本看護協会ビル、こちらもコーンが風除室として計画されている)
  
アトリウムには鉄筋コンクリート造の「逆さコーン」が大小2ヶ所、床に突き刺さっている。頂部のフラットな部分(床)はカフェとレストランになっていて、かなり混んでいた。写真⑥に写っているのは2階のホワイエとブリッジで繋がっているカフェ。⑤の「逆さコーン」の頂部はレストラン。

展示スペースが14,000㎡という大規模な美術館だが、空間構成は明快で分かり易い。アトリウムに面するリニアなホワイエから縦に分割されて並んでいる展示室に入る構成だ。各階のホワイエをエスカレータ、EVが結ぶ。

ホワイエの壁は、光源が仕込まれていて照明機能を持っている。夕方撮った①の写真にはアトリウムの後方にこの光壁が黄色く写っている。和風の格子のイメージ、美しかった。

この国立新美術館はコレクションを持たない、企画・公募展のための美術館。これからの企画に注目して、次回は展示作品をじっくり観たい。

この美術館は今日放送されたNHK教育TV「新日曜美術館」でも紹介されました。


仮説 脳は秩序を歓迎する

2007-01-25 | B 繰り返しの美学


『「脳」整理法』茂木健一郎/ちくま新書

 この本に「繰り返しの美学」にも関わると思われる記述があり興味深かった。

規則性は歓びの感情を引き起こすという見出しの一文。**規則性や秩序によって呼び起こされる感情には、独特のものがあります。(中略)規則性に歓びを感じるという人間の嗜好が確かにあるわけです。**

また脳はランダムな出来事に無関心という見出しの一文にはこんな記述がある。**ランダムだとわかってしまっている現象について、脳は、基本的に興味を失って無関心になります。(中略)ランダムな事象でもそこに何らかの規則性や傾向を読み取ろうとしてしまうのが、私たちの脳のいわば「くせ」なのです。**

建築構成要素の規則的な繰り返しを美しいと感じるということは、この本によると脳の本質的な働きによるようだ。

脳はもたらされる情報を整理して、秩序づけて収納する臓器ということだ。それ故、既に秩序づけられた情報を脳は歓迎するのではあるまいか。その歓迎の「しるし」として秩序づけられたものを、私たちをして美しいと感じさせるのではないのか。だから繰り返しの美学が成立するのではないのか。

この本を読んでいて、そんな仮説が浮かんだ。この仮説、案外いけるかもしれない。


 

 


「東京番外地」

2007-01-22 | A 読書日記



  東京番地 
森達也/新潮社

ほとんど訪ねる機会のない東京の番外地、15ヶ所のルポ。

「番外地」は高倉健が主演したヤクザ映画「網走番外地」からきている、と本文中に説明がある。この映画、全18作のうち何作かは観た記憶があるが、それがいつ頃のことかは分からない。

罪、性、宗教、死、異国、孤独・・・ このルポでとり上げられている場所をそれぞれ簡潔に示すとすれば、私にはこんなキーワードが浮かんでくる。逆にこのキーワードから特定の場所を思い浮かべることができるかどうか・・・。

「罪」の場所は葛飾区小菅にある「東京拘置所」、「性」とくれば、新宿歌舞伎町。では「死」はどこか、靖国神社ではなくて多磨霊園。靖国神社ならば、「政治」かな。逆に政治から靖国神社を想起するかは疑問だけれど・・・。

**エレベーターを降りれば、目の前には長椅子が置かれていて、壁には大きな窓がある。首都高が以外に近い。その向こうには数々のビルが立ち並び、人びとがそれぞれの生活にいそしんでいる。** 著者は映画監督でもあるという。そういえばこのように描写が映像的だ。

装丁から受けるイメージより、中身は密度が濃くて読み応えのあるルポだった。 


ワークショップ

2007-01-21 | A あれこれ



みのさんのブログ「新・雪あかり日記」によると、酔族会が発足してもう一年経ったらしい。 **丁度一周年を向かえた「醉族会」もメンバーも増えてきましてボクとしては嬉しい限りです。** 先日みのさんはこう書いていた。

ボクも嬉しい。最初はみのさんとボクの二人だけだったから・・・。新メンバーのために「酔族会」という名前は、北杜夫のエッセイ集のタイトル「マンボウ酔族館」から採ったことを再度書いておこう。この新潮文庫、もう手に入らないかも知れない。かつては新潮文庫で30点近く出ていた北杜夫の作品だが、最近書店に並んでいるのは10点に満たない、淋しいかぎりだ。

