透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

年越し本を読む

2021-12-31 | A 読書日記

 数日前、職場で注文したおせちの当選者をあみだくじで決めた。私は洋風おせちにエントリーした。運よく当たった。 今日(31日)市内のレストランまで受け取りに出かけた。

途中、今年最後の朝カフェ読書@スタバ。店員のHさん(菓子に喩えるならきちっと形の定まったカットケーキではなく、ふわっと柔らかいシュークリームのような感じの女性)がカウンターの前に並んでいた。挨拶をして後ろにつくと「絵を描かれる方ですよね」と声をかけられた。「え? あ、そうです」と私。「素敵な絵ですよね。私、ポストカード飾っています」「そうですか、ありがとうございます。来年も描きます」。こういう会話ってなんだかうれしい。で、いつもの「ホットのショートをマグカップで」を手に2階へ。

今年最後の日の朝はいつもの席に先客があり、別の席について年越し本『黄色いマンション 黒い猫』小泉今日子(新潮文庫2021年)を読む。昨日、年越し本としてこのエッセイ集ともう1冊、葉室 麟の『古都再見』(新潮文庫2020年)を買い求めていた。小説よりエッセイがいいかなと思って。

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小泉今日子、キョンキョンは同世代の他のアイドルとは違い、アイドルとしての顔と私生活の顔に変わりがないだろうな、と思っていた。この文庫の帯には**私にだって、普通の日常があったのよ。**とある。文は人なりというけれど、この文庫に収録されている自伝のような趣のエッセイはどれも飾ろうとしない素、すっぴんの文章の魅力がある。講談社エッセイ賞の受賞作というのも頷ける。年越し本だから「あとがきのようなもの」を読み残した。元日に読もう。


本稿をもって今年の最終稿とします。この一年お付き合いいただきましてありがとうございました。皆さんよい年をお迎えください。


2021年 今年の3冊

2021-12-30 | A 読書日記

 2021年に読んだ本の中から今年の3冊を選んだ。

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『楡家の人びと』北 杜夫(新潮文庫1978年16刷)

北 杜夫の作品の中で最もよく知られ、最も親しまれているのは『どくとるマンボウ青春記』であろう。代表作を1作品挙げるなら、私は長編『楡家の人びと』だ。最も好きな作品は『木精』。

『楡家の人びと』の初読は1979年、今年の5月に再読した。小説では大正初期から昭和、終戦直後までの時代の大きな流れの中で楡家三代に亘る人びとが織りなす物語が描かれている。三島由紀夫はこの作品を**戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。(中略)これこそ小説なのだ!**と激賞した。長編でありながら大味にならず、細部まできっちり描かれている。

今年は藤村の『夜明け前』も再読した。



『魚にも自分がわかる 動物認知研究の最先端』幸田正典(ちくま新書2021年)

魚も自分がわかるということにまず驚いたが、それを実証するためのなるほど!な方法にも驚いた。帯にあるようにすごい研究だと思う。



『中央央本線、全線開通!』中村建治(交通新聞社新書2019年)

乗り鉄、撮り鉄が鉄道マニアの代表的なカテゴリー。私は鉄道マニアではないが、敢えて言えば読み鉄。中央本線全線開通までにこれ程のドラマがあったとは・・・。ルート決定をめぐる駆け引きなどの描写はまるで小説のようだが、綿密な調査なくしてこのような活写は無理ではなかったか。

巻末に本書の参考文献リストには鉄道関係全般、中央線・甲武鉄道史、人物史、駅史、地方鉄道史というカテゴリー別に多数の文献が載っている。大変な労作だと思う。


偏食は体に良くないが、偏読はどうだろう。来年は特定のテーマについて書かれたものを集中的に読んでみたい(と毎年同じようなことを考えているような気がする)。


ブックレビュー 2021.12

2021-12-30 | A ブックレビュー



 今日は12月30日、今年も残すところあと2日。光陰矢の如し、1年なんてあっという間だ。今年のブックレビュー最終稿。

12月に読んだ本は4冊だった。

『定年入門』髙橋秀実(ポプラ新書2021年)
副題に「イキイキしなくちゃダメですか」とある。定年後はイキイキしなくてもよいという答えを期待したけれど、イキイキしなくちゃダメ、ということらしい。この本で紹介されている人たちは定年後実にイキイキしている。

