透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2023.02

2023-02-28 | A ブックレビュー

 

 

 


 2月は寒くて外出するのが億劫、自宅で本を読んで過ごすことが多かった。読了本7冊のレビュー。

『江戸一新』門井慶喜(中央公論新社2022年 図書館本)
明暦の大火の後、松平信綱や阿部忠秋、酒井忠清らが中心となり、江戸全域を再構成する。その大胆な発想と具現化の物語。

『紫式部考 雲隠の深い意味』柴井博四郎(信濃毎日新聞社2016年 図書館本)
「熱力学の第二法則」。著者はこの自然科学上の大法則が「源氏物語」にもあてはまるとして、**紫式部は物語の中で、構造的に退廃と停滞に向かう宿命(これが熱力学の第二法則の考え方)を負った平安貴族社会が必然的にすたれていく運命にあることを、源氏に語らせている。**(22頁)と書いている。そうか、こんな理系的な捉え方もあるのか・・・。『源氏物語』には多くの女性が登場するけれど、最後のヒロイン・浮舟がこの長大な物語の意味を解く鍵となると理解すれば、紫式部が伝えたかったことがわかる。

『地形で見る江戸・東京の』鈴木浩二(ちくま新書2022年)
この本について、**百の文章より一の説明図。できればもう少し説明図を載せて欲しかった、というのが理解力不足な私の率直な感想。**と2月4日に書いた(過去ログ)。

2月25日付信濃毎日新聞の書評面に掲載された「売れてる10冊」(22日・丸善日本橋店)で『ビジュアルで分かる江戸・東京の地理と歴史』鈴木理生、鈴木浩三(日本実業出版社)が9位で載っていた。この本を偶々書店で見たが、まさに上掲本の内容を百の文章より一の説明図で構成したものだった。

『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組⑧』今村翔吾(祥伝社文庫2019年初版第1刷、2021年第4刷)
1年で50冊の本を読むことができるとすれば、この先10年で500冊。この数は多いのか、少ないのか。少ない。だから小説では余程読みたいと思う作品で文庫になっているものに限定して読もう、としばらく前から思っている。羽州ぼろ鳶組シリーズはそのような作品。江戸の火消事情が分かるし、物語の展開もおもしろい。人物のしぐさや表情といった細部の描写も今村さんは上手い。このシリーズは既に完結しているのかどうか、とにかく最後まで読みたい。

『星を継ぐもの』J・P・ホーガン(創元SF文庫2017年99刷)
既に100刷、名作の証。月面で発見された真紅の宇宙服をまとった現代人と変わらない死体が5万年前に死亡していた、という謎が提示される。この謎を科学的な理路によって解き明かしていくという内容。読了後、なるほど、こういうことかと納得。

『2001年宇宙の旅』アーサー・C・クラーク(ハヤカワ文庫1981年19刷)
この小説を読んだことがなくても同名の映画は観たという人は多いのでは。『星を継ぐもの』では月で宇宙服を着た死体が見つかるが、『2001年宇宙の旅』では月でモノリスと呼ばれる石板が見つかる。モノリスはヒトに進化を促す謎の物体。

この小説も映画も難解な内容で、解釈は様々。要は造物主(神)が存在すると仮定しないことには、ヒト(ヒトに限らないのか)の進化は理解できないということ。モノリスはその存在を可視化したもの、というのが私の解釈。地球上に出現したモノリスはヒトザルに道具を与え、300万年後、月面のモノリスはヒトに他の惑星まで行くことができるような技術を与える。その後、木星の衛星上のモノリスは遥か宇宙の彼方までヒト(宇宙船のボーマン船長)を連れて行く・・・。ラスト、老いたボーマン船長の前に出現したモノリスはボーマンをスターチャイルドに進化させる(単に胎児のような姿に変えただけではないだろう)。宇宙というのか宇宙的な時間の流れというのか、私はよく分からないが、それが仏教の輪廻思想に通じるような円環構造をしていると小説のラストから理解した。

