tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

平城京天平祭は、こんなに楽しい!

2011年05月01日 | 奈良にこだわる
いよいよ4/29から、平城京天平祭(2011)が始まった。私も初日に平城宮跡会場を訪れた。スカッと晴れた好天のもと、たくさんの人が会場に詰めかけていた。奈良新聞(4/30付)が一面トップで報じている。見出しは《平城京天平祭が開幕 祈りと元気 被災地へ 鮮やか天平行列も復活》。
※トップ写真は、吉田遊福さん(奈良町長屋ふしぎ堂)扮する光仁天皇。ヒゲがいい雰囲気を出している


平城遷都を「言明(げんめい)」した元明(げんめい)天皇(奈良時代最初の天皇)。ミス奈良が扮した


元明天皇の娘、元正(げんしょう)天皇(ミス奈良)

《奈良市の平城宮跡で29日、「平城京天平祭」(同実行委員会主催)が始まり、午前11時から伎楽の行列を先頭に「ミス奈良」や公募の市民、南都六大寺の僧侶ら約400人の天平行列が繰り出した。東日本大震災の被災地復興を願い、第一次大極殿前では黙とうや僧侶らによる読経、表白、琵琶の演奏などが「祈りのメッセージ」として行われた。会期は5月5日まで》。

《天平行列は平城宮跡の朱雀門から大極殿前までパレード。元明天皇をはじめとする奈良時代の歴代天皇や、この時代に活躍した玄や吉備真備といった僧や高級官僚ら、華やかな天平衣装に身を包んだ一行が宮跡の中を進み、沿道の観光客のフラッシュを浴びていた》。


玄(海龍王寺の初代住持)役は、同寺の石川住職。直後に控えるのは、H先輩だった

玄(げんぼう)僧正は、玄が住した海龍王寺の石川重元住職が務められた。これは、まさにハマリ役であった。ご住職はブログ「海からのたより」に、その様子を書かれている。《「玄といえば、海龍王寺でしょ」ということで、私が扮装させていただきました。行列が始まると、知っている方が沿道に多数おられ、皆さんからお声がけをいただきます》。

《「よく似合っていますよ」とか、皆さんからお声がけをいただくのをご覧になった方が「玄は一番人気やな!」とお声がけをいただいたりとか。中には「お坊さんは、本物のお坊さんが扮装しているらしいよ」という声も(汗)少々恥ずかしかったです。行列のあと、南都の僧侶の方々と一緒に壇上にあがり、大震災でお亡くなりになられた方々のために、お祈りをいたしました。お天気も良く、また、高校生以来、午前中の平城宮跡に出かけましたので、大変新鮮な気持ちになりました》。


元明天皇グループのスカートは、全員縞模様。素晴らしいこだわりである

奈良新聞に戻る。《大極殿前のステージで行われた「祈りのメッセージ」は、大震災の犠牲者の追悼式典。実行委員会の朝廣佳子委員長が「大震災の復興の方向性がまだ見えない中、祭りの開催には議論もあったが、経済活動を盛んにし、関西から元気を発信するのも復興支援への貢献と考え、開催に踏み切った。売り上げの一部は義援金に回させていただく。『まほろば』の奈良から、日本を元気にしていきたい」と思いを語ったほか、荒井正吾知事や仲川元庸奈良市長があいさつした》。



《平城宮跡では、5月5日まで、第一次朝堂院付近で東日本大震災復興支援プロジェクトとして、南都の高僧による書や赤膚焼など、「ならのもん」を集めてチャリティー販売するほか、古代の「市」をイメージした東市・西市での飲食物などの販売、また大学生らによる「さくら茶会」、木工細工や古代瓦の拓本などの「ものづくり体験」などさまざまな取り組みが行われる。「せんとくん」によるウエルカムステージや、日替わりで和太鼓演奏、けまり、鷹狩(たかがり)、ならB級グルメなども予定されている》。



聖武天皇の輿(こし)を引っ張られたNOBURINさんが、ご自身のブログ(4/30付)に当日の様子を子細にわたって書いておられる。《8時30分に集合場所の奈良市役所に到着。入口は参加者でいっぱいだったよ。受付で衣装を受け取り、着替えをすませる。去年は貴族、光の天平行列の時は役人だったから着付けも大変だったけど、今回は白丁だったから着るのも楽勝だったよ》。

