融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

礼拝の開始時間が10時30分になりました

2016年04月30日 | 礼拝のご案内

 明日5月1日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、10時15分から讃美歌練習、10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は、「地の果てまで、遣わされた」です。讃美歌は「十字架の血に」(今月の歌)、「キリストの前に」、「むくいを望まで」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席下さい。それから、5月の定例役員会があります。

 熊本大地震で、4月28日に激甚災害が指定されました。14日の地震発生から、実に14日経っての指定となります。49名の方が亡くなられ、1000人以上の方々が重軽傷、19万人以上の方々が避難生活をしています。家屋の全壊は、2111棟とのことです。

 3年前の山口県・島根県での豪雨災害では、4日後に激甚災害の指定が発表されました。2名の方々亡くなられ、家屋の全壊は49棟ほどということです。

 被害の大きさで比較するのではありませんが、熊本大地震に対する対応は、あまりにも遅すぎすぎるんじゃないでしょうか。政治家として、地元の山口県をえこひいきするのはいかがなものかと思います。大災害によって被災された方々の嫌みや苦しみが同じであるとすれば、どういう理由で、どうしてこのような差別をするのか、蓋然性ある説明をして欲しいと思います。

 

 

 


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義母の記念会

2016年04月30日 | 日記

 昨日、大分で震度があり、震度5強とのことです。地震活動は、一向に収まる気配がありません。被災されている方々は、肉体的にも精神的にもお疲れのことと思います。お守りをお祈りいたします。

 29日に宇都宮の四條町教会にて、4月12日に天に召された義母の記念会に出席して来ました。義母は、四條町教会で長く幼稚園で働かれていましたので、集まりやすさも考えて会場をお願いすることになりました。4月12日以来、家族は緊張しっぱなしで記念会を迎えることになりましたが、記念会を一区切りに一息つけそうです。4月12日の召天から29日の記念会というのは、たいへん慌ただしいスケジュールでしたが、5月以降、教会も幼稚園も忙しくなりますので、結果的に良かったのかもしれません。

 振り返って、個人的には忙しくもあり、義母はもちろん他の親戚の方々と疎遠になっていましたが、今回、義母によって親戚の方々と結びつけられたことを感謝しています。従兄弟たちとも、だいぶ親しくなれました。義母からのプレゼントだと受け止めています。

 また、この春、四條町教会には、明石教会より川上 揚師が転任されて来ました。兵庫教区でのお交わりもあり、特に緊張することもなく、自然体でいられたことはよかったです。

 


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祈っています

2016年04月28日 | 日記

 熊本の大地震ですが、今も3万人もの方々が避難所に身を寄せているとのことです。地震の頻度は相変わらずで、大きな揺れも少なくなって来たかと希望も含めて思っていたら、夜中に震度4の地震もありました。震度4というと、被災地で避難所に身を寄せておられる方々にとって、正に寿命が縮むような思いではないかと想像します。

 浜坂教会では、まずは祈ること、そして支援募金を集め始めました。また、教区を通じて、色々な情報を確認しているところです。目を閉じて祈るとき、不思議なことに被災地の様子や、そこで苦労している被災者の姿が思い浮かんだりします。頭が想像してのことなのでしょうが、正しい知識と情報、そして人との繋がりがあれば、容易に思い浮かべることができるのではないかと思います。そういう意味でも、祈ることは大切だと思います。

 


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「新しい歌を主に歌った」

2016年04月27日 | 聖書のお話

「新しい歌を主に歌った」 第一コリント12章31b~13章3節

 「異言」とは、何を言っているか意味も内容も分からないけれど、神さまを賛美する一つの方法のことです。パウロは、そんな「異言」を語る場合でも、愛がなければ、やかましいだけであると教えています。「預言」とは、神さまから預かった言葉、神さまが伝えようとしている言葉を語るということです。パウロはまた、預言を語ったり、命じるだけで山をも動かすことができるほどの信仰を持っていたとして、愛がなければ、あってもなくても同じであると教えています。パウロはまた、慈善事業や社会運動に熱心で、そのために命を投げ出したとしても、愛がなければ何の益もないと教えています。

 パウロは、そんな「愛」について、忍耐強さや謙遜さを持ちつつ、自分を愛するように他者を愛するものでなければならないと教えています。「愛」というと、多くの人は、自己愛に行き着くものです。誰も、自分のことが可愛いし、自慢もしたいし、良くも見られたいと思うものです。けれども、それでは「異言」を語っても「やかましい」だけだし、「預言」すらも「あってもなくても同じ」になり、「社会奉仕」さえ「何の益もない」と教えられているのです。

 浜坂教会の2016年度の宣教の標語は、「新しい歌を主に向かって歌おう」-弱さを恵として-です。私たちの語る「愛」が、自己愛ならば、やかましかったり、あってもなくても同じだったり、何の益もないものになってしまいます。私たちの語る「愛」が自己愛にならないように自分を戒め、忍耐強く謙虚な姿勢をもって、常に新しい歌を歌うような気持ちでイエスさまが教えられた「愛」を宣べ伝えることができるような年度でありたいと思います。

 


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被災地での葬儀を思う

2016年04月27日 | 日記

 ふと、被災地においての葬儀について思いました。

 被災され、不幸にして亡くなられた方の葬儀は、被災された身内がされることになると思います。何事もない時でさえ、葬儀は大変です。それが、被災の状況であれば、身内や関係者も被災している中での葬儀となりますので、さらに大変なことになると思います。また、災害時には、行方が分からなくなったり、身元が分からないといった辛いことがたくさん起こります。葬儀ができるだけ、まだ良い方かもしれません。

 いずれにしても、災害を経験すると、平穏無事で平和な日常が、実は有り難いものであることを感じるのではないでしょうか。平時には、互いに「清く正しく美しく」生きることができるようでありたいと思います。

 熊本とその周辺での地震も、回数は変わらないようですが、地震の規模が小さくなって来つつあるように思います。このまま、収束して欲しいと思います。被災地の方々が、一日も早く普段の生活に戻れるようにお祈りします。

 


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