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◆閉ざされた心・開かれた心

2018年07月10日 08時02分21秒 | 聖書

おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、
すべてのすぐれた知性と仲たがいする。(箴言一八1)
以前「私は貝になりたい」というテレビドラマが話題になったことがあります。人々にかかわるたびに問題に巻き込まれて苦しむと、いっそ貝のように心を閉じて、人に干渉しないし、干渉されたくないという人の気持ちを表したものでしょうか。
自分の心を閉じてしまうことは、恐ろしい結果になります。独りぼっちで、ある時は劣等感に悩み、ある時は挫折感にうちひしがれます。また、独り善がりの独善家は、自分ではよいと思っても、人に捨てられるのです。開いた心が持てないで、自分のからの中に閉じこもってしまうことを悩んでいる人は非常に多いと思います。そのような閉ざされた心の一つの秘密を、聖書ははっきり語っています。それは、「自分の欲望のままに求める」ということです。
「おのれを閉ざす者」は、自分以外に他者を持たない心のことです。ここには、人間としての本質に問題があります。それは、けっして小さな問題ではありません。神は、人間を造られました。それは、人間が神に対して愛と喜びの交わりをするためであり、人を愛し、人と分け合い、助け合う、人と人との交わりのためでした。独立独歩の精神はよいでしょう。しかし、孤立独善は感心したものではありません。反対に、心が結び合って、よいことのために協力して重荷を負い合うなら、そこにこそ人生の力も喜びもあります。
アウグスティヌスは、「大きなことでは一致、小さなことでは自由、すべてのことに愛」と、人との一致と交わりの原則を教えたそうです。イエス・キリストは、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ一八20)と言われました。神の愛を認め、神によって心が開かれる時、大きな祝福が与えられます。
 
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