《集合時間になったので、1階に降りる。グループ別の整列を始めるところであった。NOBURINは聖武天皇のグループみたいである。「ラッキー」とこのときは思ったよ。何せメジャーな天皇だから、ブログ書くとき忘れちゃうっていう心配はないからね(ってどんな理由やねん)》《市役所の外で、整列をする。NOBURINは女官の後ろ、貴族の前であった。えっ?この位置に白丁が一人?(実はもう一人いたみたいだけど欠席だったらしい)。一体何をやるのだろう? 》。


聖武天皇役は山本憲宥さん(奈良青年会議所理事長)。

《行列は、市役所を出て、イトーヨーカドーの敷地の中を通り(買物客にけっこう注目された)、平城宮跡内に入り、朱雀門の前に到着する。どうやらここが、出発地点となるようである。ここでしばし、休憩となる》《時間になったので、それぞれのグループの位置に戻るよう指示が出る。NOBURINのグループはここね。もとの順番どおりに並びなおす一行。しばらくすると、白丁の集団があらわれた。どうやら航空自衛隊の人たちのようである。光明天皇のグループの中に入る白丁の集団。聖武天皇と光明天皇も到着した。ちなみに光明天皇はミス奈良らしい》《聖武天皇のグループにも、自衛隊の白丁が入ることになった。どうやら、NOBURINと一緒に聖武天皇の輿を担ぐらしい》。


聖武天皇は、途中で輿(こし)に乗った

《時間になって、朱雀門を出発。早くも沿道にはたくさんの人が詰めかけている。近鉄の踏切を渡る。ここが天平行列最大の難所(?)である。NOBURINが渡ったあたりで警報機が鳴る。後ろを見ると、聖武天皇が取り残されている。かくして、天皇をおいてきぼりにしてしまったとんでもない白丁(?)となってしまったのであった。踏切を超えてしばらく行ったところで、聖武天皇を待つ一向。ここで、隊列を組み直し、そろったグループから再出発することになるようである》。

続いてNOBURINさんのブログの後編(5/1付)。《踏切を渡ったところで、聖武天皇は輿に乗る。白丁のNOBURINはその輿を担ぐ…のではなくて、実はその輿、タイヤがついているので、輿を引っ張るのであった》《輿の写真を撮っている人も多い。スタッフが「輿が通ります」と言って、見物客をどける。何とか道を確保して、輿は出発する。その輿だけど、意外に重い。しかも、他の白丁は、日ごろ鍛えている自衛官。日ごろ運動不足のNOBURINは早くもバテバテである。途中何度コースアウトするかと思ったか》。


光明皇后役は、ミス奈良

《ようやく南門前に到着。聖武天皇が輿を降りる。輿を運んだのは、白丁であるが、階段を運んだのは、スタッフだった。スタッフもたいへんだなぁ。階段がセットされて、聖武天皇が降りる。輿を脇にどけて、行列に並ぶ》《第一次大極殿に入っていく天平行列。ここでは、行列の解説が行われている。ステージ前を歩き、後ろにある椅子まで行って座る。ほかのグループの説明を聞きながらしばしのんびりするNOBURIN。最後の僧侶のグループが入場して、天平行列一行が揃う。僧侶のグループはステージへと上がった。これから「祈り」が行われるのである》。



《まずは黙祷から。今回の大災害で亡くなられた方に対して、参加者全員で黙祷を捧げる。黙祷が終わると、次は奈良密教青年会による三帰依文が唱えられる。次は、何と聖和会代表の増田證信氏による「祈りのメッセージ」が発せられる。その後、天平行列の参加者も参加しての読経が行われる》《「祈り」が終わって僧侶たちはステージを降りる。その後は、琵琶の演奏があったよ。題材は阿倍仲麻呂。そして、琵琶奏者は、第一人者である…誰だったっけ(っていい加減だなあ)》。



《琵琶の演奏が終わると、平城京天平祭、奈良県知事、奈良市長の挨拶がある。その挨拶によると、東日本大震災が発生して、このイベントやるべきか否か相当議論したらしいよ。でも、最終的には、東日本大震災復興支援として開催することを決意したらしい。この奈良の地から、日本を元気にしていく、そして、このイベントを通じて、日本経済も活性化させていければという思いで開催にふみきったみたい》。