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さて本題、今回は「ワークショップ」。

この頃、まちづくりや公共施設の計画の際に、多くの住民に参加を求めて「ワークショップ」がよく行なわれる。自治体の担当者と設計者が主導して計画を進めてしまうのではなく、住民の様々な提言をそこに反映させて新しい創造をしようという試みだ。

「塩尻市民交流センター」については既に数回書いたが、先日タブロイド版の地元紙の一面にワークショップによって進められている基本設計の様子が報じられていた。コンペの時と計画の内容が随分変わってきている。

小さい子供のいる母親は託児室が1階に欲しいと希望する。複合施設の場合、自分の関わる部分の利便性を優先して考えてしまうのはしかたがないだろう。
いろいろな希望を取り込んだ結果だろうか、上階の集合住宅の戸数が当初の30戸から11戸に減っている。 この計画案の特徴だった4ヶ所の大きな吹き抜け、不要だという指摘もあったようだ。

多くの人たちの要望を聞く姿勢に異論を挟むつもりは全くない。塩尻市内の高校にも市の職員が出向いて高校生の意見を聞いているとのことだ。

多くの要望のなかには相反するものがあって当然。それらにどのように優先順位をつけて調整するか、ポイントはこの点だ。多機能施設は無機能施設になる危険性をはらんでいる。「無機能」、表現がきついかもしれない・・・。「帯に短したすきに長し」な施設の集合体になりかねない、と表現を変えておこう。それぞれ単独の施設として整備した方がよいという意見はこの危惧を踏まえてのことだろう。

ワークショップが上手くいくかどうかは、やはりファシリテーターに掛かっていると思う。誰だろう、設計者の柳澤さんだろうか。このワークショップは誰でも参加できる。確か来月は最後(?)のワークショップ、都合をつけて参加してみよう。


繰り返しは美学?

2007-01-20 | B 繰り返しの美学



夜中、酔っ払って帰ってきたらドアを間違えそう・・・。

片廊下型のプランのアパート。メーターボックス、ドア、ベンドキャップ(天井際のまるいフード)、みんな繰り返しています。でもこの場合、繰り返しは単調でつまらない、という印象も抱いてしまいます。それはなぜでしょう。「繰り返し」を単に感性で美しいと捉えているわけではなく、そこには理性的な判断が加わるということなのかも知れません。玄関の表情は少しずつ違っていて繰り返さない方が好ましいのではないか、という判断です。

消火器の赤が繰り返しのリズムのアクセントとして効いています。全ての要素の繰り返しがベスト、ということでもないんですね。

「繰り返しの美学」 それは単純に感性だけでは捉えられない対象、 案外奥が深いテーマかもしれません。


新月の夜 満月な駅弁

2007-01-19 | A あれこれ



『時刻表2万キロ』 鉄道紀行といえばこの国鉄全線完乗エッセイを思い出します。1978年発行ですからもう随分むかしの本です。当時ベストセラーになりました。盲腸線も含めて全線完乗するというのは鉄道マニアの大きな目標なんですね。

著者の宮脇俊三さんは『最長片道切符の旅』にもチャレンジしています。こちらは北海道から九州まで最も遠回りのいわゆる一筆書き旅のエッセイ。その距離はなんと13,319.4km! この本も話題になったと記憶しています。

前置きが長くなりました。鉄道の旅といえば「駅弁」。全国各地にいろんな駅弁がありますが、その食べ歩きが趣味の人もいますね。

先日友人から「月見五味(ごもく)めし」を知っていますか、とメールで質問されました。知りませんでしたが、月見といえば月見うどん、月見そば。「生卵」を炊き込みごはん(まぜごはん)に落とした丼ものかな?と思いました。でも炊き込みごはんに生卵・・・、たぶん合わないな。  

松本駅で売っている駅弁だと分かりました。夕方、駅まで出かけて買って来ました。 味付ごはんの上に、えび、ゆで卵(発売当初は目玉焼きだったと聞きました)、竹の子、錦糸卵、わらび、せり、えのき、キクラゲ、しめじ、牛肉そぼろ、紅しょうが、山ごぼう漬 そしてえびの右に写っている黒いものは、しそ巻きリンゴ(煮たリンゴをしそで巻いたもの)。

駅弁の旅がしたいな~ 

○ブログの「カレンダー文字」の友人、emumuさんからコメントをいただきました。コメント欄の名前をクリックしてそのブログへ進んでみてください。

 