**それから彼は、考えを整理し、まだ試してもいない力について黙想しながら、待った。世界はむろん意のままだが、つぎに何をすればよいかまだわからないのだった。だが、そのうち思いつくだろう。**(264) 小説は最後の「星の子(スターチャイルド)」のこの一文で終る(太文字化は筆者がした)。さらなる先の人類の進化に関する、作者・クラーク、というより造物主のつぶやきと理解でるだろう。

『帝国ホテル建築物語』植松三十里(PHP文芸文庫2023年)
全く知らなかった、帝国ホテルの設計・施工に劇的な出来事が次々起きていたなんて・・・。


明日から弥生3月。どんな本とめぐり合うことができるだろう。


「帝国ホテル建築物語」

2023-02-27 | A 読書日記

360
『帝国ホテル建築物語』植松三十里(PHP文芸文庫2023年)

『帝国ホテル建築物語』を一気に読んだ。建築本と鉄道本はできるだけ読むことにしている。

**二十世紀を代表する米国人建築家、フランク・ロイド・ライトによる飽くなきこだわり、現場との対立、難航する作業、襲い来る天災・・・。次々と困難が立ちはだかったが、男たちは諦めなかった。**   プロジェクトXのナレーションのような本書のカバー裏面の紹介文。

**製図台が並ぶ事務所以内に、黒電話のベルが鳴り響いた。近くにいた若い建築士が、立ち上がって受話器を取る。
「谷口吉郎建築設計事務所です」**(7頁) 小説は唐突にこんな場面から始まるが、なぜ谷口吉郎が出てくるのか、分からなかった。読み終えて、そういうことだったのか、と納得。

帝国ホテルの新館については近代建築の三大巨匠のひとり、フランク・ロイド・ライトが設計したこと、遠藤 新がライトの助手として奮闘したこと、関東大震災の年にオープンしたが(*1)、震災の被害をほとんど受けなかったということくらいしか知らなかった。

いや、『旧帝国ホテルの実證的研究』明石信道(東光堂書店1994年)という写真・図面版によって、建築の概要もある程度知ってはいた。それから、この小説のプロローグとエピローグに描かれているけれど、明治村に移築・復元された新館(ライト館)のエントランスを何年か前に見てもいる。予備知識はこのくらい。



林 愛作が帝国ホテルの支配人になるまで、遠藤 新がライトの下で働くことになるまでの経緯が描かれている。どちらも感動的だ。

この小説で初めに描かれる大きな出来事は、主要な材料であるスクラッチブリックと呼ばれる表面に引っかき線を入れた煉瓦の製造をめぐるトラブル。それから、この煉瓦とともに帝国ホテルの空間を印象付ける石材(大谷石)の施工をめぐる石工たちとのトラブル。

更にクライアントたちとライトの設計・建設工事をめぐる考え方の相違。軟弱地盤への技術的対応(*2)。プロジェクト進行中に発生した既存別館の火災、さらに本館の火災(*3)。オープニング当日の大震災。

林 愛作は火災の責任を取って支配人の職から離れる。ライトはホテルの完成を見ることなく帰国する。遠藤 新は幼い我が子を病気で亡くす。

知らなかったなあ、帝国ホテルの設計施工にこんな劇的な出来事があったなんて・・・。


*1 関東大震災は1923年に発生している。今年、2023年はライト館開業100周年。
    帝国ホテルの新たな建て替え計画が発表されている。
*2 建設地は徳川家康が埋め立てた日比谷入江。
*3 巻末に示された主な参考文献は2頁に及ぶ。


「2001年宇宙の旅」再読

2023-02-25 | A 読書日記

 SF映画を時々レンタルDVDで観ている。宇宙もので一番好きな作品は『2001年宇宙の旅』だ。この映画が日本で公開されたのはいつだろう。ネットで調べて1968年だと分かった。ぼくが初めてこの映画を観たのは1978年の11月25日だった。小説を読んだのはそれからおよそ3年後、1981年の10月。どちらも記録が残っている。

 



自室のカオスな書棚を整理するために本をおよそ1,700冊(文庫本が最も多く、1,140冊)松本市内の古書店に引き取ってもらった(2020年5月)。アーサー・C・クラークの作品は「宇宙の旅」シリーズなど何作も読んだが、『2001年宇宙の旅』と単行本の『3001年終局への旅』(早川書房1997年再版)だけを残し、他は減冊の対象にしてしまった。『幼年期の終わり』も手元にない・・・。