退職すると仕事という箍(たが)が無くなり、日々無為に過ごしがちになるだろう。新たな箍を見つけてサンデー毎日な生活を律しなければ・・・。

『遺言』飯田絵美(文藝春秋2021年)
**成功したから満足。失敗したから後悔。そんな結果論で、われわれは生きているわけではない**(135頁)
**努力は大切である。が、それだけで大きな成果が得られるとは限らない。肝心なのは、正しい努力をしているかどうかだ**(125頁)

元スポーツ記者の飯田絵美さんは20年以上に亘り野村克也さんと親交を深めてきた。野村克也さんは飯田さんに何を語ってきたのか。

『景観からよむ日本の歴史』金田章裕(岩波新書2020年)
**「景観史」を提唱してきた歴史地理学者が、写真や古地図を手がかりに、景観のなかに人々の営みの軌跡を探る。**カバー折返しにある本書紹介文には次のような一文もある。**私たちが日ごろ目にする景観には、幾層にも歴史が積み重なっている。** 

私はこのことをまちの歴史の重層性と呼び、拙著『あ、火の見櫓!』(プラルト2019年)の第5章 火の見櫓のこれからの中でまちの魅力に欠かせない要素として挙げた(*1)。著者は写真や古地図から得られる情報から歴史を読み解こうとしているが、わたしは、目の前の景観から直接的に歴史の古層を読み解くという試み、そうブラタモリのようなフィールドワーク的な手法・アプローチの方がおもしろいと思う。

『地図から読む江戸時代』上杉和央(ちくま新書2015年)
金田章裕さんはこの本の著者・上杉和央さんの師であることが本書のあとがきで分かった。
上杉さんは次のように書く。**それぞれの日本図のなかで重視されている指標が、当時の社会の世相を切り取っていることにもなる。その意味で、地図を手始めに社会を読み解くことは十分に可能だ、ということになる。**(219、220頁)続けて**ただ、社会と言ってもそれが一筋縄ではいかない点は注意せねばならない。(後略)** このような注意深さも研究には必要だろう。

景観を読み解くための対象として地図、それも日本全体の地図を取り上げ、歴史を江戸時代に限定しているので『景観からよむ日本の歴史』の総体的な内容に比して把握しやすく、理解しやすかった。それぞれの時代で作られる地図がその時代・社会の関心の置きどころを反映しているということが分かった。芸術性から科学性、美しさから正しさへ。


*1
①まちが小規模なこと
②まちの全体像が把握できる「俯瞰場」があること
③まちにシンボル、ランドマークがあること
④まちに歴史的な重層性があること

火の見櫓は③④になり得る「景観の重要な構成要素」であることを述べた。


美ヶ原 王ヶ鼻と王ヶ頭

2021-12-29 | A あれこれ


王ヶ鼻(左)と王ヶ頭(右)




撮影日 ①② 2021.12.29  ③ 2006.11.09

 美ヶ原の山頂は標高2,034mの王ヶ頭。松本の西南部からは王ヶ鼻の東後方にある王ヶ頭も見えるが、市街地からは王ヶ鼻に隠されてしまって見えない。その変化の様が上掲した3枚の写真で分かる。①は神林で②は島立でどちらも今日(29日)の朝撮影した。③は白板で2006年に撮影した。

先日、市内の某所で③のような写真に王ヶ頭と紹介されているのを目にして、あれ? ぼくの記憶が間違っているのかなと気になって確認した。ぼくはふたつのピーク(と言ってよいか分からないが)の位置関係を「頭の前に鼻がある」と覚えているが、それが間違っていないことが分かった。





「コロナ政策の費用対効果」

2021-12-28 | A 読書日記

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 『コロナ政策の費用対効果』原田 泰(ちくま新書2021年)を読み始めたが、年末から年始にかけて読む「年越し本」には内容的にふさわしくない。書店で何か別の明るい内容の本を探したい。気楽に読める小説がいいかな。

写真には写っていないが、帯には**コロナ対策を数量的に徹底検証する**とある。またカバー折返しの本書紹介文には**(前略)PCR検査、緊急事態宣言、医療提供、給付金や休業補償などをめぐるコロナ政策の費用対効果を数量的に分析。より効果的に人々の命を救い、経済の犠牲を少なくする方法があったかどうかを検討し、多岐にわたる政策の当否を検証。今後あるべき政策を提言する。**と書かれている。このようなことにまでなかなか関心が及ばないが、偶々書店で目にして買い求めた。今年はコロナに関する本を何冊か読んだ。


