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◆二  つ  の  心

2017年04月26日 05時32分06秒 | 聖書

正しい者の願い、ただ良いこと。
悪者の望み、激しい怒り。     (箴言一一23)
ある韓国人の牧師の書斎に、「一怒一老、一笑一少」という額がかかっていました。「一つ怒れば寿命が縮まり、一つ年をとる。一つ笑えば一つ年が若くなる」という意味でしょうか。なるほどと思いました。
怒って得なことはありません。怒りは人間関係を壊し、自分自身を偽り、ばか者にし、孤独にします。そればかりか、いのちを縮めます。怒りっぽいことはだれもが反省し、そこから自由になりたいと思っているのではありませんか。私がいつもすばらしいと思うのは、新約聖書の中でほんとうの愛を定義して「愛は……怒らず、人のした悪を思わず」(Ⅰコリント一三5)と言っていることです。そして、旧約聖書は「正しい良い人は、ただ良きことを願う」と言っています。
私たちは、「正しい人は怒る」と思っています。しかしよく考えると、これこそ人間の誤解なのです。
第一に、さばきたもうのは神です。神に全く任せる時、人は怒る必要がありません。
第二に、自分の罪深さをよく知ったら、怒ることの底の浅さが分かります。イエスの前に姦淫の女を引き立ててきたパリサイ人たちに、イエスは、「お前たちのうち罪のない者がまず、石をこの女に投げよ」(ヨハネ八7参照)と言われました。
第三に、こんな罪人のために怒りを抑えて待っていてくださる神、いいえ、こんな罪人をゆるし助け救うために十字架の上で死んでくださったイエス・キリストのことを深く思う時、怒ることがどんなに的はずれかが分かります。人の怒りは神の義を行うものではないのです。神が祝福しようとされているのをふりはらい、拒もうとするのですから。
神を知らない私たちのこの自己中心が十字架にかけられ、神にすべての怒りをゆだねて、いつも他の人のために善を思えるなら、どんなに平安でしょう。
 

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