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「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。

2015年04月25日 17時52分25秒 | 聖書

その行いが悪かったからである。
しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」(ヨハネ3:20)

「人々はやみを愛した」とあるように、人の古い性質は、罪を憎むのではなく、罪を愛する。
したくないけれど、罪を犯すのではなく、そうしたくて罪を犯している。
誘惑に乗って行ってしまうのは、誘惑を拒絶するのでなく、本当はその誘惑の中にいたいのだ。
誘惑は心地良い。そこから出たくない。
やみを愛する罪の性質だ。
ぎまんに陥らないために「~できない」のでなく「~したくない」と認める事、光でなく、やみを愛する古い性質が、自分の内にある事を認識しておくことは大切だ。
又、私達は自分は見える、わかっていると言って、光を拒んでいる。
見えない事を認めない。
しかし、光を拒むなら、暗闇の中で見えるのは自分だけだ。
自己中心の世界の中で、絶対に自分は正しく、間違っておらず、相手が悪いとしか見えない。
真理を行なうとは、自分の罪を認める事だ。
やみを愛する者であり、自分を正当化しては、人を裁き、責める者である事を認める。
その時、その人は光に出るので、神が見える。
光があり、神が見えるので、更に自分の生来の姿がはっきりと見えて、悔い改める。
全き赦しを与えられ、新しくされる。
今、あなたは自分が正しいとしか見えないか。
それなら闇の中だ。光は、正しいと思っているあなたの真の姿を照らし出す。
実は自己中心で、自我の強い自分を。
神の前でのみ、本当の自分が見える。
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自己中心出しか生きられないで何のクリスチャンであろう。
私たちには御霊様がおられる。聖霊様にしか善を行うことはできな事を知っている。
人を裁き、人と比較し人に認められたい…自己中の自分を認め聖霊様に従えるように光に出て行こう。


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