《仲川市長によると東北では「自粛はやめよう」という趣旨のポスターが掲げられているらしいよ。みんなが自粛をすると、日本経済の活性化の妨げになって、かえって復興に支障をきたす結果になるからだろうね。それよりは日本の始まりの地であるあおによし奈良の都の地から、元気を出していき、これを全国に広めていって、ひいては被災地までとどけばいいなと思ったよ。つづいて、この後、書道のパフォーマンスをやってくれる小学生たちが登場して、被災地へのメッセージを発信する。小学生たちもみんな被災地のこと応援してくれていたよ》。


ちびっ子たちも、行列に加わった

天平行列にメイク&着付けスタッフとして参加された銀とき子さんとIさんに、会場内ですれ違った。行列に付き添って、衣装や化粧直しをされていた。銀さんのブログ(4/29付)によると《平城京天平祭が始まりました。そして、天平行列を無事終えることが出来ました。7時に市役所集合するも、なかなか中に入れず、入った後もセッティングでバタバタしてるうちに参加者が来る時間になっちゃって、ミス奈良ちゃんたち皇后や女帝の着付けと 女官のおでこに花鈿(カデン)を描いて、あっという間に出発時間に いくら人数少なくても去年より時間無さ過ぎる~~~~~》



《出発前に衣装のチェックやさしば渡しなどをしていたら、忙しすぎてデジカメ持って行くのを忘れました、なので、片付けられた幡の画像くらいしかありません。うう、ミス奈良ちゃんたちと写真撮りたかった… 衣装チェックしまくってたから、ステージも途中からしか見れなくて、参加者の皆さんが市役所に戻られるまでに撤収準備をしなきゃいけないし、祈りのステージは途中で断念。スタッフしてたら肝心なところを全て見逃すことになっちゃうのが残念。来年は隠居して、一般参加しようっと》。スタッフの皆さんは、本当に大変だったのだ。でも、おかげでミス奈良の3人はじめ、すばらしい衣装を楽しむことができた。有難うございました! 





朝日新聞奈良版(4/30付)に、来訪者へのインタビューが載っていた。《妻と訪れた奈良市の無職男性(69)は宮城県に住む親戚が被災し、避難所で暮らす。「親戚が大変な思いをしているので、今年はぜいたくな観光はできない」。「みんなが遊興を自粛すると経済が落ち込む」と話すのは大阪府高槻市の神保(じんぼ)吉孝さん(69)。連休の3日間、あえて東北に観光に行く予定で、「寄付もいいが経済支援もある。東北でたくさんお金を使ってきます」 》とあった。今は自粛している場合ではない。東北でおカネを使い、どんどん経済を回していただきたいものだ。





朝廣さんの挨拶のなかに「大震災の復興の方向性がまだ見えない中、祭りの開催には議論もあった」とあるが、祭りの開催をよく決断されたと思う。特に今回のような自治体がらみのイベントは、軒並み自粛するのが通弊となっていたからだ。

皆さん、お祭りは5/5(木)まで続きます。5日にはお待ちかね「ならB級グルメ決定戦」があります。《事前登録の10店が競います。来場者の皆様の投票で選ばれます。当日投票箸(1つ200円) 11時30分スタート》(パンフレットより)。ぜひ、会場に足をお運びください!

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10 コメント

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活況 (あをによし南都)
2011-05-01 13:51:39
今井町も平城京もやはり仮装行列があると絵になりますね。
そして音響効果も。
朝廣さんの御挨拶のとおりまさに難しい決断だったかもしれませんがご英断だったと思います。
ロンドンでは王室の婚礼で賑わい経済効果も大のようです。
やはりイベントは大事ですね。
道鏡や孝謙天皇とか奈良時代の歴史の主だった人々は是非、復権も踏まえて見てみたいと思います。
本来の往時の雰囲気を取り戻し、かつ日よけにもなり、広場としての佇まいをしっかり出すためにも是非回廊の復元までは期待したいものです。
そういう意味では平城京跡地の活性化は現在進行形ということでしょうか。
南大門前から、朱雀門前へ! (tetsuda)
2011-05-01 16:09:49
あをによし南都さん、はるばる香港からのコメント、有難うございました。