『2001年宇宙の旅』を再読した。

ヒトザルの群れの前に出現したモノリス(直方体の石板)が彼らに道具をつくらせ(動物の骨を道具として使うことを思いつかせ)生存上圧倒的な有利をもたらす。ここから進化は人類を一気に宇宙空間へ向かわせる。月のモノリスはヒトザルから進化したヒトを土星に向けて旅立たせる。ただし映画では行先が土星ではなく木星になっている。土星の輪の映像表現が難しい、ということが変更理由だったという見解もあるようだ。小説では木星付近で宇宙船・ディスカバリー号はスイングバイして火星に向かう。この時、ディスカバリー号の乗員で唯一の生存者ボーマンと遭遇したモノリスは、彼を宇宙の果てまでの旅に誘う。

人類の進化を促す造物主の存在を暗示するモノリスがこの小説を、そして映画をおもしろくしている。余談だが、(余談でもないか)今日(25日)の朝日新聞の読書面に『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』三田一郎(講談社ブルーバックス)が取り上げられていた。

**(前略)宇宙艇はふたたび無限に続く漆黒の壁のあいだをはるかな星の海にむかって下りはじめた。それが太陽系の出口でないことは、今では確信があった。その瞬間、信じられないような洞察が閃き、彼はこのシャフトの正体をつかんでいた。
これは、想像を絶する時間と空間の次元を通じて星間の交通をさばく一種の宇宙的な転轍装置にちがいない。いま彼が通っているのは、銀河系のグラウンド・セントラル・ターミナルなのだ。**(238頁)

クラークは過去から未来への時間的な流れ、空間的な繋がりを直線的ではなく、円環的に捉えているように感じる。そう、輪廻思想に通じる考え方。映画では遥か先の未来に向かう様を高速で流れる幾何学的な光彩のパターンで描いていた。それがいつの間にか太古の海中を思わせる有機的な映像へと変わっていった。で、ボーマンは時間的にも空間的にも遥か彼方から、人類の歴史上いつ頃なのかわからないが、再び戻ってくる。

この小説でクラークは何を描いているのか。それは、一言で言えば人類の進化。このSFはこんな解釈を認めてくれるだろう・・・。


40年以上も前に読んだ本を書棚から取り出すだけでまた読めるなんて・・・、やはり紙の本は良い。


「星を継ぐもの」再読

2023-02-22 | A 読書日記

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塩尻のスタバで朝カフェ読書
『星を継ぐもの』J・P・ホーガン(創元SF文庫2017年99刷)

 このSFは2019年の8月に読んでいるが、この数日間でまた読んだ。海外作品を再読することは稀だ。東京創元社が2009年の3月に実施した「創元SF文庫を代表する1冊は何か?」という読者アンケートで第1位になった作品で、帯に**圧倒的な支持!100刷突破**とある。いかにおもしろいか、分かる。

この作品を一言で評するなら、フィクションだけれど、サイエンスだということ。月面で発見された真紅の宇宙服をまとった死体(現代人とほとんど同じ生物)が5万年前に死亡していた、という謎を科学的な理路によって解き明かしていくという内容。ぼくはこの謎を巡る科学者たちの議論に興奮し、魅せられもした。この作品が多くのSFファンに支持されている理由もこのことにあるのではないか。

**「科学の方法において最も基本的な原則は、観察された事実が、すでに確立された理論によって充分説明し得るものである限り、新たな思惑による仮説は顧慮するに値しないということです。(中略)超越的な力であるとか、摂理であるとかいう考えは、観察者の歪んだ意識の中にあるのであって、観察の対象となった事実の中にあるのではありません」**(88頁)これは登場人物のひとり、ダンチェッカーという生物学者の発言。

月面で発見された死体にはチャーリーという名前が付けられる。チャーリーがこのSFの主人公だと言えなくもない。チャーリーの生殖細胞の遺伝情報と現代の平均的な女性の遺伝情報をコンピュータ・シミュレーションによって掛け合わせ、生まれる子孫に何ら異常がないことも確認される。現代人とほとんど同じ生物と上に書いたが、これはもう全く同じということだ。謎、謎・・・。

