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◆それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。

2018年01月25日 16時52分55秒 | 聖書
絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ三・三一)
信者が主の家族として受け入れられる時、ただちに、古いアダム、および律法との関係に終止符が打たれる。しかしその時、新しい律法、すなわち新しい契約の中に入る。信者よ。あなたは神の子どもである。あなたの第一の義務は、あなたの天の父に従うことである。あなたは卑屈な思いとは無関係である。あなたは奴隷でなく、神の子どもなのだから。今や、あなたが神の愛する子である以上、父なる神のみこころのごく些細な点にまで服従しなければならない。
御父は聖礼典を守ることを命ぜられなかったか。それを無視するなら、あなたは危険を冒すのである。御父はあなたにイエスの御姿を求めることを命じておられるか。それをなすことはあなたの喜びではないか。
では律法が命じるからではなく、救い主のご命令のゆえに、聖潔が完成するように努めよ。主は聖徒に互いに愛し合うことを命じられたか。ではそれを行え。律法に「あなたの隣人を愛しなさい」とあるからではなく、イエスが「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです」と言われたゆえにそうしなさい。あなたは貧しい人に施しをするように命じられているか。施しが逃れることのできない重荷であるからではなく、「求める者には与えなさい」と教えられているゆえにそうしなさい。聖書には「心を尽くして神を愛せよ」とあるか。その戒めを見つめて、次のように答えよ。「おお、戒めよ。キリストはすでに戒めを成就された。だから私は、救いのために戒めを実行する必要はない。しかし、神に逆らうことを望まないので、喜んで戒めに従う」と。
聖霊があなたの心を、迫ってくるキリストの愛の力に従順なものにしてくださるように。あなたの祈りが、「私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから」となるように。恵みは聖潔の母であり、罪の弁解者ではない。
 
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