> 難しい決断だったかもしれませんがご英断だったと思います。ロンドンでは
> 王室の婚礼で賑わい経済効果も大のようです。やはりイベントは大事ですね。

その通りです。イベントによる経済波及効果、精神発揚効果のことを忘れてはいけません。

> 是非回廊の復元までは期待したいものです。そういう意味
> では平城京跡地の活性化は現在進行形ということでしょうか。

回廊は復原されることでしょう。このようなイベントは、宮跡活用を促進すると思います。「奈良観光の中心を、南大門前から朱雀門前へ!」と、私は言い続けています。
今井町は着物で! (若林梅香)
2011-05-01 23:21:46
>今井町も平城京もやはり仮装行列があると絵になりますね。
あおによし南都さん「平城京天平祭」、県レベルのイベントと「今井町並み散歩」の茶行列を同格に評価していただいてありがとうございます
規模は小さいかもしれませんが、震災地支援、何が出来るか、精いっぱい頑張ります
今年は茶行列だけでなく、スタッフもかなり和装で迎えられると思いますし、来町者にも着物でのご参加を呼び掛けています
銀とき子さん、裏方御苦労さんでした
「今井町並み散歩」では茶行列に申し込みしていただいていますのでゆっくりと町歩きしてください
勿論、お出かけは着物で!
お待ちしています
鉄田さんの着物姿もみたいですね
写真を撮りまくり、知識欲旺盛な活動家にお願いしても無理かな
でも、今井町と着物姿の鉄田さん、似合うと思いますがね
ただ今準備で四苦八苦、でも、「平城京天平祭」ブログで楽しませてもらって有難うございました
やる気をもらいました
準備もあと少し、頑張ります
茶行列が楽しみ (tetsuda)
2011-05-02 06:50:50
今井町の若林さん、コメント有り難うございました。

> 銀とき子さん、裏方御苦労さんでした「今井町並み散歩」では茶行列
> に申し込みしていただいていますのでゆっくりと町歩きしてください

銀さんが着物姿で茶行列ですか、それは良いですね。天平行列が華やかなのは、ミス奈良など女性の姿が目立つからです。ぜひ茶行列でも、たくさんの女性の着物姿を拝見したいですね。子供さんから中年女性まで、駆り出していただきたく。

> 今井町と着物姿の鉄田さん、似合うと思いますがね

せいぜい作務衣くらいでしょうか。でも、リュックをかつぐわけには行きませんし…。

> 「平城京天平祭」ブログで楽しませてもらって有難うござい
> ました やる気をもらいました 準備もあと少し、頑張ります

今年は長丁場ですので、大変ですね。最終日の茶行列には駆け付けて、写真もたくさん撮らせていただきます!
奈良のラストエンペラー (吉田遊福 )
2011-05-03 11:30:42
ご紹介ありがとうございます。

いつもは撮影班として写す方として参加、今回はお誘いを受けまして写される方に回りました。

それでも着替えのギリギリの時間まで、撮影班魂として、行列の始まりのプロセスを収め、ボランティアスタッフの姿や市役所がどんどん天平衣装の風景に変わって行く様や出来る限りの老若男女の参加者を収めました。

勿論、お楽しみの綺麗どころのワンショットは、メイクが出来上がった順に収めましたので、今後の資料として、銀とき子さんやスタッフにもお渡しするようにします。

特に今年は、山口千代子先生はじめスタッフが心魂を注ぎ多くの新作に取組み奈良の歴代の天皇さんの行列の再現とさらに充実しているのも感動でした。

実は、私の役回りの光仁天皇の衣装も新着で、おまけに手づくりの大冠と靴まで揃って、格段の進化に脱帽です!

さて、この光仁天皇さんは、「林間煖酒焼紅葉(林間に酒を温め紅葉を焚く)」の中国の故事に因んだ大安寺「光仁会」の祭事で、長寿をもたらす「癌封じの笹酒」の縁との人だったとは、酒好きの私には、ぴったりのようですね。

最後にあのセレモニーの場に参列出来た事、共に鎮魂させて頂いた事に深く感謝しております。一人一人のメッセージ、
特に関川鶴祐氏の琵琶演奏は、魂が揺さぶられました。

林間煖酒焼紅葉 (tetsuda)
2011-05-03 15:25:50
吉田さん、4/29は大役を果たされましたね。早速のコメント、有難うございました。

> 綺麗どころのワンショットは、メイクが出来上がった順に収めましたので、
> 今後の資料として、銀とき子さんやスタッフにもお渡しするようにします。

おお、それはぜひ今後の資料として、私にも1枚コピーしていただきたいものです。

> 山口千代子先生はじめスタッフが心魂を注ぎ多くの新作に取組み奈良の
> 歴代の天皇さんの行列の再現とさらに充実しているのも感動でした。

はい。光仁天皇も聖武天皇も、素晴らしい出来映えでした。スタッフの方のご努力には、頭が下がります。

> 大安寺「光仁会」の祭事で、長寿をもたらす「癌封じの笹酒」の
> 縁の人だったとは、酒好きの私には、ぴったりのようですね。

白居易の詩ですね。官僚経験が長く、即位時には60歳を超えていたという光仁天皇の風貌は、吉田さんのような感じだったのではないでしょうか。

次のヤマ場は、「今井町並み散歩」ですね、またお会いしましょう!
次は茶行列! (銀とき子)
2011-05-04 00:19:52
ステキな写真つきで記事にしてくださってありがとうございます!

