罪、しかも私のような者の罪が赦され、全く永遠に赦されることがあり得るのだろうか。罪人である私にとって、地獄こそ相続分である。罪が私から離れない以上、地獄から逃れ得る可能性はない。罪の重荷を取り除き、深紅のしみを取り去ることができようか。主はあなたもきよめられると、私に告げられる。贖いの愛の啓示こそ、とこしえに賛美すべきものである。それは私に、赦しが可能であることを告げるだけでなく、イエスに憩うすべての者に対してそれが保証されていることを告げる。
私は、神が定められたなだめの供え物、十字架にかかられたイエスを信じた。それゆえ私の罪は、この瞬間にもまた永遠にわたっても、主の身代わりのご苦難と死によって赦されている。これは、なんという喜びであろう! 完全に罪赦されたたましいの幸いよ! 私のたましいは、すべての力を主におささげする。
主は金銭で買えない愛をもって、私の保証人となり、御血によって私を贖われた。この代価の赦しは、なんと豊かな恵みを示していることか! ここに美しくきらめく驚異の集まりがある。さらに私が自分の罪の大きさを思い、それをきよめられた血潮の尊さを思い、赦しが確保された方法がどんなにあわれみに満ちているかを思う時、私は驚嘆し、崇拝の思いに自らを忘れる。
私は、自分を赦された主の御座の前にひれ伏し、私を解放した十字架を抱き、この後の生涯をささげて、受肉された神にお仕えしたい。今夜、私は主によって赦されたたましいである。