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◆もし私たちが御霊によって生きるのなら、

2016年09月18日 09時49分49秒 | 聖書
御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラテヤ五・二五)
 
キリスト教に最も重要な二つのことは、信仰のいのちと信仰の歩みである。これを正しく理解している人は、実践神学の奥義を極めていると言っても言いすぎではない。この二つは、クリスチャンにとって欠くことのできないものだからである。あなたが真に敬虔でないならば、決して真の信仰を見いだすことはできないであろう。また反対に、キリストの義に基づく生きた信仰を根底としない聖い生活は存在しない。
この二つのうち一方のみを追求する人はわざわいである。ある人々は信仰を養って、聖潔を忘れている。彼らの信仰はきわめて正統的であるかもしれないが、それは強く非難されるべきである。彼らは不義の中に真理を握っているからである。他方、聖い生活を追求して努力するが、パリサイ人のように信仰を否定する人がいる。主は彼らを「白く塗った墓」と言われた。
私たちは信仰をもたなければならない。それは土台である。そして、私たちは聖い生活をしなければならない。それは上層建築である。あらしの日には土台のみで何の役に立つだろう。まさかその中に隠れるわけにもゆくまい。土台もむろん必要であるが、雨露をしのぐためには家がなければならない。そのように、もし私たちが疑いの日に慰めを得たいと思うならば、霊的生活の上層建築が必要である。しかし、信仰なくして聖い生活のみを求めてはならない。なぜなら、それは岩の上に土台を置いていない家を建てることであって、永続するはずがないからである。
信仰と生活とを組み立てて、アーチの二本の柱のようにしよう。そうすれば、私たちの敬虔は永続するであろう。光と熱が同じ太陽から出ているように、この二つも祝福に満ちている。神殿の二本の柱のように、それらは栄光と義とをかたどる。恵みの泉から流れ出る二つの川、聖なる火をともされた二つのランプ、天上の水に育てられた二本のオリーブの木である。
主よ。私たちに内なるいのちを与えてください。それが外に現れて、あなたの栄光を現すのです。
 
 
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