当日はバタバタしていて、写真を撮ったり、堪能したりする間がなかったのです。

写真を見ると、光仁天皇を吉田さんにお願いしてホントによかった~~~!!と実感します。
即位時の年齢をしっかり調べて、キャスティングした甲斐がありました。


次回は茶行列で、一参加者として楽しみたいと思います。
若林さん、どうぞヨロシクお願い致します。





ちなみに奈良のラストエンペラーは桓武天皇です。
奈良で即位し、3年間は平城京にいたんですが、京都のイメージが強すぎるとのことで行列から外されてしまいました。
遊福天皇 (tetsuda)
2011-05-04 07:54:23
銀さん、コメント有り難うございました。

> 光仁天皇を吉田さんにお願いしてホントによかった~~~!!と実感します。

威厳というか風格というか、これ以上の人選はありません。なんだかオーラがでているようで…。聖武天皇役の山本さんも、良い雰囲気を出しておられました。

> 即位時の年齢をしっかり調べて、キャスティングした甲斐がありました。

光仁天皇の即位は60歳でしたから、私よりお若い吉田遊福さんよりずっと年長ですが、いかにもそれらしく見えますね。

当記事のトップ写真は、当初は(当然)ミス奈良を想定していたのですが、選んでいるうちに、吉田さんに落ち着きました。それほどに素晴らしいキャスティングでした!
ご紹介をありがとうございます (石川 重元)
2011-05-04 23:49:11
このたび、玄さんと私のことを記していただきありがとうございます。

昨年の1300年祭を体験させていただいたからか、今回の参加により「何かしらに、ゆかりのある人は、積極的に参加すべきではないか」という思いが強くなりました。

ゆかりのある人や思いが強い方々の参加で、催しは、さらなる盛り上がりを見せるように思います。

特に行列の誘導をしておられたスタッフの方々は、寸分の狂い無く参加者の誘導をしておられた結果が、素晴らしい行列となって現れたのではないでしょうか。

奈良のために出来ることを考えていきたいと思います。



奈良時代ゆかりの人々 (tetsuda)
2011-05-05 07:18:56
これは玄僧正、ではなくて石川住職、コメント有り難うございました。海龍王寺さんでは5/9(月)まで、ご本尊(十一面観音さま)の特別ご開帳ですね。玄僧正ゆかりの史跡頭塔(5/8まで)や天平祭(5/5まで)とあわせて、お参りいただきたいです。

> ゆかりのある人や思いが強い方々の参加で、催しは
> さらなる盛り上がりを見せるように思います。

全くその通りです。奈良時代にゆかりのあるものは、現代の奈良にもたくさん残っていますから。鑑真和上、菩提僊那や藤原氏ゆかりの人々が参列されれば、お祭りは一層意義深いものになることでしよう。

> 誘導をしておられたスタッフの方々は、寸分の狂い無く参加者の誘導を
> しておられた結果が、素晴らしい行列となって現れたのではないでしょうか。

踏切の手前や大極殿の前で止まって整列し直したり、その間にメイクや衣装を整えたり、輿や階段を準備したりと、よくやっておられました。これらをプロデュースされた方々、実行された方々に御礼申し上げます。

> 奈良のために出来ることを考えていきたいと思います。

先日のお寺でのシンポジウムは、盛況だったとか、おめでとうございます。南都古社寺研鑽会がツイッターに《海龍王寺シンポジウム『仏教鼎談』盛況のうちに無事に終了致しました。手探りの運営でしたが、実り多く、楽しいシンポジウムでした》と書いていました。

1300年祭成功の一因は、宮跡だけでなく、県下各地で同時多発的にたくさんのイベントが行われ、それが「何だか(今まで地味だった)奈良が面白そうだな」と多くの人を集めたことだったと思います。どんどん奈良を盛り上げたいですね。

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