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司馬遼太郎が描いた奈良を紹介/奈良新聞「明風清音」第19回

2019年05月25日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞の「明風清音」欄に月1~2回程度寄稿している。5月22日(水)付で掲載されたのは「司馬遼太郎の奈良」だった。司馬遼太郎は、私の父も息子もファンなので、親・子・孫の三代にわたる。こんな作家も珍しいのではないだろうか。まずは全文を紹介する。

司馬遼太郎は、母親の実家が磐城村竹ノ内(現在の葛城市竹内)にあり、幼いころはそこに里子に出されていたので、奈良県に対する思い入れが強く、たくさんの文章を書き残している。私は1年ほどかけてそれらを拾い集め「司馬遼太郎と奈良をゆく」という90分の講演に仕立てたところ、とても反応がいい。今回はそれらの文章から特に印象に残ったものを紹介したい。

▽「竹内街道」(『街道をゆく1』)
《私が、昭和18年の秋にこの竹内への坂をのぼったとき、多少いまから思えば照れくさいが、まあどうせ死ぬだろうと思って―兵隊ゆきの日がせまっていたので―出かけたのだが、坂を登ってゆくその坂の上の村はずれから、自転車でころがりおりてきた赤いセーターの年上の女性(といっても22、3の年頃だと思うが)がいて、すれちがいざまキラッと私に(?)微笑し、ふりかえるともう坂の下の長尾の家並みの中にきえていて、ばかばかしいことだがいまでもその笑顔をおぼえている》《「その自転車むすめは、葛城乙女というのでしょうか」と、編集部のHさんは詩的なことをいってくれた》

▽「国しのびの大和路」(『歴史の世界から』)
《私は少年のころ、葛城山が大和盆地にむかってゆるやかに傾斜するやや高みの村から盆地の夕景を見はるかすのが好きであった。どの季節のどの夕景にも、盆地には夕(ゆう)靄(もや)がこめていたような記憶がある。日によっては香具山や畝傍山、耳成山が夕靄の淡い海に小島のようにうかび、ひときわ緑の濃い三輪山だけが群青のかがやきをのこしていた。夕靄のなかにたゆたうこの景色を越える自然の美しさをいまだに知らない》

▽「奈良散歩」(『街道をゆく24』)
《奈良が大いなるまちであるのは、草木から建造物にいたるまで、それらが保たれているということである。世界じゅうの国々で、千年、五百年単位の古さの木造建築が、奈良ほど密集して保存されているところはない、奇蹟といえるのではないか》

▽「大和・壺阪みち」(『街道をゆく7』)
《高取城は、石垣しか残っていないのが、かえって蒼(そう)古(こ)としていていい。その石垣も、数が多く、種類も多いのである。登るに従って、横あいから石塁があらわれ、さらに登れば正面に大石塁があらわれるといったぐあいで、まことに重畳(ちょうじょう)としている。それが、自然林に化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持がすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた》

しかし司馬は早くにこんな警鐘も鳴らしている。高度経済成長期の昭和41年(1966)の文章である。

▽「大和竹ノ内」(『歴史と小説』)
《この村を通過してみたいと思い、大阪からタクシーを拾った》《村のたたずまいも、ほぼむかしとかわらない。が、大和盆地に降り、三輪明神まで車を走らせるあいだ、両側の建造物の乱雑さはすでに大和ではなくなりつつあった。都市郊外特有の猥雑な無秩序は田園を荒廃させつつあり「大和さびた」ところなどはどの視覚にもなくなろうとしていた。大和は、いまほろびようとしている》

「大和さびた」景観こそが奈良県の宝であり、それが訪れる人を引きつけるのである。われわれ地元民には、その自覚が欠けているのではないだろうか。


現在、司馬遼太郎記念館(東大阪市下小阪3丁目11番18号)では、企画展「司馬遼太郎が見た世界」を開催中である(10/27まで)。同館のHPによると、

司馬遼太郎は、アジアや欧米など世界に関心をもち、『長安から北京へ』『ロシアについて』『アメリカ素描』『日韓 理解への道 座談会』など多くの作品を書き、また語りました。その内容は、文明・文化、歴史、経済、文学など、多岐にわたります。

今回の企画展では、上記の作品のほか、『人間の集団について』(ベトナム)、『街道をゆく』の「モンゴル紀行」、「オランダ紀行」、「台湾紀行」などをとりあげます。自筆原稿、司馬遼太郎が取材先の風景を描いた絵や色紙、写真、掲載紙などのほか、須田剋太氏、安野光雅氏の挿し絵とともに、司馬遼太郎が見た世界を展開します。展示を通して、司馬遼太郎からのメッセージを受け取ってくだされば、と思います。

【開催期間】 2019年5月8日(水)~10月27日(日)
【場  所】 司馬遼太郎記念館
【休 館 日】 毎週月曜日(祝日、振替休の場合はその翌日)
       8月6日(火)~8月18日(日)は、休まず開館します。
       9月1日(日)~9月10日(火)は特別資料整理期間のため休館します。

主な展示資料
自筆原稿「日韓ソウル座談会のはじめに 日本社会の一隅で」
自筆原稿「中国の旅」(改題『長安から北京へ』)第1回「万暦帝の地下宮殿で」 
掲載紙「産経新聞」スクラップブック「人間の集団について」
自筆画 『長安から北京へ』カバー画
地球儀 司馬遼太郎の書斎においてあるもの
自筆文字「日韓ソウル座談会」「続理解への道」読売新聞掲載時のタイトル など

企画展に関連して、「街道をゆく」シリーズを上映します。(5月「ニューヨーク散歩」 6月「中国・江南のみち」 7月「中国・蜀のみち」 8月「中国・雲南のみち」 9月「中国・閩のみち」 10月「耽羅紀行」)


司馬遼太郎記念館では、司馬の文庫本作品などが販売されている。買いもらしていた本が入手できるので、とても重宝する。ぜひいちど、記念館に足をお運びください!


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1 コメント

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激動の時代 (たたら製鉄関係)
2024-03-20 13:25:44
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムは人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。このメガトレンドどこか多神教ななつかしさがある。

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