
光市母子殺人事件の弁護団は、主張そのものに対する世間の評価はさておき、被告人のために行うべき弁護人としての業務を果たしている。それにもかかわらず、懲戒請求までなされているが、この業界で、本来、もっと追及すべきことが起きている。法科大学院の修了生を対象にした今年度の新司法試験で、出題と採点を担当する「考査委員」を務める慶応大法科大学院の植村栄治教授(行政法)が試験問題の類題を事前に学生に教えていたうえ、再現答案を送れば採点をしてやると言って学生から答案を集めていた問題だ(朝日など)。
これこそ、まさに、司法が旨とする公正な手続に真っ向から反する行為だ。植村教授は、出題を漏らしたばかりか、再現答案を送らせることにより本来無記名状態で採点するようなシステムとなっている答案について自分の指導する学生のものであることを識別することが可能となり、点数を加算しようとしていたかもしれない。
本来、試験をやり直したうえ、係った経費は、植村教授に請求するくらいのことをするべきではないのだろうか。
また、読売によると、【法務省は〈1〉考査委員には答案練習会などの受験指導を行わないよう要請していたのに、これに違反して試験制度への信頼を損なった〈2〉個人的な採点を行えば、採点基準に関する守秘義務違反になる恐れがある――などの点を重視し、解任の方針を決めたとみられる。解任により、7~8月に予定されている採点作業に関与できなくなる】ということだが、単に司法試験の考査委員として解任されるだけで責任をとらせたことになるのか?
慶応大学は、教授として今後も、この人に学生を指導させるのか?
この司法試験を受けた受験生の司法への信頼は最初の一歩から揺らいでしまうのと思うが、その信頼を回復する手段として、考査委員の解任だけで十分なのか?
業界は、いかなる反応をするのか?学会は、弁護士会は、この問題について声明を発表しなくていいのか?
強者がずるいことをしても許される世の中であってはならない。光市母子殺人事件の弁護方針がどうのこうのという問題をはるかに上回る重大な事件であり、注目すべき事件であるはずだ。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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結局、私は家族を背負っているので損害賠償なんて大きな代償を払わされるなら危険すぎてできません。家族に聞いたら「そういうことなら懲戒請求はできないね無念だ。」と言われました。家族みんなで弱虫なんでしょう。
やはり強いですよね。まだ、警察官や弁護士さんって。私は男性警察官の一言で「私を誘惑した加害者にさえできるんだ。」と思いました。それからは警察官が信用できません。弁護士さん・・・収入も余り無い私に時間単位で相談料を上乗せする。何てお金に汚いと思いました。報酬は受け取る権利はあるけど犯罪被害者は家族が忙しくて当事者自身が話さないとならない。事件の後の混乱した頭脳でどれだけ聞きたいことが整理できるでしょう。
特に性犯罪の場合、弁護士への相談は当事者はあきらめていることが多いと思ってください。環境によってうまく代理人を立てて一緒に赴ける人や、金銭的に恵まれた人です。無料相談は行列をなしていて数ヵ月待で時間も限られていました。
あなた方弁護士は相当の権力を握っていると自覚してください。悪徳医師でも医療過誤で訴えられれば潰そうとできるのも、守ろうとできるのもあなた方や裁判官の一言だけです。
これが、コピペしてこちらに移したコメントです。;;
私は、過去に性犯罪にあったものです。未遂に終わったので警察での事情聴取と加害者の監視で終わっています。具体的なことはをここでは語れません。それを語れば、何故、犯人の監視だけで終わってしまったのかが本当は判ると思いますがここには書けません。
光事件・・・人事でなかったので遅くになって弁護士の懲戒請求を今日、仕事の休みの日に行いたくて検索しました。そしたら、色々な弁護士の方が懲戒請求は危険。損害賠償請求の恐れがあると言われて迷ってしまいました。リスクの在り得ることに自分の心情(こう表現するしかないです。)を踏まえて一矢報いたいと賭ける。「どうですか?」と質問したら多分「自己責任でどうぞ。」と言われるのは当然です。
私も過去に専門職をしていました。事件をきっかけに止めました。その頃なら、やはりクライアントに「自己責任でお願いします。」と言ったでしょう。今でも、その点でもどかしさを感じます。何がおきるか判らないことにいちいちフォローをかけていたら自分の身が持たないです。
多分、弁護士さん方は様々な攻撃にうんざりされていると思いますが自己のあり方を見直すよいチャンスでもあると思います。私のいた医療業界ではずっと延々と課題は続き、バッシングに合い続けている世界です。弁護士さんならたくさんの医療裁判もご存知かと思われます。医療の世界ももみ消しで悠々自適な時代もあったでしょう。今度は法曹界の番だと自覚してくださればと思います。専門家はそれで糧を得ている分、取らされる責任も大きいのだと言うことです。
結局、あなたは何が言いたいのですかと質問されれば、私は単なる軽い気持ちやマスコミの乗り(制度はマスコミで知りましたけど。)で懲戒請求をしたいと思っていないと言うことです。私はあんな茶番劇飽き飽きしてます。テレビで流れると自分のことと重なり悲しく不愉快です。私の事件ももう、7年が経過しました。それでも被害者は引きずるものです。