 


「地図から読む江戸時代」

2021-12-27 | A 読書日記



『地図から読む江戸時代』上杉和央(ちくま新書2015年)

 再読。江戸時代の日本地図と聞くと伊能忠敬の正確な地図がまず浮かぶ。江戸時代の日本地図の到達点と言ってもいいかもしれない。伊能図に到達するまでの過程では様々な姿の日本が示された。

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伊能忠敬記念館で入手したと思われる伊能中図 発行:千葉県香取市(2018年3月) 図中に**縮尺21万6千分の1、全国を8枚に分割して描かれています。**という説明書きがある。

**江戸時代の日本図は、その時々の社会的背景にあわせて特定の指標が強調されるような形で作られた。**(219頁)

江戸時代の前半までは地図には思想性や芸術性が求められ、後半には正しさや詳しさが求められた。地図には人々の生きた社会や文化が色濃く反映している。地図を読み解けば社会が分かる。ということで地図から読む江戸時代。


そろそろ年越し本を選ばなくては・・・。


94円切手

2021-12-27 | D 切手



 封書を受け取る機会があまりない。だから切手を目にすることもあまりない。94円切手を見るのは初めてだと思う。「シンプル切手」らしいが詳しいことは分からない。実際の色とは少し違うが、好きな色。針葉樹のシンプルデザイン。


 


一寸法師の身長は?

2021-12-26 | A あれこれ

 20代の女性、Kさんとの会話

「Kさん、一寸法師の身長ってどのくらいか知ってる?」
「1寸は・・・、知らないです」
「1寸は約3cmだよ」
「え、そんなにちっちゃいんですか? 小さいからだに大きな望み お椀の舟に箸のかい 京へはるばるのぼりゆく」
「Kちゃん、よく覚えているね、お椀の舟に箸のかいの前後の歌詞は、忘れていたよ」
「私 一寸法師の歌、おばあちゃんから教わって、知ってます」
「すばらしい!」
「え、でもお椀って深さが5cmくらいありません? 身長が3cmだったら、顔がお椀から上に出なくないですか?」
「そうだよね」
「それに、箸をかい、かいって舟をこぐ、え~と、棒ですよね、身長3cmの子には長すぎません?」
「・・・、確かに」

ここで、Kさんがスマホで一寸法師を検索して、画像を僕に見せてくれた。いくつかあるが、一寸法師の身長はどれも10cm以上ありそうな感じでお椀や箸との大きさのバランスに違和感はない。
「U1さん、一寸法師って、ただ、小さい子どもって意味で、身長が3cmということじゃないのかも」
「なるほどね」
「でも・・・、U1さん思い出しました? 歌詞は ♪指にたりない一寸法師、って始まるんですよね」
手を見ながら「そうだよね、思い出したよ。指って10cmなんてないなぁ」

*****

このような昔話に数理的な厳密性を当てはめようとすることは無理。対象によって相応しいアプローチ、理解の仕方が違うということだろう。


 


「景観からよむ日本の歴史」

2021-12-25 | A 読書日記

『日本の景観』樋口忠彦(春秋社1981)の初読は1981年11月、今から40年前のことだ。今までに数回読んでいる(過去ログ)。本書で著者の樋口氏は日本の景観をいくつかのタイプに分類し、その構造を明らかにすることを試み、更に都市景観を地形景観のアナロジーとして捉えて魅力的な都市景観について論じている。論理的な筋書きが明解な論考。

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『景観から読む日本の歴史』金田章裕(岩波新書2020年)を数日前に読了した。論考の対象は日本の景観で、上掲本と同じ。著者の金田氏は**景観の歴史を読み解くための見方や考え方、またその意義について述べてみたい、というのが本書の目的である。**と、はじめにの冒頭に書いている。全5章から成る論考の第2章の章題が「古地図からよみとく景観史」であることからも分かるが、著者は古地図や写真を手がかりに、景観をつくりだしてきた人々の営みを読み解こうとしている。で、論考の結論というのか、答えが何なのか、どうもよく分からなかった。

