はっきり言って、大学大麻汚染だって騒いでいる報道陣のかなりの数は、大麻くらいはやった経験があるはずだ。外国でちょっと長期に滞在して地元の人と親しくなれば、そういう機会は巡ってくるし、積極的に経験しようと思えば、短期間でも経験できる。もちろん、薬物に厳しい国もあるし、薬物の種類がはっきりしないケースもあるから、海外で経験することをお勧めするわけではないが、実態として海外で大麻を経験した報道陣は多いはずだ。
そして、海外では合法化されているところもあるように大麻の健康被害は小さいとされる。日本でも大麻吸引罪はない。所持などが禁止されているだけだ。
それなのになぜ、こんなに騒ぎ立てるのか?犯罪報道は、本来、違法性のレベルに応じて、その価値も変わってくるはずではないのか?自分たちが経験して、そんなに問題だと思ってもいないことをなぜ、騒ぎ立てるのか?
大麻所持くらいで騒ぐ状況からは、秩序を破った者には秩序を破ったというだけで制裁を加えるという恐ろしい社会的な意思を感じざるをえない。メディアは自分たちが秩序違反そのものを問題視する社会をつくりだすお先棒を担いでいるという認識はあるのだろうか?
秩序はすべて守らなければならないわけではない。政府に押しつけられた秩序の中には不当なものもあり、破ってもかまわないものもあれば、むしろ、破るべきものだってありうる。
分かりやすいのは、信号だ。日本では、車が来てもいないのに、赤信号を守って渡らない人が多い。信号がなぜあるかというと、本来は、車の切れ間に横断すればよいが、車が多くて、切れ間がないから、信号で人工的に切れ間をつくっているだけのことだ。したがって、趣旨から言えば、自然に切れ間ができたら、渡ってもかまわない(もちろん、本稿は、信号違反をすすめる趣旨ではない。たとえ話として取り上げているだけなので、誤解しないように)。
もちろん、子供だったり、お年寄りだったりして、安全に渡れるかどうかの判断がつかなかったり、やはり青信号になってから渡った方が安全だと考えるのであれば、車が来ないのに赤信号に従うのも当然だろう。
しかし、絶対に安全に渡れるのに、赤信号だというだけで、青信号を待って渡るという積極的な選択をするわけでもなく、ただ1分も2分も、赤信号に従っている姿は、まるで、「お預け」を命令された犬のようだ。
大麻くらいで大騒ぎすることは、お預けに無条件で従う者を増やすことにつながる。弁護人としての立場から離れて物を言わせてもらえば、秩序=守るべきもの、という考え方が、グリーンピースのメンバーが行った鯨肉横領疑惑追及行動をも批判することにつながるのだろう。
イギリスでは、気候変動に影響を与える石炭の燃焼を止めようとして刑事訴訟を起こされたグリーンピースUK(英国支部)のボランティアスタッフ6人に、無罪の判決が下された。この6人は、昨年、イギリス南部ケント州のキングズノース石炭火力発電所の煙突に登り、煙突の側面にイギリス首相の名前をペンキで描いたことで刑事訴訟を起こされていた。これに対し、陪審団は、危険な気候変動を抑止するため人間が直接的な行動をとる権利を支持し、無罪判決を言い渡した。
秩序を疑わなきゃ、メディアじゃない!秩序を疑わなきゃ、自立した市民にはなれない!
疑うというのは、なぜ、その秩序があるのか、その秩序違反にはどのような罰則が適切か、ある行為には秩序違反を上回る利益があるのではないか…というようなことだ。
お上の言うことを丸呑みするようでは、メディアとしての役割を果たしているとは言えないし、市民としても自立しているとはいえない。
大麻取締法違反なんかで大騒ぎすることの弊害を知れ!
【PR】
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
そして、海外では合法化されているところもあるように大麻の健康被害は小さいとされる。日本でも大麻吸引罪はない。所持などが禁止されているだけだ。
それなのになぜ、こんなに騒ぎ立てるのか?犯罪報道は、本来、違法性のレベルに応じて、その価値も変わってくるはずではないのか?自分たちが経験して、そんなに問題だと思ってもいないことをなぜ、騒ぎ立てるのか?
大麻所持くらいで騒ぐ状況からは、秩序を破った者には秩序を破ったというだけで制裁を加えるという恐ろしい社会的な意思を感じざるをえない。メディアは自分たちが秩序違反そのものを問題視する社会をつくりだすお先棒を担いでいるという認識はあるのだろうか?