謎は深まり、それを解き明かす条件は厳しい。超越的な力によるなどという都合のよい種明しはできない。J・P・ホーガンは厳しい条件を自らに課し、それを解いてみせる。

謎解きの過程をここに記すことは避けなければならない。なるほど、こんなに壮大でダイナミックな物語が宇宙で起きていたのか・・・。


 


龍門渕てらす

2023-02-20 | A あれこれ


 SNSなどで「龍門渕てらす」のことを見て、行ってみたいなと思っていた。「龍門渕てらす」は既存の建物を改修したシェアスペースで、安曇野市明科(旧明科町)にある。2021年にオープンした。昨日(19日)初めて訪れ、この施設の運営スタッフで友人のN君と久しぶりに会ってあれこれ話をした。


ワークスペース


シェアキッチンの隣りにある喫茶・食堂スペース お店が日替わりするから、色んな料理が楽しめる。自分のお店を出す前にここで試行してみることもできるだろう。

以上のように各スペースを紹介したけれど機能が固定されているわけではなく、フリースペースとして、利用者が自由に使いこなせばよいのだろう。地元FM局がここから放送したこともあったようだ。

「龍門渕てらす」はフリースペースだから、色んな人がここを利用する。ここは、人と人を繋ぐ結節スペースのような役割も果たすことになるのだろう。「龍門渕てらす」はこのことを目論んで始まったんだろうな。


 


「玉麒麟 羽州ぼろ鳶組⑧」

2023-02-18 | A 読書日記

 
 スターバックスコーヒー塩尻店は2020年の10月にオープンした新しい店。昨日(17日)初めてここで午後カフェ読書をした。ひじ掛け椅子に座って、ゆったりとした気分で読書。


読んだのは『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組⑧』今村翔吾(祥伝社文庫2019年初版第1刷、2021年第4刷)。


「羽州ぼろ鳶組」シリーズを①火喰鳥から順番に⑧玉麒麟まで読んだ。昔から時代小説はあまり読んできていないが、このシリーズと「本所おけら長屋」シリーズは全て読もうと思っている。両シリーズとも、tamiさんのブログ「小さな幸せ」で知った。

「羽州ぼろ鳶組」シリーズは昨年(2022年)『塞王の楯』で直木賞を受賞した今村翔吾さんの作品。今村さんはストーリーが映画のように浮かんでいるのではないか、次から次へと流れる映像を描写しているのではないか、と読んでいて感じる。

『玉麒麟』の設定
主人公はぼろ鳶組の頭取並・鳥越新之助。
新之助は豪商の娘・琴音(ことね)と見合いをする。
琴音の家が炎上して、15人もの死者がでる。その場に居た新之助が火付けの下手人として追われる身に、という意外なというか、驚きの設定。
火盗改と江戸中の火消たちが、琴音と一緒に逃走する新之助を追う。
新庄藩火消は幕府から出入りを禁じられ、羽州ぼろ鳶組と呼ばれている新庄藩火消は動きを封じられてしまう。
下手に動けば新庄藩は取り潰されかねない。
ぼろ鳶組の頭取・松永源吾は身動きが取れない。

こんな厳しい状況設定で、どうやって新之助と琴音を助けるのか・・・。
行方が分からない琴音の妹は無事なのか・・・。

先が気になって午後カフェ読書で最後までのおよそ100頁を一気読みしてしまった。

次々張られる包囲網。新之助は絶体絶命のピンチを次々切り抜けていく・・・。最後には助かることは分かっているけれど、ハラハラドキドキな展開。火消の新之助は、実は江戸で十指に数えられる剣客。この『玉麒麟』では新之助の剣客ぶりが存分に発揮される(といっても迫りくる追手をバッサリ、とはしない)。新之助の動きは映画化するなら実写ではとても無理、と思わせる。

琴音は新之助と江戸の街を昼夜逃げ回るうちに次第に彼に惹かれていく。これも「吊り橋効果」と同じ心理かもしれない。そして新之助も琴音に惹かれ・・・。物語のラスト、ふたりはめでたく結ばれるのか、と思いきや先延ばし。

