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◆彼らは苦しみながら、

2017年07月25日 17時10分10秒 | 聖書
わたしを捜し求めよう。(ホセア五・一五)
損失や逆境は、大牧者が迷う羊を家に連れて帰るためにしばしば用いられる手段である。それらは猛犬のように、迷う羊をおりに追い込む。獅子が豊かな食物を与えられて飼われている限り、その獅子を馴らすのは不可能である。しかし、獅子の力を弱らせ胃袋をからにするならば、猛獣使いの言いなりになる。これと同じように、クリスチャンが食糧不足とつらい労働によって主のみこころに従順になるのを、私たちはしばしば見てきた。
多くの信仰告白者は豊かになると、たいへん高慢になったり、ことばが横柄になったりする。ダビデのように、彼らは得意になって「私の山は堅く立つ。私は決して動かされることはない」と言う。クリスチャンが富や名声を得、健康で家庭が平穏ならば、しばしば「世的安心」氏が家庭に入りこむのを許してしまう。その時、もし彼が真の神の子どもであるならば、彼のためにむちが用意される。しばらくすると、彼の財産は夢のように消えてなくなるだろう。彼の土地は売りに出され、すぐに所有者が変わり、借金はかさみ、手形は不渡りとなり、損失はどこまでも増大していく。このような災難に続々と襲われ、信仰の後退に悩んだ彼が神のみもとに駆けつけるなら、それは彼が神のいのちを受けている幸いなしるしである。
救いの岩に船乗りを打ち上げる波は幸いである。事業における失敗が、しばしば私たちのたましいを富ませることがある。もし選ばれたたましいが、両手にいっぱい物を持つ時に主のみもとに来ないならば、両手がからになった時には来るであろう。もし神が私たちに、恵みによって人々の間で神をあがめさせる方法を見いだせないならば、神は私たちを淵に投げ込まれるであろう。もし私たちが富の高殿で神をあがめないならば、神は私たちを貧乏の谷に連れていかれるであろう。しかし、悲しみの相続人よ。気を落としてはならない。あなたがこのように叱責される時、むしろあなたを懲らしめる愛の御手を認めて、「立って、父のところに行こう」と言え。
 

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