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『ヤコブは眠りからさめて「まことに主がこの所におられるのに、

2015年03月20日 17時35分03秒 | 聖書

私はそれを知らなかった」と言った』(創世記28:16)

ヤコブは父と兄をだまし、長子の権利と祝福を二度までも奪った。
兄は怒り狂い、ヤコブを殺そうとした。
それで、家におれなくなり、叔父のもとへと逃れた。
父をだまし、兄を激怒させ、家族を失い、今は荒野だ。
家族もバラバラ、どんなに疲れ果て、憔悴し、ぼろぼろだったろう。
孤独感と空虚感、これから先の不安感、恐れで一杯だった事だろう。
荒野で日が暮れ、石を枕に野宿した。
心細かった事だろう。その時に夢を見た。
使いが現れ、かたわらに主が立たれた。
そして「共におり、守り、この地に連れ戻す」と言われたのだ。
ヤコブは主の臨在に触れた。
主がここにおられたのに、知らなかったと。
ヤコブは全く予期せぬ事態に驚いた。
一方的に神が現われ、一方的に守ると言われる。
ヤコブは今まで親から聞いてはいたが、初めて個人的に神に出会った。
私達はどうだろう。親の信仰か。
友人や導き手の傘下の信仰か、それらは自分の信仰でなく、人の信仰だ。
人に受け入れられ、愛されているので平安と喜びもある。
しかし、教会では祈るが一人になると祈らない。
神と個人的関係が無い。
人によらない自分の信仰を確立させて下さる。
「まことに主がおられるのに、私は知らなかった」とはっきり言えるよう、神に求めよう。
喜んで答えて下さる。
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求めている者にも、いない者にも同じようにいつも神様は共にいて下さっているが神様の恵みと支えの中に今日も生きている事を感謝しながら歩む者の歩みは大きく違う。
与えられた場所で感謝して歩もう。


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