⑨双風神、⑩襲大鳳(上)、⑪襲大鳳(下)を早く読みたい、それから黄金雛も。





なぜ紫式部は「源氏物語」を書いたのか

2023-02-16 | G 源氏物語

 昨年、2022年は『源氏物語』を読んだ年、と記憶しておきたい。「読まずに死ねるか本」をようやく読むことができた年だった。全54帖から成る長編小説を読み終えて、次のような感想をこのブログに書いた(2022.10.02 一部改稿)。

**紫式部は源氏物語を書くために生き、生きるために書いたのだ。1,000年以上も読み継がれるような小説を残し得たことは、作者の才能によるところが大きいことは言うまでもないだろうが、執筆環境にも恵まれていたのだろう。

紫式部が『源氏物語』で書きたかったこと、それは人は孤独だということだ。紫式部は華やかな貴族社会に身を置きながらも孤独というか、人は結局ひとりなのだと常に感じていたのではないか。このような感慨が反映されている。**

紫式部が『源氏物語』で書きたかったことは「人は孤独だ」ということ、という感想は、ちょっとピント外れかな、と今は思う。紫式部は親子ほども歳の差のある男性と結婚し、女の子を授かった。だが、結婚数年後に夫と死別する。幼少の時、母親を亡くしてもいる。確かに孤独を感じてもいただろう。

紫式部は『源氏物語』の光源氏という我が子の成長を楽しみに日々暮らしていたのだ。彼女は理性的で聡明な女性。貴族社会に身を置きながらもそのドロドロとした社会を受け入れがたく感じていただろう。そんな彼女にとって我が子・光源氏は生きる糧だった。時に愚行を嘆きながらも常に彼に母性愛を注いでいた。

「雲隠」について次のように書いている(2022.08.19 一部改稿)。

**紫式部は何年も光君を主人公に、物語を書き続けてきた。その光君の最期を書くに忍びなく、「雲隠」という帖名(巻名)だけ挙げて、本文を書かないという実に巧妙な方法を採った(帖名しかないことについては諸説あるが、私はこのように感じている)。

紫式部にとってこの長大な物語を書くことは心の支え、生きることそのものだったのだ。その物語の主役である光君を亡くしてしまったことによる喪失感があっただろう。マラソンに喩えれば「雲隠」でゴールしたという気持ちもあったのではないか。**

いまも上掲した「雲隠」の感想は変わっていない。

『紫式部考』柴井博四郎(信濃毎日新聞社2016年)は「なぜ紫式部は『源氏物語』を書いたのか」という自問に大きなヒントを与えてくれた。紫式部は光源氏亡き後、浮舟に彼の役を引き継がせる。「雲隠」の内容は浮舟の死から再生への道に暗示されている。紫式部は愛しい我が子・光源氏の再生という願いを浮舟に託した。浮舟は入水を決意して、実行する。だが、僧都に発見されて命を救われる。その後、浮舟は出家して仏に救われる。このことは紫式部が光源氏に向けた願いでもあった。

光源氏を退廃した貴族社会の象徴、とまで読むかどうか・・・。読むなら退廃した貴族社会の再生ということになるが。


 


「紫式部考」読了

2023-02-15 | G 源氏物語

『紫式部考』柴井博四郎(信濃毎日新聞社2016年)との出合いは『源氏物語』を読んだことに対するご褒美だと思った。

あとがきに次のような一文がある。**私は科学者として、自然が隠した神秘を探り当てることを仕事としてきた。が、紫式部が隠した秘密を探りあてる作業も、実にエキサイティングで楽しいことであった。**(415頁)

そう、柴井さんは自然科学が研究対象に対して採る一般的なアプローチ方法を『源氏物語』にも適用して全体構造(構成より構造ということばの方が的確だ)を把握し、紫式部が世に伝えようとしたメッセージを解き明かしている。『源氏物語』の構造の「相似性」と「繰り返し」、「そっぽ」に注目して、紫式部が巧妙に仕組んだ物語の真意を読み解いている。

柴井さんはあとがきに次のようにも書いている。**紫式部の観察と考察の対象は、彼女がどっぷり浸かっている宮廷貴族社会である。彼女の執筆意図が対象相手に直接分かってしまうのであれば、自分たちの生態をさらけ出される宮廷貴族に受け入れられるはずはない。皮相的にしか理解できなかった宮廷貴族たちの俗っぽさに受け入れられたことで、書きたいことを存分に1000年後まで残してくれたのが「源氏物語」なのである。**(405頁)

皮相的、そう表面的にしか理解できていないのは当時の貴族たちだけではなく、現代人でも同じことではないか。ぼくもその一人。だがしかし、『源氏物語』は通俗的な恋愛小説ではないということが本書の論考で示される。

1000年もこの小説が人々を惹きつけ続けているのはなぜか? 柴井さんは書く、**彼女の紡ぐ物語の中にこそ人間と社会の真実があり、(後略)**(405頁)と。100年経とうが、1000年経とうがその本質は変わらない。

本書の副題は「雲隠の深い意味」。「雲隠」は本文が何もない帖だが、柴井さんは「相似性」と「繰り返し」という『源氏物語』の構造からその内容を解き明かしている。ここにはその内容を具体的に書くことは控え、**源氏と浮舟は表裏一体の主人公といえよう。**(195頁)という引用に留めたい。説得力のある論考ということも付記しておく。

*****

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第1章 まえがき
第2章 紫式部の執筆動機
第3章 発端としての<桐壺>
第4章 空蝉と藤壷の相似性
第5章 雲隠
第6章 浮舟の死と再生
第7章 桐壷帝と朱雀帝の相似性
第8章 協奏曲「源氏物語」のフィナーレ

本書はこのように章立てされ、各章とも原則として「節」「項」まで構成されていて、論旨が分かりやすい。

本を読んで感動し、興奮するという経験はずいぶん久しぶりのことだった。


 


トラの切手

2023-02-14 | D 切手


 「安曇野屋敷林フォーラム2023」 2月26日(日)に開催予定のフォーラムのリーフレットと卓上カレンダーを友人が郵送してくれた。貼ってあったのは2022年のお年玉切手シートのトラの切手だった。

この切手、見た記憶がない。ということはこの切手シート当たらなかったのかな。


 


「紫式部考」

2023-02-13 | G 源氏物語

 図書館から借りていた『江戸一新』を返却した。それから、何か読みたい本がないかなぁ、と書架を見て歩く。一冊の本が目にとまった。『紫式部考』。書架から取り出して目次を見る。

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横書きの目次。まえがきに1章割いている。第1節は推理小説仕立ての「源氏物語」。なに、推理小説仕立て? 

まえがきは次のように始まっている。**「源氏物語」を読んでいると、アガサ・クリスティの推理小説を読んでいるような気分になる。作者の紫式部は何かを隠している。しかし、その一方で何かしらのヒントをもたらしてくれている。作者が与えてくれるヒントから、何が隠されているかを推理しなければ、「源氏物語」の本丸には近づけない。**(7頁) おもしろそうだな。カウンターで手続きをして借りてきた。

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『紫式部考 雲隠の深い意味』柴井博四郎(信濃毎日新聞社2016年)

著者の柴井博四郎さんは応用微生物学や応用細胞生物学の研究者。巻末の略歴によると、信州大学農学部教授を経て、中部大学応用生物学部教授になられ、2010年に退職されている。

この本が理系本のように横書きなのは、著者の経歴に因るのかもしれない。まえがきに「熱力学の第二法則」という見出しの項があって、びっくり。ここで著者は「源氏物語」もこの自然科学上の大法則があてはまる、と指摘して**紫式部は物語の中で、構造的に退廃と停滞に向かう宿命を負った平安貴族社会が必然的にすたれていく運命にあることを、源氏に語らせている。**(22頁)と書いている。この理系的な捉え方に、なるほど!

今日(13日)、朝カフェでこの本を読み始めた。

大塚ひかりさんは『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫2002年)で**『源氏』は濡れるし、たぶん立つ。エロ本としても十分、実用的なのだ。**(32頁)と書いている。彼女の読解力がいかにすごいか分かる指摘だ。

読む者に多様な読み方、解釈を許容することが名作の条件だとするならば、『源氏物語』はこの条件をクリアしているだろう。

『紫式部考』の貸出期日は今月26日。さあ、読もう!