あとがきに次のような一文がある。**要するに文化的景観とは、文化景観そのものであるが、生活・生業などの「理解のために欠くことのできないもの」である。(中略)本書で取り上げたのは、こうした文化的景観ではなく(一部にはそれを含むが)一般の文化景観であることをご了解いただきたい。**(199頁)読解力に欠ける私にはこの文章が理解できない。

写真について金田氏は**実際に景観を眺める、という行為の代償として用いた。**(186頁)としているが、ブラタモリ的なフィールドワークに基づく景観の読み解きの方が、私には興味深く、おもしろかったと思う。

『日本の景観』と『景観から読む日本の歴史』とでは景観という同じ対象でもその捉え方、読み解き方が違い、求めている答え、即ち何を解き明かしたいのかということがそもそも違がうのかもしれない。

まあ「何でも読んでやれ精神」で読んできたからいいけれど。でもそろそろ読む本をきちんと選ばないといけないと、自覚しなければ。無理かな・・・。そう劣化脳には難しいことが易しく書かれた本でないとダメ。


 


ラジオ深夜便 アンカーのあいさつ

2021-12-23 | A あれこれ

 毎日未明から聴いているラジオ深夜便、アンカーが番組の最後に言うことば(あいさつ)の紹介。

今朝(23日)は石澤典夫さんがいつもの通り「二度と来ない今日という一日をどうぞ大事に大切にお過ごし下さい」とあいさつしていた。「チコちゃんに叱られる」のナレーションを担当している森田美由紀さんのあいさつは「何かいいことがある一日になりますように」。「今日が皆さんにとってより充実した一日になりますように」は山下 信さん。

後藤繁榮(しげよし)さんの「今日一日何か楽しいことがあるといいですね」がこの頃のぼくの気持ちに合っている。そう、今日も何か楽しいことがあるといいな、というちょっと受け身の気持ち。石澤さんのことばは自分に対して積極的な働きかけが必要で、このごろはちょっとしんどい。石澤さんのあいさつを頷きながら聞くことができる日がくるといいな。


 


「24 男はつらいよ 寅次郎春の夢」

2021-12-22 | E 週末には映画を観よう

 寅さんシリーズ第24作「寅次郎春の夢」を観た。これで第49作「寅次郎ハイビスカスの花特別篇」を除く全ての作品を観たことになる。寅さんを演じていた渥美清さん亡き後制作された第49作、第50作をシリーズに含めないで全48作品とするなら、全作品を観たことになる。

「寅次郎春の夢」のマドンナは満男君が通う英語教室の先生・めぐみ(林寛子)さんの母・圭子(香川京子)さん。圭子さんが夫と死別していることを知り、張り切り出す寅さん。圭子さんの家に押しかけて(マドンナと知り合うと寅さんはいつも積極的に行動する)、昔からの知り合いの棟梁に遅れている英語教室の増築工事の完成を急がせたりする。

ある日圭子さんのところにタンカーの船長だという二枚目が訪ねてくる(あれ? 見たことがある俳優だなと思って調べると、梅野泰靖さんで博の長兄を演じていた。博の葬儀で会っている、って本作とは関係ないが)。その日寅さんも圭子さんを訪ねていて、ふたりは顔を合わせる。

「港からまっすぐここに?」と圭子さん。「そうですよ」「だったら、お茶の前にシャワーでも浴びたら?」という会話を聞けばふたりの関係は察しがつく。めぐみさんから、「お父さんになるのかな」と聞いた寅さん。先日観た第9作「柴又慕情」でも吉永小百合が演じたマドンナに恋人がいることが分かって、寅さんガックリだったけれど、これはシリーズでお馴染みのパターン。

この作品ではもう一つの恋物語が描かれている。帝釈天で安宿を探していて、とらやに連泊することになったアメリカ人・マイケルさんがさくらに恋をして、大胆にも告白・・・。

アメリカ嫌いを公言する寅さんとマイケルはうまくいくはずもなく、とらやで大喧嘩になりそうになり、居合わせためぐみさんの通訳で事なきを得たということも。

寅さんが失恋して、マイケルの恋ももちろん「impossible」。失恋してマイケルは帰国、寅さんはいつものように旅に出る。連れ立って上野へ向かうふたり。上野で飲み明かし、別れ際に寅さんはお守りをマイケルの首のかけてやる。「おまえにこれやるよ。お守りだ。な。これ持ってるとな、そのうちきっといい嫁さんが来るから、きっといい嫁さん」 お互いがっちり握手。寅さんは女性にも優しいけれど、男性にも優しい。

