座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆このようにして、主の栄光が現わされると、

2016年12月24日 17時35分02秒 | 聖書
すべての者が共にこれを見る。(イザヤ四〇・五)
私たちは、全世界がキリストのもとに帰る幸いな日を心待ちにしている。その時、異教の神々はもぐらやこうもりに投げやられ、三日月(イスラム教)は形を失い、その有害な光を再び諸国民の上に投ずることはない。諸国の王は平和の君の前に頭をたれ、すべての国民は贖い主を賛美する。
ある人々はこの話に失望する。彼らはこの世を、壊れ果てて再び浮かび上がらない船のようなものと見る。私たちは、世界とその中にあるすべてのものはいつの日にか焼き尽くされ、その後、新しい天と新しい地の来ることを知る。しかし私たちは、
「イエスは、大空を渡る太陽の
照らす限りを支配される」
という確信がなければ、聖書を読むことはできない。私たちは、主がおいでになるのが遅くても、失望はしない。主が教会に与えられた長い時の中で、私たちの戦いがほとんど成功せず、大部分が敗北であったとしても、私たちは落胆しない。私たちは信じる。神は、かつてキリストの血が流されたこの世界が、常に悪魔のとりでとなるのを決して放任されることはない、と。
キリストはこの世界を憎むべきやみの力から救うために来られた。人と天使が声を合わせて、「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた」と叫ぶのは、いかにすばらしい光景であろう。
その日、戦いに参加した者、敵の弓矢を折ることを助けた者、私たちの主が勝利を得られるのに力のあった者の満足は、どれほどであろう。この常勝の主に自らをゆだね、主と共に戦い、主の御名と御力によっていくぶんかでもなす者は幸いである! しかし、悪の味方となった人の不幸はどうであろう。それは、敗者の側にあり、永遠に敗北し、失われた者となる。あなたはどちらの側につくか。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「すべての事について、感謝... | トップ | 12月24日(土)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事