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「イスラエルは打ち負かされ、

2014年12月06日 17時15分03秒 | 聖書

おのおの自分の天幕に逃げた…神の箱は奪われ、エリのふたりの息子…は死んだ」(Ⅰサムエル4:10)

偶像礼拝とは、神を自分の願望のために利用しようとする事だ。
自らを砕いて、御前にひれ伏すのではなく、自分の幸福や、願望のために、どこまでも自分のために、神を持ってこようとする態度だ。
だから、自分は何一つ変えられる事はなく、矯正される事もなく、ただ自分の欲望を遂げるための手段となる。
神を自分の都合のために、引きずり回し、利用する。
ペリシテとの戦いで敗北した時、民は主の契約の箱をかつぎ出して来た。
箱をかつぎ出してさえくれば、勝てると思った。
しかし、箱を持って来れば、神をかつぎ出せるのではない。
そもそも、自分達の都合のために、神をかつぎ出そうなどという不遜な考えが根本的間違いであった。
イスラエルは打ち負かされ、箱まで奪い去られた。
神は箱を奪われるがままにされた。
守られなかったのでなく、神が敗北させられたのだ。
裁きであった。主の箱の中を見た、ベテ・シェメシュの人々を激しく打たれた。
神を畏れ、敬い、崇め、御前にひれ伏すのでなく、好奇と興味でのぞいたのだ。
自分の欲望充足のために、神をかつぎ出し、自分に仕えさせる、恐ろしい態度だ。
そうでなく、神を神として伏して崇め、自らが仕えて行く、これが方向変換であり、悔い改めだ。
神の喜ばれる態度だ。祝福して下さる。
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神を神として崇め従って行くのではなく、信じたいものを信じて行っていないか。
都合が悪ければ神様に代わるものはいくらでも持っていないか。
私達は神様に変えられているだろうか。


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