融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2021年04月24日 | 礼拝のご案内

 明日4月25日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「信頼して委ねる」、賛美歌は「地よ、声たかく」、「主の復活、ハレルヤ」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。寒さを感じる場合がありますのでご承知ください。礼拝後は、教会員のみで定期教会総会を行いますので、いつものお茶の一時はありません。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。

 菅首相が首脳会談で東京オリンピックにバイデン大統領を招待したい旨を伝えたそうです。なるほど、バイデン大統領が来てくれたらオリンピックが華やかになることでしょう。しかし、どうしていつも自分の都合の良い皮算用をするばかりの思考回路しかないのでしょうか。バイデン大統領の後ろには、ハリスさんという女性の副大統領が控えています。まず、菅首相がオリンピックにまつわる女性蔑視発言を総括して謝罪した上でご招待しなければ、バイデン大統領が気持ち良く出席できないのではないかと考えもしないみたいですね。その程度の想像力すら持ち合わせていないので、コロナを始めとして全ての問題にマトモに対処できる訳がないと思います。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「問うイエス」

2021年04月23日 | 聖書のお話

「問うイエス」 ヨハネによる福音書 21章15~19節

 イエスさんは、ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と問いました。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と応えると、イエスさんは「わたしの子羊を飼いなさい」と言いました。

 ペトロは、イエスさんを愛しているのですが、弱さのために「イエスさんを知らない」と言ってしまう自分がいることも分かっていました。なので、自分がイエスさんを愛しているいるかどうかの最終的な判断については、イエスさんに委ねようとしたのではないかと思います。

 けれども、人間は、たとえ神さまであっても委ね過ぎてしまったなら、依存し、甘えてしまい、何の責任も負わないような存在になってしまうところがあります。およそ、51パーセント委ね、49パーセント責任を負う、それ位で生きているという実感が湧いて来るのかも知れません。だから、自分にも責任があることを忘れさせないようにするために、イエスさんはペトロに「わたしの子羊を飼いなさい」と言われたのではないかと思います。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は礼拝です

2021年04月17日 | 礼拝のご案内

 明日4月18日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「問うイエス」、賛美歌は「地よ、声たかく」、「主の復活、ハレルヤ」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。風が冷たいかも知れませんので、暖かい服装でお越しください。礼拝後にお茶の一時を予定していますが、中止する場合もあります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。お茶の一時の後、臨時役員会を行います。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「共に歩むイエス」

2021年04月17日 | 聖書のお話

「共に歩むイエス」 ルカによる福音書 24章13~35節

 二人の弟子は、イエスさんが十字架に掛けられた後、仲間からイエスさんが三日目に復活されたという知らせを聞きましたが、その言葉を信じることができませんでした。彼らは、あれこれと論じ合いながら、エマオへと歩いていました。そこへ、復活されたイエスさんが合流し、今度は3人で論じ合いながら一緒に歩いて行くのですが、始めのうち二人の弟子はそれがイエスさんだと気がつきませんでした。

 二人は、この間の出来事について自分がどう思っているのかや、自分の信仰について論じ合いました。その結果、分かったのは互いの立場や考え方の違いであったことでしょう。ところが、イエスさんを交えて論じ合ったところ、互いに「心が燃える」ようになり、正反対の方向にさえ共に歩み始める力が湧いてきました。人は、互いに立場や考え方が違って当たり前の存在です。けれども、イエスさんを交えて論じ合うとき、互いの立場や違いのあるままで共に力を合わせて歩むことができるようになると教えられているように思います。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たとえ反知性主義者であっても「飲むな!」

2021年04月16日 | 日記

 麻生大臣が福島原子力発電の汚染水のことを「薄めたら飲めるのが普通の考えだ」と言われました。7倍に希釈すると飲んでも大丈夫だなんて、大の大人が言うセリフなのでしょうか。7杯飲んだら原液と同じじゃないですか? 海に放出するにしても、放出する前に薄めるって何ですか・・・? こんな反知性主義者が日本の大臣をしていますので、世界中で笑いものにされる訳です。このような考え方を持った政治家を一掃もできず、本当に海洋に汚染水を放出しようとしたなら、私たちも同レベルだということの証明となり、世界中の笑いモノになると共に、軽蔑され、信用もされなくなってしまうでしょう。

 思わず「だったら飲んでみろ」というツッコミが入っていますが、私は反知性主義者の麻生大臣であれ、菅総理であれ、決して汚染水を飲んでもらっては困ると言いたいです。なぜなら、汚染水に含まれている放射性物質は、飲んだ人の体の中に留まり、その人の健康を蝕むばかりではなく、排泄物として環境に放出されて環境が放射性物質によって汚染されてしまうからです。「だったら飲んでみろ」と反知性主義者をけしかけてみても意味がありません。むしろ、その人のため、自然のため、ひいては子どもや孫たちのために福島原子力発電の汚染水は決して飲んではいけないんだと声を上げて訴えたいと思います。

 原発は、稼働させるほどに負の遺産を未来の子どもや孫たちに残す装置です。爪の垢ほど未来の子どもや孫たちのことを考える気持ちがあるなら、原発を稼働させてはならないというのが普通の考えではないでしょうか。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする