融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

改憲派の「日本国憲法は米国から押しつけられた」はデマ!9条は幣原総理の発案だった。

2016年02月29日 | 日記

 先日の国会でも「戦力の不保持」を明記した9条2項を含む改憲を示唆した安倍首相だが、彼を筆頭とする改憲タカ派や保守論壇がしきりに喧伝しているのが、“日本国憲法はアメリカから強要された”という、いわゆる「押し付け憲法論」だ。

 安倍首相自身、2012年末にネット番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人がつくったんじゃないですからね」と、現行憲法への敵意を剥き出しにしている。

 また、昨日の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でも、安保法制は違憲ではないと主張していた日本会議常任理事の憲法学者・百地章氏が「日本が二度と連合国やアメリカの脅威とならざる、というのがアメリカの占領目的でした。その一環としてまさにこの日本の憲法はつくられた」と主張していた。

 しかし、彼らが言う「日本人がつくった憲法じゃない」というのは、実のところ、まったくのデマゴギーなのである。

(以上、記事本文より抜粋)←クリックすると、記事本文に移動します。


 

 記事本文にもありますが、平和憲法によって70年もの間、戦争で人を殺し、殺されなかったというのは、もっと評価されるべきことではないかと思います。平和憲法は、世界からも賞賛されていることであり、日本が様々な方面で信用される理由になっていることは明白です。

 記事本文にあるように、事実に基づいた考察によれは、時の第44代内閣総理大臣の幣原喜重郎氏がいわゆる「平和憲法」を草案策定したのは、旧軍部の再台頭を防ぐのと、日本が再び世界に向けて戦争を起こす意思がないことを明らかにするためという、二重の意味があったと記されています。日本が再び戦争を起こす意思がないことを表明するのは、「敗者」で弱くさせられていた日本を内側と外側から守るための方策であったと考えられます。そのように、時の総理大臣が考えたのだとしたら、それは総理として高い志を持っていたということではないかと思います。

 反対に、いわゆる「押しつけ憲法論」を主張する安倍首相を始め、改憲タカ派や保守論壇と言われる人たちが言う現行憲法の改正は、日本を内側と外側から守るための高い志を持ち得ているようには思えません。その姿は、バックにいる武器を売ってお金儲けをする軍産複合体に顎で使われて、たとえ日本が内側と外側から危険な目に遭ったとしても何とも思わない、お金儲けができさえすればそれで良いと考える金目教の信奉者そのものであるように見えます。

 北朝鮮や中国が攻めてくると考える人もいます。そのときは、平和憲法を盾にして、自衛すれば良いことです。攻めてくるので、応戦のために平和憲法を捨てて戦争できるようにしなければならない理由はありません。そんなことをしたら、問題を大ごとにするだけではないでしょうか。平和憲法を掲げているということは、それだけで国内外に対して大きな意味があり、戦争への抑止力になっているのです。それゆえに、70年も戦争しなくて済みました。このことは事実であり、無視できない大きいことです。

 「平和憲法」を改正してまで戦争ができるようにする、それは誰の意思で誰からの要求なのかという観点で考えてみたら、背後にいるのは決して国民ではないことが分かります。そこにいるのは、武器を売って巨万の富を得る軍産複合体であり、安倍首相を始めとする改憲派の論壇とは彼らに顎で使われている人たちのようにしか見えません。

 安倍政権は、国民が誰も望んでいなにのに、閣議決定で戦争法案を了承しました。もう間もなく、TPPも閣議決定しようとしている模様です。日本は、「主権在民」が踏みにじられています。国を守るという詭弁を用いて、国民から主権を奪い取り、おまけに博打の素人の癖して年金まで株という博打に投じるような人たちです。おかしいと思いませんか?

 不思議なことに、そんな内閣の支持率が50%を超えていると大手マスコミは伝えています。けれども、どこの地方新聞もそんなに支持率は高くありません。あって、せいぜい10~20%であると伝えられています。しかも、フジテレビと日本テレビは外資の影響を受けているので、とても日本のためになる真実を伝えているなどと「思え」と言われても無理な話です。以前のエントリーでご紹介した通りです。これこれです。要は、支持率をねつ造しているとしか思えません。

 

 いずれにしても、私は、平和憲法のもとで主権在民でやっていくという日本国憲法に賛成です。

 

 


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禍根を残す

2016年02月29日 | 日記

 グローバルという言うと、聞こえが良いように思われますが、国という壁を取り払い、同じ土俵に上がって、素人も横綱も一緒になって相撲を取ろうと言い出し、その際ローカルルールは一切禁止というのなら、そりゃ強い横綱が勝つに決まっています。「同じ土俵」はTPP、「素人」は中小企業、「横綱」は巨大企業、「相撲」はお金儲けと置き換えてみれば、TPPの本質を言い表していると思います。

 ぜひ「TPPに隠された本当の恐怖」-ついに明らかになった危険すぎるシナリオ-(既にご紹介済み)を買ってお読みください。全部で93ページのうち、前半の44ページまでが本文で、残りが資料と解説です。600円+税で、20分もあれば読めます。他人事を決め込んでいたら、横綱にぶん投げられますよ。ぶん投げられるだけならまだしも、身ぐるみ剥がれて貧しく弱くさせられて、最後には奴隷にされかねません。そんなことは、まっぴらご免です。