推理

2007-01-18 | A あれこれ



「推理」 既知の事実を基にして未知の事柄をおしはかること。新明解国語辞典

ブログにはカレンダーが表示されていて、アップした日の文字やますの色が変わるようになっていますね。このブログの場合、文字の色が黒から青に変わります。

友人はこのことを利用して、アップする日を決めて先月はカレンダーに市松模様をつくりました。今月は文字をつくっています。まだ今月の文字は完成していませんが、私はブログ名に因んだ、ひらがな4文字の単語の最初の文字ではないかと推理しました。その単語の最後の文字は「び」です。だから4月のブログのカレンダーは上の写真のように「び」になるのではないかと推理したのです。濁点が縦になりますが・・・。そのことを友人にメールしました。返信で「ハズレ」と知りました、残念。

ブログのカレンダーで文字や模様をつくる、おもしろいアイデアですね。


「硫黄島からの手紙」

2007-01-18 | E 週末には映画を観よう

昨年は確か映画の興行収入で邦画が洋画を二十数年ぶりに上回った、と聞きました。映画はそれ程頻繁には観ませんが、昨年は私も邦画のほうが多かったです。

「硫黄島からの手紙」 今回は硫黄島から届いた手紙への返信、映画の感想を。

栗林中将の指示で造られた硫黄島の地下要塞、その地中に埋められていた袋。調査隊によって発見されたその袋の中からから出てきた夥しい数の手紙、地中に埋めたのは栗林中将に処分を命じられた二宮和也君、西郷一等兵でした。

映画が始まってまず気がついたのは、カラーとモノクロとの中間のような色彩。色の数を減らして尚かつ彩度を落として明度を上げたような色彩。それが戦争当時に撮影されたようなリアルな雰囲気をよく出していました。

この映画で印象的だったのは二宮君、栗林中将を演じた渡辺謙と比べれば彼の演技は決して上手いとは言えないけれど、存在感を感じさせるなかなかいい演技でした。

若い奥さんとパン屋を営んでいた彼に召集令状が届きます。彼は妊娠中の奥さんに生きて帰ると誓って硫黄島へ。

日本にとって本土防衛の拠点という位置付けだった硫黄島での激しい戦闘、淡々と描かれる戦場の惨禍。孤立無援の日本兵達が地下要塞で次々に自爆していく・・・、その中で際立つ二宮君、西郷一等兵の「生きる」という意志。

捕虜となった米兵が携えていた母親からの手紙の「生きて帰って来て」というメッセージを静かに聞く日本兵達。敵対する国でも個人のレベルでの思いは同じ・・・。戦争とは一体何なのか。

外国映画で描かれる日本の姿にはいつも違和感を覚えましたが、この映画は確かにハリウッドが創った「日本映画」と評してもいいと思いました。

「二宮君が硫黄島で書き残した手紙が彼の娘に届けられる、六十数年の歳月を経て全く偶然の出来事によって。過去からの手紙に綴られていたメッセージとは・・・」

私はそんなラストシーンをイメージしていたのですが、いつの間にかエンドロールが流れ出していました。

今年は映画を観ようと思います。


 


「建土築木」

2007-01-17 | A 読書日記



内藤廣さん設計の「安曇野ちひろ美術館」を以前とり上げました。安曇野の風景に歓迎されている、と書きました。信州産の唐松材を使った架構、地元の土を混入させた珪藻土の外壁。広々とした公園も内藤さんの構想によるものだそうです。何回も訪れています。心地よい空間、好きです。

現在内藤さんは、東京大学大学院の社会基盤学(土木学ですね)教授として教鞭をとっています。建築と土木は隣り合う領域ですが、建築の人たちは土木のことをよく知らないし、土木の人たちは建築のことをよく知らないというのが実情のようです。

建築出身の内藤さん、「土木の分野に建築のDNAを移植するのが役割」だとこの本のはじめに書いています。ふたつの領域の橋渡しをしよう、ということなんですね。そういう立場で綴ったエッセイを集めたのがこの『建土築木1、2』鹿島出版会。建築と土木を混ぜ合わせた言葉、なかなかゴロがいいと思います。

これも昨年末に書店に注文しておいた本です。いまだにネット注文に馴染めなくていつも書店に電話で注文しています。注文したことを忘れたころ手元に届くのも悪くありません。

この本には今話題になっている東京日本橋の上に架かる首都高速道路に関する「日本橋の風景」というエッセイも収録されています。このことについては五十嵐太郎さんも『美しい都市・醜い都市 現代風景論』に書いていました。

内藤さんは五十嵐さんと同じような見解で、**経済性だけを最優先させた技術一本槍のあの高架道路を醜いとは思う。(中略)それをあっさり否定する気にはなれない。(中略)寿命が尽きた時に時代に合わせてやりかえるのが無理のない対処の仕方なのではないかと思う。**と書いています。

