融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「未来に目を向ける」

2018年06月15日 | 聖書のお話

「未来に目を向ける」 マルコによる福音書 10章13~16節

 イエスさんに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来ました。「触れて」という言葉の文脈には、病気を癒やすという意味があります。また、すぐ前の箇所には、「離縁」についての問題が取り上げられています。そこから考えると、この子どもたちは、親もなく、心身の癒やしを必要としていた子どもたちだったのかも知れません。また、この子どもたちを連れて来た人々も、本当の親でなかったのかも知れません。

 弟子たちは、これらの人たちを叱りつけ、こっちに来るなという意思表示をしました。それだけ、この子どもたちの姿が酷く見窄らしい状態だったのかも知れません。イエスさんは、弟子たちに向かって激しく憤り、「子どもたちを私のところへ来させなさい」と言いました。そして、「このような者たちこそ神の国に入るべきだ」と教え、子どもたちを抱いて祝福されました。弱い立場の人たちについてのイエスさんの教えは、いつも首尾一貫しています。

 「子どもの日」に、子どもたちへの祝福を考えるとき、祝福とは今この一瞬だけのものではないことを思わされます。子どもたちの未来も含めて責任を持つ、それが祝福ではないかと思います。51年前、香住や久美浜に原子力発電所を建設しようという話しが沸き起こったとき、そこで展開された反対運動は、放射性廃棄物を未来の世代に押しつけてはならないという、未来の子どもたちを祝福するための運動であったと思わされます。

 

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