 考えてみたら、TPPも原発も、自分たちさえ良ければいい、今が良ければそれでいいと考える金目教(お金儲けの権化)信奉者の成せる業だろうと思います。けれども、かつて、今さえ良ければいいと経済成長の最中、あちこちで公害問題が起こったことを思うと、金目教は今日流に姿を変えて、しぶとく生き続けているのだろうと思います。巨大企業というのも考えものだと思います。何事も、ほどほどにが一番ではないでしょうか。

 金目教信奉者の思惑に振り回されて、これからますます難しい世の中になりそうな気がします。そんな状況だからこそ、宗教とナショナリズム、ポピュリズムについて論考し、日本がこれから歩もうとしている道について警鐘を鳴らしている「愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか」(集英社新書)という本が発行されたということです。その中で、安倍内閣が「日本会議」と結びついていることや、橋下徹氏とポピュリズムについて考察しているとのことで、買ってみようと思います。本当は、買って読んでからご紹介したら良かったのかもしれませんが、大事なことのように思えてご紹介させていただきました。

(↓画像をクリックすると、ニュース記事へと移動します。)

 

ふと、「禍根を残す」という言葉が思い浮かびました。


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明日は礼拝です

2016年02月27日 | 礼拝のご案内

 明日2月28日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、10時から讃美歌練習、10時15分から礼拝が始まります。メッセージの題は、「赦すための秘訣だった」です。讃美歌は「よろこびの日よ」(今月の歌)、「ああ主は誰がため」、「十字架のもとに」です。礼拝後、祈りの一時、但馬世界祈祷日(3月5日開催)の讃美歌練習、会堂清掃、そしてお茶の一時があります。どなたでもご出席ください。

 小学校では、まだまだインフルエンザが流行っています。暖かくなったり、寒くなったりと、気温の変化があるため、なかなか大変です。しかし、かれこれ3月になろうとしています。春は、もうすぐそこまでです。

 

 


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誰のための改革だったのか

2016年02月27日 | 日記

 小泉郵政改革というのがありました。あのとき、多くの人が「改革は良いものだ」と受け止め、改革後の未来に希望を抱いたのではないでしょうか。

 小泉元首相が改革と言うとき、私は恥ずかしながら「国民のために改革しようとしている」と受け止めてしまったように思います。国会議員なんだから、国民のためを思ってやっていると、そう勝手に思い込んでしまっていたようです。(大汗)

 最近は、あれは国民のための改革などではなく、郵便マネーを外資のために開放したのではないかと思うようになりました。そう思うと、辻褄が合うのです。

 東京都知事選挙のとき、小泉元首相は、立候補された細川元首相を応援し、一緒になって「原発反対」を唱えて一世を風靡しました。しかし、あれも宇都宮健児氏と票を食い合い、桝添氏を当選させるためのものではなかったかと、そう考えれば辻褄が合うのです。

 お二人は、原発利権に切り込む訳でもなく、再稼働に反対する訳でもありません。あれは、何だったのでしょうか。

 

 そう考えると、自民党農林部会長の小泉進次郎議員が農水改革を進めているようで、父親のパターンを当てはめてみると、これも農水マネーを外資のために開放しようとしているのではないかと思えてしまいます。(↓クリックすると、ニュース記事へ移動します。)

 

 演舌上手と甘いマスクには気をつけたいものだと思います。  


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「愛の教えで完成させた」

2016年02月27日 | 聖書のお話

「愛の教えで完成させた」 マタイによる福音書 5章17~20節

 モーセがシナイ山でイスラエルの民に十戒を伝えたように、イエスさまは、山上で群衆に向かって愛の教えを伝えました。イエスさまの愛の教えは、社会で弱くさせられていた人たちの集まりである群衆を、天の国へと迎え入れるための教えでした。ユダヤの社会では、病気や障がいのために、貧しく弱くさせられていた人たちがいました。社会で弱くされた人たちは、生活苦の故に律法も守れなくなり、ファリサイ派や律法学者たち、社会の富める人たちから「罪人」と呼ばれて蔑まれ、天の国に入れない者と見なされていました。言い替えれば、律法は、ファリサイ派や律法学者たち、社会の富める人たちにとって都合良く解釈して悪用され、弱い立場の人たちを不利にするものでした。

 イエスさまは、「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」と言われました。「廃止」とは、律法が自分に不利であるから否定するということです。それは、神さまとの関係を切ることを意味しています。けれども、間違っているのは、律法を都合良く解釈して悪用するファリサイ派や律法学者たち、社会の富める人たちの方ではないでしょうか。群衆は、彼らによって弱くさせられ、「罪人」と呼ばれて蔑まれているからといって、律法など守らなくてよいと人に教え、律法を捨てて神さまとの関係を切ってしまって良いはずがありません。

 イエスさまは、貧しく、弱くさせられて、神さまへの信仰までも失いそうになっている人たちに向かって、神さまの愛とは何かを教えました。そして、困難な状況にあっても腐らず、信仰を失わないようにと、ご自身の愛の教えでもって律法を完成させようとしている使命と目的を公にされました。

 


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