 


「友だちとは、何する人ぞ」(追記)

2023-02-12 | D 新聞を読んで



 信濃毎日新聞に「角田光代の偏愛日記」というエッセイが不定期で掲載される。10日に掲載されたこのエッセイのタイトルは「友だちとは、何する人ぞ」だった。

角田(*1)さんは**小説を書くにあたって、友だちとは何かとか、友だち関係はどう変化するのかとか、考えることは多いが、私個人の生活のなかで友だちについて考えたことがない**そうだ。で、あらためて考えてみたという。友だちってどんな人のことを言うのか、いっしょに何をする人を言うのか、と。

角田さんはこう書いている。**気安く連絡して、気軽に会話する、という、自分自身はまったく未経験の友だち関係が、なぜ恋しくなったのだろう?** 

友だちとは、角田さんが書いているように特に用事もないのに気安く連絡して話ができる人だと思う。で、知り合いとは用事がなければ連絡して話をすることがない人。これが一般解だと思う。

買い物、映画、マラソンの練習・・・。何でもひとりでするという角田さんが友だちとすること、それはお酒を飲むこと。**ひとりで飲むのも好きだが、友だちとならば、何時間でも飲んでいられた。(後略)**と、暮らしのなかで友だちの出番は酒の席だったとパンデミック前を振り返る。

先日、友だちと一緒に北杜市内の火の見櫓を見て回ったけれど、その移動中に訊いた。「友だちと単なる知り合いとどう違うと思う?」

友だちは一緒に食事をすることがある人、単なる知り合いは食事をすることがない人だとぼくは考えている。ハードルを下げて(?)、友たちにお茶する(なんて言い方って古いのかな)人を加えても構わない。そう、友人と知人の違いはお茶、食事をすることがあるか、ないか。もちろんプライベートで。親しい友人は一緒にお酒を飲むことがある人。

で、友だちとは、何する人ぞ。楽しく語らう人。お茶しながら、食事しながら、お酒を飲みながら。


2023.01.30 撮影者のK君以外、7人写っている。

この日の夕方集まった親しい友だち8人。みんな同い年、保育園から一緒。持ち寄ったお酒を飲みながら楽しく語らう。次回は花見かな。


*1 2022年、角田さんが現代語訳した『源氏物語』を読んだ。


「江戸一新」

2023-02-11 | A 読書日記

 しばらく前に『地形で見る江戸・東京発展史』鈴木浩三(ちくま新書2022年)読んだ。本書の第2章「地形を活かした江戸と江戸城」の第5節「第三次天下普請から神田川整備工事まで ― 谷筋を利用した外濠」に「明暦の大火と埋め立て地の開発」という見出しの項があり、そこに次のような記述があった。少し長くなるが引用する。

**明暦三年(一六五七)の大火により、江戸のほとんどは灰燼に帰した。天下普請で造営された江戸城や諸大名の屋敷のほとんどが焼失した。(中略)その復興プロセスの中で、過密になっていた武家地や町地の「郊外移転」も進んだ。城内にあった尾張家や紀州家の上屋敷を外郭の外側に移転して、城内のオープンスペースを確保するほか、白銀町(神田)、四日市(日本橋)、飯田町(麹町)の市街地を移転させて火除地(ひよけち)を設けている。強制的に家屋の庇を切らせて道路も拡幅した。**086,087頁


明暦の大火の後の江戸の復興、いや一新に立ち上がった老中・松平信綱を主人公にした歴史小説があることを知った。門井慶喜の『江戸一新』(中央公論新社2022年)だ。この本を図書館で借りて読んだ。

小説では江戸一新、江戸の大改造の全体像が描かれているだろうと予想していた。明暦の大火の翌年に組織される定火消、火消屋敷の設置とそこにつくられる火の見櫓についても記述があるだろう・・・。

残念ながら、この予想は外れた。そう、これは松平信綱や阿部忠秋、酒井忠清ら、江戸一新に関わった中心人物を描いた小説だった。小説だから人間模様が描かれるのは当然と言えば当然だが・・・。