秩序はすべて守らなければならないわけではない。政府に押しつけられた秩序の中には不当なものもあり、破ってもかまわないものもあれば、むしろ、破るべきものだってありうる。
分かりやすいのは、信号だ。日本では、車が来てもいないのに、赤信号を守って渡らない人が多い。信号がなぜあるかというと、本来は、車の切れ間に横断すればよいが、車が多くて、切れ間がないから、信号で人工的に切れ間をつくっているだけのことだ。したがって、趣旨から言えば、自然に切れ間ができたら、渡ってもかまわない(もちろん、本稿は、信号違反をすすめる趣旨ではない。たとえ話として取り上げているだけなので、誤解しないように)。
もちろん、子供だったり、お年寄りだったりして、安全に渡れるかどうかの判断がつかなかったり、やはり青信号になってから渡った方が安全だと考えるのであれば、車が来ないのに赤信号に従うのも当然だろう。
しかし、絶対に安全に渡れるのに、赤信号だというだけで、青信号を待って渡るという積極的な選択をするわけでもなく、ただ1分も2分も、赤信号に従っている姿は、まるで、「お預け」を命令された犬のようだ。
大麻くらいで大騒ぎすることは、お預けに無条件で従う者を増やすことにつながる。弁護人としての立場から離れて物を言わせてもらえば、秩序=守るべきもの、という考え方が、グリーンピースのメンバーが行った鯨肉横領疑惑追及行動をも批判することにつながるのだろう。
イギリスでは、気候変動に影響を与える石炭の燃焼を止めようとして刑事訴訟を起こされたグリーンピースUK(英国支部)のボランティアスタッフ6人に、無罪の判決が下された。この6人は、昨年、イギリス南部ケント州のキングズノース石炭火力発電所の煙突に登り、煙突の側面にイギリス首相の名前をペンキで描いたことで刑事訴訟を起こされていた。これに対し、陪審団は、危険な気候変動を抑止するため人間が直接的な行動をとる権利を支持し、無罪判決を言い渡した。
秩序を疑わなきゃ、メディアじゃない!秩序を疑わなきゃ、自立した市民にはなれない!
疑うというのは、なぜ、その秩序があるのか、その秩序違反にはどのような罰則が適切か、ある行為には秩序違反を上回る利益があるのではないか…というようなことだ。
お上の言うことを丸呑みするようでは、メディアとしての役割を果たしているとは言えないし、市民としても自立しているとはいえない。
大麻取締法違反なんかで大騒ぎすることの弊害を知れ!
【PR】
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
ネットが好きらしい田母神にこの記事の感想を求めてみたいものです。
きっと「犯罪を奨励する怪しからん騒乱者。自分の信念を述べただけのオレと一緒にするな」くらいのコメントがつくのではないでしょうか。
田母神が立ち小便をしたとして「クビにせよ」とは誰もいわないが、「村山談話は(公務員への)弾圧の道具だ」などと発言すれば即刻クビにしなければ立憲民主主義社会の根幹が崩れます。
田母神の行為は歩行者天国に戦車で突っ込んで暴走してるに等しい。
大麻事件をさも社会の重大事であるかのように騒ぎはしゃいでいるマスメディアはもう救いがたい気がしますね。
もちろんヤメ蚊さんがおっしゃったことに対して、です。
大麻くらいで、ですか。
小心者の自分から見たら、恐ろしいことを平然と
言ってのけるなあを感じます。
そこにシビレたり、憧れたりなどは微塵も思いませんが。
信号の話を例えに出していたので、自分も
信号を例にとって意見を述べさせていただきます。
赤信号で周りには車は来ていない
その状況で二人の人物が横断歩道にやって来ました。
一人は赤信号には気がつきましたが、車が来ていないのを見ると、そのまま横断歩道を渡っていきました。
もう一人は赤信号を見て、青になるのを待ってから横断歩道を渡りました。
さて、この二人を比べたときに
「自制心」があると思えるのはどちらでしょう?
自分にとって得な状況であっても、
世の中のルールに従って、理性で行動をコントロールできる人のほうが
自分の損得のみで行動する人よりも信頼や尊敬を
集められると思うのですが。
このように、自制心を養うという面では
「どんな状況でも赤信号はきちんと止まる」
を守ることは決して無意味ではないと思います。
仏教の護摩はどうでしたっけ?山伏の資格を得る修行に、唐辛子で燻す涙出捲りは今もありますが、それを習慣性にする物好きは居ないです。
日本の大麻に対する潔癖さは、実は旧陸軍の阿片売買の反動ですね。
まあ、政府『広報』の強さもその頃からずっと引きずって居る無意識下の習慣ですが。
ま、人生、無駄なしじゃぁ、生きられませんが…。
グリンピースの動きには異論がありますが(あくまでも運動の方向性として、権力との対峙の脇の甘さに対して)、この件では同感です。
痴漢問題や盗撮問題のように社会に潔癖さを求める文脈でマスコミと行政が共犯関係的にどんどんと「犯罪」を拡げている構図の延長線上に大麻の一件があるように思います。
喫煙問題でも行政と言うか知事が強引な積極介入をしようとしている神奈川県に住んでる人間なんですが、松沢知事のある種の潔癖さと大麻を執拗に潰そうという(それがあるが故に救われてる人も少なくないだろうに、リタリンが必要であった一部の鬱病患者のように)偏狭な潔癖さって共通してるように思えていて、それに裏打ちされた「綺麗な」社会って、誰が望んでいるんでしょうね?息苦しくて敵わないです。
未成年者や学生もこのサイトを見ているでしょう。
外国では禁止されていない、煙草より害がない、などと書くのは、止めてほしいです。
そのような議論は、一般論として正しいのかも知れませんが、高校生や大学生が軽い気持ちで大麻に手を出して、刑事処罰を受け退学になったり、就職内定を取り消されるなど、現実に重大な不利益を被るのです。
水谷修さんの「さらば、哀しみのドラッグ」には、実際に大麻吸引からより強力なドラッグの依存症になった例も書かれています。
自分の判断で無視してよいという風潮が広まって、判断できない人が危険な渡り方をして轢かれたとします
轢かれた方は自業自得でどうでもいいんですが
車を運転していた方は迷惑ですよね?
甚大な被害を受けますよね?
で、そう言う事が予想される犯罪に対して警鐘を鳴らす事がそんなにおかしいですか?
大麻吸いたいってバイアスがかかってるだけなんじゃないかと…