融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

教育と書いて・・・

2022年10月29日 | 日記

 教育の文字が表している意味について考えてみました。

 一つ目は、教育の「教」は教えること。教育の「育」は育てること。もっぱら、小さい子どもに向けてのアプローチを思い起こします。音楽やスポーツなど、小さいうちから学ばせると、より上手になると言われています。

 二つ目は、高校生くらいになると、教えるだけではなくて、教わろうとするようになり、育てられるだけでなくて育とうとするようになることを思い起こします。この年齢になると、一方的に教えるというより、興味のある部分を伸ばして行くような学びがふさわしいのかもしれません。

 三つ目は、ある程度の年齢になると、教えられたり、育てられたりすることに反発し、受け付けることもできなくなるといったことを思い起こします。この年齢になると、自ら学ぼうという意思がなければ何も学べなくなるものです。

 そう考えると、教育とひとくくりにできないものがあり、上手にやらないといけないものだと思わされます。

 最近、新聞でコロナ下で小中学校の不登校生徒が増加しているといような記事を見ました。いじめも原因にあるようなことも書いてありました。私は、教育の失敗が不登校の原因でもあるのではないかと考えています。小中学校の年齢での問題は、大人の責任だと思います。いじめと言えば、子ども同士のせいにしているようで、何だか大人が責任転嫁しているようで解せません。

 一方で、現場の教師ばかりの問題でもありません。教育機関の問題、国の行政の問題の方が大きいのではないかと思います。カルト宗教に傾倒した自民党議員が行政の大臣をしています。これが、現場で様々な問題が起こっている根本原因だろうと思います。この状況を変えないとどうしようもありません。

 


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明日は礼拝です

2022年10月29日 | 礼拝のご案内

 明日10月30日(日)は、信徒伝道礼拝です。午前9時からの教会学校は、お休みしています。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは、仲谷喜介さんが担当されます。題は「腹八分あれこれ」、賛美歌は「飼い主わが主よ」、「やさしき道しるべの」です。感染症対策をして礼拝を守っています。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 


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「神の前で豊かになる」

2022年10月29日 | 聖書のお話

「神の前で豊かになる」 ルカによる福音書 12章13~21節

 モーセは、夫の遺産を相続できるようにして欲しいと願い出たやもめを受け入れ、彼女が遺産を相続できるように取り計らい、そのことを通して神さまの愛が示されました。同じように、長男が多くの遺産を受け取るものとされていた中で、イエスさんに「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」と願い出る人がいました。

 この人は、自分に神さまの愛が示されて、多くの遺産が分け与えられることを期待しました。しかしイエスさんは、この人に向かって「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」と言い、一同に向かって「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」と言いました。

 イエスさんは、神さまの愛を自分だけのものと考えていないかを問うているのです。神さまの愛が自分だけのものなら、不平等が当たり前になります。そうではなく、神さまの愛が他者と分かち合うべきものなら、平等が当たり前になるのです。神の前で豊かになるとは、神さまの愛を平等に分かち合い、互いに助け合って共に生きるということなのです。

 


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明日は礼拝です

2022年10月22日 | 礼拝のご案内

 明日10月23日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校は、お休みしています。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「神の前で豊かになる」、賛美歌は「飼い主わが主よ」、「やさしき道しるべの」です。感染症対策をして礼拝を守っています。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 


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「山上で愛を教える」

2022年10月21日 | 聖書のお話

「山上で愛を教える」 マタイによる福音書 5章1~12節

 イエスさんは、大勢の群衆を前にして、山上から一番大事な神さまの愛を教えました。群衆の中には、どちらかというと貧しい人々が多く集まっていました。彼らは、イエスさんの教える神さまの愛について耳を傾けました。イエスさんは、口を開いて「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」と言いました。 

 当時、富は神さまからの贈り物と受け止められていました。それ故に、貧しい人は神さまへの信心が足りず、神さまから見放されているのだと考えられました。経済的な貧しさに加え、人々からの偏見により、貧しい人は「私には神さまの恵みは来ないのだ」と自暴自棄になって心が荒んでしまう傾向にありました。それが、「心の貧しい」と呼ばれている人々のことです。

 イエスさんは、経済的な貧しさから心までも貧しくなり、自暴自棄になって「神さまから見捨てられたのだ」と思ってしまう人々に向かって、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」と言いました。心まで貧しくなってしまった人々に、「天の国」という最高の贈り物が約束されている、それが神さまの愛であると教えられているのです。

 


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