江戸川の土手に座り、空を見上げるさくら。飛行機が去っていく。機内から江戸川を見るマイケル・・・。マイケルの恋の方がウェイトが大きい作品だった。


既に書いたこのシリーズの総括的な記事を以下に再掲する。

山田洋次監督は寅さんシリーズを通じて家族愛、家族の絆の尊さを観る者に伝えたかったのだろう。このことで印象的なのは第11作「寅次郎忘れな草」、リリーが夜遅くに酔っぱらってとらやに寅さんを訪ねてきて一緒に旅に出ようと誘うと、寅さんがやんわり断る。すると、リリーが「そうか・・・、寅さんにはこんないいうちがあるんだもんね。あたしとちがうもんね、幸せでしょ」という場面。リリーは根無し草の寂しさに泣く。

この作品で寅さんはリリーと出会うが、「兄さん、何て名前?」と問われて「おれは葛飾柴又の車寅次郎って言うんだよ」と名前だけでなく、居所まで答えているのに対し、リリーは「故郷(くに)はどこなんだい?」と問われて、「故郷(くに)? そうねえ、ないね、あたし」と答える。このようにふたりが対比的に描かれていることも、家族の絆というテーマにおいて見逃せない。

また、満男君が寅さんを「伯父さんは他人の悲しみや寂しさが理解できる人間なんだ」と言うが、確かに寅さんは旅先で知り合う人に優しい。第15作「寅次郎相合い傘」では家出した中年サラリーマン(船越英二)と一緒に旅をするし(この作品で寅さんはリリーと再会する)、第41作「寅次郎心の旅路」では自殺未遂したサラリーマン(柄本 明)に優しく接し、その後一緒にウイーンまで行くことになる。マドンナは観光ガイドをしている久美子(竹下景子)。

他人の悲しみや寂しさを理解して優しく接すること、これも監督が観る者に訴えたいことだろう。

寅さんが全国を旅するのは山田監督の故郷さがしの旅でもある。このことはだいぶ前にラジオで聞いた(過去ログ)。


寅さんシリーズに何回もちょい役で出演していた谷よしのさん。調べると36作品に出演している(内、28作品はクレジットされている)。寅さんシリーズには欠かせない女優だったと思う。


印象に残るマドンナ 4人とも寅さんの優しさに惹かれて好意を抱く
第10作「寅次郎夢枕」千代(八千草薫)幼なじみ 柴又で美容院経営 二年前に離婚
第28作「寅次郎紙風船」光枝(音無美紀子)テキヤ仲間の常三郎の妻 常三郎亡き後上京、本郷の旅館で働く
第29作「寅次郎あじさいの恋」かがり(いしだあゆみ)夫とは死別 京都に出て陶芸家の許で働く 失恋後丹後に戻り娘と暮らす
第32作「口笛を吹く寅次郎」朋子(竹下景子)岡山県高梁にある諏訪家の菩提寺・蓮台寺住職の娘 離婚後寺に戻り父親と暮らす


 


明科の「火の見櫓」バス停

2021-12-21 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)安曇野市明科 4脚444型 撮影日2021.12.16

 国道19号沿いに立っている火の見櫓。



こうして夕景に浮かぶシルエットは火の見櫓の形が純化される。櫓の構成や梯子の掛け方、屋根と見張り台の大きさやバランスがよく分かる。下側の梯子には手すりが付いていることも分かる。


見張り台の手すりはシンプルなデザイン。こうして見ると飾りのない手すりも好い。


踊り場のつくりは簡素。


安曇野市の火の見櫓には梯子に登らないように黄色い看板が設置されている。


この火の見櫓の脚元には生坂村(明科に隣接する村)のバス停が設置されている。名前は「小泉火の見下」。


 


「遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと」

2021-12-20 | A 読書日記


『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』飯田絵美(文藝春秋2021年6月29日発行*1)
*1 6月29日は野村克也氏の誕生日

 NHKの「ラジオ深夜便」、11月30日の午前4時過ぎから放送された「わが心の人」を聞いた。元スポーツ記者の飯田絵美さんが野村克也監督が亡くなるまで23年あまり続けた親交について語っていた。聞いていて涙が出てしかたなかった。番組で語られた内容が本にまとめられていると聞き、買い求めて読んだ。