江戸の街づくりに関する大胆な発想とその具現化。「武家地の郊外移転」を巡る議論、市中の庇の出を三尺以内にさせることなど、『地形で見る江戸・東京発展史』で読んだことが物語になっていた。

借りた本だから貼った付箋を剥して返却する。ここに付箋か所を記録しておきたい。

**「(前略)ここからのわれわれの仕事は、もはや復興にあらず、すなわち過去(むかし)の栄華を取り戻すことにあらず。それより一歩先へ進んで、子や孫へ、百年先の末裔へと健やかな江戸を贈ることにあり」**173頁 これは信綱の発言。

**「今回の大火じゃあ、橋がなかったばっかりに、江戸の住人がたくさん死んだんだ。(中略)もしもこの川に橋があれば、日本橋の用に大きな橋があれば、みんな対岸へ逃げられたんだ」
「結果論(あとぢえ)だ」
「たしかにそうだ。でも大火はまたいずれ来る。かならず来る。そのとき結果論は予防策(したごしらえ)になる」**248頁

この議論で、隅田川に両国橋が架けられることになる。江戸を外敵から防御する外濠としての大きな川、そこに江戸の住人を守る橋を架けるという政策の転換。先月31日、ブログに**両国橋は明暦の大火(1657年)の数年後に架けられた。火災の際の避難経路の確保という意図で。**と簡潔に書いた。

『地形で見る江戸・東京発展史』では**万治二年の両国橋の架橋も、隅田川東岸の開発が進んだからであった**(088頁)としか説明されていない。ここを読んで、あれ?と思ったけれど、小説とは架橋理由が符合している。

歴史に疎く、登場人物に関する知識皆無な私。でも私なりに面白く読むことができた。


 


火の見櫓の形状の地域性

2023-02-11 | A 火の見櫓っておもしろい


北杜市白州町


上田市前山

 火の見櫓の基本的な構成は変わらないけれど、姿形には地域性がある。今月5日に北杜市で見た火の見櫓17基の内7基が①の型だった。9日、上田市で見た12基の内9基が②の型だった。末広がりの櫓にトラス脚の①、直線的な櫓にがに股のたばね脚の②。こうして見比べると両者の違いがよく分かる。どちらも好くて甲乙つけがたい。


 


12上田市古安曽の火の見櫓

2023-02-10 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)上田市古安曽 平井寺公民館の近く 4柱4〇型たばね脚

 昨日、9日の最後12基目は平井寺トンネルに程近いところに立っている火の見櫓。今回は意識的に「火の見櫓のある風景」を撮った。道路沿いに立っていれば出来るだけ両方向から。










脚の付け根に見張り台の手すりに付けるような飾りがある。この飾りはつくり置いてあるのだろうか・・・。たぶんそうだろう。


昨日(9日)上田市の塩田平及びその周辺で見た火の見櫓12基のタイプ内訳
4柱4〇型  9基 (全てたばね脚)
3柱3無型  2基
3柱 48型  1基


 


11上田市古安曽の火の見櫓

2023-02-10 | A 火の見櫓っておもしろい


1448 上田市古安曽 柳沢公民館 4柱4〇型たばね脚 2023.02.09


 櫓の中間の踊り場は簡易なつくりでカンガルーポケットも設えていない。上田方面のごくオーソドックスな姿形を見続けていると、これいいなあ、って思えてくる。住めば都、このことばはどんなところでも住み慣れれば住み心地がよく思われてくるという意味。これに倣えば、どんな火の見櫓でも見慣れれば姿形がよく思われてくる、ということか。




屋根と見張り台を写した2カット。下の方が、屋根と見張り台の立体的な形状が分かりやすい。屋根のカーブを示すなら上の方がよい。目的に合うアングルを考えて撮りたい。


簡素なつくりだが、これで梯子の切り替えという踊り場の役目は果たせる。


たばね脚、たばね脚っと。


設置されている銘板に「完成 昭和29年3月20日第32號」と記されている。第32號はこの会社で建てた32番目の火の見櫓ということを示しているのだろうか。