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テトスへの手紙3章5~8節

2016年10月27日 07時20分53秒 | 聖書


★神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。…これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。


■O:今日のコラム
ここでパウロは、私たちの行った「義のわざ」で救われたのではなく、ただ、主の恵みとあわれみ、聖霊によって救われたと言っています。そして、続けて、この事を確信することによって、今度は「良いわざ」に励むように勧めています。

私たちは、行いで主の前で義と認められることはありません。どんなに私たちが良い行いをしたとしても、神様の義には達することはできないです。ただ、イエス様の血潮を受けることによってのみ、私たちは義と認められます。だからと言って、私たちは良い行いをおごそかにするのは、主の御心でないことが分かります。なぜなら、主は私たちのわざによって報われる方ですし、パウロがこのように語っているのを皆さんもご存知でしょう。

「…信仰も行いがなかったら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)

また、今日の箇所では、まず、私たちは「義のわざ」によって救われたのではなく、ただただ主の恵みであることを確信したうえで、私たちが、「良いわざ」に励んでいくように勧めています。この「良いわざ」によって、私たちは義としては認められませんが、私たちが義とされたゆえに、ますます「良いわざ」に励み、主の麗しさを解き放つ器となっていこうではありませんか?

良いわざをして、何か得るのではなく、ただ主の輝きを解き放っていきましょう!


■A:考えてみよう
主の血潮によって、義とされ、だいたいに「良きわざ」をしていきましょう!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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