最初の尋問は男性警察官でした。「お前が誘惑したんだろう。」と言われました。ある公共機関で知り合ったと言ったら急に態度が変わり、丁寧口調で「さぞお辛かったですね。」と言われました。「さぞ辛かったのはあなたの第一声ですよ。」とは言えませんでした。それから、女性捜査官に代わり捜査がなされたわけです。
私はその経過を経験している人間です。不謹慎ですが自分がもし奥さんのように死んでいてあんな裁判をされていたら私は嘆くでしょう。
たぶん、他の方々もあの状況を見ていたら人間としてはそうせずにはいられなかったのではありませんか?法曹界の複雑なシステムを知らずにやった人でも、私は浅はかだと切って捨てたりしたくありません。
死刑の可否がテーマになっている裁判で、被告人席に座り弁明する立場になって考えてみて下さい。
自分では、●●という主張をしたいと思っていたのに、弁護士が「いいや、そんな馬鹿な話はできない。したら、被害者が苦しむし、苦しむからという理由で私が世間から非難される。君もだよ。だからやめときなさい」と言われたら、どんなに絶望することでしょう。
被告人を弁護することは、当然、被害者にしてみれば、辛いことも多いでしょう。しかし、被害者が辛く思うからという理由で弁護人が被告人の言いたいことを封じ込めたりしたら、それは弁護人としての職務を実行していることにはなりません。
橋下弁護士は、おそらくそういう厳しい弁護をしたことがないのだと思います。あるいは、経験があるにもかかわらず、あえて、世論に阿るためにああいうことを言ったのだと思います。
私自身、被害者が悲惨な目に遭った事件の弁護活動をするときには、いつも感じます。被告人の言い分を言うことは被害者に嫌な思いをさせることになるだろうな、と。しかし、嫌な思いをさせるから、弁護しないというのでは、弁護士失格だと私は確信しています。
これは、犯罪者について言っているのではないと感じます。昨今まで、散々女性を社会に参画させずに家で家事、子育てに従事させ、これからの年金の問題が出てくれば家庭に押し込めていた女性も引っ張り出して働かせ税金を搾り取り、定かではありませんが配偶者特別控除も無くなってしまったか、無くしたんでしょう。今回のものすごい額の住民税は男性の怠慢を埋めるためだけの増税に過ぎません。
一冊だけ本をご紹介します。かなり、作家の脚で取材して裁判結果や家族の背景について記録されています。「消された一家―北九州・連続監禁殺人事件」豊田正義 かなり読むのは疲れると思います。Amazon http://www.amazon.co.jp/%E6%B6%88%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%80%E5%AE%B6%E2%80%95%E5%8C%97%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E3%83%BB%E9%80%A3%E7%B6%9A%E7%9B%A3%E7%A6%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E8%B1%8A%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E7%BE%A9/dp/4103005114/ref=sr_1_1/249-5595338-6512314?ie=UTF8&s=books&qid=1183163925&sr=1-1
時には、警察・検察が刑事事件として裁判にすることを諦めた事件で、民事訴訟という手段で加害者側を訴えたりすることだってあります。
また、時には、被害者に対する警察の配慮のない行為を裁判で問うこともあります。
しかし、このような活動をしていても、被告人の弁護をするときには、被告人の主張を封じ込めることは、被告人の弁護人として、してはならないことなのです。それらの活動をすることは、決して矛盾することではないのです。
私は被告人の弁護をきちんと出来る人こそ、被害者側に立った時には、被害者のために全力を尽くせる人だと思います。
誤解しないで欲しいのは、私は加害者の主張を聞く必要は無いと思っていないと言うことです。でも、あの裁判では荒唐無稽すぎます。加害者の弁護人の人数にも疑問を感じます。何故、あれほどまでの人数が必要なのでしょう。一対一の弁護士対決はできない事件なのですか?
前に紹介しました事件でも加害者は複数でしたが、夫は荒唐無稽な発言(死者への冒涜も含まれていました。)を繰り返しましたが光事件程までに法廷に混乱を来たさず、裁判はきちんと進められています。この差はいったい何であるかお聞きしたいです。
なお、最初から国民世論の批判を受けることが分かっているこの事件を1人で受けるのは大変だろうな、という思いから、その大変さを共有しようという覚悟で多くの弁護士が名乗りを上げたのだと思います。そのこと自体が批判の対象にされるべきではないでしょう。
そもそも、検察側は、法廷に来ていない検察官、検察事務官、警察官などの支援があり、物量的には弁護団をはるかに凌駕しています。
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