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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「洗足は愛」

2024年03月23日 | 聖書のお話

「洗足は愛」 ヨハネによる福音書 13章1~15節

 当時、食事に招待されたお客の足を洗うのは、奴隷の仕事でした。イエスさんは、食事の際、奴隷がするように弟子たちの足を洗いました。その時、ペトロは「わたしの足など決して洗わないでください。」と言いました。そう言ったのは、ペトロが奴隷の仕事とは何かを認識しつつ、師であるイエスさんが奴隷の仕事をするのはあり得ないと思ったからです。

 イエスさんは、ペトロに「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」と答えると、ペトロは、「主よ、足だけでなく、手も頭も。」洗って欲しいと言いました。ペトロは、イエスさんの「何のかかわりもないことになる」との言葉によって、自分の考えをそれこそ180度改めたのです。奴隷になりたいと思う人は、誰もいません。しかし、人が嫌がるような仕事を誰かに行わせることによって社会が成り立っている現状があります。それが現代の奴隷制度です。問題は、一方通行の奉仕を強いることです。一方通行の奉仕を強要し続けることは、やがて人を倦み疲れさせてしまうことになり、失望し、憎み争い合う方向へと導かれてしまうことになります。そうならないためにも、私たちは現代の奴隷制度に疑問を持ち、改める必要があるのです。

 イエスさんは、弟子たちに「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」と言いました。イエスさんは、一方通行の愛ではなく、互いに足を洗い合うという相互方向の愛を行うように模範を示し、教えているのです。たとえ愛であっても、一方通行であるならば、やがて倦み疲れてしまうものです。相互通行の愛であるならば、互いに慰め励まされ、信頼が深められ、やがて平和の道へと導かれることでしょう。イエスさんは、弟子たちの足を洗って愛し方を教えられたのです。洗足は、愛です。

 


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