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2列王記12章2節

2017年07月01日 08時59分05秒 | 聖書


★ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行った。


■O:今日のコラム
この箇所を読み、エホヤダが死んだ後、ヨアシュはどうなったかが気になり歴代誌を見ると驚きました。

「彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えたので、彼らのこの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。」(2歴代誌24:18)

「ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたまことを心に留めず、かえってその子を殺した。その子は死ぬとき、『主がご覧になり、言い開きを求められるように』と言った。」(2歴代誌24:22)

考えられないことが書かれてあります。あれほどエホヤダはヨアシュの命を守り、正しく教え育て、本当によく尽くしてくれました。なのにヨアシュは全ての教えを捨て、主を捨ててしまいます。そして、エホヤダの子まで殺してしまいました。

なぜこのようなことが起こったのでしょうか?ヨアシュにとって、彼を教える者が変わったことは大きな要因です。

「エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。」(2歴代誌24:17)

ですが何よりも、ヨアシュ自身に分別する力が無いことが私は問題だと思います。なぜなら、ユダのつかさたちの言うことを聞き入れない選択肢もあったからです。

私たちが良いものと悪いものを分別するためには、御言葉が必要です。この世の常識や経験によってではありません。御言葉が私たちに正しい道を教え、分別を与えます。箴言を読むとそれがよく理解出来ます。

「わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。」(箴言1:4)

ヨアシュは、主の教えを聞いていました。ですが、自分の内に御言葉は無く、御言葉に立つ信仰もありませんでした。ヨアシュにあったのはエホヤダに頼る信仰だけです。もし私たちが日曜日に御言葉を聞き、そして親や人からの助言や励ましだけで歩むならヨアシュのようになってしまうでしょう。

私たちは自分で選び取っていかなければなりません。日々御言葉を読み、受け取ること。そして、御言葉を行うことを。御言葉を愛し行う歩みこそ、自分を守る歩みであり、主に喜ばれる歩みです。

今日、決断していきましょう。自分で御言葉を読み、受け取っていく歩みを。



■A:考えてみよう
・毎日御言葉を読んでいるだろうか?
・御言葉を心に蓄えているだろうか?
・御言葉に従っているだろうか?




■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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