ある時代の建造物に次の時代のそれが覆い被さる、日本の場合それが歴史的に何回も繰り返されてきたのですね。その象徴の一つが日本橋の上に覆い被さっている高速道路ということでしょうか。明治に昭和が覆い被さっている。その覆いの撤去の可否、これは難しい。私にはよく分かりません。 これは大袈裟に言えば文明史観ですから・・・。いつか私見が書けるといいのですが。


「画像診断」

2007-01-16 | A 読書日記



○ 『画像診断 病気を目で見る』舘野之男/中公新書

超音波探傷、鉄骨や鉄筋の溶接箇所に欠陥がないかどうか超音波によって探傷試験をします。 鉄骨の溶接箇所での超音波の挙動をグラフ化して、その形状によって欠陥の有無、程度を知り判定基準に照らして溶接の合否を判定します。建築の工事現場ではこのような試験が日常的に行なわれています。

医療の世界ではX線、超音波、CT、MRI、PETなどで得られる画像データが診断に欠かせないのでしょう。本書には体内の各部を「可視化する」さまざまな技術の原理や開発の歴史などの全体像が紹介されています。

今年は全く門外漢なテーマを扱った本にもチャレンジです。

**選択励起パルスを加えた直後はすべてのスピンの位相はそろっている。そこへ傾斜磁場を加えるとスピンの位相がずれ始める。位相がずれるに従ってエコー信号の強度が低下し、ついにはゼロとなる。その後、傾斜磁場を逆方向に加えるとスピンの方向はそろう方に向かい(後略)** 第七章 MRイメージングより引用

??、全く分かりません。どんな読者層を想定したんでしょう。私などは全く想定外の読者なんでしょう。なんとなく概念的に理解できるところもあるものの、大半は?? 

CTのボリューム・データにCGの技術を適用して造影された左膝窩動脈瘤の画像(ってよく分かりません)が載っていますが、立体的で怖いくらいの迫力です。技術の進歩は凄い。仮想手術(シミュレーション手術)にも使われているそうです。

「U1さん、これあなたの脳の断面ですけれど、スカスカですね」
「いい信州ミソがあるんですが、少し補充してもらえないですかね」 
「・・・」
画像診断の説明、そう遠くない日の会話。


年賀状

2007-01-14 | A あれこれ

 いつ知り合った知人・友人からのものなのか、小・中学校、高校、大学、社会 と時系列で分け、ここに親戚からのものを加えて、いただいた年賀状を分類整理しています。そして市販のカードホルダーにファイリング。

**時間がたつと、「友だち」だったはずの相手は、ただの「知り合い」になってゆく。上の学校に進んでからしばらくたつと、十数人いたはずの「友だち」は、気がついてみれば一人か二人に減っている。さらに上に進むと、その一人二人は、いつの間にか姿が見えなくなっていたりする。** (「長い夜の紅茶」川上弘美/ yom yom )
 



時の流れに篩い落とされることなく続く知人・友人関係、年賀状はその証。
きょうはお年玉プレゼントの抽選日、番号を確認したら先のルールに従って分類して保存します。


 


ゆるやかな秩序

2007-01-14 | B 繰り返しの美学


都市の美、それは都市を構成する建築群の「ゆるやかな秩序」によって創出される美だと以前も書いた。「ゆるやかな秩序の美学」

上の写真はある建設会社の今年のカレンダーの表紙。障害をもつ子供が描いた絵を採用している。すばらしい絵だと思う。

この絵もゆるやかに秩序づけられている。さまざまな動物が描かれているが、みんな左向きだ。そう、左向きに統一されている(右手で描く場合には左向きが描きやすい、ということもあるだろうが)。「ゆるやかな秩序の美学」という概念をビジュアルに示す分かりやすい例として挙げた。

いちばんタイトな、強い秩序とは、同じ動物の絵(例えば左下のライオン)の繰り返しを意味する。両者の間にはいろんな秩序づけが存在するが、その例を挙げるのは容易だ。同じライオンでも色が異なる場合、色が同じでも大きさが異なる場合、違う動物でも色が同じ場合、というように。

変化に富んだ動物達をゆるやかに秩序づけて描くと美しく見える。何故かは説明できない、理屈ではなく感性がそう知覚する・・・。

この絵を観ながら、「ゆるやかな秩序の美学」ということを考えた・・・。


* 前田建設工業のカレンダーの表紙を使用させていただきました。