吐露と旅する

きっと明日はいい天気♪

女は強し、母はもっと強し

2012-02-11 15:48:33 | インポート
大勢の親戚と、久し振りにお会いしてきました。
最初のうち、旦那さまは、さっちゃんの障がいの重さ(内容?)を考えて
さっちゃんと私は参加しない方向で考えていたようです。

どうしようかと迷っている旦那さまから、メールで連絡を受けたとき
『どちらも、あなたの家族です
 自分で考えて、双方の家族に説明するのが賢明だと思います』
と、私は返信しました。
『自分ひとりで参加しようと思う』
旦那さまからそう聞いたとき、私はこう返信しました。
『そう言うだろうと思っていました
 私は、さっちゃんの障がいは、あなたが思うほど重くないと思っています
 さっちゃんには、そういう場面に参加する必要があるだろうと
 むしろ、参加させるべきだと私は思っていますが
 「夫」が決めたことなので、従います』

冷たいですか。
そうかもしれませんね。
私は、そう思われることには慣れていので、別にどうとも思いません。

障がいを持った…
いや、範囲を広げるなら、「問題のある子」とされる子の親は(主として母親)
多分、その障がい(問題)そのものを受け止めることは
さほど、辛いことではないような気がします。
(その人の性格や環境にもよるかもしれませんが)
むしろ、辛いのは、無理解と無関心。
それが、ごく身近な身内だと、それはそれは、しんどい。
けれど、無理解と無関心は、悪意ではなく、罪でもないので
責められるべきものではないのかもしれません。
然しながら、本人と周囲の無理解と無関心ゆえに
いまだに障がいをもった子供を表に出せない親が存在する。
これは、非常に悲しいことです。

でも、それよりも、私が怖いと思うのは
我が子のことを、自分で決められない親の存在があるということです。
散々迷って、長い時間を考えて悩んだ結果決められないのなら
私は、相手にいくつかの選択肢を提示することが出来ます。
しかし、最初から「キミが決めて」という姿勢でこられると
なんじゃそりゃ!と、はねつけたくなってしまいます。
いえ、「はねつけたくなってしまう」のではなく、「はねつけます」です。
他の家庭がどうだとか、夫はどうあるべきか、妻はどうあるべきか
そういうのは、私には一切関係ない。
おまえの意志はどうなっとんじゃい!という話です。

こう言う場面に限らず、私は「人任せ」って、大嫌いなんです。
何が食べたい、何処へ行きたい、どんな服が欲しい
そういうことを、「キミはどうしたい?」

「じゃあ、キミの意志はどうなの?」

実は、人任せって、すごく楽なのですよ。
迷ったり悩んだりしなくて良いし、それに割く時間も省けるし
決めてもらったことに従っていれば、反感を買うことも少ないし。
でも、いい大人が自分の意志が明確でないって、どうなの。
しかも、人の子の親で、その子の意志が明確でない場合は
親がその子の気持ちを代弁してあげなければならないのに
それさえ「おまかせ」ってなに。
それ以前に、自分の子供の出来る出来ないを見抜けないってなに。

結局、旦那さまから『ごめんなさい』という謝罪と共に
『3人で行きましょう』と、数分前と180度違う内容のメールが届きました。
数分で180度内容が変わる意志ってなに。

私は、「私が」行きたかったわけでもないし
さっちゃんを「連れて行きたかった」わけでもありません。
そうするべきことを、しようと思っただけです。

結果、さっちゃんは、普段会う機会の少ない(ほとんどない)親戚と
1泊2日を過ごすことになったわけですが
終始おりこうさんで、全く手が掛かりませんでした。
さっちゃんに好意的な方々の助けがあったことは否定しませんが
さっちゃんは、そういう場面に耐えられる子なのだと、私は思っています。

無理解、無関心、人任せ。
更に、差別と偏見。

ほんの数十年前までは、多くの「問題を抱えた子」のお母さんたちが
目に見えないこれらの壁と戦っていました。
そのご苦労と思うと、本当に胸が痛みます。
そして、その壁の多くが、家族や親戚などの身内や
ご近所などの近しい関係者だったことを思うと
私は、いまだに、その壁が残っている場面に出くわすと
つい、破壊したくなってしまうのですよ。