著者の飯田絵美さんは産経新聞に入社後、サンケイスポーツの記者となりヤクルトの番記者になったが、1年間、野村監督からまったく口をきいてもらえなかったそうだ。ある日監督からかけられた言葉でひどく傷ついたという。その言葉はここに再掲しない。飯田さんは**もう、止めよう。馬鹿らしい。なぜここまでひどい態度をとられなきゃならないのか。私は虫けらじゃない。(後略)**(77頁)と思う。

でも次のシーズン、アメリカのユマで春季キャンプを行っていたヤクルトを取材していた飯田さんは「ユマからの手紙」という連載記事を始める。ある夜、野村監督と宿舎の庭でばったり会った、いや会ってしまった飯田さんは監督から声をかけられる。**「あの記事、おまえやろ?」文章が下手だ。中身がない。そんな批判を予想した飯田さんに監督は「読んどるよ、毎日」「あれを読むとな、あったかーい気持ちになる。女の持つ母性や。お前にしか書けん」**(84頁 適宜省略して引用した)と言う。それから母親の話を15分以上涙ながらに話してくれたという。知り合って2年目、これが初めての対話だったそうだ。

その後、飯田さんはヤクルトを担当しなくなってからも野村克也と20年以上も親交を深めることになる。

妻の沙知代さんを亡くした野村克也と10ヵ月ぶりに再会した飯田さんは愕然とする。沙知代さんのお別れの会の会場で車椅子に乗り、生気のない顔でぐったりしている老人が野村克也だった。無理もない、**野村克也引く野球はゼロ。野村克也引く沙知代もゼロ**(30頁)だったのだから。

野村の家族公認で飯田さんは月に1回野村克也と食事をするようになる。そこで飯田さんはある時は野村の愚痴を聞き、ある時は励まされる。**(前略)自分が『これだ』と信じたことをこつこつやっていれば、『あー、誰も見てくれていなや』と投げやりな気持ちになることもあるけど、それでも続けていれば、誰かが見てくれている。それも、思ってもみなかった人が、な。必ずそういう人が現れるぞ。いい仕事は必ず、誰かが見ていてくれる。だから、人間はどんなときにも手を抜いてはいけないんだ。この言葉を忘れるなよ。きっとそう思う日がやってくるから」**(196、7頁) 本には書かれていないが、飯田さんはこの言葉を聞いてその場で泣いたとラジオでは語っていた。放送を聞いていて僕も涙が出た。

この本には野村克也のいろんなエピソードや言葉が紹介されている。飯田さんが計画した記者たちとの同窓会、教え子たちとの同窓会。オレは月見草、長嶋は向日葵と対比的に評したライバル長嶋との再会、場所は金田正一のお別れの会。
**「おう、ノムー!」姿を認めたのと同時に、長嶋の方から声をかけてきた。しかも愛称で・・・。その事実が嬉しくて、顔をほころばせた野村は、大きな声で応じた。
「おまえ、元気か?」(中略)「おまえ、頑張っているか?オレはまだ生きているぞ。まだまだ頑張るぞ! 元気で頑張ろうな!」「おう、お互い、頑張ろう!」
ともに頬がゆるみ、紅潮していた。感極まっていた。**(280、1頁)この件を読んだ時も涙が出た。

野村克也が最後に何を考えていたのか知りたい、読みたいという言葉に後押しされた飯田さんは書いては泣き、泣いては書いたという。

野村克也にとって飯田さんは娘、いや母親のような存在だったのかもしれない。この本を読み終えてそう思った。なかなか好い本と出会った。


文中野村克也氏の敬称略


茅野市豊平の庚申碑

2021-12-19 | B 石神・石仏


小窪山今宮寺観音堂の裏手に祀られている庚申碑 撮影日2021.12.12


真ん中の出羽三山大権現のことは何も知らないのでパス。

 
右側の庚申碑 櫛形に彫り込んで庚申と陰刻してある。左側の建立年は寛政十二庚申十一月吉日と読める。調べると寛政12年は西暦1800年で干支は確かに庚申(かのえさる こうしん)。次の庚申の年は1860年(万延元年)。左側の文字は〇〇村中、読めない・・・。


左側の庚申碑 建立年は昭和五十五年庚申十二月。横は南大塩区中と読める。昭和55年(1980年)の次の庚申の年は2040年。